【完結】IS 亡国機業殲滅ルートRTA 男子チャート   作:sugar 9

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裏語 10

 

 それは、VTシステムの起動と、それに伴うトラブルによって学年別タッグトーナメントの中止が決定されたときに、突如として再び管制室に警報が鳴り響いた。

 何事かと職員たちが確認してみれば、所属不明機と萌の打鉄・雷火が交戦状態に入っていたのだ。確かに、萌の操縦技術は1年生の中でも上位に位置するが、これは紛れもない実戦だ。先ほどの戦闘から補給をしていない打鉄・雷火では、勝ち目はほぼないに等しいだろう。

 

「どういうことだ!」

 

 管制室に千冬の怒号が鳴りひびいた。仕事中の彼女にしてはらしくなく、感情をあらわにした声だった。所属不明機の目的が何なのかはこの場にいる誰にもわからない。だが、少なくとも現在進行形で萌が命の危機に瀕していることは確かだからだ。

 

『更衣室に向かっていた萌くんに接触した女性。恐らくは、亡国機業の者です』

「っ、企業の中に紛れ込んでいたという訳か」

 

 楯無からの通信に、千冬は眉を顰めた。

 亡国機業の者と思われる所属不明機が世界各国のIS研究所や企業を襲撃していたという話は聞いていた。しかし、よりにもよって最も警備が厳重である上に、専用機を除けば数ばかりの量産機しかないと思われるIS学園に襲撃してくるとは思わないだろう。

 

 千冬の胸に、いつぶりかもわからないような不安がよぎる。現在、ラウラ戦でシールドエネルギーを大幅に消耗している打鉄・雷火では最悪の場合、命の危険にすらなり得るのだ。

 

「楯無は至急焔の援護に向かえ、専用機持ちと教員部隊もすぐに向かわせる。絶対に死なせるな」

『了解!』

 

 しかし、すぐさま思考を切り替えた千冬は、近くにあったマイクをひっつかみ、通信を専用機持ち達のISと繋げた。

 

「私だ。警報は聞いたな。萌が所属不明機による襲撃を受けている。専用機持ちは至急萌の援護に向かえ。打鉄・雷火のシールドエネルギーは既に10%もない、時間との勝負だ」

 

 自身のISが休眠状態に入っていることを久しぶりに歯ぎしりする程度には悔やんだ千冬だったが、数秒後には各職員への指示を飛ばしていた。それが、今彼女に出来る最善の手だからだ。

 

―・―・―・―

 

「くっ……!」

「おいおいどーしたぁ!! 逃げてるだけじゃどうにもならねぇぞ!!」

 

 萌は、赤城の発射による反動を利用した文字通り爆発的な加速で、アラクネを纏うオータムから逃げ回っていた。IS開発企業「みつるぎ」渉外担当、巻紙礼子改め、亡国機業実働部隊モノクロームアバター部隊員であるオータムの顔には喜悦一色の笑みが浮かんでおり、その様は正しく逃げ回る獲物を追いかける狩人のそれだった。

 

 更衣室へ向かう廊下で萌を待ち構えていたアラクネは、アメリカのISを奪取した亡国機業が独自の改造を施し、武装を搭載した独自のISだ。その最大の特徴はその名の通り蜘蛛を彷彿とさせる都合8本の装甲脚であり、それらを己の手足の如く操ることができるため、アラクネは近接戦においてはほぼ無敵に近かった。

 

「チッ、ちょこまかとぉ!!」

 

 だからこそ、萌はISを展開すると同時にIS学園を飛び出し、IS学園近海へと戦場を移した。閉鎖された空間において近距離戦で一気にケリをつけようとしていたオータムは不機嫌を隠そうともせずに舌打ちをしながらも萌を追いかけた。

 

「待ちやがれクソが!!」

 

 怒号と共に、オータムも萌の後を追い、距離が少し詰まったのを見計らいエネルギーネットを放った。すると、逃げることに精一杯のはずの萌は打鉄・雷火よりも大きいのではないかと見まがうほどの大きさのグレネードキャノン、『赤城』を展開した。

 逃げ回るつもりではなかったのか、オータムが疑問に感じつつも砲撃に対して身構えた刹那、轟音と共に、萌が赤城を発射した反動で吹き飛び、その勢いを利用してさらに加速した。

 

「はぁ!?」

 

 オータムは自分の目を疑った。しかし、現に事実として萌はすさまじい速度で加速し、オータムの放ったエネルギーネットから逃れている。

 一見すれば突飛ではあるが有効な戦術のように思われるが、真に驚愕するべきはそれをやってのける萌の技量と精神だ。もしもあれだけの馬鹿げたサイズの兵器を加速の為だけに利用し、至近距離で誤爆した場合、間違いなく萌の命はないだろう。それに、反動などという不安定なものを使うなど考えられないことだ。

 萌とて、亡国機業が調べた限りではいっそ不自然なほどに埃一つ出せなかった平凡な身の上だ。その価値観も平和ボケした島国のそれでしかないはずだ。にも拘らず、彼は自分の命など何とも思っていないかのようにそれを乱発した。

 

「なるほど、スコールが気にかけるわけだ」

 

 オータムは萌に対する評価を改めた。ただISが操縦できるだけの男子などとんでもない。精神面においても、技術面においても、既に萌はオータムから見ても代表候補生レベルを超えていると言えた。

 

「けどなぁ、それだけじゃ足りねぇんだよなぁ」

 

 オータムは萌の狙いを察した。即ち、萌自身には勝ちを取る気はないという事だ。先ほどのような派手な逃げ方をしておきながら、その陰から攻撃に転ずる様子はなく、ただ逃げ続けるだけだった。大方、救援部隊の到着を待っているのだろう。その判断自体はオータムも否定はしない。既に先ほどの対戦からエネルギーを補給していないことは確認済み。既に萌は一発でも直撃をもらえば絶対防御が発動し、詰み。あえて絶対防御を解除し、その分長時間ISを起動することができたとしても致命傷をもらって終わりだ。そんな状態ではどんな隙であっても攻撃に転ずることはしないだろう。

 

 しかし、それがうまくいくのは攻めている側にその意図を知られなければの話だ。

 

「そんじゃ全力で行かせてもらおうかぁ!?」

 

 アラクネの装甲脚から装甲脚砲台「ループワーフ」の砲口が覗き、それら全てが萌へ向けられた。確かにアラクネは近距離型のISだが、だからと言って遠距離戦が不得手という訳ではない。現在の試験機の意味合いが強い第三世代型ISとは異なり、どこまでも実戦を想定した改造を施されたアラクネにとって、明確な弱点と呼べるものはなかった。

 

 両腕に展開されたマシンガン「ノーリンコカービン」とループワーフからの銃弾が正しく嵐の如く放たれる。その様は正しく嵐と呼ぶにふさわしく、狙いこそ粗雑であるものの、まるで蜘蛛の巣のように逃げ場を無くしていく銃弾の嵐から、萌は必死で逃げ続けた。

 

「ぐぅっ!!」

 

 どうやら既にシールドバリアーは破壊され、絶対防御に回すはずのシールドエネルギーもISの起動に回しているのだろう。ろくに狙わずに放たれる銃弾は、直撃こそしないものの銃弾が掠ることが増え始め、その度に鮮血がほとばしり、萌の表情が苦痛に歪んだ。

 

「っ……ぅああ!!」

 

 先ほどまでとは異なり、顔に僅かながらの恐怖がにじみ始めた。銃撃を躱し、さらにそこから返す刀で秋保を展開して数発放ち、時間を稼ぐ。

 

「ッハハ!! さっきまでの勢いはどうしたぁ!!」

 

 しかし、先程までのように萌が攻撃を躱し続けるという展開にはならなくなってきた。痛みによって思考が単純になり始め、集中力も低下し始めた萌には既に攻撃を躱し続けられるような余力はなく、絶対防御を切っているにも関わらず、あと僅かでISが解除されるという所まで来ていた。

 

「これで、終わりだぁ!!」

 

 そして、ノーリンコカービンによって放たれた弾幕により回避する空間を潰され、唯一の逃げ場所にエネルギーネットが放たれた。先ほどまでの萌ならば回避する空間を潰される前にその空間から逃げ出すことができたが、既に重傷を負い、そもそも何故今もなおISを操縦できているのかが不思議なレベルの萌にはそんな芸当はできず、エネルギーネットが萌へと迫っていった。

 

「萌!!」

「萌くん!!」

「ちぃ!!」

 

 しかし、そこでようやっと萌とオータムの交戦場所にたどり着いた簪が割って入り、打鉄弐式の近接武装である超振動薙刀「夢現」でエネルギーネットを切り払い、楯無とシャルロットがオータムへ向けての攻撃を開始した。

 

「楯無……さん……?」

「萌くん、もう大丈夫よ。シャルルくん! 萌くんをお願い!」

「分かりました!」

 

 既に意識が半分絶たれているのか、朦朧とした様子で楯無の方を見る萌を簪とシャルロットが保護し、楯無はオータムと向き合っていた。

 

「チッ、時間切れか」

「あら、逃げられるとでも思ってるのかしら?」

 

 流石に専用機持ち3人を相手にするのは分が悪いと感じたのか、撤退しようとするオータムに対し、楯無が蒼流旋の切っ先を向けた。その顔にはいつも通りの不敵な笑みが浮かんでいたが、その眼差しは何処までも冷たかった。

 

「てめぇなんかに捕まるかよっとぉ!!」

 

 歪な笑みを浮かべるオータムの装甲脚に装備された砲台から、明らかにそれまでと異なる何かが放たれた。恐らくは、スタングレネードなどといった撤退用の兵器だろう。楯無がハイパーセンサーを一時的に切り、それに備えていると。

 

「バーカ、弱点丸見えなんだよなぁ!」

「っ、シャルルくん! 簪ちゃん!」

 

 続けざまに萌たちがいる方向へ向かってマシンガンを乱射した。狙いをほとんど定めていないそれは、だからこそ避けづらく、デュノアや簪などの武装をしっかりと把握していなかった楯無はそちらへと意識を向けてしまった。

 

「ハッ、あばよ」

「しまっ……!?」

 

 それは、オータムが逃げるには十分すぎる隙であり、楯無がオータムに視線を向きなおす頃には、オータムは既にマシンガンを乱射しながらでも十分に逃げ切れる距離を稼いでいた。

 

「っ……シャルルくん! 簪ちゃん! 急いで萌くんを運ぶわよ!」

 

 しかし、即座に思考を切り替えた楯無はシャルロットと簪に指示を飛ばし、萌を病院に運ぶべく移動を開始した。

 

 

 

―・―・―・―

 

 

――お前は、どうしてそんなに強いんだ。

 

 何も見えない暗闇の中、ラウラは萌にそう問いかけた。

 

 ラウラは自身がどういう状態にあるのかをよく理解していなかった。ただ何となくではあるが夢を見ているような気分だった。おぼろげな視界の中、拙くはあるが自分が理想とする力の一端を振るっているような感覚を覚えていた。

 

 それでもなお、そのおぼろげな視界の中で、ラウラは萌から決め手となり得る一撃をもらっていた。

 

 道理が立たなかった。

 

 理解ができなかった。

 

 認めたくはないが、萌の力は本物だ。少なくともラウラから見ても、ISを操縦し始めてから数カ月とはとても思えない実力を有している。その為にどれほどの鍛錬を積んだのかを考えれば、千冬の発言も、部分的には正しいと言える部分はある。

 

 しかし、それでもなお、ラウラには理解できなかった。何故、萌はそれほどに強いのかと。必死に己に問いかけても答えは出てこない。ラウラも、萌も、同じはずなのに、どうしてここまで心の在り方が変わってしまったのか。

 

『俺は……強くなんかないよ』

 

 帰ってきたのは、ある意味予想していた答えだ。ラウラが萌と話した回数など片手で足りる程度でしかないが、それでも焔萌という男は自分の力を誇示するような人間ではない。むしろその逆、いっそ嫌味なほどに謙虚な人間だ。

 

――嘘を言うな、お前は強い。少なくとも、私よりは。

『そんなことないよ。俺は弱い。俺が強く見えるんだとしたら、それは、ラウラさんに自分の弱さと向き合う勇気がないだけだよ』

――自分の、弱さ?

 

 突然自分に向けられた話に、ラウラはほんの少し動揺した。

 そして、そんなことは無い。と、ラウラは否定した。ラウラほど自分の弱さに苛立っている者はいないとすら思えるほどだった。

 

『それは、ただ自分の弱さを否定しようとしているだけだよ。向き合っているんじゃなくて、やみくもに認めずに、無理矢理前に進もうとしているだけだ』

 

 そんなラウラに対して、萌は静かに語りかけていく。

 

『自分の弱さと向き合って、認めて、受け入れるんだよ。そうして初めて、その弱さを乗り越えられる。俺は、そう思っている』

――それは、

 

 それは、とても恐ろしい事だ。ラウラは純粋にそう思った。だってそれは、自分の弱さを、一時とはいえあきらめなければいけないという事だからだ。ラウラが目指す遥かなる高みに至るために不要なものの為に、己の身を削らなければならないという事だからだ。

 

『うん、そうだね。きっと、とても怖い事だと思う。逃げたほうが、ずっと楽なんだと思う』

――なら、

『けど、それで俺は少し強くなれた。だから、ラウラもきっと強くなれるよ』

――私には、無理だ。私にそんな事はできない。

『大丈夫、きっとできるよ。もし、どうしようもなく怖いんだったら、俺がついてるからさ』

――……

 

 その時、ラウラの胸に宿った温かい感情を、ラウラはまだ知らない。

 

 

 

 

「う…………」

 

 ラウラが目を覚ました時、そこは病室だった。記憶が曖昧で、自分がなぜここにいるのかも、目を覚ましてから数秒は理解することができなかった。

 そして、何故ここにいるのかを思い出すと同時に起き上がろうとし、全身に走った激痛に顔を歪めた。VTシステムによって無理な動きをさせられていたラウラの身体は、ラウラが思っている以上に疲労した状態だったのだ。

 

「目が覚めたか」

「教官……」

 

 そんな中、病室に入ってきたのは千冬だった。ラウラが教官と呼んでも訂正することもなく、静かに言葉を紡ぎ始めた。

 

「一応お前も当事者だったから事情だけ説明しておく。VTシステムは知っているな」

「は、はい……」

 

 そして、ラウラは千冬から説明を受けた。ラウラの専用機「シュヴァルツェア・レーゲン」にVTシステムが搭載されていたこと。それがラウラの感情に呼応して起動したこと。そしてVTシステムは萌と簪の手によって止められたこと。その後、萌は亡国機業の襲撃に合い、重傷を負ったこと。

 

「とまぁ、大筋としてはこんなところだ。こんなことはあまり言いたくはないが、ドイツは亡国機業に救われた形となったな」

「……そうですか」

「何か一言言ってやろうかとも思ったんだが、その必要はなさそうだな」

「え?」

「お前のしたことは反省文100枚書いても足りないが、今のお前はいい顔をしているよ、ラウラ・ボーデヴィッヒ」

 

 それだけを言うと、まだ残している仕事があるのか、千冬は病室を去ってしまった。

 

「ぐっ、うう……!」

 

 その後、ラウラは全身に走る激痛に顔を歪めながらも立ち上がった。全身が悲鳴を上げ、今すぐにでもベッドに戻りたいという欲求が首をもたげるが、それらを無理やり押し殺し、壁に手を突きながら、足を引きずり萌が入院している病室まで歩いた。

 

「焔、萌」

「ラウラ……さん?」

 

 病室に入ってきたラウラを見た時、萌の顔には確かに驚きの表情が浮かんでいた。その表情も無理はないだろうとラウラは何も言わずに納得した。ラウラがVTシステムで操られていたとはいえ、先程まで殺し合いをしていた関係だ。それから間もないにも関わらず見舞いに来るなど以前のラウラでは考えられなかっただろう。

 

「今日は、本当にすまなかった」

「え?」

 

 そして、ラウラは何か言われる前にまず頭を下げた。もちろん、謝った程度で済むようなことではないことはラウラが一番よくわかっている。萌は今回の一件で文字通り死にかけたのだ。

 

「……ラウラさんは、大丈夫?」

「っ……ああ、大丈夫だ」

「そっか……よかった」

 

 しかし、それでもなお、萌がラウラを責めることは無かった。それどころか、こちらの心配をしてくる始末だった。その行き過ぎた自己犠牲精神は誉められたものではない。ラウラがそれを指摘しようとした時、萌は笑顔を浮かべた。

 

 その時、萌が見せた笑顔に、ラウラは心を揺り動かされた。ラウラはもともと、他人の感情の機微を察することには長けていない。潜入術の1つとして学んだことはあっても、ラウラにとってそれらはそれ以上の価値は持たないし、それ以上の事は出来なかった。

 しかし、そんなラウラでもわかった。今の萌の笑顔は、混乱や恐怖、焦燥などの感情を必死に覆い隠して浮かべた笑みなのだと。これまで何の実戦経験もなかった萌だ。下手をすればPTSDすら発症する可能性がある。そもそもこうして対話できていること自体が奇跡と言えるだろう。

 

「うん……本当に、よかった」

 

 それでも、萌は笑顔を浮かべてみせた。きっと、ラウラの為に。その笑みを浮かべられる萌を、ラウラは傍で守りたいと思った。今更自分がどんなに都合のいい事を想っているのかもわかっている。しかし、それでも、ラウラには萌の笑顔がとても尊いものに思われたのだ。

 胸に宿った初めての温かい感情に、ラウラは僅かながら戸惑いを覚えた。そして、その戸惑いを首をわずかに横に振ることで振り払い、萌に向き直った。

 

「ではな、私が言えた義理ではないが……ゆっくり休んで欲しい」

 

 その感情に答えを見出すことは無いままラウラは病室を後にした。

 

 

―・―・―・―

 

 事情聴取などを初めとした、トラブルに巻き込まれた際にはお約束と言える諸々の手続きを終える頃には、既に時刻は夕暮れ時となっていた。事情聴取を受けている最中も、簪の頭の片隅には常に萌のことがあった。

 

 今日のVTシステムの襲撃、そして所属不明機の襲撃で、萌は重傷を負った。幸いにも、後々に残るような傷こそなかったものの、本当の意味で死にかけた萌の精神的なショックは簪には想像できるものではなかった。

 

 そんな簪の精神状態に呼応するかのように、普段ならば美しいと感じるはずの夕暮れ時の日差しが、嫌に不吉に感じられた。

 はやる心を抑え、面会時間ギリギリとなってしまった病院に向かった簪は萌がいる病室に入った。

 

「萌、起きて……る……?」

「簪……ちゃん」

 

 しかし、そこでは予想外の人物が萌と面会していた。簪の姉、楯無だった。楯無も簪の声で簪の存在に気が付いたのか、簪の方を向いていっそ滑稽なほどに動きが止まった。

 

「え……?」

 

 あまりにも予想外の光景に、簪の思考が数秒停止した。そしてその後、様々な感情が沸きあがってきた。何故、ここに楯無がいるのか。楯無がいるのなら、自分は必要ないのではないか。そもそも、2人はどういう関係なのか。

 

「あ、え……と……ごめん、なさい」

 

 問いただしたいことはたくさんあるはずなのに、それらが口に出ることは無かった。様々な思考が絡まり、徐々に自分でも何を考えているのかわからなくなってきた簪は、ふらふらとした足取りで踵を返し、出口へ向かって歩いて行った。

 

「待って、簪さん。楯無さん、少し席を外してもらってもいいですか」

「え、ええ……わかったわ」

 

 しかし、それを呼び止めたのは萌だった。簪は言われるままに立ち止まった。そして、楯無は病室を出て行き、簪は萌のベッドの横にある、先程まで楯無が座っていた椅子に恐る恐る腰かけた。

 

「……ごめんね、事情聴取とか、全部任せちゃって」

「……そんな、こと」

 

 この期に及んでもこちらの心配しかしてこない萌に対する苛立ちからか、混乱が少しだけ晴れ、思考を巡らせる余裕が生まれた簪は改めて萌と向き直った。

 

「……萌」

「何?」

 

 そして、数秒ためらった後に、問いかけようとした。楯無とはどういう関係なのかと。

 

「……怪我は、大丈夫なの?」

「うん、直撃したわけじゃないし。臨海学校までには退院できるってさ」

「そっか……よかった」

 

 しかし、その問いが口から出ることは無かった。その代わりに飛び出した問いに対して帰ってきた答えに、簪はほっと胸をなでおろした。現時点でこれだけ会話ができているのだから大丈夫だとは思っていたが、それでも不安は大きかったのだ。

 

「それじゃあ、今日はもう面会時間ないから……また明日、来るね」

「うん、ありがとう、簪さん」

 

 簪にはそれだけの会話で精いっぱいだった。ぎこちない笑みを浮かべながら、簪は萌から背を向けて、病室を後にした。

 

 

「簪ちゃん」

「…………何?」

 

 そして、病室の前で、今度は楯無が簪を呼び止めた。簪は、肩をピクリと動かした後に立ち止まり、先ほど萌に呼びかけられた時の3倍は時間をかけて応じた。その事に何も思わなかったわけではないが、今はそれどころではない楯無は一つ小さく深呼吸をした後にしゃべり始めた。

 

「後で少し、いい?」

「…………ん」

 

 結局、その返事を1つ返すことに勇気の全てを使い切ってしまった簪はその後逃げるような早足で病院から出て行った。

 

―・―・―・―

 

「ごめんね、簪ちゃん。時間取っちゃって」

「ううん……大丈夫」

 

 いつからか、簪にとって、姉と向き合うという事は耐えがたい苦痛となっていた。いつだって比較され、何から何まで全てにおいて姉の方が勝り続けた。特に表立って何かがあるわけではなかった。更識家当主の座には異例の速度での成長を見せた更識刀奈が異例の速度でつき、簪に何かを求められることはほとんどなくなった。

 しかし、だからこそ簪は、自身と姉を無意識のうちに比較し続けてしまった。なぜ自分は姉のようにできないのか、姉ならばもっとうまくやっていたのに、姉ならば――。そんな思考が簪を支配し続けていた。

 

 そして、萌に出会い、簪は変わった。少しは、自信というものを持つことができた。その自信だけが、簪に楯無の前に立つだけの勇気を与えていた。

 

「その……お姉ちゃん」

「……何?」

「萌と……何話してたの?」

 

 しかし、簪にはそれが精いっぱいであり、まだ、楯無と萌がどういう関係なのかを直接聞く勇気は出なかった。楯無も緊張しているのか、いつもより若干ぎこちない口調で言葉を紡ぎだした。

 

「そう、ね……簪ちゃんも知っておいた方が良いかもしれないわね」

「え……?」

「亡国機業っていう言葉、聞いたことはある?」

「……ううん」

 

 簪はゆっくりと首を横に振った。楯無もその答えは予想出来ていたのか、1つ頷いた後に楯無は亡国機業に関する説明を簪に行った。簪は時折質問を交えつつも楯無の説明を黙って聞いていた。

 

 ひとしきり説明を終えた楯無はほんの少しためらった後に、言葉を紡ぎだした。

 

「それで……何で、この話を私に?」

「……萌くんが、今後も襲われる可能性があるから、かな」

「……え?」

 

 楯無は、どことなく辛そうな表情を浮かべながらも、言葉を紡ぎだした。

 

「今回の件が、男性操縦者、もしくはその専用機が目的なら、萌くんじゃなくて、一夏くんが狙われるはずなのよ」

「それって……」

 

 そう、確かに萌は打鉄・雷火のシールドエネルギーをほとんど使い果たし、疲労もかなり溜まっていた。しかし、それは一夏も同じことだ。そして、今日の試合の様子だけを見るならば、実力的に勝っているのは萌であり、どちらの方が御しやすい相手かというのを亡国機業の視点から考えるのならば、萌ではなく一夏になるはずなのだ。それは即ち、亡国機業側の目的が、萌個人にあるという事に他ならない。

 

「どう、して……」

「わからないわ。だからこそ、私達が守らなきゃいけないのよ」

 

 簪はその場に崩れ落ちた。萌は、ただ必死に現状に抗おうと頑張っているだけだ。例え常軌を逸していても、萌は、ただ必死に普通の人生を生きるために頑張っているのだ。

 気が付けば瞳から涙が零れ落ちていた。それを拭う事もせず、簪はただただ呆然としていた。そんな簪を励ますことすらできない自身のふがいなさに楯無は歯噛みし、それでも言葉を紡ぎだした。

 

「……帰りましょう、簪ちゃん。病院に迷惑をかけちゃうわ」

「……ん」

 

 涙を流しながらも、簪は立ち上がり、歩き始めた。精神的にも、何をしてもおかしくない危険な状態であることは誰が見ても明らかだったため、楯無は簪の隣を歩いた。簪も特にそれを気にすることなく、帰路に就いた。

 

 この日、2人は数年ぶりに帰路を共にした。その間、2人の間で会話が交わされることは、一度もなかった。




最後の方書いてたらやがて星が降りそうなメロディが聞こえてきました。

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