空即是色
『般若心経』より
それは、恐らくは罪を匿う夜闇の様なもの。
吐息も足音も、何かが終わる音も、真実に至る為のものを全て覆い隠してしまう至聖所なのだろう。
その人の救済というのは、人の身には余るほど平等で、それ故に罪深いのだろう。幸いだったのは、彼が信じたのは神でなかったという事だろうか。
それは、恐らくは罰を逃れた先の碧落の様なもの。
謀略も暗躍も、何かを終えた後も、事実だけを残し真実は惑い最早祈るしかなくなる教会なのだろう。
その人の孤高というのは、妖の身にも余るほど欺瞞で、それ故に罰など必要ないのだろう。幸いだったのは、彼女が孤高であるのは孤独故ではなかったことだろうか。
二人は交わるべきではなかった。
救いは人に。人に罪あり。罪には罰を。罰は悟りへ。悟りは救いに。
罪深く敬虔で清い彼を、躊躇なく彼女は拒むだろう。それは正しさを、彼の善行と生涯を否定する事。価値観に肯定され価値観に否定されたはずの彼を、ただ論理で否定する事。時代ではなく個人で聖人を貶める罰。
罰無く欺瞞で満つ彼女を、躊躇なく彼は救うだろう。それは怪しさを、彼女の咎と生涯を否定する事。価値観を否定し価値観に肯定されたはずの彼女を、ただ慈悲で救済する事。勝手に赦されてしまう自ら選んだ罪。
これは1000年前の邂逅。
物事を忘れはしないが情報に変えていく彼女が、記憶として残し続ける、否、変えることができないでいる出来事。
思い出せば苦虫を噛み潰したような顔をする。
思い返せばポーカーフェイスの彼女が、ほんの少しだけ純粋な感情を顔に出す。
神が来た。大地は揺れた。地の底より水が溢れた。
ならば、次には船が来る。船の行く先に、彼女の因縁がある。
※
「近々、幻想郷に厄介な問題が訪れます、と言ったら驚きますか?」
「その事実には驚くけれど、あなたがそれを知っていることは全く不思議に思わないわ」
「なんだ、つまらない」
さとりは頬杖をついて、窓の外を見た。彼方の岩肌だけが目について、その行動の意味などあるはずもなかった。
紫はそれを面白がってクスクスと笑い、さとりの横髪に撫でるように触れた。
「話を聞こうかしら、かわいいあなた?」
「仏教が来ます」
「……詳しく聞きましょうか」
髪をくぐる指が降りて、少女の顔は賢者となった。
「今、上で宝船の噂が出ているでしょう?」
「よくご存知で。存在は確認済み。近々、霊夢が見に行くでしょうね」
「あれの目的は聖白蓮という僧侶の封印を解くことです。人間と妖怪の平等関係を掲げる魔法使いの僧侶をね」
「危険人物なのかしら」
「許容はできます。ただ、影響に関しては注意が必要です。少なくとも、あの男よりは随分マシですが」
「あの男?」
「彼女の弟です。故人ですが、もしもまた会う事があればその時は一度殴るかもしれません」
「あら、私怨に染む言葉。余程の事があったのね」
「余程の事がありました。本当に、あれは、筆舌に尽くし難い」
怒気をはらむ声。眉間の皺がいつもより鋭く見えた。
「聖白蓮の封印が解ける事があれば、私が出向きます」
「許容できるのに?」
「保険ですよ。宗教の流入が危うさを秘めていることは事実です。それに、私用でもあります」
「積もる話もある?」
「ありはしませんよ。彼女は私を嫌悪と共に迎えるでしょうし、私は辟易と共に招かれざる客となるでしょう」
「誰かつけた方がいいかしら」
「いいえ。私一人でいいです」
「あなた一人で十分だから? それとも、誰にも聞かれたくないから?」
「どちらでしょうね。あの男が相手なら、間違いなく後者だったでしょうけれど」
不意にさとりが見上げた。視線の先を追うも何もない。
10秒にも満たぬ沈黙の後、小さく「まさかね」と呟いて話を続けた。
「聖白蓮ならば、人妖怪問わず受け入れる寺程度で済むでしょう。影響はあるでしょうが、大勢を変えるものではありません。これから宗教が増える可能性を考慮すれば、均衡は保てるでしょうね」
「あなたの言うあの男なら?」
「即刻消してしまうべきです。あれは幻想郷にいるべきではない」
「あなたがそこで言うなんて珍しい。何があったのか聞いてもいいのかしら」
「仔細を語ることはないと思ってください。ただ、あれは私にとって敵ではありませんでしたが、私ではどうしようもなかったものです」
怒りとは違う、何か良くない感情を含んだ表情。
「お互い、決して変わることのない自身の本質に薪を焚べ続けた。消えぬ炎が交わることなどあり得なかった」
彼女との再会まで、あと7日。
プロローグです。
この作品を読んでいて良いと思う部分
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シナリオ
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キャラクター(性格など)
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台詞回し
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地の文
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表現
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考察できる点
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謎の多さ
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キャラクターへの解釈
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世界観への解釈
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シリアスな点
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ギャグ要素