ベンジャミン・ディズレーリ ー『断片』よりー
「これは犯人の捕縛は不可能ですね」
二、三日の調査を経て伝えられた結果は、予想外なものだった。
咀嚼がまだ終わりきっていない団子を茶で無理に押し込んで、嚥下し終えた喉から声を出す。
「不可能というのは、どういうことですか?」
「証拠がないんです。この事件はあまりにも完璧すぎる」
「完全犯罪というやつですか? 流れ着いた本で読みましたが」
「近い。けれど、少々趣が異なります。言うなれば、完全犯罪は誰にも見破れない犯行で、こちらは見破るも何もない犯行とでも言いましょうか」
「ううむ、わかるようなわからないような」
「完全犯罪は誰にも解けないタネがあるわけです。まるで不可能を可能な手段にする仕掛け。それで誰も見抜けなかったから完全な犯罪になる。しかし、今回はそれがない。言うなれば、魔法のない世界で魔法を使うようなもの。見抜くも何もなく、完全になるまでもなく完璧。おそらくは、そういうものです」
詳細を聞いても理解できた感覚がしなくて唸っていると、ふと彼女が視線を手元に落としていることに気づいた。
茶柱でも立っているのかと少し覗き込むも何もない。
思案に耽っているのかとそのまま顔を上げると、目が合う。
「お茶、美味しいですね」
「え、あぁ、はい。ここは人気の茶屋ですから」
「ここ数日間、調査を兼ねてここらの店で食事をとっていましたが、何度か毒物が仕込まれていました」
「なっ、どういうことですか⁉」
「あぁ、ご安心ください。店の者は何も悪くありません。彼らに害意はありませんし、誰かに操られていることもありませんでした」
「では、誰が」
「決まってるじゃないですか、犯人ですよ」
「それは、そうなのでしょうが」
「言ったでしょう。これは完璧犯罪です。毒を盛られたとき、周りにそういう心を持った人はいなかったし、なんなら人里に不審な人物は誰一人としていなかった」
「……なぜ、そのお茶を飲めるのですか」
「あなたが横にいる以上、恐らくは毒を盛らないでしょうから」
「なぜ私が?」
「単に関係者に目撃されたくないというだけのことです。心配いらないですよ、私は毒物に慣れているものですぐにわかるんです。耐性もありますし」
舌を見せて笑う少女の姿に戦慄する。
博麗の関係者とはいえ、初対面からの所感は総じて凡庸な妖怪であるということだった。
静かなのに明るく、誰にも嫌われる特性を持ちながら朗らかで、人に優しく妖怪にも優しく、ただ交流しやすいのだと。
違った。
やはり、賢者の知人が普通なはずなどなく、彼女はこの事件に最適たる人物としてここへ来たのである。
それを今になって理解した。
ただ、であれば、疑問が生じる。
「完璧だと言うのでしたら、この事件はあなたですら解決できないのですか?」
彼女のいつも通りの微笑みが失せた。
失意が表れるかと思った。
だが、彼女はただニヤリと笑った。
「証拠を集め、事実を合わせ、真実を作り出し、それを突き付ける。これはできません。ですので、ただ止めます」
「捕まえずに解決すると?」
「はい、私が請け負ったのは事件を治めることですから。それに、こればかりはどうしようもない」
「完璧なら、確かにそうですが」
「あぁ、いえ。それもですが、それだけじゃないのです。私では裁けないのです。ここでは、博麗の巫女が裁くのがルールですから、部外者が勝手に事件を終わらせてしまうと、私のようなことをしたがる奴が出る」
手元の湯呑みを、少し揺らした。
「波紋は、一つとして立たないのが何よりです。だから、この事件は、異変になる前に自然消滅した謎に終わる」
「犯人を捕らえずに終わらせる、そのような方法が本当に?」
「なに、ただ説得するだけのことですよ。ハハハ、そんな顔をしないでください。大丈夫、大丈夫ですからね」
※
1日の仕事を終えて寝巻きに着替えた美しき少女は、ゆっくりとベッドに腰掛けた。
その面持ちは暗く、何か解決すべき事象に頭を悩ませていることは容易にうかがえる。
「どうしたらいいのかしら」
脳裏に浮かぶはあの探偵もどきの姿。
何度毒を盛ろうとも、彼女はそれを回避する。毒を察知できるのか、或いは毒を盛られることを前提にしているのか。後者ならば、タイミングをずらせば何とかなるが、同時にそれは事件の深刻度を上げる。いくらバレようがないとはいえ、これ以上大ごとになるのは避けたい。
人里に近づけない今素性は知らないが、恐らくは古明地さとりが変装した姿だろう。
止まった世界ですら変わったように感じる雰囲気、優れた変装であることは間違いないが、私は欺けない。
嗚呼、古明地さとり。残念ですわね、その素晴らしき変装こそが、真実に到達していないことを物語っている。まだ過程にいることを示している。
この事件は解決できない。完璧なシナリオに干渉することなど、誰にもでき
視界の端に見慣れない色がうつった。
黄色、緑、白。そのような色。決して私の部屋に集まりはしない色が。
「っ! 誰⁉︎」
咄嗟にベッドから飛び退いて、窓を背にした。
そこにいたのは覚妖怪。第3の瞳を閉じた、恐らくは噂に聞いたさとりの妹。
察知と共に予感したさとりの出現予想は外れた。そこにいたのは、恐らくは古明地こいしに違いなかった。
彼女は部屋の隅に立って、こちらを見ると手元の紙に視線を移した。
「えー『逃げなくてもいいですよ』」
「……?」
困惑。明らかにその紙に書いていることを読み上げている。
彼女は何をしに来たのか。彼女はなぜここにいるのか。疑問が浮かんでは消えて、思考はやがて澄んでいく。
何だろうと問題はない。だって、完璧なのだから。
「『驚かせて、申し訳ありません。一寸あなたの真似をしてみたのです』」
それは実に、いかなる衝撃より恐ろしさを伝えるものだった。その言葉に3秒前の余裕は早くも微かに揺らいだ。
きっと、古明地さとりだ。彼女は大方を理解しているのだろう。そして、妹をここにやったのだ。
状況を理解した。そして、同時にやはり完璧である以上問題ないのだと結論づけた。
「何の話をしているのかしら。と聞けば、その答えがそこに書いてあるのでしょうね」
「うん、多分ね」
その紙を視線がなぞる。そして、すぐに止まった。
「『とぼけられても困ります。この答えを用意するのがいかに手間かわかるでしょう』」
「なぜ、私だと考えたのかしら」
「『今回の事件、できる者は少ない。その中でも私が現れてから人里に姿を現さないようになったあなたが怪しいとか、実は心を読んでいたとでも言えば満足ですか? 大丈夫、そんなのはどうでもいいし私は心を読んでいません。大事なのは証拠が何一つとして存在しないことです』」
「何を言っているのかしら。証拠がないなら、何もわからないじゃない」
「『完璧であろうとすることと完璧であることは違います。これだけの事件を一切痕跡無しにできるのは何かしらの力があって完璧にできる人です』」
「……それだけで?」
「んー、これが一番ぽいかなぁ。『どうせあなたが犯人なので長々と語るのは面倒です。あなたの経歴、人柄、能力全てがあなたを指し示している』」
「ただの推測じゃない」
「『実は証拠があります』」
「……は?」
嘘だ。ハッタリだ。そんなはずはないのだ。
完璧に私はやってみせたのだから、何一つとして私がいたという事実はないはずなのだ。
「『嘘です』」
「…………何を言っているの?」
「『今回の事件、犯行は完璧の一言に尽きるものでした。賞賛しましょう。あなたは全ての犯行で一切の痕跡を残さず、私を除こうとした時も足跡の一つも残しはしなかった』」
「……」
「『残念ながら、あなたは完璧過ぎました』」
お嬢様の前に少しだけ背筋を伸ばして座るさとりの姿が脳裏を過った。その姿は、記憶にない動きでこちらを覗くように体を傾ける。
肘をついて、手の平を重ねて、その上に幼い顔を這わせて、小さく微笑んでいる。
知らないのに、まるで目の前にいるかのように思う。
そこには、古明地こいししかいないのに。ここにある古明地さとりは、紙に記された文章だけなのに。
「『完璧なあなたはやたらと噂される私に完璧を求めたのでしょうけど、私は別に完璧を求めません。目的が達成されれば十分。だから、思いもよらぬ方法でこの謎を解くことはしません』」
少女の表情が、妖しく笑った。
「『建設的な提案を致しましょう』」
「提案、何を提案しようと言うの」
「『この事件を終わらせてください。ただ、やめるだけでいいですよ。私はその為にこうしていますから』」
「犯人でもないし、よしんば犯人だとして何のメリットが?」
「ちょっとつながらないけど、まっいっか。『あなたを捕えます』」
「証拠もないのに?」
「『推測のみでどうやって、ですか? 簡単な話ですよ。無ければ作ればいいのです』」
「……は……?」
「『時を止められるあなたが万に一つ、いや、不可説不可説転に一つのミスを起こしたとしたら? 可能性は否定できません。そして、穴がある犯行なら辻褄合わせが必要な証拠作りも完璧ならば問題無し。だって、それは完璧に生まれた唯一の綻びなのですから。あなたが能力で完璧を遂行できるが故に、誰にもこの綻びを否定することはできません。我々はその証拠があってなおあなたの罪を証明できませんが、あなたは完璧であってなお自身の無罪を証明できない。どうなるでしょう。あなたを捕えて事件が起きなくなったら、とかどうでしょうか。困りますよね。それで事件が起きなくなったのを真犯人が身を潜めたと主張しても、やはりあなたは無罪を証明できない』」
あまりの衝撃に、返す言葉にすら詰まる。
私の動揺を意に介さず、古明地こいしはさとりの言葉を語り続ける。
「『きっと、恐らく、十中八九、あなたが犯人でしょう。だから、そうするのが確実です。完璧ではありませんが、完璧である必要はありません。だって、あなたが犯人でなかったとしても、きっと事件は止まるでしょう? あなたがこの先どんな思いをしようと、私はこの事件を止めることを優先します』」
「そんな、そんなひどいことが」
「『ですが、私も犠牲を生むのは不本意です。ですから、提案なのです。あなたが犯人なら、ここでやめれば私は手を引きます。事件が止まればいいのですから。あなたがただその衝動を抑えるだけで全ては片付くのです。完璧ではなくとも、とても簡単で安心な答えでしょう?』」
そこにいない少女の瞳が上目遣いにこちらをうかがっているような気がした。
聡いあなたならどうすべきかわかるだろうとでも言いたげに。
犯行は完璧だった。その自負はまだ消えない。変わらない。
ただ、相手が悪かったのだと思う。
今日、私は、この世には完璧であることなど関係ない類の者がいることを理解した。
「……あなたの姉君に伝えてもらえるかしら」
「ん? なぁに?」
「私は犯人ではないのだけれど、事件はきっとそろそろ落ち着くのではないかしら。丁度今日は満月、明日は狂う月も躊躇う十六夜だから」
「わかった、お姉ちゃんに伝えておくね。じゃあ、解決したみたいだし、私もう行くね」
「えぇ、さようなら。姉君によろしく」
先程現れた時のように、こいしはスルリと姿を消した。
侵入者のいなくなった寝室で、またベッドに腰掛ける。
その顔には安堵が浮かぶ。そして、心情は存外に穏やかで、密かな野望は打ち砕かれたにもかかわらず、何か満ち足りたものがあった。
それが何かといえば、自身の未熟を知れたこと、上にいる者を多少なりとも理解できたことへの嬉々たる感情。
そして、これまで障害としての殺害を目論んでいた古明地さとりへの、彼女を完全に出し抜いた上で成し遂げる彼女の殺害計画の始動によるものだった。
ただ、この計画は結局の所成し遂げられるはずもないのだが。
それはただ物語の外にいる私達だけが知る事。
※
「……そう。こいし、助かったわ。これで事件は解決、ようやく地底に帰れる」
「ねぇ、お姉ちゃん。なんで今回変装なんてしたの? 咲夜にはバレてたし、あの人のこと知ってたなら意味ないってわかってたんじゃないの?」
「バレていい変装だったのよ。良い変装を見破って勝った気にならせておけば、状況が変わった時に私の手のひらで踊っていたような気がするでしょう。今回の事件は、彼女をやめる気にさせればいいものだったから、そういう仕掛けが意外と大事なのよ」
「へぇー、やっぱりお姉ちゃんは色々考えてるんだね」
「あと、もう一つ理由があるわ」
「? なに?」
「髪の色、あなたと同じでしょう? お揃いにしてみたかったのよ」
「! お姉ちゃん大好き!」
「ほらほら、抱きつかないの。慧音先生に挨拶したら帰るわよ」
「お弁当買ってくるね! 一緒に途中で食べようね!」
「はいはい。ちゃんとお金は払うのよ。はい、これ」
「うん、またあとでね!」
「えぇ、また後で」
銭貨を幾らか握らせて、駆けていく妹を見送って、さとりはふぅと息を吐いた。
その姿を見て、後ろからクスクスと笑う声。
「何の用ですか、紫」
「単に解決のお礼よ。今回の事件は厄介で、あなたじゃないとこじれそうで無理矢理呼んだから」
「それは別にいいですよ。もとよりそういう仕事をするのが私です」
「そう言って貰えば楽だわ。それにしても、意外とすんなり事が進んだわね」
「たとえば屋根裏だったり、たとえばあなたのスキマだったり、自分だけが知っている空間を持っている人はそこに依存しやすいものです。運悪く彼女が持つ世界はあまりにも完璧過ぎた。止まった世界では誰も見ていないとしても、時が進めば何が起きるかわからないのに。そんなことも忘れるほどにね」
「私も気をつけないといけないわね」
「えぇ、是非とも気をつけてください」
「静止画の散歩者ですらも、結局は私達と同じ動画の住人に過ぎないのですから」
『屋根裏の散歩者』
遅くなってすみません。
良い感じなのか悪い感じなのか、出来の具合がもうわからないので投稿しました。
さとりを探偵チックに考えてた人には残念な感じかもしれません。
次も頑張ります。
この作品を読んでいて良いと思う部分
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シナリオ
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キャラクター(性格など)
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台詞回し
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地の文
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表現
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考察できる点
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謎の多さ
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キャラクターへの解釈
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世界観への解釈
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シリアスな点
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ギャグ要素