時には嘘による外は語られぬ真実もあることを。
―芥川龍之介―
「鬼の言う事を真に受けてこんな大きな屋敷に来ちゃったけど、肝心なこの館の住人っぽい人が全く見えない。猫はいたけど。……………………猫に止めを刺せば良かったなぁ。死体の臭いにつられて出てきたかも知れない」
紅白の巫女服に身を包んだ少女が飛行しながら言葉を紡ぐ。
それは独り言にしてははっきりとしていた。言葉の間は空いていた。
独り言というには、少女の表情は嫌に誰かを意識していた。
彼女は他者と会話している。
ただし、その誰かは近くにはいない。
奇妙なことに、少女の心へ伝わる声は近くを浮遊する陰陽玉より発せられていた。
地上より地底までコミュニケーションを通すそれは、幻想郷においても珍しいものであり、魔法や妖術の類であれば一部の者が可能、声まで程度を落としての再現であれば、それでも科学技術に手を伸ばす河童達くらいしか思い当たらない代物である。
声の主人は賢者、八雲紫。此度の異変において、少女の補佐を買って出た者。
賢者が助ける者。これの意味することは即ち、紅白の少女の正体は、幻想郷を守り続けてきた博麗巫女の当代、博麗霊夢であるということである。
既に何人もの妖怪たちを倒してこの地底の奥まで駆け付けた彼女は、異変の原因に近づいていることを経験による勘からすでに察していた。
そして、今、妙な悪寒を感じている。
何か、嫌なものを感じる。感覚的な嫌悪。条件反射に近しいなにかが霊夢の体を駆け巡っていた。空気感が、これまでの連中に共通したある種の明快さが消え果て、確かに変わったのである。
何か来る。
予感は的中。彼女の前に、新たな少女が姿を現す。
パジャマのようだといわれそうな服に桃色の髪、クマがあって不健康そうな顔をしている、顔つきや纏う空気のせいでひどく幼く見える少女がふらりと倒れそうな体で立ちはだかったのである。
「そう、紫なのね」
蟻の足音のような音量で囁いた。誰も、それを聞いてはいないし、聞けるはずもなかった。
「……来客なんて珍しい。……なるほど、私の猫(ペット)が迷惑を掛けてしまったようね」
不気味な少女に霊夢は警戒を解いていない。そんな物騒な雰囲気にもかかわらず、落ち着いた様子でただ述べる。
それに応じるように、霊夢は肩の力を抜いて、不敵な笑みで会話に臨んだ。
「やっと妖怪らしい妖怪に出会えたわ。さあ、色々訊きたい事があるの」
「言わなくても判るわ……神社の近くに不思議な間欠泉? ……あら、そのままでも良いと思ってるの。……え? 喉が渇いたって? そう、お茶の用意でもしましょうか?」
「あー? 何を独り言してるのよ。さっきから何故か暑くて……喉が渇いているのは確かだけど。お茶でも出してくれるってあんた使用人か何か?」
全てを察した顔をしながらもわざとらしく適当な対応を見せる霊夢に、少女は静かに微笑みかけてうやうやしくお辞儀をする。
「申し遅れました。私はさとり、この地霊殿の主です。私には隠し事は一切出来ませんよ。何故なら、貴方の考えている事が全て聞こえてきてしまうのですから」
「なんと! 会話いらずね。じゃあ、早速お茶でも…………………………しょうがないじゃない。私はまだ怨霊とかよく判らないし」
地底の妖怪は取り敢えず倒すべきであるという助言とも指示ともしれない賢者の声に、霊夢はため息ともともに返答する。
「一体、誰と話しているの……? ……そう、地上に居る妖怪と話しているのね。……流石に地上は遠すぎてその妖怪の心は読めないわ」
『貴方かしら? 忌まわしき間欠泉を止める事が出来るのは』
思わず笑ってしまいそうになりながら、さとりはなんとか平静を装った。
そうね、貴方はそうなのよね。知っているし、そうでなくてはならない。
「間欠泉? 間欠泉ねぇ……また私のペットが何かやらかしたのかしら」
『ペット? さっきの猫の事かしら』
お燐が聞いたら死ぬほど笑い転げるんじゃないかしら。
あとでお燐に教えよう、なんてことを考えながら、さとりはさも不思議そうに続ける。
「でもそこの人間は「間欠泉は残しても良い」と考えているようだけど……」
『霊夢……そろそろ妖怪退治の本分を思い出しなさい』
駄目よ、紫。その言葉は一応霊夢だけに聞かせないと。私を相手にして動揺しているのが、心を読まなくても透けて見えている。
「んー。そうねぇ」
「そう、面倒だからみんな倒して地上に帰ろう、と考えているのね」
「その通りよ。流石、会話いらずね!」
「地上の間欠泉は恐らく私のペットか、うちの怨霊の手によるものでしょう。私が調べても良いのですが……貴方には平和的に解決するという心は持っていないようね」
「当たり前じゃない。誰が妖怪の言う事なんて真に受けるのよ」
私の言うことの間違いでしょうに。
やはり霊夢は勘が良い。子供の頃に会ったことなど覚えていないのでしょうけど、あれから何も変わらず天性の感覚を持っているのね。
「しかし鬼の言う事は真に受けた。そして地上の妖怪の事を信用している。貴方がその妖怪の事を思い出している事が私にも判るよ。さあ、心に武器を持って!自分の心象と戦うが良いわ!」
※
地霊殿の中を閃光が満ちる。
光っては消え、光っては消え、そしてやがて光は途絶えた。
目まぐるしい様子が終わったとき、そこにあるのは見下ろす巫女と、見上げる妖怪の姿であった。
「あらら。こんな地底深くまで降りてくるだけあるわ」
「どっかで見た事のある弾幕だったわね」
「そりゃそうよ、貴方の心の中にあった弾幕だもの。私はそれを真似ただけ……」
『それはともかく、今度は貴方の心当たりを霊夢に教えてやってくださる?』
「えーっと、間欠泉を止める方法でしたっけ? それなら私のペットに会うと良いわ」
「ペットって猫の事? それならさっき会ったけど……」
「猫にはそんな能力はありません。私は数多くのペットを飼っていますから。この屋敷の中庭に、さらに地下深く、最深部に通じる穴があります。その先に居るはずですわ。……え? ペットなら呼べばいいのに、ですか? どうも、私はペットに避けられるのですよ。この力の所為かしらね」
「ペットだけじゃなくて誰からも好かれなさそうね。会話が成立しなくて」
少々きつめの皮肉だけを投げつけて、霊夢はさとりを越えて更なる奥へと消えていった。
さとりはただそれを見送って、大きく息を吐き出した。
「疲れた……」
「どうして、霊夢を奥まで進ませたのかしら」
執務室へと向かう背後から、美しい声。
先ほどまで他人のふりをしていた八雲紫の姿がそこにあった。
しかし、さとりは振り返らない。ただ立ち止まって、うつむいたままで、何も言わないでいた。
それはとても珍しいこと。何があろうと、適当であろうと、必要ならば言葉を並べ立てる欺瞞少女の沈黙。
静寂の回答にしばらく視線を送って、しびれを切らしたように続ける。
「戦いで手を抜くのは、いつものこと。問い詰めるつもりはない。だけど、あの嘘は何なのかしら。あなたはペット達からこれ以上ないほど愛されているでしょうに。実際、いくら暴走していようと妙なことを吹き込まれていようと、あなたが言えば全て終わる。この異変は、博麗の巫女が必要なかったはず」
「……大した意味などありませんよ。この異変に関しては八坂の神とこれ以上関わるのが面倒だっただけのこと。霊夢を進ませた理由は、私の会話で終わらせるより霊夢が倒した方が地底への影響が大きいから」
「……さとり、あなた、お空が持っている力を何かに利用しようとはしてないわよね」
「隠岐奈と同じことを言うのですね。では、同じ答えをしましょう」
さとりは振り返って、紫と向き合った。
彼女にしては、ひどくまっすぐで、嫌に真面目な目だった。それがまた、紫の心を刺激した。
「私は、今までもこれからも、外れ者の集まる地底を管理する覚妖怪です。何も変わらない。何も変えない。ただ、ここが舞台の一部となり、それが私のペットに起因するだけのこと。私は自分を変えない。自分に嘘をつかない。私は幻想郷のために策をこしらえるだけの者。あなたの協力者ですよ、紫」
「…………それを言われたら、もう何も聞けないじゃない」
「幻想郷は安定している。様々な勢力がこの世界とのかかわりを強めている。地底が、この小さな世界の陰が、舞台に上がることができるのは今だけなんです」
「それは本音?」
「本音ですよ。私は冷徹であって、冷酷なわけではないのですから」
「いいわ、信じましょう。じゃあ、どうやらお燐と遭遇したみたいだし、向こうに戻るわ」
「えぇ、さようなら。紫、よい旅を」
さとりが最後に見せたのは、久しく見なかったにこりとした笑顔だった。
※
さとりの言葉に嘘はない。
ただ、真実であるかと言えば、きっとそうではないのだ。
並べ立てられた理由はどれも一側面に過ぎなくて、別の理由がさとりにはある。
これはいつものこと。隠されているのも慣れている。
ただ、今回はいつもとなんだか違うように思えて仕方がない。
なぜか、さとりがそう仕向けることが、まるで本当に正しいことのように思えるなんて、そんなことは今まで一度だってなかった。
いつもさとりは、正しくはないことを私たちのためにやっている。
正しくはないけれどそうすべきであることを背負っている。
なのに、今日に限って、こんな大事な時に限って彼女が世界にとって正しいかのように感じてしまうのである。
古明地さとりは舞台に上がった。
幻想郷のすべてを知ったうえで、それでも彼女は何のためらいもなく舞台上でただの管理人をやってみせるだろう。
私は知らない。
古明地さとりの真実を。古明地さとりの現実を。古明地さとりの顛末を。
彼女はなぜ舞台に上がるのか。
裏方でいることを選び、自身を泡沫と笑い、その言葉と裏腹に誰よりも己を保ち続けてきた彼女は、なにを目的としているのか。何のために生きているのか。
私は知らない。
家族を何よりも大事にする彼女が、家族以外で最も愛しているのは私だと自惚れでなく言い切ることができるけれど、それでも私は知らないのだ。
彼女は何を明かしているのだろうか。
彼女は何を秘めているのだろうか。
彼女は私を知る。
彼女は幻を知る
彼女は海を知る。
彼女は何を知る。
彼女の体が電解質に保たれていること以外、何一つとして確かなことなどないことを、私は知っている。
東方地霊殿 ~ Subterranean Animism.
この作品を読んでいて良いと思う部分
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シナリオ
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キャラクター(性格など)
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台詞回し
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地の文
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表現
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考察できる点
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謎の多さ
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キャラクターへの解釈
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世界観への解釈
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シリアスな点
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ギャグ要素