神谷美羽は修羅場を招く   作:大庭葉蔵

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今回は病み要素少なめです。この小説を書いていると、原作の友奈ちゃんがどんなだったか忘れてしまいます。作者にもっと力が足りていれば、もっと友奈ちゃんらしい友奈さんを書けるのですけれど……。


安息に至る門は狭く、その路は細い その1

 

「こんばんは神谷さん。あら、結城さんも。お二人は仲がいいのね」

 

 ああ、なんて事だ。この女は敵だ。この家の敷居を跨がせるわけにはいかないというのに……。

 

 やめろ、やめろ、そんな視線を美羽ちゃんに向けるな。飢えた狼のような、闇夜を歩く強姦魔のような屑の視線を。

 

「あの、どうされましたか? こんな夜更けに」

 

 そうだ。出て行け、その姿を二度と見せるな。

 

「娘を案内してもらったお礼にね。あの子ったら凄く喜んでたから、何かお返しをしないといけないと思って」

 

 女は、食材が詰まったビニール袋をわたしたちに見せた。

 

 奴め美羽ちゃんに家族が居ないことを知っていたのか。いや違う、東郷さんと居た間に調べたのだろう。そして見つけたのだ、この家を訪ねる尤もらしい口実を。

 

「せっかくだし、晩御飯を作ろうと思ったの」

 

「え、いやそんな。そこまでしてくれなくても」

 

 上辺だけ遠慮していても美羽ちゃん、顔が嬉しそうだよ。

 

 けれどそれも、致し方ないことだ。ああ、彼女は今まで、大人に手料理を振る舞ってもらった事がなかった。大人の、母性的な愛情を注がれた事がなかった。わたしでは、注ぐことのできないその愛を、あの女は的確に突いてきたのだ。

 

「いいのいいの、遠慮しないで。料理は作りたてが一番美味しいの」

 

 料理を振る舞いたければ、お裾分けでもすればいい。出来立てもでも何でも、レンジやらオーブンやらで加熱すれば作りたてと大差ない。ならば何故わざわざ家まで来て作ろうというのだ。

 

 しかし美羽ちゃんは、側から見れば頼もしいように見えるあの女に、いまや少し心を許してしまっていた。

 

 時刻は丁度7時を回った頃合いだ。わたしたちが、晩御飯をそろそろ作り出そうかと言い出す頃合いでもあった。

 

 料理というのは大変だ。当たり前の事だが、片手間では終わらない。本来であるならば、こうして料理を作ってもらえるなら是非ともお願いしたい。それは、美羽ちゃんもわたしも同意見である。

 

 しかしわたしは、狂った頭の人間に料理をさせるつもりはない。何をされるか分かってものではない。

 わたしが美羽ちゃんを守らなくてはならなかった。

 

 奴はこの家の玄関を悠々と超えてしまった。わたしはかつて鍛え上げた正拳突きを奴に浴びせたかったが、すぐ隣には美羽ちゃんがいた。だから、暴力を振るう事はできない、彼女に奴の汚らしい流血を見せるわけにはいかない。

 

 ただあの女に、ナイフのように鋭い殺気を向ける事しか、わたしにはできなかった。

 

 奴は、何をするつもりだろう。媚薬でも入れて、彼女の身体を手に入れるつもりか。睡眠薬でも入れて誘拐するつもりか。はたまた、養子縁組の書類でも持ち出すつもりだろうか。

 

 燃え上がるような狂気を見に宿した奴ならば、何を犯そうと、最早疑問など持ちはしなかった。

 

 いざとなれば、包丁で脅す事も視野に入れなくてはならない……。

 

 わたしは静かに決意で身を固め、奴に注意深い目を向けた。

 

「ご飯は私が作るから、二人はお風呂でも入っておきなさいな」

 

「そんな……。いいんですか? そんなに良くして貰って」

 

「いいのいいの。任せておきなさい」

 

「ありがとうございます!」

 

 美羽ちゃん。どうしてそんなに無防備なの。どうして誰にでも心を開いてしまうの。確かにそれは素敵な事だけれど、わたしは美羽ちゃんが心配だよ。

 

 わたしが、守らないと……。わたしが守らないと彼女は、あっと言う間にその身を毒牙に晒してしまうだろう。それではダメだ。それだけはなんとしてもダメなのだ。

 

 彼女はもう十分傷ついた。儚く動く彼女の心は、もはや痛めつけられる事しか知らない。

 

 彼女は、誰かを疑うことを知らない。ああ、彼女は愛される事の本質を、愛するということの本質を知らない。

 

 それは彼女が長い間、狂気という名の道に身を置いていたからだ。初めてこの世に生を受けてからずっと。

 

 彼女を取り巻く狂気は、やっと消えつつあったのだ。最初の狂気である彼女の両親が死んで、第2の狂気である親戚も一人残らず死に絶えて、わたしだけが残っていたのだ。

 

 わたしが彼女を守る。彼女を傷つけて良いのはわたしだけだ。他の誰でもない、毛先一本から血液一滴まで絶対に守り抜いて見せる。

 

 守り抜いた先に、彼女は、美羽ちゃんはようやく理解してくれるだろう。愛しい彼女にはわたししか居ないということを。

 

 だからそれまでは誰にも邪魔はさせない。それが例え神樹様であろうと———。

 

 

「美羽ちゃんには先にお風呂へ行ってもらいました」

 

「そう。貴女は行かないの?」

 

「ええ。貴女さえ居なければ、行っていましたよ」

 

「そう」

 

 特に興味もなさそうに、黙々とカレーを奴は作っていた。台所でわたしに背を向けて。

 

 わたしは、奴を監視しなくてはならなかった。愛しの美羽ちゃんとお風呂に入ることも我慢して、奴が料理に薬を盛るかどうかを見ている必要がある。

 

 はっきり言って、今なら隠し持った包丁で殺す事ができるだろう。しかし、殺す事はできない。わたしの手は、震えてしまうのだ。

 

 わたしの手は未だにあの、命を刈り取る感覚を覚えていた。

 

「貴女、私のことをその気になれば簡単に殺せると思っているでしょう?」

 

「もちろんです」

 

 わたしがそう言い切ると、奴はまるで馬鹿にしたかのような、神経を逆撫でする声で笑い出した。

 

「ふふ、貴女そんな、女の子らしくない目をするものじゃないわよ。そんな歳で大人相手に包丁で脅しをかけるなんて、可愛げがない」

 

 どうやら包丁を隠し持っていたのはバレてしまっていたようだ。

 奴の顔、見れば見る程憎たらしい。それに、耳障りな声だ。こんな声で美羽ちゃんと例え少しの時間でも会話をしていたのだから、反吐がでる。

 

「貴女のような人間から美羽ちゃんを守るためには、なんとしても変わる必要があった。ただそれだけ」

 

「なら残念ね。私は何もしていていない。貴女に私を殺すことはできない」

 

「ここでは、です」

 

「それはどうかしらね。貴女は神谷美羽ちゃんに掛り切りではなくて?」

 

「彼女の名を呼ぶな!」

 

 わたしの体を怒りが満たし、爆発した。包丁を握る手に力が入る。気づけばわたしは、その鉄の刃を奴の胸元に突きつけていた。少し自制が遅れていれば、その身体に突き立てていたところだろう。

 

 神谷美羽という完成された名前の響きは、そう易々と放っていい言葉ではない。

 

 奴のような、低俗な欲望と、身の丈を上回る野望に満ちた人間が呼んで、汚していい名前ではない。

 

「彼女の名を呼ぶな。彼女を汚すな。彼女の人生に立ち入るな。彼女にその醜い姿を二度と見せるな。彼女を悲しませるな。彼女はお前のような屑の命でさえ、散れば悲しむような優しい人なんだ」

 

 わたしは思い浮かんだままに、思った事をまくし立てた。それはもう呼吸すらも忘れていた程で、明らかな動揺を示していた。

 

「そう、だからこそ貴女は私を殺す事ができない」

 

 奴は嗤っていた。嘲笑っていた。このわたしを、取るに足らない存在だと見下していた。

 

 ああ、くそ。まだ足りない。わたしに、敵を討ち倒す力が。

 

「さて、これで完成。薬も何もない善意100%のカレーがね。それじゃあね、また明日。貴女たちが来るのを待ってるわ」

 

 突きつけていた包丁を手で払われると、音を立てて落ちていった。涙が出そうになる程情けない音を立てていた。

 

 奴は堂々と、この家から去っていった。そして去り際に、わたしの耳元で囁いた。

 

「彼女の心は私が頂くわ。貴女は指を咥えて見ていなさい」

 

 ああ、奴は、最初から最後までわたしより精神的に優位に立っていた。わたしは、完膚なきまでに敗北してしまったのだ。

 

 わたしは、美羽ちゃんが来るまでの間に落ちていった包丁を元の場所に戻すことしかできなかった。

 

「あれ、東郷さんのお母さんは?」

 

 風呂上がりの美羽ちゃんは、いつ見ても可愛らしい。ああ、彼女とわたしだけが居る世界だったら、どれほど良かった事だろう。

 

 けれどその思い叶わず、その願い届かず、ただ彼女を取り巻く危険だけが変わらず存在していた。

 

「夜も遅いから、料理だけ作って帰ったよ」

 

「そっか、じゃあ二人で食べる? それとも友奈、先にお風呂入る?」

 

「二人で食べたい。お風呂はその後で入るよ」

 

 あの女が作ったカレーなんて、食べたくもなかった。

 

 美味しそうに食べる美羽ちゃんを観れたのは幸運だったけれど、わたし以外の人間が作る料理で笑顔になってしまうのは、どうしようもなく腹が立つ。

 

 結局わたしはカレーに殆ど手をつけられずに失意のまま残りの時間を無駄にしてしまった。

 

 カレーは全て処分した。これから暫くは、美羽ちゃんがわたしのためにカレーを作らない限り、屈辱が脳裏に蘇りそうだ。

 

 

 真夜中、わたしは美羽ちゃんの寝室へ忍び込んだ。昔は大きく感じたこのベッドも、身体が成長した今は、人が2人入ると少々手狭だ。

 

 彼女を起こさないように、慎重にベッドの中へ入る。この季節の夜はまだ冷え込み、少々手狭なベッドは彼女の体温と感触を十分に味わうためにはうってつけだった。

 

 ゆっくりと抱きしめると、彼女の身体は温かくて、彼女の心の内を表しているようだ。柔らかい身体はわたしを優しく包んでくれた。

 

 夜でもしっかりと彼女の顔は確認できた。わたしのすぐ目の前に彼女の安らかに眠る顔があり、魅惑の唇がわたしを誘っている。

 

 誘われるがまま、その唇にわたしの唇を優しく合わせた。口に舌を入れるようなことはしないキスだ。

 

 できることなら、許されることなら、わたしの舌を彼女の口の中に入れて、暴れまわりたい。けれどそれは、彼女の望みでは無かった。

 

 彼女がその気ならばわたしだって、彼女を終わらない快楽の渦へ導くだろう。しかし彼女がその気にならないのは、その行為がかつて、冷たさと、痛みと恐怖のうちに与えられたからだ。

 

 ああ、それでも彼女は人を信じることをやめなかった。なんて強いんだろう、なんて気高いのだろう。それが例え無知から生まれたものだとしても、誰にも真似できない事だ。

 

 けれど今やその美徳は皮を破り、悪徳が本性を覗かせた。破ったのは彼女ではない。彼女の美徳を悪徳へと変えたのは、彼女の周りの屑どもだ。

 

 わたしはそれが心底我慢ならない。

 

 感傷を、自制を捨てろ、弱い自分を捨てろ、結城友奈。もう、失敗は許されない。

 悔しいが今のわたしはあの女の言う通り、美羽ちゃんから離れた脅威を殺す術はない。わたしは物理的にも、心理的にも彼女から離れられない、離れたくない。

 

 ならば彼女から離れずに脅威を消せばいい。わたしは、危険を彼女から離すことばかりを考えていたのだ。しかしいくら離そうと、危険は向こうからやってくる。

 

 来るなら来い、来ると分かっているなら準備すればいい。彼女に降りかかる厄災を、全てわたしが打ち払ってみせる。

 

 震える手を抑えろ、結城友奈。怖いのか、あの感覚が。肉を裂き、内臓を引きずり出す感覚が。

 

 震える手なら捨ててしまえ、そんな手で愛しの彼女を守ることはできない。

 

 物語の騎士のように、巨悪を殺せ、己の幸せを掴め。それは騎士を超えた勇者となる。

 

 

 わたしは、結城友奈は、勇者になる。神谷美羽を守る勇者へと—————。




なんというか、物語を進めるって大変ですね。未だ初心者の域を出ていませんから。こればかりは慣れるしかないのでしょう。どうか温かい目で見守って頂けると幸いです。

東郷(母)との本格的な対決は次回に持ち越しです。ああ、皆様が求めている修羅場に到達するまでは、遠い道のりになりそうです。早く勇者部を出さねば!
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