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朝が来た。曇り空を支える空気はより一層重く、息が苦しくなるような空気が重力に従って、地面に沈殿しているような気さえしていた。
美羽ちゃんが起きてしまわないうちにベッドから外へ出た。
抱きついていたわたしの体からは微かに彼女の香りが漂っていた。その匂いを堪能していると、今日を生きる活力が湧いてくる。
わたしがうどんを茹でていると、眠たげな目を擦りながら美羽ちゃんが降りてきた。
彼女の瞼は重く、半分無意識のうちに降りてきたのだろう。その尊い顔を観ていると頬ずりしたくなる。
朝食の冷たいうどんは寝起きによく効いているようで、次第に彼女の意識は覚醒していった。
彼女の顔を眺めながらわたしも、彼女と一緒にうどんを啜っていた。この空間は、この時間は誰も邪魔に入らない、まさに天国だ。
彼女には好きな食べ物や、嫌いな食べ物というものがなかった。うどんが好きだと言っていても、それは全人類に当てはまる事だから知っていてもあまり意味はない。
どんな料理が出されても特に目の色を変えることもなく、いつも食べているのだ。そんな彼女に対して好きな食べ物がないのかと聞いた事がある。
返答は、『友奈と食べるご飯が好き』だった。
わたしはそれが舞い上がるほどに嬉しかった。血液が全身に駆け巡るように、喜びがわたしの全身に駆け巡った。
それからというものわたしは、進んで彼女の料理を作る事が多くなった。
彼女がわたしの料理を食べて喜んでくれているということは、それはむしろわたしを食べて喜んでいる事と同じことではないだろうか……。
ああ、それではあの女を食べて喜んでいるのと同じだ。
それは、違う。彼女はわたしとご飯を食べるのが好きなのだ。そう、それでいい。
それでも彼女にはわたしを食べて欲しいと思う。強引な彼女は好きだ。
ああ、けれど彼女を食べ尽くしたいとも思う。わたしの思うがままにされる彼女も素敵だ。
もしわたしが彼女を永遠にわたしのものとするとき、わたしはどちらかを選ばなくてはならないのだろうか。いや、選べるはずがない。
しかし、どちらも実現する事は不可能に近い。不可能を可能にするのが勇者だ。わたしは勇者、できるはず……。
「ねえ、美羽ちゃん。美羽ちゃんは今日も東郷さんの家に行くの?」
うどんを丁度食べ終わった彼女に話しかけた。聞かなくても分かる事だけれど、彼女といつも何か話をしていないと寂しい。
「うん。行くよ。友奈も来て欲しいな」
「もちろん。わたしも行く」
わたしが答えると、彼女は嬉しそうに笑ってくれた。
今からわたし以外の人に笑顔を見せに行くのは腹が立つ。こんなにも、日が差すような笑顔はそう易々と見せるべきではないだろう。外出するときは、仮面でも付けた方がいいと思う。
「行こう、友奈。東郷さんは友奈の事も待ってるだろうから」
わたしの手を今日もまた彼女は引いてくれた。ああやっぱり、彼女の笑顔を隠すなんて勿体ない。
東郷さんの家へ着いたとき、やはりと言うべきか東郷さんの母親が出てきた。忌々しい、あの女が。
奴は雲行きが怪しいからと言って、わたし達を家の中へ招待した。何か企んでいるのだろうか。
東郷さんがいる部屋へ案内すると、お茶を出し、奴は微笑みながら家の奥へ消えていった。
奴にはいずれ必ず始末をつける。それまで、精々背中に気をつける事だ。
「美羽ちゃん、友奈ちゃん、よく来てくれたわね。嬉しいわ」
東郷さんはわたし達を名前で呼ぶけれど、自分の事は苗字で呼んで欲しいらしい。どうにも、変わった子だ。
「東郷さん……。凄い隈だけど、寝れなかったの?」
昨日ぶりに見る東郷さんの変わり果てた顔を心配して、美羽ちゃんが声を掛けた。
彼女の姿をその脳裏に焼き付けたのだ、1日や2日寝れなくたってどこも不思議ではない。
「ちょっと興奮していただけよ……。2人が今日も来てくれるのか考えていたら、なんだか落ち着かなくて……」
欠伸を噛み殺しながらそう言っていた。
初めて友達を作ったかのような初々しさを感じる言葉だ。ああ、そういえば初めて美羽ちゃんと会った日のわたしも眠れなかったっけ……。
「ダメだよ東郷さん。しっかり寝なきゃ。眠そうだし、寝てもいいんだよ?」
わたしができるだけ優しく語りかける。けれど東郷さんはとんでもないと言いたげに答えた。
「いやよ! せっかく来てくれたのに、寝てしまうなんて勿体ない。一生の不覚だわ」
「春休みだってまだ残ってるし、わたしも美羽ちゃんも明日また来るよ。お昼までには時間もあるし、1時間でもいいから寝よう、ね?」
その通り、と美羽ちゃんが頷いていた。わたし達の言葉に強く出ることが出来ず、これといった反論もできず、東郷さんはただ頬を膨らませていた。
「一日中起きているなんて、私達の年頃にはまだ早いよ、ほら」
美羽ちゃんが着ていたパーカーを被せると、渋々といった具合で東郷さんは机に突っ伏した。
あっという間に眠りに誘われ、その寝顔は幸せに満ちていた。美羽ちゃんの服、美羽ちゃんの匂い、それに包まれているなんて、なんとも羨ましい。
いつの日か、美羽ちゃんを堂々と抱いて寝れる日が来るだろうか……。
東郷さんに彼女のパーカーを掛けたように、美羽ちゃん自身がわたしに覆い被さってくれはしないだろうか。
わたしは、そんな思いを視線に宿して、美羽ちゃんを見つめていた。
「なにか言いたげだね、友奈」
私は、未だじっと見つめてくる友奈に向かって言った。
「一日中起きているなんて、わたし達の年頃にはまだ早いよ、ほら」
少し気取った様子で、友奈が言った。なにかの意趣返しなのか、友奈が着ていた上着を私に被せた。
「友奈どうしたの?」
あまりに突飛なことでつい頬が緩んでしまった。
「美羽ちゃんの真似。さあ、ほらほら美羽ちゃんも寝ていいんだよ?」
机に肘をつき、友奈が私に笑いかけた。その大きな、綺麗な、ぱっちりとした瞳で見つめられると、どこかへ吸い込まれてしまいそうだ。
「ふふ、友奈が寝るなら私も寝るよ」
気を紛らわすために、出されたお茶を飲む。
「あ、このお茶美味しい」
私の言葉を聞いて、すぐに友奈も出されたお茶に手をつけた。
「ホントだ。ちょっと苦いけど」
冷たい、それでいてさっぱりとした緑茶。未だ寒い春の朝にはあまり似合わない。
けれど私は似合わないという事を忘れ、ただ急に、友奈の上着から漂う友奈の匂いがより一層強くなったような気がしていた。
友奈の上着って暖かいな……。
冷える夜、暖かいベッドの中へ入るような、そんな心地よさが私を包んでいた。
気づけば友奈も、安らかな寝息を立てて眠っていた。私の意識もそろそろ限界だ。
今までこんなにも心地よく眠りに入ったことがあっただろうか……。
私の意識が揺らぎ、遠のいていった。
私を呼ぶ声がした。
朦朧とした重い頭、気だるい身体、私は明らかな不調に陥っていた。
「美羽ちゃん! 美羽ちゃん!」
私を呼ぶ声は、友奈の声だ。悲痛な叫び、ああ、けれどまだ頭が重い。身体が微動だにしない。目も開けることができず、ただ、友奈の声に耳を傾けていた。
「起きて! 美羽ちゃん!」
「友……奈……?」
ここは、何処だ。窓から差し込む僅かな光、埃臭い部屋、漆喰の壁、正面に見える大扉、そして私の右手側には両の手首につけられた鉄の腕輪から伸びる鎖で繋がれた友奈が。ここは、一体何処だ。
「友奈! その鎖は—————!」
身体が、動かない。鎖に繋がれているのは私も同じだ。ただ違うのは、私は両方の手首と足首のどちらもしっかりと鎖で繋がれていることだ。
壁には、葉書ほどの大きさの鉄の板が4本のネジで固定されていて、その板から鎖が伸びていた。
幾ら何でも手際が良すぎる。こんなものを取り付けている時間が一体何処にあったというのだ。
一体いつからだ、一体誰が、昨日今日で準備できるものなのか。
「美羽ちゃん!」
友奈が私へ手を伸ばす。私を繋ぐ鎖は短く、体の自由は効かないが、友奈を繋ぐ鎖は長く、腕にしかないためある程度の自由は効いていた。
しかし、私がいくら手を伸ばしても友奈の手を握ることはできず、友奈がいくら手を伸ばしても私の手を掴む事はなかった。
万事休す、まんまと嵌められてしまったというわけか。
「目が覚めたようね」
薄暗い部屋の扉が開く。開かれた扉から現れたのは、東郷さんの母親だ。彼女は扉を閉め、閂を下ろすと、悪魔のような笑みを浮かべて話し始めた。
「御察しの通り、貴女達は籠の中」
ゆっくりと私たちの方へ歩き出した。彼女の歩みを止める者はおらず、悠々と、噛みしめるように歩いていた。
「もはや出る事も叶わない。一生ね」
彼女が友奈の隣を横切る。友奈がいくら身体を動かしても、彼女に傷一つつける事もできない。
「結城さんはおまけだったけれど、この私の目的は果たされた」
彼女が私の背後へと回り、ゆっくりと抱きしめた。
彼女の手が私に触れた途端、壮絶な寒気と身に迫る危機感を感じ、小さな悲鳴が漏れた。
「ひっ……。いや、やめてください……」
彼女の荒々しい息が首に当たる。その息は荒く、盛った獣のようだ。
「貴女が悪いのよ……神谷美羽ちゃん」
私の耳元に彼女の声が囁かれる。震える背筋、沸き上がる恐怖、私の視線は自然と友奈の方へ注がれていた。
友奈は鬼のような形相で、私の方へ迫っていた。鎖が無機質な音を立て、友奈の動きを止めた。
鎖の長さを超えた動きによって、友奈の両腕が鎖の力によって引っ張られる。それによって友奈は拳を振るう事ができず、ただ殺意だけを瞳に宿して、私の背後に立つ女の顔を睨んでいた。
「ああ! 怖い怖い。でも、誰が檻の中のライオンを怖がるというのかしら? ねぇ、美羽ちゃん」
私の首筋を這うように彼女は舐めた。背中に氷を突然入れられたような悪寒が走る。
「お願い……ですから……」
「やめて欲しいの?」
首を縦に振った。
「だーめ。だって貴女が悪いのだから。貴女がこんなにも可愛らしいからいけないのよ」
女は私の着ているシャツの襟を両手で握ると力一杯引き裂いた。ボタンが弾け飛び、私の肌が露わとなった。
ああ、どうして、どうして……。
「どうして……」
私の微かな声は啜り泣くようにして、虚空に消えた。
「ああ、麗しの美羽ちゃん。貴女が今、完全に私の手の中にあるだなんて、なんて素敵な事でしょう」
私の右耳を甘噛みした。
襲う嫌悪感、巡る異物感、私はあらん限りの力で叫び声を上げたかったが、それがあのような人間に対して興奮を誘う事を知っていた。
ただ黙り、目を固く瞑って、耐えた。
「ふふふ、可愛いわ、美羽ちゃん。貴女もそう思うでしょう? 結城さん」
「死ね」
ぎちり、と鎖がまた音を立てた。
「貴女も変わらないのねぇ。でも、今から私が美羽ちゃんの、この香しい唇を犯したら貴女のクソ生意気な目も少しはマシになるかしら?」
「そんな事させない!」
「へぇ、今の貴女に何ができるのかしらねぇ」
私の顔が奴の顔へと引き寄せられた。ギラついた目、恐ろしい眼光、私はその目を直視する事ができなかった。ただ怖くて、私は必死で目を逸らした。
「やめろ!」
友奈が、かつてないほどの雄叫びを上げた。それに合わせて、また鎖にが音を立てる。
殺す、殺してやると、友奈の殺意が私にまで伝わってくるが、その思いとは裏腹に鎖はビクともしなかった。
「やめろ? やめろですって? あら、私の聞き間違いかしら。"やめてください"でしょう?」
屈辱を友奈は噛み締めていた。顔を伏せ、煮えたぎる怒りを抑えていた。
「やめて、ください」
「ええ、ふふ、よくできました」
そう言って奴は私を更に引き寄せると、奴の唇と私の唇を合わせた。
友奈の顔が絶望に沈む。ああ、初めからこうするつもりだったのか。
歯と歯を押しのけ、舌が口内に侵入してきた、歯の裏側を舐め、舌を舐め、私の口の中を暴れまわったが、私は気持ちが悪いという事以外感じなかった。
ただ、どこか虚しい、なにか悲しい。私はただ、友奈に絶望に沈んだ顔をさせた事がただただ、悲しくて仕方がなかった。
「やめろ! やめて!」
友奈が叫ぶ。それはもう慟哭に近い。
鎖が軋む、音が鳴る。友奈は私へと手を伸ばしたが、私はその手を握る事ができなかった。
自然と涙だけが私の目尻から溢れた。それは、私の身体が泣いているのか、心だけが泣いているのか分からなかった。
友奈も泣いていた。泣きながら叫んでいた。そこには嗚咽が混じり、声としての形を成していない。
「ああ、とっても素敵よ美羽ちゃん」
ただ1人、奴だけは嗤っていた。
長い長い接吻。奴は満足したのか、恍惚とした顔で言った。
「次に私が来るときは、此処を頂戴ね」
私の下腹部を上から下へと指でなぞると、奴は私たちがいる部屋から出て行った。
本当は今回で東郷母には退場してもらおうと思ったのですけどね。しぶとく生き残ってしまいました。次回やっと決着がつきます。勇者部メンバーも早く出したいなぁ。
友奈さん達には、是非とも次回、頑張ってもらいたいものです。
できれば4日に一本のペースで投稿したいと考えています。