頭痛がする。
二日酔いとまではいかないが、飲みすぎた。
酒場の夜は長かった。屈強な男たちが依頼の達成を発表し合い、過去の栄光を自慢し、大声で笑いながら飲んだくれる。たとえ失敗したことさえも酒の肴の笑い話にして、明日を向いてまた励むのだ。
ほとんど内容は覚えていないが、初めての魔物討伐について語り合っていたはずだ。誰もが少しでも多く自己語りしたいのだから、多方向からの声を聞く余裕なんてなかった。それでも、冒険者の誰もが通ってきた道を、昨日俺は経験したのだと思うと少し気が楽になったことは確かである。
「ははっ、坊主もちっとは冒険者らしくなったじゃねぇか!」
「悪酔いのことですかね。あまり褒められたことじゃないですよ。」
店主が放り投げてくるリンゴをキャッチして、かぶりつく。
瑞々しい甘さが重苦しい胃に心地よかった。
「今日はうちに来ないのか?」
「依頼がまだ残っていれば戻ってくるかもしれません。」
「そうかそうか。最初はほっそい腕だったが、少しはマシになったな。初めの坊主はガッツだけだったからな!」
「まあ、おかげさまで。」
重い荷物を運搬したことも、金を稼いだことも、かつては経験したことがなかった。保護者代わりの師匠がいるとはいえ、俺は1人で生きていく必要があった。Fクラスの新米冒険者は基本的に依頼を完全達成することが容易ではなく、数日かかることも多い。
それでも町の人は将来有望な冒険者を厚くもてなす。魔物から彼ら彼女らを一早く守ってくれるのは騎士でも兵士でもなく、冒険者なのだ。だから、基本的にギブアンドテイクで、助け合いである。
「ていうか、今日は人が少なくないですか?」
「そろそろ雨が降りそうだしな。よしっ、リンゴ代くらいちょっと手伝え、坊主。」
「はいはい、いいですよ。」
この店の荷物を運ぶのも慣れたものだ。
果物で詰まった木箱を数十m離れた倉庫まで持って行く。
「そうそう、坊主も気をつけな。クラなんとかって奴が、この辺りに逃げ込んだらしい。」
「なるほど。だから、子どもたちがいないんですね。」
「まあな。今日はうちでお勉強だ。」
おっかねぇ、と言っているのは彼が恐妻家だからだ。
心優しい女性だが、その教育は厳しい。
「おっし、こんなもんだ。坊主、お前も万が一の時は逃げるんだぞ。」
「はい、まだEクラス冒険者には早いでしょうね。」
2つももらったリンゴをジャケットの上着に突っ込み、人気のない道を歩く。やはりというべきか、女性や子どもがほとんどいなくて、衛兵やDクラス以上の冒険者がうろうろとしている。
だから、ミューラと会う確率は高かった。
腕を組んでこちらを睨んでいる。
「こっちに来てたんだな。」
「別にいいでしょう。それよりイッキ、なんで外にいるのよ。危険なことはわかっているでしょう?」
最近ピリピリしている彼女は、多くの冒険者から避けられている。元々エルフ族とその容姿からか、近寄りがたい雰囲気を醸し出していたらしいが、それは俺にもわかるくらい顕著になっていた。
ソロで、魔物討伐に挑み続けている。
「ちょっと空気を吸いにきただけだ。」
「そう。……早く宿に戻りなさい。」
背中を向け合ったが、やがて俺たちは立ち止まる。
ポツリポツリと雨が降り始めた。
「……ちょっと、付き合いなさい。」
「ああ。」
このままでは嫌だと、ミューラも思ってくれているのだろうか。
「ほらよ。」
「カサって言うんだっけ。」
氷で造形したのは傘である。
普段使っていたので、武器よりも精巧にできる。
「……まったく。」
歩調を合わせて、隣合って歩く。いわゆる相合傘であるが、この世界で生まれたミューラはそれを知らない。ミューラの分も他に用意してもいいが、持ち手が氷なのだから冷たいため俺専用なのである。
「……コボルトを討伐しに行ったんだって?」
「まだ1度目だけどな。」
「……そう。大丈夫そうなのね。」
「バラダーさんのおかげでな。」
彼女が思い詰めている原因は、たぶん俺にあるのだろう。
それでも俺から聞いても話してはくれない。
「冒険者のこと。あたしが教えたかったって、言ったらどう思う?」
「そう、だったのか。」
「別に……冗談よ。あたしとイッキはあくまで姉弟弟子なだけなんだから。」
「約束したんだけどな。」
「そうね……でも少しくらい自立しなさい。」
「まだまだ弱いよ、俺は。」
大事な人を傷つけていることは確かだ。
かつての俺より『力』があっても、ミューラを救えない。
「……いつか二ホンに帰るんでしょ。」
「それはまあ……帰りたいとは、思っている。両親に何も言っていないし。」
「うん、それが聞けてよかったわ。」
どうして、その答えが彼女を笑顔にさせたのか。
どうして、綺麗な青い瞳が潤んでいるのか。
すぐに呼び止めるべきだ、それだけは確かだ。
男性の悲鳴が聞こえたのはその時だった。
「もしかしてっ!!」
ミューラは金色の髪を濡らしながら、勢いよく駆けだす。
身体強化を使っている。
迷うことなく、俺は彼女の背中を追いかけた。
「おおっ、これはこれは。金の剣士ちゃんじゃないか。」
「赤い長髪の男、あなたがクラドールね。」
「正解正解、大正解。」
裏路地にいたのはローブの男と、倒れ伏した冒険者だ。
血がどんどん広がっている。
「くそっ……!」
自分の顔面を殴り、冷静さを取り戻す。
「そっちのガキは……知らないから雑魚か。」
「殺人鬼クラドール、貴方をここで処罰するわ。」
「おおっ、俺を殺す気か!?」
鞘から細剣を引き抜き、炎を纏わせる。
雨は蒸発しながら音を立てる。
「ギルドからは許可されているのよ。残念ね。」
「抵抗するぞ、俺は。」
「イッキ、ここから離れなさい。イッキにはまだ早いわ。」
「自分の身くらいは守れる。」
「じゃあ、そこで見ていなさい!!」
銀色の細剣を振るえば、炎が舞う。
クラドールは隆起させた岩で防いだ。
「お前が魔術剣士ということは知っている。」
「くっ……」
地面から次々と隆起する岩は、彼女の接近を阻む。
炎の魔術も岩にはあまり効果はなく、得意の剣術も接近できなければ意味がない。魔物と違って相手が魔術師だからこそ、苦戦しているのだろう。対人戦はクラドールの方が何枚も上手らしい。
「ミューラ、俺が岩を破壊する!」
彼女を後衛として援護すべきだ。
共闘した経験はまだないが、やるしかない。
それが今の最適解だ。
「できる限り、多く造らないといけないな……」
より速く、より多く。
それでも精巧に造る。
魔術を発動する構えを行った。
「ダメ!!」
「いや、なんでだ!?」
「あたし1人でやらなきゃダメなの。あたしはレミーアさんのように、1人前にならなきゃ……」
「仲間割れ。好都合!」
火の矢が、ミューラを襲う。
バックステップで躱したが、動揺は大きい。
「あんたもデュアルマジシャンなの!?」
「ハハッ! 同じ属性とは、運命かもな!」
ミューラは土属性の魔術を身体強化に使うことが多いスピードタイプである。だから、防御についてはまだまだ未熟とレミーアさんは言っていた。雨と岩の魔術によって地面の状態は悪く、搦め手にミューラはあまり強くはないのだ。
「もうこれ以上下がれない。……ファイアウォール!」
持続的に燃える炎が、炎の矢を通さない。
しかし発動時間によっては魔力消費が大きい魔術である。
「はぁはぁ……」
「これ以上、傍観していられるか。アイス、メイ…ク…」
魔力を上手くコントロールできない。
意識が朦朧としていて、視界が歪む。
やがて身体に痺れを感じてきた。
静かに横たわったミューラは単なる魔力不足ではない。
「ミュ、ーラ、……」
「ははっ、風属性持ちじゃなくて助かったぜ。」
雨空の下、ファイアウォールの明るさでよく見えなかったが、紫色のガスが充満している。
「……『毒』も、使えるのかよ。ちゃんと冒険者やれよ。」
「だって、こっちのほうが愉しいだろう?」
紫色の液体が滴り落ちる、ナイフが目の前で振り下ろされた。
****
雨が、身体に染みる。
毒で痺れているからか、傷がひどいからか、痛覚は鈍い。
「よわいな、俺……」
俺は今、生きている。
「ぐっ……」
でも、大切な女の子を目の前で連れ去られた。
立ち上がることすら、できなさそうだ。
「くそっ!!」
たった8000ちょっとの魔力量と魔力強度2000では、この世界の理不尽を覆せない。こうして、何度もみじめに倒れ伏すのだろう。半端な覚悟の俺では、氷を造ることしかできない。心の底から、命を壊すことを忌避している。
それでも、冒険者になろうと思ったのはなぜだったか。
―――少しでも長く一緒にいたい。
俺の100年はミューラにとっては、
『儚い』
「女も男も度胸……、だよな?」
俺は2人で前に進むために、『魔』の蓋を開けた。
バグでもチートでも気にしない、少しでも魔力を捻りだす。
「はぁー……どこにいるんだろう、な……?」
地面が凍りついていく。
転がっていたリンゴは、やがて砕け散った。