エルンスト・フォン・フォイヒタースレーベン
ー『警句集』よりー
スクリーン越しの、波一つない凪いだ空と雲一つない大海が、彼女を前にしては正しいように思えた事を覚えている。
その景色はいつだってリアルより綺麗で、それ故に現実味なんてなくて、眺望絶佳を謳うには情動を促すものではなかった。だからこそ、何も考えずに見られていたし、53分間の旅を相棒との時間とする事ができていた。
ただそこにあるだけの、ただ美しいだけの青。
だが、どうしたことだろうか。そんな景色が、今目の前にいる幼い少女と共に視界に収めたならば、何の違和感もない。まるで本当にそこにあるかのような、虚像などではないかのような。
思わず目をこすって、初対面の少女を見つめてしまう。それに気づいた彼女は不思議そうに問う。
「どうかしましたか。私の顔に何かついていますか?」
何もついていない。そんな言葉すら口に出すのを躊躇うほどに、彼女は不可思議で謎に満ちていた。
「こんな人の少ない電車で相席というのも何かの縁でしょうか。せっかくですから、お話でもしませんか?」
朗らかな笑顔。中学生程度だろうか、幼い風貌には見合わない大人びた雰囲気に、これまた見合わない穏やかな表情だった。
彼女の言葉の通り、今日の卯酉新幹線には乗客が少ない。発車時刻にもまばらに人が見える程度で、この車両には不思議な事に私達以外誰もいなかった。そんな中で、偶然にも向かい合わせの指定席にたった一人の乗客が座っていた。
いつもなら、向かいに誰もいない時、こっそり相棒と向かい合わせに座る為の、少し安い相席前提の指定席。今日、そこに不思議な少女が座っていることを偶然で片付けてはならない気がしていた。
「私は古明地さとりです。お姉さん達の名前は?」
「私は宇佐見蓮子、こっちはマエリベリー・ハーン。蓮子とメリーって呼んで」
「よろしくね、さとりちゃん」
「少しの間ですが、よろしくお願いしますね。一人旅は少し寂しくて」
本当に寂しそうで、なのに共感に欠ける言葉。少し見えた手のひらの筆マメが、どこか無機質さを思わせた。
「お二人はどこへ?」
「諏訪に。ちょっと色々用事があってね。さとりちゃんは?」
「私は……東京までです。親戚の家を訪ねに。せっかくの夏、ですから」
彼女は画面、いや、窓の外に目をやると、じっと海を見つめた。
「海が好き?」
「えぇ、好きですよ。海とは縁がない人生を送ってきたので、この海すらも新鮮に感じます」
「画面の事はわかってるんだ」
「ふふ、それくらい知ってますよ。カレイドスクリーンに映った映像。いいじゃないですか、偽物の海」
「珍しいね。皆、映像なんか味気ないって言うもの。ねぇ、メリー?」
「ちょっと、印象悪くなるようなこと言わないでよ」
「大丈夫ですよ、気持ちはわかりますから」
「ほら、さとりちゃんもわかってくれてるよ」
「もう……」
「ここにあって、どこにもない。存在しないどこかの海。そういうものも、嫌いじゃないんです」
漣の音色が聞こえたような気がした。普段は少しだって聞こえはしない音だった。
ヒロシゲにそんな機能はないし、カレイドスクリーンの海は漣を聴くには遠く、漣が響くには凪いでいた。
「でも、この海は、もしかしたら電子の海として存在しているのかもしれません」
「哲学的なことを言うのね」
「子供の戯言ですよ。ちょっと大人ぶってみたかったんです」
小さくため息を吐いて、その幼い手で画面に触れた。
「いくら偽物だとしても、ここに美しいままあり続けるなら、それはそれで良いことだと思いませんか」
「そうね、そういうのも、選択肢としてありだと思う」
「私は歴史が好きで、古いものを残したいと思ってるんです。少しでも長く過去を遺していきたい」
「温故知新とも言うしね。それはきっと良いことよ。応援するわ」
「さとりちゃんって賢いのねぇ。蓮子よりよっぽど大人よ。この子、好き勝手してばかりなんだから」
「ちょっとー、さっきの仕返しのつもり?」
「先に仕掛けてくる方が悪いのよ〜」
「さとりちゃんの前でみっともないことはやめましょうよ。仮にも歳上の私達が軽蔑されたくはないでしょ?」
「ふふっ、軽蔑したりはしませんよ。でも、お二人は仲がいいんですね」
「……まぁ、メリーは一蓮托生の相棒だし?」
「そうね、色々してきたものね」
照れくささが残る私と対照的に落ち着いたメリーを見て、少女は微笑む。その視線は、これまでと違って少しメリーの方に注がれている気がした。
「メリーがどうかした?」
「あ、いいえ。ただ、ブロンドの髪が紫の服に映えて綺麗だなって」
「あはは、照れるわね」
「メリーさんはきっと、これからもっと綺麗になりますよ」
「あっねぇねぇ、さとりちゃん、私は〜?」
「蓮子さんも勿論」
「ふふ、こんな可愛い子に言われると嬉しいわね。言わせちゃってごめんね」
「いいえ、二人とも綺麗なので」
「さとりちゃんはもっと綺麗になるよ。今でこんな可愛いんだもん。成長したら、とんでもない美少女になるわ」
「そうね、大人になったさとりちゃんが楽しみね」
本心の言葉だった。きっと、それはメリーも。でも、さとりちゃんが成長した姿を、私はなぜか少しも想像できてはいなかった。ずっとこのまま変わらないかのような。それはまるで、かつて一度だけ姿を目にした、幻想郷のスキマの彼女のような。
「どうかしましたか、蓮子さん」
こちらを覗き込む少女の姿に、最初に感じた、偶然とは思えないという考えを思い出す。
これがもしも作為的なものなのだとしたら、彼女が何かこの先に繋がる鍵なのだとしたら、私はここで止まっていていいのだろうか。
いいや、そんなはずはない。そんなはずはないのだ。私は前に進む。それが私の目的に到達するためになるならば、決して立ち止まれはしない。メリーの為にも、進むしかないのだ。
「さとりちゃんは、スキマを見たことがある?」
「っ⁉︎ 蓮子、何を言ってるの⁉︎」
「どうかしら、さとりちゃん。急にこんなこと聞かれて困っていると思う。でも、答えて欲しいの」
「……」
沈黙。それは困惑ではなく、思索を示す表情だった。
やがて、彼女はため息を吐いて、こちらを見た。
「やはり、あなたはわかるんですね」
「……さとりちゃん?」
「直感的に違和感を抱くのは、流石というべきなのでしょうか」
彼女が独り言と共に指差せば、いつの間にか隣のメリーは気絶していた。いや、眠っていたと言うべきなのだろうか。
「やっぱり、あなたは」
「はい、そうですね。私はあなた達が求めるスキマの向こうの住人で、人ならざるものです」
「随分簡単に教えてくれるのね」
「今から忘れてもらいますから。安心してください、害意はありません。ただここでの会話は無かったことになって、あなた達は53分の旅を眠りに終えるだけのこと」
「抵抗は?」
「お分かりでしょうが、無駄です」
「わかったわ」
「素直ですね」
「本当に害意があったらこんな回りくどい事しないでしょうから。あと」
「あと?」
「どうしてだかわからないけど、正体がわかった今、あなたは私の絶対的な味方なような気がしている」
「また、直感ですか」
「当たってるんじゃない?」
「当たらずも遠からずといったところで。敵でないことだけは保証しますよ」
「じゃあ、信用して忘れてあげる。でも、次に会った時また気づく」
「その時は、また忘れさせてあげますよ。では、さようなら。僅かな会話でしたが、存外に楽しめました」
これまでと違う、静かな微笑みを最後に蓮子の意識は途絶えた。
そして、眠る二人の前に、少女は一人頬杖をつく。
「私に気づいたのはあなたが宇佐見蓮子だからなのか、それとも…………いや、まだ確定させるには早い。あなた達の正体は、まだ私にはわからない」
大きなため息。
「私の仮説が正しかったとすれば、いつか目醒めた時、あなたは私を見てどう感じるのでしょうね」
それは53分の旅のうち、僅か15分の出来事。
残りの38分を二人は眠りと共に過ごした。そして、向かいの一人はそれを見守るかのように、じっと座って、虚ろの海を静かに眺めていた。
こちらの話はお久しぶりです。
少し安い指定席とかは捏造です。
個人的に「53ミニッツの青い海」は東方の中でもトップ5に入るくらい好きな曲です。
この作品を読んでいて良いと思う部分
-
シナリオ
-
キャラクター(性格など)
-
台詞回し
-
地の文
-
表現
-
考察できる点
-
謎の多さ
-
キャラクターへの解釈
-
世界観への解釈
-
シリアスな点
-
ギャグ要素