「今日は、中級魔法に挑戦してみないか?」
穏やかな日差しの太陽がまだ東にあると言える時分。パウロは庭で鍛錬中で、ゼニスは洗濯物を干しに外へ出かけている。という事で、失敗して魔力が尽きて倒れたとしても証拠隠滅が可能だということです。
それにしても、パウロは何の仕事をしているのだろうか。この家は裕福らしいのだが、パウロは毎日働いているっていうわけではなさそうだし。首をかしげるが、今は関係のないことだ。
「いいね、ルーデー。中級の呪文は何?」
「やっぱり、最初だし、大業挑戦って感じで同時にやりたいって思ってるんだけど、どうかなって」
常通りルーデウスからやるのかと思えば随分と可愛らしいことを言う。両者失敗した時に誰が後始末するのかって話だけどまあそれはいい。ルーデウスが開いているページを繁々と見た。
「「せせらぎの濁流よ!『
たちまち消防車のホースどころの水量じゃない太さの水柱が立った。
ドラ○もんの空気砲みたいな。ドカンっ。……おふざけはここまでにして。
え、本気で止まらないんですけど。すでに水は壁をぶち破った。ルーデウスと私の分でそのサイズは二倍だ。大人が三人手を繋いで仲良く飛び降りができるくらいの大穴が空いている。隣のルーデウスの部屋の壁も削れて繋がっちゃったし。開放的な空間を魅せる大窓ネ、じゃねえよ。
え、本当にシャレにならんよ。ガンガン魔力吸われてる感じするし。
「オーフェ! 制御してみせろ」
ルーデウスを見れば歯をくいしばり眉根を顰めて制御に努めていた。腕は小刻みに震えているし、歯の奥根も音を立てている。
ルーデウスも頑張っているのだ。私もやらねば。
迸る右手を抑え、目を見開く。こんな水塊、誰かにあたりでもしたら殺傷罪に問われかねない。殺せそうな速度出てるし。
威力を弱める? どうやって。水量は変えられないし、水圧もすでに出てるから、あ、そっか霧散させればいいんだ。シャワーだ。
「散れぇええええええっ」
魔力切れの悪寒が直ぐそばまで迫っている。吐き気の警鐘に似てドロリとした気持ちの悪い脂汗を滲ませて。
意識を手放したほうが楽なんじゃないか、そんな甘っちょろい気持ちも通り過ぎていった。ルーデウスの叫びに押されて。
「こん……畜生がぁあああああ‼︎」
ルーデウスは痙攣する手を拳に変えて、粟立つ腕でさらに魔力を込めた。もう限界だろうに、最大を越えて。
畑で仕事をする人が見えるか。畦道で遊ぶ子供が。行商の者が。家畜の世話をする者が。
見えるか。
何の罪もない、自分がその者によって危機に陥れられたわけでもあるまい、その者に危害を加えることは許されない。
前世で人を殺した私は、もう事故だって起こしてはいけない。起こしたくない。
止めるのだ。
己が手で。
その時、水流は無数に裂け、別れ、雨のように畑に降り注いだ。
息切れが酷い。心臓がこれでもかと主張を繰り返し、最早口から出そうだ。うねうねと百回転くらいした後のように床が波打って感じる。世界も回っているようだ。もう内臓全部吐きたい。
ルーデウスも膝を折りもう限界の形相だ。
そんな二人分の上がった息の音のみが響く一種の静寂を破ったのは一つの若い男の声だった。
「何事だ! うおあっ……」
穴の空いた壁の縁から水が滴り落ちる。何処からともなく鳥の囀りも聴こえ、壁の穴さえなければいっそ爽やかな朝だと切り捨てられたのに。壁に空いた空洞は言い逃れを許さない脅迫じみた面構えだ。
パウロは呆けた顔をして、思考が停止しているようだった。さながら処理落ちというか。
「ちょ、おい、なんだこりゃ……ルディ、大丈夫なのか……?」
魔物の仕業か等々、
震源地はこーちらって白状したほうが良いのかしら。
私がパウロの方を見ているうちにいつのまにかゼニスが部屋に入ってきていたようだ。そしてその手には先程ルーデウスが落とした魔術教本。ルーデウスはゼニスに無言で見つめられ微動だにしない。蛇に睨まれた蛙というか、いやはや。天敵ではないのだが。
キトキトと先ほどの脂汗とは違う汗が噴き出す音すら聞こえるような気がした。
「ルディ、もしかして、この本に書いてあるのを声に出して読んじゃった?」
「ごめんなさい、僕がやりました」
「私もやりました、ごめんなさいっ」
ゼニスの目が見開かれる。リーリャの目もだ。あ、書斎でもうやらないって言ってたのにごめんなさい、破っちゃった。約束も、壁も。
叱責が来るかと身構えた。
壁に大きな穴開けちゃったんだもん。落書きどころじゃない。
しかし、まず訪れた衝撃はゼニスの抱擁であった。香りで包まれるようにしっかりと抱きしめられる。
「きゃー! あなた聞いた! やっぱりウチの子は天才だったんだわ! 今すぐ家庭教師を雇いましょ! 将来きっと大物になるわっ」
「いや、え、ちょ」
パウロの困惑は置いてけぼりに、ゼニスは私とルーデウスに交互に頬ずりをする。
両親は今この時まで私たちが魔術の練習をしていると知らなかったらしい。リーリャの口の硬さには感謝するより他にない。
「あなた、家庭教師よ! ロアの街ならきっといい魔術の先生が見つかるわ!」
ゼニスはルーデウスと私を離しパウロに食ってかかった。
ロアの街というのはこの村よりもずっと都会らしい。福岡でいう天神とか、埼玉でいう大宮みたいな感じだろうか。流石に新宿とか渋谷ではあるまい。
狼狽えていたパウロも漸く頭が回り始めたのであろう、抗議の声を上げた。
「いやまて、オーフェはともかく、男の子だったら剣士にするという約束だったろう」
男だ女だと差別するのは好きじゃない。別にどちらでも良いではないか。子供は親の玩具でもない。
約束だった。いつも破るくせに。等々等々パウロとゼニスで喧嘩を始める。
これは止めるしかないか。ルーデウスもどうしたものか、と固まっているし。
「えー、父さま、私剣術もやりたい。どっちかしかダメなの?」
パウロの足にしがみついた。強制的にこちらを見ることになるから喧嘩は止めれるね。尚もパウロは不服そうだったが、リーリャの次の言葉ではっきりと了承した。
「午前中は魔術を学んで、午後から剣を学べばいいのでは?」
淡々と掃除をしながら、ため息交じりの声だった。よほど呆れたのだろう。
ともあれ、剣も魔法も学べることになった。勉強は大好きなんだ。前世はすごく勉強してたしね。
一度不良の身に落ちたとしても。
水流の魔法はロキシーの省略形しかわからなかったので、それを使いました。