ここまで、多くの景色を目にしてきた。人の笑顔、人の怒り、人の涙を見てきた。そこに向こう側やこちら側、などという線引きはなく、すべて等しく尊いものと感じた。だからこそ、クロウは
「こっちとあっちは何が違う? なぜ……なぜ
「其れに答えますには先ず、貴方様の認識の誤差を修正せねばなりますまい。」
嗜虐的な微笑を湛えながら、ウォッチャー、ホーガンは答える。
「此の地は確かに、特異点と称される物に御座いましょう。歴史の或る一点を愚弄されたが故に生み落とされた在ってはならない世界。されど、この地を特異点たらしめているのは他でもない、貴方様と此の拙僧めの存在に御座いますれば。」
「つまり俺たちがいなかった時、この世界は……。」
「
「はっ……?」
聞き慣れない言葉に、クロウは再度その言葉を聞き返す。
「ははは! いえ、いえ。或いは何れ何処かの何者かが、こういった世界の状態の事をそう表すでありましょうな、という意味に御座いまする。即ちこの世界は、『マビノギオン』に於けるアーサー王と大鴉の伝承が伝わらぬ儘現代を迎えた世界、に御座いますよ。」
「つまり鴉としてのアーサー王の人格が無い……?」
ニコリと、今度は無邪気に笑って見せるウォッチャー。
「本来、此の世界における『人類』とは『死なずの者』。寿命が尽きれば再び若人となり、記憶は抹消され、新たな生命として人生を繰り返す物に御座いました。」
「……おぞましいな。」
「ええ、実に。ですがそれでは進歩性が無い。記憶は消せど、その人間の
「でもそこへ、
「瞬間、此の世界は異聞帯から特異点へ切り替わったのです。複雑怪奇では御座いますが、貴方様の呪が逆説的に世界の理に
「つまり、つまりだ。」
クロウは今までのウォッチャーの話を纏める。
「元々向こうの世界とは違う運命を辿っていた世界に俺たちが来たことで、矛盾が生じた世界が突然変異よろしくぽんと生まれちまって……。」
「其の突然変異部分のみが特異点として元来の我々の世界に層状的に上書き保存されてしまった、という次第に御座います。」
「……意味わかんねぇ。」
「ははは! 然様に御座いまするか! 結構結構、然して此の特異点は別の可能性の世界が
「……。」
ウォッチャーのやり取りを思い出しながら、ポケットの中の黒いリボンを握り締める。それを再度ポケットの奥へ仕舞いこみ、唇を真一文字に結んで眼前を睨む。
「はあああぁぁ……。やはり、と言いますか。本当に貴方は私の邪魔しかしませんねェ。しかも何をどうしたか、私の傑作薬まで克服しているご様子。」
虚ろな瞳で溜息をつき、コーニッシュは苛立たしげにクロウとセイバーに対する。
「ナイチンゲールが一生懸命解毒してくれたからな。」
「解毒とはァ……ッハハ、異なことを仰いますねェ? 貴方は自らの呪いに苦しんでいたのではないのですか?」
「あぁ、苦しいね。もう二度と死にたくなんかないさ。でも死ななきゃならねぇ。死んで死んで死んで死んで死んで死んで、そしてお前たちも
「――その意見には、賛同しかねますねェ。死とは拘束。死とは束縛。死という概念が存在する限り、人類には一向に幸せは訪れません。それは貴方のその所感で証明されているでしょう? 誰しも死など欲していないのです。」
でもよ、とクロウはコーニッシュの話を遮った。クロウが口を開いた時、その背後から数名の人間たちがサーヴァントも連れずに集ってくる。
「でもよ。」
あるいは、かつて異世界にてコーニッシュと真正面から対峙した遠坂の血を引く武闘魔術家。
「俺たちの時代は俺たちの物だぜ?」
あるいは、未来から人理を取り戻すべく時空を超えて訪れた異邦人。
「俺たちの未来も、そりゃあ俺たちの物だろうがよ。」
あるいは、盟友と同胞の遺志を受け継いだ最新にして最後の三銃士。
「――過去の人間が、人間の
「ッ……!」
明らかに不機嫌な表情を見せ、コーニッシュはその姿を英霊本来のサイバーパンクなそれへと変貌させる。その隣で、キャスターも悍ましいまでに口端を細く鋭く引き伸ばし、不気味な笑い声をあげながら掌から長い長い舌をずるりと垂れ落として見せる。
「サーヴァントも連れず、我々と相対しようなどと……私たちも随分と舐められたものですねェ!!?」
「ああ。舐めているさ。」
それに不遜にも答えたのは、ズーハオだった。そして、その言葉をゾーエが引き継ぐ。
「だって、私たちは
瞬間、ゾーエに迫った舌刃を、クロウの指示も無くセイバーが斬り捨てる。
「ふ、ふふ! フフハハハハ!! 醜い! 醜い! 無様だ! お前たちとて英霊を用いているではないですかァ!!」
「ああ。私も確かに過去の人間。だが、貴様ほど出過ぎた欲望も持ち合わせてはいない。この剣はクロウの想い。クロウが人類の未来を掴みたいと願うのならば、その障害を斬り払う刃となろう!」
凛とした声で、セイバーは宣う。直後、セイバーは地を蹴り、キャスターと剣を交える。コーニッシュも素早く白衣のポケットからマジックアイテムを取り出そうとする――が。
「一拍遅いッ!!」
その瞬間には、ズーハオによって間合いを詰められていた。
「サーヴァントの視力でも追いつけない縮地だと!? たかだか人間ひとりにどうしてここまでのポテンシャルが……ッ!!?」
シリンジを数本握るその両手を蹴り抜かれ、咄嗟のことにシリンジを手放してしまうコーニッシュ。
「ゾーエ!」
そして、体勢を崩して隙を見せたコーニッシュの懐に次に飛び込んだのは、ゾーエだった。
「これでも――くらえッての!」
その胸に深々と突き刺したのは、緑色の液体が満たされたカートリッジが装着された金属製の鞘に納められた、大型の片刃ナイフ。それがずぶりと音を立て、肉を絶つ感触がゾーエの手に伝わった時、コーニッシュは苦悶の悲鳴をあげた。
「こ――れはッ! 魔術回路、霊基の超加速!! あァッ、アぁあァアーーーッッ!! イタイ、イタイ、イタイイイィィ!!! 特効薬を! なぜだ! なぜだ! 治療をなぜだ治療せねばなぜ人間にこんなものがなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜェ!!!??」
狂ったオルゴールのように言葉を繰り返し、アスファルトをのたうち回るコーニッシュを見下ろしながら、肩で息をしつつその答えを投げてよこした。
「それはね、私の十六年の集大成だからだよ。……いや、実際は十一年かそこらか。モクレールの出来損ないが家族にも友達にも内緒で独り妥協も一切せずに究め続けたたったひとつの呪い。だから
「アッ……ぐ、あぁあ、あっぁあっ!」
白目を剥き、必死にありったけの薬物を自身へ投与していくコーニッシュ。しかし、どれだけ自身を回復する作用を持つ薬品を過剰摂取しても、痛みは増すばかりのようだった。
「無駄だよ。少なくとも自分の修繕を促進するような効能を持つ薬を使っている間は。……って、聞こえてないか。」
まるで悪役のような台詞を吐くゾーエの瞳には、何の感情も宿っていなかった。しかし、すぐさまに激情を内に燃やす眼差しでクロウとズーハオ、藤丸の方を振り向き、自身の作戦を伝える。
セイバーがキャスターを弾き飛ばした瞬間、キャスターの視界に太陽の光のような金色のロングヘアが映り込む。
「ぐあっ……!?」
コーニッシュと同様、その胸部には刃が突き立っていた。しかしそれはナイフではなく、一振りのレイピア。ダルタニャンが最期にゾーエに残した自らの武器だった。叡智と篤信と蛮勇と、そして最後の一剣、勇猛の加護を受けたレイピアは、キャスターを幾重にも守っていた魔術的な防護を貫き、『ただのレイピア』としてその肉体に突き刺さる。
「『
喀血しながら着地し、数歩よろめくキャスター。しかしコーニッシュとは違い、彼女を穿ったのは『ただのレイピア』。せいぜいが時間稼ぎにしかならないだろう。実際、次の瞬間には彼女の舌は的確にゾーエの首筋を捉えていた。
だが、そこまでにも及ばない。
「なッ――!」
舌は中途で断絶される。その要因は、クロウが投擲した手榴弾だった。それは、かつて名すらも剥奪され、『祖国よ家族よ、幸せであってくれ』と願って散っていった幾百もの雑兵たちの怨念の集合体が
「これは……局地的な固有結界!?」
即ち、キャスターの五体を封じ込める立方体状の結界であった。『
「この……矮弱な地球の知性体如きがアァッ!!!」
憤怒のままに叫び立てると、結界を突き破り、何かが道路を叩き潰して結界ごとキャスターを上空へと放り投げた。
『先輩! 確認、取れました! 魔神柱反応です!!』
突如、藤丸の腕輪からマシュの声がする。マシュが魔神柱と呼んだその存在を示す座標を確認すれば、それは。
「是、是である! ああ、そうだ。
それは、肉塊であった。至る所に眼球が備わった冒涜的かつ醜悪なその何十本もの巨大な肉の手腕は、キャスターの体躯を食い破り、結界を飛び出し、外界へ進出し、時計塔やウェストミンスターブリッジに絡みつく。
「あいつが、魔神柱……!」
藤丸にはしかし、既にどうすることもできなかった。ハサンは使命を全うし、自分自身は魔術の素養などありはしない。それはダルタニャンを失ったゾーエも同様であった。だからこそ、彼が前に出るのは必然と言えた。
「今が最後のチャンスだ。行くぞ、セイバー。」
「はい、始めましょう。クロウ。」
クロウがセイバーの肩に手を置いた瞬間、彼の手の甲から令呪が一画、消失する。それと同時にセイバーの聖剣が嵐から解き放たれ、本来の姿をそこに顕した。それを額に添わせるように掲げ、政権の中を絶え間なく流動する膨大な魔力を丁寧に編み纏めていく作業に意識を集中させるセイバー。
「――これは。
黄金の熱線は、臨界寸前の魔力を一直線に束ね上げ、真っ直ぐにキャスターを閉じ込める結界に直撃する。
「脆弱い! 貧弱い! この私を! 魔神を倒すには! あまりにも虚弱いぞ、騎士王!! フ、フハハハハハ!!」
「そうか、ならばオレも加勢するしかあるまい。」
そう言って前へ出たのは、クロウと同じく未だサーヴァントを失っていないズーハオだった。ズーハオは右手の令呪を朝焼けの空に高く掲げ、自らのサーヴァント、アーチャーに命令を下す。
「アーチャー! 宝具を使用しろ! 地球如きと侮るキャスターに、金星の女神の底力、見せてやれ!!」
突如、ズーハオの背後数百メートル上空に、ぽっかりと平面的な穴が生まれる。その向こうに覗いていたのは、紛れもなく宇宙であった。その穴からまるで隕石のように鈍重に、ゆっくりと、金星の超巨大なミニチュアが落下してくる。
そして『それ』が一瞬で小さな光球へと変換され、その穴の直下にいる何者かが携えた巨大な弓に装填されると、尋常ではない光熱と共にそれが射出準備状態になる。
「大いなる天から!」
令呪を掲げる腕を振り下ろし、ズーハオは人差し指を結界へと向ける。それはすなわち、遠坂家が得意とする一工程呪術、『ガンド』の構えであった。
「大いなる地へ向けて!」
それは、テムズすらも蒸発させかねない一撃。高度の神性がいい感じに手加減して放った、癇癪の一射。『
「打ち砕け! 『
惑星の胎内で精錬された
「がっ、アアアァァ!!! な……ぜだ! なぜ拒む! なぜ生きることを拒む! なぜ死から逃れるその単純な生存本能に抗う! なぜだアアァーーーッッ!!!」
およそ幼い女児があげて良い物ではない苦悶の絶叫を白んでいく空に響かせる。
「命とは終わるもの。生命とは苦しみを積みあげる巡礼だと。」
キャスターの疑問に答えたのは、拳を握り締めて始終を見守っていた藤丸だった。
「そう言った
『……。』
「でもそれは、決して死と断絶の物語ではないと! 誰かが繋いでくれる意志がある限り、ヒトの死は『死』ではない! だから怖くても恐れないんだ、俺たちは!」
「ハ……ハハ、ハハハハハ!!! そうか、
キャスターの言葉を最後まで聞くことは叶わない。膨張し、結界すらもついに破壊しながら無数の触手を聖杯が顕現しつつあった時計塔上空へと伸ばす肉の球体は、命の奔流と地脈殺しの弓に敗れ、悍ましい断末魔をあげながら爆散する。
瞬間、世界は漆黒に包まれた。人間の個としての情報を魂レベルまで分解し、再構築するその宝具の逆演の中へ、抗う術も無く沈んで行く。