ORCHO-PASS PAGES of MEMORY Page.1 「最弱の教官」 作:マクギリシマ
最弱の教官へ
あの時笑顔を見せたのは、「心配すんな。」と言いたかったのか、はたまた「バーカ。」と言いたかったのか。
どうか後者であってほしい。
だがもしそうなのだとしたら、どうせならばいつもみたくニッと歯を見せて、意地悪そうに笑ってほしかった。
アクアパッツァを真似て作ってみたが、なにせ料理なんて一度たりともしたことがなかったもんだから…でもまあ、初めてにしては及第点だったかな。冷蔵庫の食材を拝借したのは大目に見てくれ。ずっと放っておいて腐らせちまうのももったいないだろ?でもヒラメはちゃんと自分で取り寄せたんだぜ。
料理って難しいんだな。やっぱお前みたいにはできないや。
そういや、アトラっていう料理好きの女の子がいるんだ。きっと気が合うぞ。
今になって、あん時のことを思い出す。あん時もらった言葉が、あん時のお前とのくだらねぇやりとりが、全部きっちり俺の記憶になってやがる。もう忘れねぇよ。
正直なところ、お前があんな風に負けるなんて思ってもみなかった。きっとお前はあっちで、「ほら、最弱だろ?」ってヘラヘラするんだろう。だが俺からしてみりゃ、お前は今でもずっと、最強で最高の教官なんだぜ。
鉄華団の最弱団長 オルガ・イツカ”
そこまで綴ると、御留我はピンク色のキャンパスノートを閉じて丸テーブルの上に置き、薄暗い部屋を後にした。
誰もいなくなった静かな部屋の中、ビリヤードの4の球が微かに転がった。
「止まんねぇ止まんねぇ。飯が止まんねぇ。」
そう言わんばかりにスプーンを持つ手を動かし、熱々のガーリックチャーハンを頬張る夜7時。
公安局ビル刑事課フロア40階。狭縁のガラス窓から都心の夜景が一望できるカフェテリアのまさに窓際の特等席で、刑事課1係執行官の御留我威都華は夕食をとっていた。
黒地に青襟、胸元に公安局のエンブレムを施したいつものジャケットは椅子に掛け、赤いストールは緩めている。窓を見れば真上にかき上げた短い銀髪と顔を斜めに横切る長い前髪の、色黒な自分の顔が映る。
今日は11月5日。昨日の任務で三度パラライザーをくらった治療を終えたばかりの身で現場に駆り出され、ストレスの上昇した潜在犯の青年を連行するだけのはずが、重武装した危険人物と遭遇し激戦を繰り広げる羽目になった。
おかげで今日は書かねばならぬ報告書が山積みだ。ドミネーターの使用報告書、危険人物報告書、被害報告書、警備会社への引き継ぎ。おまけにその潜在犯は国民データベースに該当しない人物だったため、監視カメラに映った顔を割り出してフェイスレコグニション(顔認証)による指名手配の申請書も作成しなければならない。
公安局の仕事はこういったデスクワークも面倒極まりないのだ。
昼に観損ねたto-loveるダークネスの3話も、今日は到底視聴できそうにない。
「こんなんじゃこっちがストレス警報発令しちまうぜまったく。」
スプーンを片手にひとりぼやく。
人の生体力場をシビュラシステムという巨大人工知能が解析し犯罪を起こす可能性を数値化した“犯罪係数”。それを基準に犯罪を未然に取り締まることで治安を維持する社会。犯罪係数が規定値を超えた者は潜在犯と呼ばれ社会から隔離されるか、あるいは抹消される。
照準を合わせた相手の犯罪係数を計測しその数値によって異なる執行モードを起動し対象を制圧する特殊装備「携帯型心理診断鎮圧執行システム:ドミネーター」。それを駆使しシビュラシステムの指先として潜在犯を鎮圧するのが、厚生省管轄公安局刑事課の職務である。
「ご一緒していいっすか、監視官殿?」
カフェテリアの中央の方で聞き慣れた声がして、御留我はそちらへ目をやる。
そのテーブルでは昨日1係に配属されたばかりの新人監視官、常守朱が一人で座っており、そこに同じく1係執行官の縢秀星が相席を申し込んでいるところだった。黒い開襟シャツにワインレッドのネクタイを緩めに締めた風貌は、カフェテリアの洒落た雰囲気と調和していた。対して常守は黒のビジネススーツにタイトスカートでカレーうどんをすする。
「どうぞ…。」
常守が茶髪のおかっぱから疲れた目を覗かせてよそよそしくそう返すと、縢は席についてサンドイッチとコーヒーの乗ったプレートを置いた。彼の後ろにまとめたひっつめ髪が揺れる。
「今日はもう非番なんじゃ…」
そんな縢を見つめたままカレーうどんを数回すすってから常守がそう聞くと、
「ハッハッハ、俺ら執行官は囚われの身なんだぜ?オフだって刑事課フロアと宿舎の他には行き場所なんかねーの。」
と縢はヘラヘラと答えてコーヒーを一口飲んだ。
あまりジロジロ見るのも悪いと思い、御留我は目線を窓の方へやった。再び自分の顔と目が合う。
「しっかしまぁ、公安局監視官なんて、またとんでもない就職したもんだねぇ。なんでまた?」
縢がそんな質問を彼女に投げかけたものだから、御留我はスプーンを置き、会話に聞き耳を立ててみることにした。
「向いてない…かな?」
「昨日のあれを見た限りじゃね。誰だってそう思うんじゃない?」
「シビュラ判定の職能適正、公安局の採用基準にパスできたから。」
「そこんとこ不思議なんだけどさ、公安局の基準を通ったんなら、もっと他の適性もいい判定貰えてたんでしょ。別の仕事だって選べたんじゃね?」
縢が言葉通り不思議そうに問うた。
御留我も同感だった。
学生が卒業し就職するとき、シビュラシステムによる職能適正が割り出され、その人に適する職業が提案される。公安局は中でも最高に基準が高く、パスできる者はそうそういないと聞く。まあこれらはあくまで善良な一般市民の話であって、御留我や縢ら潜在犯とは無縁の話だ。
犯罪係数が規定値を超えた人間にも、しばしば適正が見出されるたった一つの職業がある。刑事課に所属し、監視官による徹底的な監視のもとで他の潜在犯を取り締まる猟犬、執行官だ。
「うん…でもね、他の仕事はどれも同じ判定をもらった子が、私以外にも一人か二人いたの。公安局のA判定が出たのは私だけだった。500人以上いた学生の中で、ただひとり私だけ。だから公安局にはね、私にしかできない仕事がきっとあるって思ってた。そこに行けば本当の私の人生が…」
常守の言葉の語尾が濁った。
「…この世界に生まれてきた意味が見つかるはずだって。」
数秒の沈黙に耐え切れなかったのか、常守は
「私の考え方、間違ってるかな?」
と縢に答えを求めた。縢はその答えを、不服そうな声色で返した。
「わかんねぇよ。俺なんかにわかるわけねぇじゃん。あんたは何にでもなれた。どんな人生を選ぶことだってできた。それで悩みさえしたんだろ?」
常守が何も言えずに俯いてしまったのが、見えていなくとも容易に想像できた。
「今じゃシビュラシステムがそいつの才能を読み取って、一番幸せになれる生き方を教えてくれるってのに。」
縢は呆れたような語調で話すが、語気は少しずつ荒ぶっていった。
「本当の人生?生まれてきた意味?そんなもんで悩む奴がいるなんて考えもしなかったよ。」
縢の機嫌が損なわれたのも無理はない。彼が幼少期から潜在犯として施設で生活させられていたというのは、聞いた当時は正直ピンとこないところではあったが、今思えばなかなかに酷い仕打ちだ。この社会では犯罪係数を基準に人々の善悪が判断される。それによって犯罪者を未然に減らし社会の秩序と市民の安全を保証するとはいえ、いかんせん潜在犯への処遇は劣悪で、改善の余地があるだろう。もちろん実際に犯罪を起こす者もいれば危険思想を持つ者もいる。しかし少なくとも縢に至っては、そのような側面は一切見せたことがない。飄々とした大雑把な性格でよく人を小馬鹿にするが、そのくらいはいたって平凡ではないのだろうか。いや、同じく潜在犯である御留我の考える「平凡」そのものがこの社会では異常なのかもしれない。
縢は御留我が二年前、1係に配属になったときにすでにそこにおり、御留我からすれば先輩にあたる存在だった。その時期はちょうど執行官が一人殉職し、狡嚙が監視官から執行官に降格したとかで1係の人事に一騒動あったあとだったらしい。
御留我は窓の外で綺羅びやかな街をぼんやりと眺めながら、ある記憶の1ページを顧みはじめた。