薄暗い。
身体が重くて、頭痛もする。
「ここは……?」
外では雨の音がするから、屋内。
薄気味悪い蠟燭の光が目立っている。
立ち上がろうとすれば、金属の音。
「そんな……」
背中の後ろで鎖で柱に繋がれていて、手が自由に動かせない。
もちろん腰の剣は見当たない。
「それなら魔術で……」
「ハハッ、使えないようだな。」
「あんたは!?」
「そこまで強い毒にしたつもりはなかったんだが、効き目が良すぎたか。」
「このっ!!」
毒の魔術で使えたなんて、冒険者真っ当にやりなさいよ。最低な奴が最低なことをしているのね。
「幼い幼い、全く怖くないな。」
煤汚れた手であたしの髪を弄る。
顔を顰めるが、それすらもニヤニヤと喜ばれる。
「あんたのために手入れしたわけじゃないっての。」
「へぇ、気になる男でもいるのかい?」
「んっ……」
こいつに耳を触られるなんて、屈辱でしかない。
「愛するエルフの男はどこにいるんだ? さぞ美形なんだろうな。」
エルフ族の奴隷としての価値は高い、そう何度も教わった。外の世界に飛び出してきたあたしはいつかこうなる運命だったんだろう。
それでも、狭い世界から飛び出したかった。
冒険してみたかった。
「知らないわ。」
「我儘な娘だ。」
できる限り顔を背ける、あたしの両頬が掴まれる。
痛みより、不快感から早く逃れたい。
「言え。」
「……ただの、ヒューマンよ。」
「ハハッ、こいつは傑作だ。アッハッハッハッ!」
わかっている。
でも、ウソはつきたくなかった。
「たとえハーフエルフでも、あたしは立派な女性を知っているわ!」
「ほほう、どんな生き方をしてきたのか気になるねぇ。」
「あんたには関係でしょ。」
「それもそうだ。これから生まれるハーフエルフのことでも考えればいいからな。」
「最低。」
「それは、最高の誉め言葉なんだ。」
ギュっと目を閉じる。
少しでも動けば、ナイフはあたしの身体を斬る。
「おいおい。貧相な身体だな。まあ、まだ将来性はあるか。」
「ううっ」
怖い。
何も言えずに、彼と別れるが怖い。
「怖い……」
イッキはずっとずっと後悔しているんだ。
こんな『傷み』を持ったまま、前に進もうとしている。
「たすけて……」
また甘えてしまう。
足枷にはなりたくなくて、距離を置こうとしていたのに。
彼は二ホンに戻るために、前を向いているから。
「おっ、命乞いか?」
「たすけてよぉ、イッキ……」
「イッキねぇ……あのガキならもうこの世にはいないぞ。」
「そ、ん、な……」
頭が真っ白になった。
「このナイフでグサグサとやった。最後まで抵抗していたな。」
視界が歪む。
涙が止まらない。
もう謝ることもできない。
「ごめんな、さい……」
イッキが魔術を学ばなかったら、冒険者になっていなかったら、あたしがもっと強かったら、あたしが全部背負っていたら。イッキは、いやイツキは平和に暮らしていたはずだ。
―――人ってこんなに簡単に死ぬんだね。
あたしが初めて人を斬った時も。
何も言わず、抱きしめてくれたよね。
「ハハッ、忘れるんだな。死んだらもう何も残らない。」
ごめんね。
レミーアさん、イッキ。
「ようやく見つけ、た……ミューラ……?」
その声を、あたしはちゃんと覚えている。
「イッキ、なの……?」
轟音とともに開け放たれた壁からは光が入っている。
「悪い、俺が遅れたせいで辛い目に遭わせた。」
「ううん、大丈夫。イッキが生きてくれてて良かったわ。」
「……すぐに終わらせるから、俺に任せておけ。」
上半身の刺し傷は氷で塞がれていて、全身から冷気を放つイッキはちゃんとあたしの目の前で生きている。でもいつもの優しい目つきと違って、とても獰猛。そして、ほとんど黒に近い紺色の模様が、心臓を中心に広がっている。
右腕に至っては、完全に『魔』に染まっていた。
「た、確かに、殺したはずだ!?」
「まだまだ未練があるから、俺は止まれない。」
どんな理屈よ。
でも、あたしはもう怖くはなかった。
「それならもう一度殺すまでだ! 岩よ!!」
「氷よ。」
隆起する岩は途中で氷に包まれ、氷とともに砕け散る。
あくまで勘だけど、イッキの魔力強度が急激に上昇している。
「化け物が!! もう一度、毒に侵されろ!!」
「イッキ! そこから、離れ、て……?」
紫色の煙が凍って、星のように輝いている。
もう彼には生半可な魔術は決して通らないだろう。
「なん、だと……?」
「綺麗……」
イッキの使う氷の魔術にはいつも魅せられる。
出会った頃から、彼の魔術をあたしは大好きだった。
「こ、こうなったら!」
一目散に逃げようとするクラドールを、彼は逃さない。
身体強化並みのスピードを、素の身体能力で出していた。
あたしが辛うじて見えるくらいだ。
「デビルズ、クラッシャー!!」
濃紺の氷を纏った拳で殴りつけた。
人間が氷に包まれた瞬間、砕け散る。
造る氷じゃなくて、壊すための闇の氷だったんだ。
「……命って、儚いな」
「ごめん、ね……」
もう、何もない場所をイッキはただ見つめていた。
「あたしのせいだよね……」
「ミューラのせいじゃないだろう。」
「ううん。だって、こんなに傷ついているじゃない。」
あたしの想像以上にイッキは強くなっていた。イッキと協力すれば、負けることなんてなかったのだ。あたしが見栄を張って独りよがりになったせいで、捕まってしまって彼を、この世界で初めて怒らせた。
身体も心も、傷つけた。
ひんやりとした体で抱きしめられ。
唇は温かく
「ん……!?」
あたし、キスされてる!?
「これ以上、自分を責めないでくれ。傷つかないでくれ。」
「そんなこと……」
「たぶん俺は冒険者にならなくても生きることはできた。でも俺はミューラの隣に立ちたくて、冒険者になった。出会った頃から俺の魔術を綺麗だと言ってくれて、俺はミューラの剣と魔術に魅せられて。少しでも、追いつきたいと思った。」
「あたしの、ためだったんだ……」
「未練がましい迷い人で。とうとう化け物になり果てた俺でいいなら、―――愛してほしい。」
変わってしまった右腕を、撫でる。
「化け物なんかじゃないわ。あたしにとっては、イッキはイッキだから。ヒューマンでもエルフでも魔物でも関係ない。目の前にイッキがいることは、何も変わってないわ。」
見開いた目は黒くて神秘的で、濃紺の模様は収束していく。イッキなら『力』を使いこなせるって信じている。
「二ホンに帰ることも、お父さんとお母さんに『ただいま』と『いってきます』を言うためだったんだね。」
「……ああ。」
ほんとうに優しい。
だから、傷ついていく。
「うん、あたしね。イッキを好きになれてよかったわ。」
「……ありが、と、う……」
「こちらこそ、ありがとう。」
ちゃんと見てくれて、ちゃんと見ていたくて、そんな年上の男の子、これからもよろしくね。
「愛してるわ。」
彼との時間は、あっという間に過ぎていく。
だから少しでも長く、一緒にいられるように。
****
目の前にいるのはアズパイアのギルドマスターである、ジェラードさんである。種族がドワーフということもあって厳つく、元Aランク冒険者として研ぎ澄まされた肉体は未だ衰えを知らない。そんな人を前に背筋を正して相対する。
「今回のことはご苦労様だったな、イッキ。」
「は、はいっ!」
「そんなにかしこまらんでもいいぞ。」
「いや、怒られるんじゃないかと……」
「感謝こそすれ、ワシは怒りはせんよ。」
成り行きだったが、Eランク冒険者がDランク以上しか受けられない依頼をこなしてしまったことになる。危ない橋を渡ったということで、受付嬢たちからはこっぴどく注意されたのだ。俺は魔物討伐すら1度しか経験していないのだから受け入れるしかない。
「まあ、うちの女性は過保護だからなぁ……」
「ミューラなんて、徹底的に看病されていますからね。」
「少しでも古傷が残らないように、徹底的にやるようだな。」
ちなみに俺はテキパキと包帯を巻かれてだけで、ギルドマスター送りである。
「まあ、俺はそのうち治りますからね。」
「……後悔はないのか?」
「別に、今のところ生活に支障はないですから。魔力の調子も良好です。」
「一体、何がお前を変えたのだ?」
「わかるのは、なにかしら俺に埋め込まれていたっていうことくらいですね。異世界転移した時にでも、混じったのではないかと。」
ヒューマンと魔物のどちらかと言えば、ヒューマン。
だがしかし、あくまで今のところはである。
「でも、心は人間のままですよ。」
「ワシが言っても無駄だろうが、……あまり多用するなよ。」
「……善処はします。」
「まったく……。お前は特例としてDランク冒険者として認めるが、その経験は全く足りておらん。よってこれから研修期間として、同じDランク冒険者とパーティーを組むことを命じる。」
「了解しました。」
それから頼み事をして、ドワーフの才能の一端を垣間見た。今俺が造れる『永遠の氷』は、本当に小さい。それでも、それは俺が生きている証なのだ。
「お前も少しは男になったじゃねぇか。」
「マスターとレミーアさんのように、完全には割り切ってはいませんよ。」
「ははっ! あいつと飲む酒は美味いからな!」
エルフとドワーフの、種族の違い。
その中でも、寿命の違いは大きい。
「そう簡単にくたばるつもりはないさ。」
「ええ、限界なんて壊してみせましょう。」
彼女たちに寂しい思いをさせたくはないから、俺たちはもっともっと強くなる。
****
今日は晴天、こんな日こそが依頼日和である。
「お待たせ。」
俺が待ち合わせをしていたのは、黄緑を基調とした装備に新調したミューラである。
「これからよろしく、先輩。」
「ふふっ。さあ、依頼に行きましょうか。」
「はいよ。」
俺が生きている限り『永遠』、
氷の指輪は、ミューラの小指で輝いた。