すでに1週間、レミーアさんの家で居候を続けていた。
そうは言ってもレミーアさんは書斎に籠る研究室気質であり、趣味の料理以外では基本的に出てはこない。ミューラは自分自身の鍛錬に励んでいて、あまり邪魔はできない。まだ基本的なことすらできていない俺が模擬戦をしても、実りあるものにはならないだろう。
「集中集中」
魔力を右手に宿すこと、ただそれだけ。
額からは汗が溢れていて、右手は冷気を発する。
魔力がどんどん消費していることがわかるし、少しでも気が緩めば一気に放出してしまう。精密制御が目標であり、魔力の出力量をコントロールできるように反復練習を何度も行っていた。
「ぜぇぜぇ……」
木にもたれ掛かって、肩で息をする。
ひんやりとした手を額に当てた。
魔力を外に出すことは非効率的とされる。魔術に変換してこそ、魔力は真価を発揮する。それでも、魔力のコントロールを憶えることによる恩恵は先日見せてもらった。それは地属性以外の魔術による身体能力向上である。レミーアさんの細い腕で太い幹の木を木端微塵したのは今でも驚愕の一言に尽きる。
「それにしても。」
静かな森にいると、心が落ち着く。
集中力を要する魔術の鍛錬には相応しい場だ。
レミーアさんが選んだ場所だからだろう。
喧騒もなく、隣の席に人はいなくて、時間に追われることもない。かつての俺は生き急いでいたのだと実感していた。それでも、時空魔術という古代魔術の使い手を前にすれば、俺はまた1日が過ぎることに焦りを覚えてしまうのだろう。
首を振って、立ち上がる。
「よしっ」
最近少しずつ、魔力の回復速度が上がっていることを感じている。魔力量が多くもなく少なくもない身としてはありがたいことである。また、氷の冷たさに対する十分な耐性も俺の身体に現れていた。
どこか違和感のある変化だ。魔力回復速度については置いておいて、属性適正のある魔術師なら属性耐性が付いてもおかしくはない……、気がする。
再び、身体の内側から魔力を右手に集める。
そして、左手に対しても魔力を同時に籠める。
全身に魔力を纏うことができるようになれば、レミーアさんの言う1人前である。
「やってみるか。」
右手を握り込み、魔力を圧縮する。
そして、左手に添えて魔力を安定化させる。
この構え、なかなかいいな。
「アイスメイク……」
思い描くのは、武具。
より鋭く、より精巧に造形する。
「ランス!」
氷の槍は木の幹を抉り、痕を刻み込む。
その結果には苦笑いである。
「威力は申し分ないけど、命中精度が問題か……」
魔力の消費は魔力強度に比べて、かなり少ない。
それでいてかなりの殺傷能力を誇る。
だがしかし、俺は動物の命を意図して奪ったことはまだない。この世界には魔物が存在しており、冒険者は人々を魔物の被害から守る。実戦経験のためにミューラは冒険者として依頼を受けることも多いらしい。
まだまだ敵わないな、と。
12歳の少女がちゃんと覚悟できているのだ。
「ここがレミーア氏の家で間違いないか!!」
そんな大声が森の中に響いた。
聞き慣れない男の声には首を傾げるしかない。
「私はガルレア家が三男、コセイ・ガルレアだ。」
「……で?」
「聞こえなかったのか? ガルレア家の者だと言っている。」
「はいはい、聞こえていますよ。」
「まったく。ガルレア家の人間を玄関先で立たせたままとはな。貴様がレミーアでなければ直々に罰を与えているところだったぞ。」
煌びやか衣装の青年と、執事の老人が家の前にいる。
対応しているのはミューラだが、その顔はうんざりしていた。
ていうか、ミューラをレミーアさんだと思って話しているのか。いくらなんでも若すぎるだろうに。
「むっ。ずいぶんとみすぼらしい男よな。そこのお前は何者だ?」
「……あたしの居候よ。」
目が細められ、その表情からはいつ抜剣してもおかしくはないことが伺える。
「ガルレア様は、我が主に何かご用件が?」
「ふっ、知れたこと。貴様が開発した魔術を、私直々にもらい受けようと思ってな。」
「なるほど。それで、対価は?」
「ふっ、お前たちなどに渡す金など一銭もない。なぜなら私がガルレア家の人間だからだ!!」
えぇ……、と俺たちは困惑するしかなかった。
いくらなんでも暴論すぎる。
執事の老人は、それはそれは重い溜息をついた。
「ふむ。よく見たら貴様エルフじゃないか。こんな場所にいるとは珍しい。」
「……別に。どこにいようが、あたしの勝手でしょう?」
ミューラがなぜ弟子になっているのか、なぜ強さを求めるのか、俺はまだ聞いたことはない。光に満ちて輝いている彼女が、壮絶な過去を持っているとか覇道を歩んでいるわけではないだろう。
「まだ年端もゆかぬガキだな。いっそのこと、貴様を妾として置いてやる。その貧相な胸はともかく、顔は許容範囲だ。」
「……は?」
堪忍袋の緒が切れたことは明白である。
「……いいわよ。見たいなら見せてあげるわよ、魔術。」
「おおっ、そうか!」
「まずは初期魔術からよ。ファイアボール!」
指先に現れた手のひらサイズの火球は、ガルレアの頭の上を通り過ぎた。直撃しないように、魔法の軌道が変わったことに俺は目を見開く。そして、背後で小規模な爆発が起きた。
腰を抜かしてガルレアは尻餅をついた。
「き、きさまっ!ころす気か!?」
「次よ。エンチャント」
炎を纏った細剣には既視感があった。
ミューラの神髄は、剣技である。
魔術と剣技を並行して行うことはそう簡単ではない。
「ねぇ、帰ってくれない?」
「ひぃ!」
悲鳴を上げながら逃げ帰っていくガルレアに対して、こちらへ深い深い会釈を残していったのは執事の老人である。ガルレアという貴族が一族全員似た者同士ではないことを祈っている。
「情けない男だったわね。」
「こういうこと、よくあるのか?」
「レミーアさんに会いに来る人は多いわ。わりと容赦のないレミーアさんに代わって、門前払いするのはあたしの役目ってわけ。」
「なるほど。まあ、実力不足だけど、今度からは俺も手伝う。」
「助かるわ……」
ぐぐぐっと背伸びをして、家の中へ戻って行く。
俺も一休みするかと思って入ってみれば、机の上に1冊の本。
魔術書ではなくて、1つの物語だ。
表紙には、魔術師の少女と王子がキスしている絵。
たぶん心地よい陽の中で読書していたのだろう。
「あっ……」
ドーナツとコーヒーを持ってきた彼女と目が合う。
恥ずかしそうにしている彼女は、年相応だった。
「うっ、こういうの読んでるからって……笑わないでね?」
「いや、別に笑わないぞ。」
「……でも、現実にありえないシチュエーションなのよ。王子という身分を隠した剣士様と、独りで戦ってきた魔術師少女のラブストーリーなんて非現実的だわ。」
「へぇ、読みたいから後で貸してくれ。」
「イッキも、読むの……?」
「ああ、こういう創作物って結構好きだからな。」
「あなたの世界でもこういうのはあった?」
「ああ。数え切れないくらい小説がある。ドラマやアニメ……まあ、誰かが演じて劇を行ったり、絵を実際に動かしたりすることもある。魔術はなかったけど、空想上のものとしてはいくつかの作品で描かれていたな。」
「すごいわね、あなたの世界。魔物もいなくて平和なのに、どうして魔術を思いつくのかしら。」
「ああ。それと俺の知っている範囲なら、いろいろと教えられるぞ。」
「ほんと!?」
目を輝かせて、興味を示した。
科学を教えれば、特に火の魔法について彼女はますます上達するだろう。もちろん魔力運用に直結するわけではない。しかし『火とは何か』を突き詰めるための手助けにはなるはずだ。
「まあ、ギブアンドテイクだ。もう少し上達したら模擬戦をやってほしいし、いつか冒険者稼業についても教えてほしい。」
「もちろん。でもあたしが言えたことじゃないけど、イッキは鍛錬しすぎなのよね。」
「よく見てるんだな。」
「まあね。だから今日の午後はこの本の話をしましょう。」
2人分のドーナツとコーヒーが、机に置かれていた。