朝起きて学校に通って家に帰る、ありふれた日々。
親に起こしてもらうなんてよくあることで、もし1人暮らしをしていたのなら、遅刻常習者になっていただろう。だから、実家から通える大学を選んで受験勉強もしていた。大学進学自体に自分の意志はなく、社会に流されるままに俺は生きてきた。
学校では誰もが思い思いの青春を過ごしている。初めての夏休み、中弛みの夏休み、そして受験のための夏休み、皆が待ちわびている1学期終業式は近づいていた。少しでも物音を立ててしまえば、誰かが音の発した人を確認するというピリピリした空気である。
ふと窓を見れば、下級生が体育をしていて、キラキラな青春を謳歌しているご様子だ。イケメンはチラチラと体操服姿の美少女を見ているが、美少女の視線の先にはありふれた男子である。三角関係という言葉が思い浮かんだ。ていうか、女子にしては背が高いな。
そして放課後は部活もなく、1人校門から出る。
―――やがて両親や友達に何も告げることはなく、俺はこの世界から消えた。
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豊かな自然の中に放り出されていた。
草原で、遠くを見ても森と山しか見えない。
しかしどうやらここは現実。
夢かどうかを確認するため目をこすった。
携帯も繋がらず、どこかの田舎かとまず思った。
「馬……なのか?」
リズミカルに軽快な蹄で地面を叩く音を耳にする。
夕日の中、獣の紅い眼が光る。
巨大な影がこちらへ向かってきていた。
目を細めて確認すれば、黒く4mは優に超える。
「一体、なんだって言うんだよ!!」
教科書の詰まった鞄は投げ捨てる。
一瞬、躊躇いを覚えたが命には代えられない。
「はぁはぁ……」
距離は少しずつ、縮められている。
心臓はバクバクと音を立てて身体は悲鳴を上げる。
少しでも気を緩めば足をもつれさせて―――終わる。
「あれだけ猪突猛進なら……」
ジグザグに動き、狙いを定めさせない。
死を目の前にしているからか、頭は嫌に冴えていた。
「ガハっ!?」
地面を転がって肩の火傷を抑える。
燃えるような痛みを感じて、顔は苦痛に歪む。
黒馬を見れば、残り火を口から漏らしていた。
「……ははっ」
もう笑うしかない。
馬が炎を吐くなんて、チートかよ。
本来は獣って炎を苦手とするんだろうが。
もう理解するしかない。俺は異世界に放り出されてこのまま野垂れ死にする運命なのだろう。少し勉強ができるだけでいい気になっていただけで、これといった特技もない。誰かのために困難に立ち向かう勇気もなく、いつも傍観者を気取っていた。ただひたすらに平和に甘んじていた。
揺れる唇を噛みしめる。
まだまだやり残したことがある。今日課された宿題とかノルマとかをする前に眠ることになる。休日は友達との約束だってある。そう言えば、恋をしたことがないし、デートも1度もしたことがない。そうそう、両親にただいまをまだ言っていない。
そして、立派な大人になって安心させることができていない。
「終われるかよ……こんなところで……」
炎を目の前に、必死に手のひらを翳した。
「ぐっ……」
氷の盾が炎を防いだ。
水となって溶けていくが、それをまた凍らせる。
盾というよりは、もはやただの氷塊である。
身体から何かがどんどん溢れ出る。
俺の限界が近づいていることはわかる。
「これは……?」
いや、もう1つ貯水タンクがあるような感覚。
だが、そちらへ手を出してはマズい気がした。
「これ以上は……!?」
「もう大丈夫よ。」
炎を出していた頭は宙を舞う。
やがて胴体も横たわった。
血に不快感を覚えたが、ホッとしたことと感心したことによって打ち消される。
「すげぇ……」
腰まで届く金色の髪が風に揺れる。
銀色に輝く細身の剣が、鞘に納まった。
「……綺麗だ。」
素人から見ても、見事な剣技だった。
炎を纏った剣で辛うじて見える一太刀である。
「うぇっ!?」
整った顔が驚きの表情へと変わる。白い肌が桃色に染まり、目を見開いたことで青い瞳が輝いた。俺から目を逸らして逡巡の末、咳払いをしてキリっとした表情へと戻る。
「こほん……あたしはミューラよ。貴方は?」
「俺は○○だ。」
「イッキね。よろしく。」
どうやら言葉は通じるようだ。日本語でもなく、英語でもない言語であるはずなのに理解できる。頭痛がしているのは、命の危険があったからではなく、強制的に言語を習得させられたからだろうか。
肩に痛みを感じて、火傷を抑える。
「ごめんなさい、あたし回復魔術は使えないの。」
「……魔術?」
「貴方、魔術を使っていたじゃない。」
この世界には魔術が存在するということか。
いやまあ、馬が火を吐くだけなんて不公平だな。
水道の蛇口を捻る、そんなイメージだったか。
傷口は氷で包まれた。
「……綺麗」
「そんなに珍しいのか?」
「ええ。氷の魔術なんてそうそうお目にかかれるものではないわ。」
レミーアさんの氷は綺麗というより怖いし、と続ける。
「俺からすれば、さっきの剣裁きの方が綺麗で凄かったけどな。」
「そ、そう? まだまだ修行の身なんだけどね。」
頬を掻きながら、顔を逸らした。
あまり褒め慣れていないのかもしれない。
「それで? 貴方どこから来たの?」
俺の全身を確認しつつ顎に手を当てる。
彼女からすれば、俺は珍しい容姿で奇異な服装なのだろう。
「信じてもらうしかないが……異世界」
「うそ……迷い人なの?」
「……実例があるのか?」
「えっ、ええ。古い本に載っているくらいだけど。」
「……その人たちは最後どうなった?」
「最後? いろいろな場所で活躍したことしか知らないけれど。」
「そうか……それじゃあ、助けてくれてありがとうな。また会えた時には何か返すから。」
たぶん異世界人はこの世界で最期まで生きた。
その現実が俺を蝕む。
「はいはい、遠慮しないの。行くわよ。」
俺の腕を、細い手が包んだ。
「いや、これ以上迷惑かけても悪いし……」
「別にいいわよ。帰り道に通りがかっただけだから。」
「自分で言うのもなんだが、厄介者だぞ。異世界の知識を持っているとか、な?」
手を放した。
そしてムッとしながら俺に詰め寄る。
「もっとぐいっと来なさいよ、ぐいっと! 男は行動力よ!?」
「は、はい。」
付いてきなさい、と言って背を向けて歩きだす。
親切な少女に会えたのは幸運だったのかもしれない。
まあ、今のところは甘えさせてもらおう。
「それにしても、黒曜馬からよく生き残れたわね。この辺りでは一番凶暴なのよね。冒険者が何人も犠牲になったらしいわ。」
「それはまあ、ミューラさんのおかげさまで。」
「ど、どういたしまして……」
特徴的な耳が桃色に染まった。
ずいぶんと照れ屋だな。
「……耳、気になるの?」
「他の人とは違うのか?」
「貴方はヒューマンでしょうね。でも、あたしはエルフ族なの。」
「へぇ、有名人は大変だな。」
「……えっ、それだけ?」
背中を向けた彼女の表情は見えないが、声には驚きを含んでいた。
「まあ、想像はつく。ヒューマンだけの世界でも、そういうことはある。」
例えば、あの長身の美少女下級生とか。
俺からすれば、エルフと言えば集団で森の中に住むイメージである。しかし彼女は旅をできる服装であって、冒険者である可能性がある。つまり、ヒューマンの多い町では視線を集めてしまうのだろう。彼女の容姿が整っていることも大きく影響しているはずだ。
「ふふっ」
ミューラは、剣の柄をそっと撫でている。
そして、笑顔を振り向いて見せた。
「イッキって中身は高得点よ。」
「……顔は?」
「知らない方がいいんじゃないかしら。あたしたちエルフ族って美形が多いのよ。」
「比較対象が手厳しいことで。」
「でもまあ、ヒューマンの中ではそれなりじゃないかしら。必死に口説かないとこも、ポイント高いわね。」
「この世界の男はずいぶんと度胸があるな。」
「そうなのよねぇ。」
迷い人はヘタレが多いのかな、と楽しそうに微笑む。
「はぁ……誰が書いた本から学んだんだ、その言葉。」
気づけば、俺たちは隣り合って歩いていた。異世界同士だからこそ、未知に惹かれた。お互いが話す内容に興味津々で、続きを促してしまう。ミューラは物語を読むことが多いみたいだし、俺はこの世界について少しでも知りたい。
この世界で、俺は生きる。