地獄に落ちるのだからね。
太宰治ー『かすかな声』よりー
救いの手が差し伸べられた時、それが天使か悪魔か見定められるだろうか。
たとえば、それが甘く優しい言葉に満ちていたとして。
たとえば、それが辛く虚しい言葉に満ちていたとして。
何を以て、相手の正体を悟るだろうか。
このような問答は無用だ。
実際に来るのは、天使でも悪魔でもない。
善き人か悪しき人か、善き妖か悪しき妖か。
そうですらない。
実際には、手を取る側からすればそれら全てが入り混じった何かでしかない。
だから、もう天に全てを任せるのが一番だとも言える。
それならば、いっそ考えることをやめよう。
最も信頼できるのは、手を差し伸べない者であり、そして、既に罪を持つ者だ。
※
ある夏の真昼のことであった。
人里の中心街、大通りに面した屋敷の奥で男が一人、しきりに叩いた算盤を忌々しげに零へ返し、窓の外に視線を向けながらため息をついた。
出来のいい卓の上に広げた紙には多くの物の名と共に数字が書き連ねられている。隅には日付と思わしき数字が書かれており、どうやらここ一月の収支に関わる資料であるらしいことが見て取れる。
なにやら最近商売がうまくいってないらしい。それも、世の不作がどうだ時期がどうだという問題では片付かないほどの状況にこの商家は陥っているらしかった。
男は近頃、巷で聞く噂を思った。
曰く、霧雨道具店は貧乏神に取り憑かれたのではないかということである。
否定はできなかった。事実として異常な状況にあることは確かであり、こと幻想郷においてはその手の話は珍しいものでもない。近頃、守矢神社とかいうのが新しく山にできたこともあり、どうにも貧乏神の存在が真実に感じられてならなかった。
そうだとすれば、男にできることなどないのだ。
神仏の類に遭うことは最早人の手に負えるものでなく、須らく道理に身を任せるべし。さすれば、少なくともなるべきようになる。たとえ、それが破滅であったとしても。
ただ、それでも抗ってしまうのが人というもの。男は、これが己一人の話なら諦めがついたが、少なくとも幾人の収入と生活をこの店は支えている事は看過できぬものであるし、或いは男の縁も切れた娘を待つにはこの店の存在が不可欠に思えてならなかったから、こうして、帳簿を睨みつけているのである。
解決策がないわけではないのである。
幸が尽きたところから貧乏神は去るとも言われる。よって、一定期間店を畳めば、他所へ行くかもしれない。
だが、男はこれを頑として拒んだ。
自身の為に他者の幸福を犯すことを嫌ったのである。自身が滅んだ結果、他者へ行くのは仕方がない。世の道理というものだ。しかし、私が逃れてそうなったのではいけないと、清廉でなければ高潔でもない男は、ただ道理に沿うかどうかでそれを選択するのである。
他の商家もしきりにそうして逃れることを勧めるが、いけない。自身に貧乏神が来るかもと思いながら、それでも私を救わんとする気概に反してでも、私は必ずやこの決意を終えねばならぬ。
救わんとされたからこそ、私は少しでも他者の幸福を保とう。そうする事が取り敢えずは良い事で、その中でどうすべきかを探さなくてはならない。
男の心は強かった。小賢しく、善人でもなく、恨まれることもあるような人間であったが、確かに男の心にはただの商家らしからぬ強さが宿っていた。或いは、その強さが里で一番にまで成り上がらせたのか。
男を救うのは、その強さ。
強さそのものではない。ただの人の心の強さでは、幾ら素晴らしくとも強いがゆえにどうにもならない。
大事なのは、縁である。
たとえば、霧雨道具店が無縁塚の漂流物などを扱うほどに商いの手を広げていたとして、それが漂流物を欲しがる妖怪の目についたとして、やがて契約を交わしお得意様となったとして。
そして、その取引相手が、あまりにも優れた、男の強い心を少なからず好ましく思っていたとして。
それでも、彼女は救いの手を差し伸べはしないだろう。
彼女は悪人のように笑うことよりも、善人のように微笑むことを嫌う。ただ助ける事は、彼女の望まない方法となってしまうからだ。
※
それは、霧雨道具店にて必死の説得を演じて帰った矢先の事であった。
霧雨の旦那は頑固者で道理がどうこういう変人であるから、自身の為に他者を傷つけるような選択はしない。だから、やたらとそれを勧めれば、どうなってもきっと奴はそうしないだろう。そうして、ずっと貧乏神を抱えて生きて貰いたい。
そんな思惑があって、近頃男は霧雨道具店に通い詰めていた。今日も、そんな日のうちの一つであった。
「どうも、こんにちは」
庭より声が聞こえた。聞き慣れない声だった。ただ少女然とした声であったから、多少の警戒はありつつも徐に男は障子を開けた。
そこにいたのは、幼い少女。
桃色の髪をした、物憂げな表情を浮かべる少女であった。
「なんだいお前は。人の庭に入るもんじゃあないよ」
「それはすみません。でも、正面から行っても追い返されるばかりでしょう」
「こちらから来ても変わりはしないことだよ」
「私が『覚者』だとしてもですか?」
男はわずかに身震いした。それは恐れとかのような感情に起因するものでなく、得難い機会を目の前にした興奮によるものであった。
『覚者』とは長らく噂された霧雨道具店のお得意様。様々な珍品を欲しがる謎多き客の偽名である。
使いを寄越しては無縁塚の物品を買い取るので、何処かの道楽者とさえ噂された上客が目の前にいる。
何故か。
決まっている。落ちぶれつつある霧雨道具店に見切りをつけてこちらへ来たのだ。
「おぉ! 貴方様が『覚者』でいらっしゃるか。これは失礼した。しかし、なんの御用で?」
「商家に現れたのだから、答えは決まって一つでしょう」
「さぁ、素晴らしき取引を致しましょう」
少女は、笑った。
前編。
軽めの話。今までが謎感強すぎた気もするのでそこらへんの塩梅を考えるための実験作。
作者が賢くないので賢い内容を書けない。騙し騙しやっていきます。
この作品を読んでいて良いと思う部分
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シナリオ
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キャラクター(性格など)
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台詞回し
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地の文
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表現
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考察できる点
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謎の多さ
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キャラクターへの解釈
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世界観への解釈
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シリアスな点
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ギャグ要素