1話
守護天使。
神に仕え、人々を守る存在。
その姿は人には見えず、誰もその姿を知らない。
故に人々は守護天使を模した石像を造り、崇める。
そんなありがたい石像を前に、ため息をつく人間が一人。
「ウォルロ村の守護天使……リン……かぁ……」
不思議な少女だった。妙にヒラヒラとした飾りの多い服に黄色いタイツ、そして素朴ながらも作りの良さが伺えるブーツ。わずかにウェーブのかかった青髪に包まれた顔は鋭さを感じさせながらも見事なまでに整っており、質素な暮らしを営むウォルロ村の人々から奇異の目で見られていた。
「お、誰かと思ったらこの前の大地震のどさくさで村に転がり込んだリンじゃねぇか!」
声をかけてきたのはいかにもガキ大将といった風貌の少年だった。それなりに裕福な者なのだろう、隣にいる取り巻きであろう少年よりいくらか高そうな服を身につけている。そこでリンはある一人の人物に思い当たった。
「……あなたがニード?」
「ほう……もう俺様の名前を覚えているのか、良い心がけじゃねぇか」
ニードと呼ばれた少年は腕を組み、満足げに笑みを浮かべる。そんな様子のニードを眺め、リンは苦笑を漏らした。
「まあね、リッカがニードっていう生意気でひねくれた少年には気を付けてねって言ってたから」
「リ、リッカの奴……」
ニードは肩を落とし、分かりやすく落ち込んだ。
リッカというのはリンが世話になっている宿屋の一人娘だ。滝壺に落ちて大ケガをしたリンを看病してくれて、その上しばらくの間彼女の宿で面倒を見てもらっているのだ。彼女との雑談のなかでニードという幼なじみの存在を何度か耳にした覚えがある。
「それで……何の用?」
「っと、そうだ。俺様はお前に忠告しに来たんだよ」
ニードはびしっとリンを指さした。
「お前、リッカに何かしたらただじゃおかねぇからな!」
「……え?」
「だーかーら、リッカにあまりちょっかいかけんなって言ってんだよ!どこから来たのかも言わないし、妙な格好してるし、どう考えても怪しいだろ?」
ニードは生意気な口調でリンに言い放つ。そんなに怪しんでなぜ「村を出て行け」ではなく「リッカに構うな」なのか、それを聞くのは野暮という奴なのだろう。
どうしたものか、とリンは思考を巡らせた。なにせ彼女は今の彼を納得させれる答えを持ち合わせていないのだ。どこから来たのか、それどころか自分がその妙な格好をなぜしているのか、それすら分からないのだ。
実は彼女、ウォルロ村で目を覚ます前の記憶が無いのだ。
彼女が分かるのは持っていたハンカチに刺繍された「リン」と言う名前のみ。もう一つ言うとすれば、彼女を助けた際にリッカが拾ったといって銅の剣を渡されたのだ。記憶が無くなる前は冒険者かなにかだったのだろう。実際彼女は村の人からはその格好も相まって浮浪の旅芸人という扱いを受けているのだ。
「おい!聞いているのか!?ニード様はなぁ、リッカがお前にばかり構っているのが面白くなくていらっしゃるのさ!」
「ばっ……バカ野郎!余計なことを言うんじゃねぇ!おい!リン!ぼーっとしてるんじゃねぇよ!」
はっとリンは意識を戻す。とりあえず適当に流そうかと口の中で言葉を練っていると、
「コラッ!あなた達何しているの!」
リンの耳に高く澄んだ声が聞こえてきた。声の出所はニード達の背後、丁度リンの視線の先に声の主が立っていた。リンとは違った少し紫がかった青髪をオレンジ色のバンダナでまとめた少女、リッカだ。
「ちょっとニード、うちのリンに何の用なの!?」
「よ……よう、リッカ。なーに、ちょっとこいつに村のルールを教えてやってただけさ……おい、いくぞ!」
少しあわてたような、焦ったような口調でニードが答える。どうやらニードという少年はリッカに対して立場が弱いらしい。彼女の一声でニードとその取り巻きは逃げ出すようにその場を去っていった。
「ふぅ……大丈夫だった?」
「大丈夫だよ。ありがとね、リッカ」
「ふふっ、どういたしまして」
リンの礼にリッカは笑顔で応じた。宿屋の看板娘にふさわしい、こちらまで笑いたくなるような笑顔だ。だがその直後、その笑顔が憂いを帯びる。
「はぁ……どうしてニードってあんなに威張ってばかりいるのかな?昔はもっと素直だったのに……」
さぁね、とリンは空返事を返す。取り巻きやニード本人の発言から察するにニードがリッカに対してなにかしらの情を抱いているのは初対面のリンでも何となく分かった。長年一緒にいるのだし……いや、長年一緒にいるからこそそういった感情を抱き辛いのだろうか。
「ところで、リン。出歩けるなんてもうケガは大丈夫なの?」
「うん、おかげさまでね」
「そっか、良かったぁ……本当に危ないところだったのよ。それこそ死んじゃう一歩手前よ」
そう言われ、リンは改めて自身の調子を確認する。腕や頭に包帯が巻かれ、見た目は怪我人そのものであるが、痛みはほとんど残っておらず、体の動きにはなんら不調はなかった。明日にでも包帯を外せるハズだ。
「あと……どう?記憶は戻った?」
おずおずといった様子でリッカが問いかけた。リンはどうにか記憶を掘り返そうと頭を働かせる。が、やはり思い出せない。頭の中が分厚い粘膜がへばりついたように不明瞭で、重い。
「だめ……思い出せない」
「……そっか」
同じ「そっか」でもこちらは随分響きが暗い。他人思いやる心が強い子なのだろう、どうしようもないと思いつつも罪悪感がちくちくと肌を刺す。
「まあ、身体は無事なんだ。記憶もそのうち戻ってくるはずだよ」
どうにか雰囲気を直そうと精一杯のセリフを口に出す。
その意図を受け取ってくれたのか、リッカは再びその顔に笑顔を浮かべた。
「そうだよね!さて……私はうちに戻ってご飯の準備をするよ。少し時間がかかるだろうから、リンは村の人達に挨拶して回ったら?」
「そうだね、そうするよ……それじゃ、いってくるよ」
「うん、あまり遅くならないようにね」
リッカに見送られ、リンはその場を後にした。
それからリンはリッカに言われた通りにウォルロ村の人達に挨拶して回る事にした。村の人々は皆優しく、服装のことも一瞬気にするものの、敬遠することなく自分の無事を祝ってくれた。中には自分の事を守護天使様と崇めてくる者までいた。
どうやら自分を同じ名をもつこの村の守護天使様は慈悲深く、村人達にとって非常にありがたがられていたようだ。自分の事ではない無いとはいえ、どうも決まりが悪い感覚がリンの身体を包む。
しかし、それと同時にどこか奇妙な感覚が身体を巡る。まるで自分がありがたがれているのが当然だと、そういった罰当たりな感覚だ。それともう一つ。それはデジャブ。自分がこの村に来たのは初めてのはず、そのはずなのに何故か分かるのだ。
「あそこが教会、その向こうが馬屋……やっぱり」
ウォルロ村は決して大きな村とは呼べないが、初めてやってきた人間にその全貌が分かるほど小さくもない。だが彼女の頭にはこの村の地形、建築物の情報がかなり正確に刻まれていた。そう、まるで長年この村にいたかのように。
「となると……やっぱりあった」
リンはとある家の前で足を止めた。その家は他の家と比べて随分と立派な、それなりに裕福な者が住んでいるであろう家。この村の村長の家であり、守護天使像前でリンに突っかかってきた少年ニードの家である。
正直またあの少年と出くわす事を考えるとあまり行きたい場所ではないのだが、流石に村長に声をかけぬという訳にはいくまい。覚悟をきめ、ドアを開く。
「ニード!!お前と言う奴は!!」
と同時に怒声が響きわたる。そおっと部屋の様子を伺うと、ニードとその父親であろう男が口論を繰り広げていた。
「いい年して遊びほうけおって!少しはリッカを見習おうとは思わんのか!!」
「リ、リッカは関係ないだろ!?オレは今、本当にやりたい事を探しているんだよ!それが見つかればオレだって真面目に働くさ……たぶん」
どうやら議題はニードの生活態度についてのようだ。自分に非があるのが分かっているのだろう。父親と比べ、ニードの言葉は勢いが無い。このまま放っておけば議論がいつ終わるか分かったものではない。意を決し、リンは部屋の扉を開けた。
「あの……」
「誰だ!?……君は確か」
「はい。リッカさんに助けていただいた、リンです。傷が治り、動けるようになったので挨拶にやってきました」
「そうか……君も怪我が治ったなら、いつまでもブラブラしてないでなにか仕事をすることだな」
この息子のようにはならぬ事だな、とニードに視線を送る。ニードは父親の視線にピクリと反応した後、こちらをにらみつけてきた。なんで今来た!?とでもいったところだろう。
「……今日はもう遅い、晩はここで食べていくと良い」
「いや、すみませんが遠慮しておきます。リッカのご飯がもう出来ているでしょうし」
「そうか……ニード、今日はもう良い。晩飯の支度をしてこい」
「お……おう!分かってるよ!」
それだけ言い終えると父親はイスから立ち、部屋を出ていった。そうして部屋の扉が閉まり、木のきしむ音が部屋に響く。やがてその音がなくなると、ニードは大きなため息をついた。
「はぁ……つまんねーとこ見られちまったみてーだな」
「ニード……ちゃんと働かないとだめだよ?」
「う、うるせぇ!んな事くらい分かってるよ!……んな事よりお前」
キッとこちらをにらみつけるニード。だが、彼の言いたい事は大体予想がついていた。
「大丈夫だよ……リッカには言わないから」
「んなっ!?」
やはり図星だったのだろう。ニードの顔がみるみる赤く染まっていく。それに続け彼女は言った。
「まあ、あんたにも出来ることはあるはずだよ。頑張りな。私に出来る事なら協力するからさ」
そんな言葉がポンと出たのは彼女の元来の優しさ故だろう。その後リンはニードの反応を待たずして部屋から出ていった。
「出来る事なら協力するから……か」
部屋に残されたニードは何か悪いイタズラを思い付いたようにニヤリと笑みを浮かべ、いそいそと夕飯の支度を始めた。