ORCHO-PASS PAGES of MEMORY Page.1 「最弱の教官」 作:マクギリシマ
翌朝、御留我は腕にはめた端末のけたたましい着信音で目覚めた。
昨日の午後は非番ではなかったため、特訓のあとオフィスで書類を片付けた。出動がなかっただけマシだったが、トレーニング後のデスクワークは身体に堪える。
今日はゆっくり寝ていられると思ったのに。
御留我はベッドから上体を起こし、電話に出る。相手は縢だった。
「公安局刑事課1係執行官、御留我威都華だぞ。」
「長い。俺からかけてんだから全部名乗らなくていーだろ。」
寝ぼけた御留我の声に対し、電話越しの縢の声はいつもどおりギャンギャンとしていた。
「早く支度してトレーニングホール来い。今日は俺と組むぞ。」
「いや、まだ6時だぞ?もう少しゆっくりさせてくれよ。」
「教官様のご命令は素直に聞くもんだぜ?」
縢が朝に強いのは正直意外だった。普段から仕事はサボり気味で常にゲームをしている。てっきり夜ふかしをして昼頃まで寝ているものだとばかり思っていた。
「わかった、今行く。」
御留我は一つ大きなあくびをして、のそのそとベッドから這い出た。
畳が敷き詰められた広いトレーニングホールに入ると、そこにはすでに縢の姿があった。
「遅ぇよ。どんだけ待たせんだ?」
黒いハーフパンツとライトグリーンのスポーツウェアを身にまとった彼は、足首を回しながらそう言った。彼にしては珍しく随分とスポーティな身だしなみであった。対して御留我は相変わらずグレーのタンクトップだ。
「悪りぃ。で、今日はお前も一緒にやるのか?」
「おう。やっぱちゃんと動きから教えなきゃいけねぇじゃん?だから今日は午前中俺とスパーリング、んで午後は筋トレな。」
「午後もやるのか?!」
御留我は思わず聞き返した。
「あったりめぇよ。俺もお前も、今日はちょうど非番だからな。」
たかが特訓で、しかも義務でもなくただ押し付けられただけの教官役に休日丸々返上する縢の思考が御留我にはわからなかった。
「いいから始めるぞ。ほら、正面立って両腕構えろ。まずは護身術レベルからじーっくり叩き込んでやっからな。」
ここで何を言おうと状況が変わらないことを悟った御留我は、何も言わず素直に教官に従うことにした。
「ああー、もう勘弁してくれよ。そろそろ限界だぞ。」
御留我はベンチにどすんと腰を落とし、息を切らしながら言った。
「そうだねー。まあ、今日の及第点には届いたかな。俺も疲れてきたし、午前は終わりにすっか。」
疲れたという言葉とは裏腹に涼しげな顔で御留我を見下ろす縢。多少の汗こそかいているものの、ノンストップで2時間組手をしていたとはとても思えない清々しさを見せつけていた。
あれから6時間。2時間ごとに数分の休憩を挟みつつ、二人はひたすら組手をこなしていた。基本の動作と技を教わり、四、五回実践。腕の引き、身体の向き、力の入れ方、足の運びなど事細かく、寸分の差も許されぬ正確さを叩き込まれた。
今日は防御、受け流し、避けを中心に行ったが、これがなかなか難しい。一通り訓練所でも教わったのだが、理論的に教わった動きを自然に実行するのは至難の技に思えた。例えるならば、全く知らない複雑なダンスを教え込まされているといったところだろうか。
「なあ縢、こんなに教わったはいいが、実戦で出来る気がしねぇんだが…。」
「そりゃ今のままじゃね。ちょっとやそっとでできるもんじゃないの。こういうのは頭で覚えんじゃなくて身体に覚えさせんだよ。」
「正直ピンと来ないんだが。」
「例えるならダンスだね。最初のうちは頭で考えててても、繰り返してりゃ身体に染みつくんだよ。」
御留我が先ほど考えていた比喩を持ち出され、思考を読まれでもしたのかと思った。
「実感わかねぇな…。」
ため息混じりで呟く。
「二日目でダウンたぁ、執行官が聞いて呆れるぜ?」
「…」
「まだまだこれから。今日やった動き、最初に比べたら慣れたもんだぜ。」
縢の励ましも、御留我にとってさほど助けにはなっていなかった。
午後の筋力トレーニングが憂鬱でならない。
アスファルト剥き出しの壁にかけられたデジタル時計は15時を指していた。
「ほえー…。お前、よくこんな重さの上げられるな。」
縢があんぐりと口を開いて感嘆の声を漏らす。
午前の組手から一変、御留我はトレーニングジムで110キロのバーベルを押し上げ、ベンチプレスというトレーニングをしていた。
「やっぱ御留我、身体はちゃんと出来上がってんだな…。」
黒い円盤状の重りがついた金属棒を押し上げる御留我の横で、腕組みをしながら縢が呟く。
「だな。どうやら昔は相当鍛えてたらしい。」
御留我はバーベルをガシャリと台に下ろし、ベンチから起き上がって答えた。
自分でもここまで筋力があるとは意外だった。
縢は軽く生返事のようなものをぼやきながら、御留我の上半身をまじまじと観察していた。
「御留我、何この背中のやつ?」
背中側に回り込んだとき、縢は御留我のうなじから伸びた金属の突起に目を留め驚いた様子で聞いた。
「これか?俺もよくわかんねぇんだが、どうやら作業用ドローンみたいなのを動かすための端子か何かなんだと。」
「へぇ…。インプラントみたいなもんってことか。けど、身体と接続して動かすドローンがあるなんて聞いたこともないぜ?」
縢は御留我の背中のそれを不思議そうに見ながら言った。
御留我自身、もちろんこれについての記憶も心当たりもない。縢の言うとおり、聞いたところ少なくともこの国にそんな操作をする機械の類は無いそうだ。おそらく御留我の過去にいた国かどこかでの産物だろうが、身体に埋め込んであると思うと気持ちの良いものではない。
「第一、身体と直接繋ぐほど高度な操作がいるドローンなんて何に使うんだろうな。」
「さあな。戦争用ドローンにでも使うんじゃねぇの?」
「まあ、今でも紛争国はあるからねぇ…。」
御留我は根も葉もない適当なことを言ったつもりだったが、案外的を射てしまっていたようだ。
「お前そういう国にいたんじゃね?」
「え…。」
縢の言葉に、なぜだか一瞬たじろいでしまった。
「まあ、そんな気がしないでもない。よく見りゃ身体は傷だらけだし、戦場を…経験した…のかもしれない…。」
「あー、わりいわりい、変なこと言って。」
途切れ途切れの御留我の返事に縢は何かを察したようで、咄嗟に語調を変えて言った。彼の気遣いのようなものを感じてしまい、御留我は慌ててこう返した。
「いや、もしほんとにそうだとしたら、こんなに弱いわけねぇだろ?」
二人の間にしばしの沈黙が訪れる。
縢は分が悪そうに頭の後ろを掻き、引っ詰めの赤茶髪が揺れる。
「さて、続きやるぞ、教官殿!」
御留我は自分の両膝をパンと叩きそう言った。