ORCHO-PASS PAGES of MEMORY Page.1 「最弱の教官」   作:マクギリシマ

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Chapter.4

腕時計端末が映し出した時刻はAM6:03。

御留我はだだっ広いトレーニングホールに一人でいた。通気性の良いロングパンツと白い七歩袖のウェアを身にまとい、足首のストレッチをしている。

彼以外誰もいないホールに、ウェアの擦れる音だけがかすかに響く。

十二月も半ば、外の気温はさぞ低そうだが、これから運動をする身としてはちょうどよいコンディションだ。

縢と特訓を始めて1ヶ月半ほど経ち、日進月歩ながらも成長が見えはじめていた。はじめこそは一連の動きにすらならなかった組手だったが、ある程度縢と渡り合えるようになってきた。もちろん縢も練習用に手加減しているのでまだまだ実戦は厳しそうだが、少なくとも一般人の護身術としては平均を超えていそうだ。

「うお!どうした御留我、今日早くねぇ?」

ホールの戸を開け入ってくるなり、縢は驚きの声を上げた。ハーフパンツに細めのウェア、しっかりいつもの身なりだった。もちろん、特訓のときに限った話だが。

「早起きに慣れちまったんだよ。教官殿がしごいてくれたんで。」

「そりゃ嬉しいこった。ほんじゃ、お前さんの熱意が冷めないうちに始めるとするか。」

御留我が少し皮肉めいて言うと、縢は軽く手首を回しながらいささか嬉しそうに答えた。

「今日も組手だろ?何からやる…」

「今日は俺と一回組んでもらう。」

縢は御留我の言葉を遮り言った。

「?」

縢が何を言っているのかわからなかった。組手ならいつもやっているし、なぜ改めて言ったのか。

「俺とスパーリングするんだよ。今まで結構組手教えてきたろ?その成果が出てるか抜き打ちテストだ。」

「え、いや、俺まだお前と本気じゃ無理だぞ!?」

「手加減はする!だからお前は全力でかかってこい。」

「けど…」

「細かいこと気にすんな!どうせお前の筋力をもってしても、技術じゃ俺に敵うはずないんだからな。」

この一言には苛立ちを覚えた。技術が劣っているのは自覚してているが、それを直接罵られたのは我慢ならない。男としてのプライドを傷つけられた気分だし、第一いままでのトレーニングの努力を否定されたようで仕方がない。

御留我のなけなしの闘争心に火がついた。

「ああわかったよ、やってやるよ!」

「その意気だぜ、御留我!」

縢は腰に手を当てふんぞり返りながら言った。

ここでようやく、縢が御留我の闘争心を煽るために敢えて挑発をしていたということに勘づいたが、こうなってしまった以上、もうあとには引けない。

二人はすぐに2メートルほどの距離を取り、互いに格闘の構えをとった。

御留我は両方の拳を顎あたりで握り、右足を後ろへ踏んだ。畳特有の絶妙な硬さが足先から伝わってくる。

まっすぐ互いの目を見つめ、じりじりと二人の間に流れる空気を掴もうとする。沈黙の張り詰めた空気を。

縢の目は先程の挑発的な態度とは打って変わって真剣だった。

御留我はつばを飲み込む。

たった数秒の時間が何分にも思える。

スッと短く息を吸う音が微かに聴こえたと思うと、縢が大きく踏み出してきた。御留我は飛んできた左フックを見切り、すんでのところで受けながす。しかし次の瞬間、御留我は全身を大きく揺さぶられ後方によろめいた。彼の間合にしっかりと入り込んだ縢が至近距離から右の膝蹴りを放ったのだ。

「くっ!」

御留我は数歩後退して体制を立て直す。

縢は2時の方向、両手を構えて迫ってくる。御留我は腰を引いて彼の突進に備えた。

その判断が間違いだった。彼の姿勢から、てっきりアッパーかストレート、あるいはタックルか、いずれにしても上半身で攻撃を繰り出すものだと思っていた。しかし御留我の目の前まで迫った縢の体は軽々と宙へ舞い、華麗なまでの回し蹴りが炸裂した。

「あがっ!!」

咄嗟に腕で防御したはいいものの、蹴りのエネルギーを相殺することなど到底できなかった。そのまま左へと倒れ込み、畳の上を4メートルほど転がった。

御留我は寝技を決められまいと余計に二度ほど転がって距離を取り、足を素早く運び立ち上がる。

縢は2メートル向こう、こちらの出方をうかがっている。

御留我は膝のバネを弾き、一気に間合いを詰める。縢は一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに鋭い目に戻り、右ストレートで御留我を迎え撃つ。

御留我はそれを右手で受け止め、強靭な握力で縢の手首を握りしめる。

掴んだ。

そのしっかりとした感覚が御留我の脳裏をよぎった。

御留我は掴んだ縢の腕を目一杯引くと、間髪入れずにボディブローを叩き込んでいった。

縢は両腕で防御をするのが精一杯の様子で一向に反撃してこない。

少々違和感を感じつつも御留我は懸命に殴り続ける。

「あんま調子に乗んなよ…。」

防御する腕の中からボソリとそんな声がしたと思うと、鋭く睨む縢と目が合った。

「!」

その直後、縢が目にも止まらぬ速さで腕を操り、御留我の優勢は一気に崩されてしまった。いや、もとから優勢になどなっていなかったのだろう。されるがままに見えた縢のその表情には、痛みを感じていた気配など微塵も浮かんでいなかったのだ。

「おらよっ!」

次の瞬間、御留我は脇腹に力強い右フックをくらった。これだけでもう死んでしまいそうだった。一ヶ月前ならば確実に死んでいただろう。トレーニングの成果はこんなところにも現れていたらしい。

縢の両腕が御留我の肩をガッチリと捉える。そして体制を立て直す間も与えられず、2メートル弱の御留我の体は宙を一回転し、そのまま畳に叩きつけられた。

ドシンと低い音が響き渡り、御留我の背中には鈍い痛みが走った。死ななかったのが不思議なくらいだ。

見事なまでに投げ飛ばされてしまったらしい。

仰向けのまま声にならない唸り声を上げる御留我に、見下ろす縢が息を切らしながら言った。

「いやわりぃ…。俺つい本気になっちゃってさ…。」

フーっと長い吐息で呼吸を整えたあと、縢は続けた。

「俺執行官になったばっかの頃にさ、コウちゃんにスパーリング申し込んだのよ。」

縢が配属されたばかりとなると、狡噛はまだ監視官だったはずだ。

御留我は熱気が冷めていく中でやたらと冴えた頭で人づてに聞いた記憶をたどった。痛みはかなり和らいできた。

「んで、『こんな勉強ばっかしてたエリートお坊ちゃんなんかに負けるわけねぇ』って調子こいてたらさ、ボロ負け。そんときゃ肘の骨、折られたんだぜ?さすがにひでえことするよなぁコウちゃんも。」

狡噛が刑事課随一の格闘技術の持ち主だということは周知の事実だが、まさか監視官時代からだったとは。

「だからさ、俺刑事課内で最弱レッテルだったわけ。」

「皆からそう言われたのか?」

「違う違う。実際勝負したのは俺とコウちゃんだけだけど、裏を返せば刑事課の中で“負けた”のは俺だけだろ?」

縢は両手を広げ、滑稽な昔話を語るように言った。

「そんで今日。いくら手加減してたとはいえ御留我にも負けたんじゃさすがに格好つかないじゃん?正直、お前があそこまでできるとは思ってなかったよ。」

縢はそう言ったが、単に惨敗した御留我への労いとフォローの意味ではないように思えた。

いつもどおり飄々とした態度ではあったが、その横顔に悔しさのようなものがにじみ出ていたからだ。

「あ、あと御留我、お前やっぱ右に重心乗りすぎてる。ちょっとやりすぎなくらい左に乗せたみたほうがいいぜ。最弱教官からのアドバイス。」

彼はお調子者であるのは間違いないが、同時に義理堅く、勝負ごとに関しては絶対に負けたくないという熱い一面も持っているのだろうか。

御留我はゆっくりと体を起こしながら、こちらに手を差し伸べる彼を見てそんなことを考えた。

 

 

「なんかわりぃな、ご馳走になっちまって。」

「いいのいいの。今日は遅くまで付き合わせちまったから、もうカフェテリア閉まっちゃたしな。」

縢はキッチンでフライパンを振りながら黒の開襟シャツを身にまとった背中で上機嫌そうに答えた。

高級レストランばりに整えられたキッチンから、野菜を炒める軽やかな油の音が響く。

夜11時。二人は縢の部屋にいた。地下をくり抜きレンガ内装が施された薄暗く広い部屋に間接照明が柔らかく浮かぶ。シックなモダンルームとしてみれば洒落たデザインと言えるだろう。

執行官は潜在犯ゆえ、公安局の刑事課フロアを出ることが原則的に禁じられている。帰宅はもとより、外出ですら監視官同伴でなければろくにできない。その代わり執行官には専用の宿舎が用意され、一人ひとりに大きな自室が与えられる。支給された給料で通販を通して好きなものを買うこともできるし、食事に関しても刑事課フロアにカフェテリアが備え付けられており、生活にそこまでの不自由はない。

執行官の部屋はどこも同じような造りだが、稼いだ給料を使い各々好みのインテリアを揃えている。縢の場合はそれを豊富なゲーム台、そしてキッチン用品や食材に当てているらしい。それもかなり金がかかっているようで、生の食材にこだわり高級な野菜やら魚介類やらを輸入で取り寄せているというのだ。自動調理加工食品が主流となった今の時代、生の食材を一個人が入手するというのは中々に珍しいケースなのだ。

ゲーム好きなのは皆も知るところであったが、まさか料理が趣味だとは。デスクワークも適当で仕事に関して常に大雑把な印象の彼に料理というのは、先入観からしてあまりにもかけ離れていた。

「ほんとによかったのか?カフェテリア閉まってても、飯だったら売店で適当に買って済ませても良かったんだぜ。」

御留我は夕食に招いてもらったことに未だに一抹の罪悪感のようなものを抱き、縢に改めて聞いた。

「いいって言ってんだろ。お前ずっと公安にいて、手料理なんか食べたことないだろ?オート調理のやつなんかとは比べ物になんないからな。待っとけって。」

縢は自慢の料理をご馳走したいらしい。どうやら遠慮は必要なさそうだ。

そんなことを考えながら、御留我は部屋の中を見渡した。ビリヤード、ダーツ、ピンボール、そして壁には様々な銘柄の洋酒が置かれたラック、そして今縢のいる大きなダイニングバーカウンター。どれも高価そうで、大人の遊び人といったふうな人間像を思い浮かべさせるのに一躍買っているものばかりだった。

「?」

御留我はふと、部屋の隅の小さな丸テーブルの上に目を留めた。なぜなら、そこにあったそれだけがこの部屋に似つかわしくなかったからだ。とはいえとりわけなんの変哲もない、平凡なキャンパスノートだった。

ただ、洒落た物で埋め尽くされたこの部屋の中において、そのいかにもオフィスのデスクに置いてありそうなそれは、ひときわ異彩を放っていたのだ。

キッチンにいる縢がこちらに背を向けているのを横目で確認してから、御留我はさり気ない素振りで部屋の隅へ歩いて行った。

「遊んでもいいけど壊すなよ?それ全部ビンテージ物なんだぜ。」

ピンボールを触ろうとしたと思ったのか、縢が背を向けたまま言ってきた。

「あ、おう。そうなんだな!」

ぎこち無い相槌を打ちつつ、御留我は丸テーブルの上のノートに手を伸ばした。ピンク色の表紙には何も書いていない。

縢が背を向けているのをもう一度確認すると、そっとノートを開いた。

“特訓スケジュール”

ちょうど開いたページの上部にボールペンで書かれていた。その下には恐らく縢が非番である日と御留我の非番の日にち、そしてその横には訓練のメニューであろう概要が記してあった。その中の過去の日付では、二人がこれまでこなしてきた訓練内容があった。

これは御留我の特訓のためのノートだ。

御留我はそう確信すると同時に目を丸くした。

縢がノートを作っていたのだ。デスクワークの嫌いな彼がだ。

さらにページをめくり読み進める。

“重心右寄り→体幹バランス修正の必要性あり”、“ベンチプレス130kg、アームカール75kg”、“筋力、筋持久力はアドバンテージ”…。

その日の訓練の所見、御留我の身体能力、戦闘時の癖、さらには訓練指導の反省などが何ページにも渡り殴り書きで書かれていた。

御留我のための特訓なんて、押し付けられて嫌々やっていたのだろうと思っていた。せっかくの非番を自分には何一つメリットのない特訓のために返上するのだ。喜んで引き受ける者はそうそういない。

しかし思い返してみれば、引っかかる点はいくつもあった。毎朝早くから訓練の準備をし、乗り気でない御留我を叩き起こした。初めこそは投げやりだったものの、彼は訓練中終始御留我に付きっきりだった。訓練内容はどれも御留我に合わせたものだった。

あいつはきっとそういう奴なんだ。

そう感じたとき、御留我はこれまでの自分の不甲斐なさが恥ずかしく思えてきた。この特訓に向けてきた意識が、熱意が、明らかに劣っていた気がした。

「俺ももっと頑張らねぇと…。」

自分にしか聞こえぬ声でそうつぶやくと、持っていたノートをそっと閉じて元あった場所へ戻した。

「ほーら、出来たぞー。」

縢の明るい声に、御留我ははっと我に返った。

湯気の上る料理の盛られた皿とベルガモット酒の瓶を持った縢がキッチンから出てきた。ヒラメとトマトの香りが鼻をくすぐる。

「俺のことは刑事課のクッキングアイドルと呼んでくれ。」

「なんだそりゃ。ってか、お前まだ未成年だろ。」

「1年くらい早くたって問題ねーよ。」

上機嫌な縢はテーブルに自慢のイタリアンを並べ、御留我を座らせた。

「ほんじゃあ、冷めないうちに!」

促されるままに御留我はフォークを手にとり、遠慮がちに料理へと手を伸ばした。

「じゃあ、イタダキマス。」

鮮やかに彩られたヒラメのアクアパッツァは程よい塩気とトマトの酸味が効き、驚くほど美味しく、そしてどこか懐かしい味がした。

 

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