ORCHO-PASS PAGES of MEMORY Page.1 「最弱の教官」   作:マクギリシマ

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*Chapter.8

 

年が明けたある冬晴れの日。とは言っても朝の天気予報のバーチャルビューで見ただけで、実際の空はまだ拝んでいない。

畳が敷き詰めたれたトレーニングホールの中、二人の男が一戦交えていた。

「オラッ!」

縢の回し上段蹴りが迫りくる。御留我はその高々と上がった蹴りを華麗に跳び超え、二回転半して着地した。直後着地する縢の足を、こちらは下半身全体を床に沿ってぐるりと振り回して払った。

「くっ!」

見事に転ばされたものの、縢は受け身をとりすぐさま体制を立て直して立ち上がった。しかしその時点ですでに遅かった。御留我はとうに間合いを詰め、ハンドスプリングを繰り出して勢いをつけたかと思うと、そのままの全身の動きで縢を押し倒した。

バタァンと大きな音が鳴り響く。

縢はまだ動こうとしていたが、それは不可能だった。御留我は仰向けに倒した状態の縢の上半身をがっちりと抑え込み、ついでに両肩に腕を絡めて微動だにさせない固め技を決めていたのだ。

そして身動きのできない縢の視界の端には、何にも触れず自由に動く御留我の左腕が映った。

「…完敗だよ、御留我。」

縢がため息混じりにそう言うと、御留我は彼を放し、手を差し伸べて引き起こした。

「ほらね、コウちゃん。御留我はこのとおりバケモンみたいになっちまった。」

「ああ、とても人間業とは思えない。」

二人のスパーリングを横で見ていた狡噛は驚きを隠せないといった様子でそう答えた。

「で、縢。俺を呼んだのはなぜだ?」

「コウちゃんもやってみなよ。コウちゃんなら勝てんじゃない?」

「やめておこう。まるで勝ち目がない。俺まで負け犬にされるのは御免だぜ。」

縢の誘いに、狡噛は両手を上げて首を横に振った。トレーニングウェアを身にまとう二人に対して狡噛はスーツ。端から動くつもりはなかったようだ。

年末の台東区連続放火事件。あの夜から御留我は何か枷が外れたかのように並外れた身体能力を開花させた。

あのあと犯人の細川は宜野座によって執行され、火災も数十分で消し止められた。人質となっていた親子に重い怪我はなく、現在はセラピーを受診中だそうだ。

あの母娘を助けたとき、御留我の身に一体何が起こったのかは全くわからない。だが恐らく御留我にはもともと高い身体能力と技術があり、それが消えた記憶の中に眠っていたのだ。言わずもがな身体の動きと脳は直結している。何らかの刺激で記憶の一部が戻るのはよくある話らしい。あのとき御留我の中に戦闘の感覚がプログラムとして戻ってきて、身体とあるべきリンクが正常に構築されたとしてもおかしくない。

しかしながら記憶が戻ってきたわけではなかった。昔のことは相変わらず思い出せないし、なぜ自分がこれほどの身体能力を備えていたのかもわからないままなのだ。

「あーあ。これで俺は晴れて刑事課最弱に逆戻りだぜ。」

「お前の特訓の成果じゃないのか?」

「言ったでしょ、コウちゃん。こいつははじめっから戦える奴だったんだよ。その感覚をこないだ思い出したんだってさ。俺の特訓なんざ元から要らなかったってわけ。」

縢りがやってられないといったふうにそう語ったため、御留我はとっさに口を開いた。

「いやそんな、お前が積み上げてくれたもんは全部無駄じゃなかった!重心が右寄りだったのだって…」

「はいはいもうごちゃごちゃ言わないの!これにて特訓生活は終了。お前さんは晴れて卒業。」

縢が素っ気なくそう言って遮ると、御留我は口をつぐんでしまった。

縢はこちらを振り返ることなくホールの出口へと歩き始めた。気だるそうに振る舞っているが、その背中からは悔しさと一抹の寂しさのようなものがにじみ出ていたように見えた。

ここまでやってもらったのに、俺は何も返せないままなんだな…。

御留我がやるせない気持ちでうなだれていると、縢が急にこちらへ戻ってきた。

「一つだけ言っとくけどな、そんぐらい見てりゃ分かんだよ!」

御留我はきょとんとした。

「左に重心乗っけんの、ちゃんと意識してたじゃんよ。お前のことずっと見てきた教官様の目を侮るなよ、バーカ。」

そう言うと縢はニンマリと歯を見せ、意地悪そうな笑顔を向けた。

 

 

 

「俺、別にあんたに意地悪するつもりはなかったんだけどさ、」

そう言った縢がバンとテーブルを叩いた音で、御留我は我に返った。食べかけのガーリックチャーハンはとうに冷めきってしまっていた。

「気が変わったわ。だから改めて聞いてやる。あんた、なんで監視官なんかになったんだ?」

縢は呆然とする常守監視官に向かってしたたかにそう聞いた。

御留我はそんな二人を遠目で見ながらこう思った。

彼は自分の過去の人生経験から、常守のこの職業への甘んじた考えを真っ向から否定したかったのだろう。それはもちろんこの社会への恨みと、彼女に対する妬みの現れでもあったはずだ。だがそれ以上に、縢は彼なりに常守を見定め警告をしている。もちろん彼自身にその自覚はないのだろう。しかし縢は、昨日と今日という短い時間で常守朱という人間をできる限り理解しようとし、そして今、不真面目な態度を見せながらも彼女と真正面から向き合い、真正面からぶつかろうとしている。

少なくとも御留我にはそう思えた。いやそうでなければあいつではないだろう。

あいつはやっぱり、“そういう奴”なんだ。

御留我は沈黙の中席を立ち、そして二人のテーブルまで歩いていった。

「邪魔するぜぇ。」

そう言って重苦しい二人の空気の中に割り込む。縢があからさまに迷惑だとでも言いたげな顔をした。

「まだ配属二日目だ。そんなにいじめなくてもいいんじゃねぇの?なあ、秀星。」

ニンマリと歯を見せ、意地悪そうな笑顔を見せてやった。

しばしの沈黙が流れた後、縢が口を開いた。

「おい御留我…。」

「?」

「下の名前で呼ぶんじゃねぇ!前髪引っこ抜くぞ!!」

そう叫んだかと思うと、御留我は長い前髪をむんずと掴まれ、思い切り引っ張られた。

「いででででででで!!死ぬ死ぬ死ぬ!またぶっ倒されてぇのか?!」

御留我は痛みに顔を歪めながら騒ぎ立てた。

「ああ?!元教官様に言ってくれるじゃんよ。今度は負けねぇかんなぁ!!」

縢も負けじと言い返す。

公安局ビル刑事課フロアのカフェテリア。周囲の職員の呆れた視線がちらほらと向く中、刑事が二人騒々しく口喧嘩を繰り広げる。

髪を引っ張られながらも相手を睨みつけて挑発的な態度を取る御留我。前髪をガッチリと掴んだまま相手を見下ろしてまくし立てる縢。

いがみ合っているはずの二人の表情には、だが紛れもなく、不思議と少年の無邪気さのようなものが浮かんでいた。

 

 

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