ロキシーがうちに来て早数ヶ月。パウロとの鍛錬は体力上の都合のため昼頃だけなので夕方は三、四日に一回ソマル達と遊びに出かけている。もちろんズボンを履いて。ルーデウスは毎日鍛錬が終わると魔術の訓練をしている。べ、別に私サボりじゃないもん。
ともあれ、夜に座学を教えてもらうようになり、知識も増えた。そこで一つ気になることができたのである。
「ロキシー先生、先生は魔神語を話せるんですか?」
この世界は五つの大陸に分かれているらしい。使われている言葉はざっくり六つ。
私たちが使っている人間語。
ベガリット大陸で使われている闘神語。
天大陸で使われている天神語。
ミリス大陸の北、大森林で使われている獣神語。
海の中に生きる種族で使われてるのか、小さな島国達で使われているのかよくわからないけど、リンクス海で使われている海神語。
そして魔大陸で使われている魔神語である。
ロキシーは魔大陸出身の魔族だと言う。おそらく、地方によって方言とか訛りとかはあるだろうけれど、基礎さえ覚えればだいたいなんとかなるかもしれない。中国語とかはもはや地域が違うと別の言語化しちゃってるけどね……。
「ええ、話せますよ。それが何か」
手明かりの小さなランプに下から照らされた顔は日中に見る時より険しく見える。ルーデウスも興味津々と言った体で私とロキシーを見つめていた。
「私、魔神語を話せるようになりたくて、隙間時間でいいので教えていただけませんか」
私の箪笥の上から大きなクマのぬいぐるみが見下ろしている。ルーデウスの部屋は両親の寝室の隣なので夜は音が気になる。よって夜の座学会は必然離れた私の部屋になった。私の部屋は台所の真上、階段を登りすぐ左手にある部屋でロキシーの部屋の向かいでありお隣だ。
「良いですよ。向学心があって素晴らしいです」
内心でガッツポーズを取り、にこにこと感謝を述べる。お勉強の幅が広がった! わーいわーい。知識で頭をいっぱいにするのは存外楽しいことなのだ。前世も片っ端から教科書を頭に入れていって足りない分は図書館の本や学校のパソコンで調べてきた内容で補完して。無意識に呟く領域にまで頭に詰め込むことが好きだった。
「そうですね、では魔神語の辞書を作りますので、二月ほど待ってください。完成したら、今の座学の時間にそちらも併用してやりますので」
ロキシーは細く先が薄桃色の指を二本立てた。
望むところである。今の雑学歴史の本もとても面白く、もっともっとこの世界の本が読みたく思っていたのだ。いかんせん本は高いらしく、うちには少なく、強請るに強請れない。もっと安く手に入ったらいいのに。
図書館とかないかな。有料制会員制とかだったらありそうなんだけどな。もうちょっと大きくなって馬に乗れるようになったら訊いてみよう。
早くもあれから二ヶ月が経った。ロキシーが来てから半年が過ぎ、魔力はちょっとやそっとじゃ尽きなくなった。色々と細かい物を作ったり精密な動作をさせたりして魔力の鍛錬は怠っていない。
剣術の方はまだ体づくりが主だが、段々と足が早くなってきた気がする。まるで
パウロも同じくらい速いからこの世界では鍛えれば皆そうなのかもしれない。ルーデウスはまだその段階ではないようでゼーハー言っているけど、きっとすぐだろう。
毎日恒例の座学の時間。今日のロキシーは3冊の分厚い本を持ってきた。
「お約束の魔神語の辞書と魔神語で書かれた本です。本の方は貸すので後で返してくださいね」
お手製の辞書が一冊に本が二冊。片方は物語でもう片方は辞典だという。この世界の本は高額なのは織り込み済み。貸し出しなのは妥当だ。
「はいっ、ありがとうございます」
ルーデウスと二人、声が重なる。どちらも目を輝かせた好奇心いっぱいの顔だ。
ロキシーは息ぴったりの私たちに失笑した。
「では、まず読み方を教えますね」
その日も順調に夜はふけていった。
【said ロキシー】
カンテラの明かり一つ、暁の訪を今か今かと待つ子供部屋。夜の睡魔に負けてロキシーの両脇で寝息を立てる弟子二人を見やる。ロキシーとて先ほどまで寝こけていたのだから何も言えない。
「はあ、いけませんね。寝てしまっていました」
オフェーリアの方が重力に任せて揺れ始め、そろそろお開きにしなければ、と思ったところまでは覚えているのだが。ついつい一緒になって寝てしまったようである。
既に夜明けは近く。今更寝台に移しても無駄かもしれないが、幾分かましかもしれない。そう思い、机に突っ伏す弟子二人を一人ずつ引っぺがしてそれぞれのベッドに運ぶことにした。
まずは部屋の遠いルーデウスをと、脇に手を差し入れて持ち上げる。机によだれを引いていた。少々顔をしかめつつ、子供だからこんなもの、とそのまま運ぶ。
今だからこそ小柄なロキシーでも持ち上げられるが、人族の成長は早い。もう十年もすればロキシーの身長なぞ優に超えるだろう。そして百年もすればいなくなってしまうのだ。種族の違いは残酷なものである。だからミグルド族は引きこもっていたのかもしれない。
流石に静かになっている夫妻の寝室を通り過ぎ、ルーデウスの部屋の戸をにじり開ける。足と腰の共同作業で。はしたないので誰にも見せられない。
なんとかどうにかベットに寝かせて掛布をかけた。
「ふう、まあなんとかなりましたかね」
明星の光明が月も沈んだ空に一点輝く。その淡い光だけが今ロキシーの視界を保っていた。
静かに眠るルーデウスは小さい子供そのもので、なんだか不思議な気がした。
さてもさても、もう一人も寝かせに行かねばなるまい。
ロキシーは足音を立てないように先ほどまでいた部屋に戻った。
カンテラの残り火に照らされて机に突っ伏す少女が一人。暗闇に目が慣れてきていたロキシーはカンテラの小さな光でさえも眩しく、顔をしかめた。
オフェーリアを寝台に運び終わって、そのベッドの端に腰かけた。
ルーデウスそっくりの顔で眠るオフェーリアの頭をそっと撫でる。指通りの良い髪が流れた。
この兄妹は本当に優秀だ。すぐにロキシーなんか要らなくなる。賢く利発で、真面目。怠けることなく、飽くことなく、貪欲に知識を求める様は昔の自分をも彷彿させた。
ロキシーの先生は
「後どれくらいでしょうね。私が教えることがあるのは」
いかにこの家が居心地が良かろうとロキシーは教師。教えることがなくなれば去らねばならない。しかし、名残惜しい気もして、少し粘ろうかなどと画策するロキシーなのであった。