あれから3年が経ったが、異世界から二ホンへ行く手段は見つかってはいない。
今思えば、奇跡だったのだろう。
黒曜馬という魔物に、この世界にやってきたばかりの俺は襲われた。この草原が、アズパイアの町とレミーアさんの家を結ぶ直線上になければ、俺はミューラと出会うことはなかった。ここで命を落としていた。
黒くて、体長4mという体躯を持つ魔物はよく目立つ。
「アイス、ゲイザー!」
地面から噴き出すように現れる尖刃が、黒曜馬を薙ぎ払う。
速射できる、氷の魔術である。
「え……?」
「よう。無事か?―――迷い人」
尻餅をついている男子生徒と、少し離れて腰を抜かしている女子生徒、そして2人が着ている見覚えのある制服が目に入る。この世界では違和感のある服装だが、俺もかつて着ていた制服である。
「まさか、魔法……!?」
黒曜馬は器用に起き上がって、蹄で地面を削っている。
「俺が使うのは、精巧な魔術だ。」
右拳を左手に添えて、冷気を発する。
そして心に思い描いた魔術を、放つ。
「アイスメイク、シールド!」
魔力を多大に消費する炎のブレスとは決して違う。
あの時と違って、氷の盾は完璧に防いだ。
「氷で、炎を防ぐなんて……」
「後ろの女子のところまで、行けるか?」
「は、はい!」
この草原にいる魔物は黒曜馬だけではないので、万が一のことを考えて男子高校生を下がらせた。
そして、先に魔力切れとなったのは黒曜馬の方である。
その隙を決して逃さない。
より速く、それでも精巧な造形を行う。
「アイスメイク、ハンマー!!」
振り下ろす氷の巨槌が、黒曜馬を地面に叩き伏せる。
黒曜馬の硬い皮膚によって氷塊は欠けているので、まだまだ研鑽が必要である。もし剣や槍だったのなら、浅く斬り裂くだけであまりダメージを与えることはできなかっただろう。斬撃武器ならば、ミューラの細剣のようなミスリルの武具ほどの性能が必要である。
「す、すげぇ……」
「綺麗な魔法ね……」
異世界転移初日に黒曜馬の惨殺シーンを見せるわけにはいかないので、気絶させるだけで放置することにする。だからといって、動けない魔物は他の魔物によって餌になるだけだ。
「魔法じゃなくて、魔術だからな。」
いまだ状況を理解できていない、少年少女にそれだけを告げた。
****
俺1人だったのなら。
固い氷塊を木の上にでも造って、その中で寝ればいい。
「「……。」」
少年少女のために、四苦八苦しながら火起こし道具を使って焚き火を作った。ミューラの炎魔法に頼ることが多かったので、自業自得なのだろう。氷の壁を周囲に造っておけば、簡易拠点の完成である。
これでも完璧とは言えないので、今日は深くは眠ることはできない。
「飲まないのか?」
「「あっ、はい……」」
歪な形のある容器に入った、コーヒーを飲めば目を見開いた。コーヒーのお供が、いわゆるビーフジャーキーと乾パンであることは少し申し訳ない気持ちになる。調理道具を持ち運ぶ程の余裕はないのだ。
たとえ美味しくなくとも慣れてもらうしかないし、食欲がなくとも明日に備えて体力を回復させてもらう必要がある。和食の味が非常に恋しいが、醤油も味噌もカレールーもこの世界には存在しないのだ。
「コーヒーだ……」
「コーヒー、よね……?」
この世界の食料事情はある程度は二ホンのある世界と似ている。それでも、発酵食品といった加工品についてはほとんど存在しないので、二ホンの味が恋しいのは確かである。味噌や醤油といった発酵食品の作り方なんて、一般人である俺は知識として持ち合わせていない。
「「ご、ごちそうさまでした……」」
「お粗末様でした。」
タイチとリンは2人して、俺を警戒しているというよりは秘密を話すべきか話さないべきかについて迷っている。ここで、火起こしに躍起になっていたので、簡単な自己紹介しかしていなかったのを思い出す。
それよりか2人同士がギクシャクしているのだから、俺が居たたまれない気持ちなのだ。
「もう気づいているかもしれないけど、ここは2人からすれば異世界だ。」
1人1人については心が少し落ち着いたようだし。そろそろ話そうかと思った。
「やっぱり……」
「ははっ、タイチもそういうラノベや小説は読んだことがあるんだな。」
「あ、あの、もしかして……?」
「リンの考えている通り、俺も二ホン人だ。内緒にしておいてほしい。なぜなら、この世界では迷い人と呼ばれていて、その知識はこの世界の人たちにとってみれば、『未知』である。」
2人ともなかなか頭が良いようで、それだけ言えば察してくれる。人々は『未知』を欲して、その知識を欲する。いまだミューラやレミーアさんにしか異世界の知識を渡さず、対して町では騙して馴染み、この世界の知識を吸収している。
「今日はあまり多くは話さないつもりだ。明日も少し歩かないといけないからな。……これだけは言っておく。―――俺もいまだ還る方法は見つかっていない。」
「「そう、ですか……」」
「今日はゆっくり休め。タイチ、寝具は女子優先な。まあ、可愛い女の子の前だと男はカッコつけたいから、俺が言わなくてもそうするだろうけどな。でもタイチもあまり無理するなよ。」
「えっと……」
ヒントも与えておく。
お互いを大事に思っているからこその、衝突。
「だから俺は別に2人で寝てもいいと思う。まあ、なんだ……、俺はそれなりには、心は広いつもりだ。」
それだけ告げて、俺は木の上に登る。
リンの赤くなった顔は焚き火のせいだけではないだろう。
地面での野宿はあまり落ち着かない。
邪魔者はさっさと退散するという意味もある。
俺からすれば数分、しかし2人にとっては重く長い時間だろう。
やがてその一言を発する。
「「ごめん。」」
ちなみに、普通のヒューマンより、今の俺は耳が良い。
「もう、あんな無茶は控えてね。できるだけ。」
「ごめん、また心配をかけた。」
「うん、よろしい。」
「……ははっ」
「……ふふっ」
2人にとっては何度目かの喧嘩をして、仲直りしたことに過ぎないのだろうな。
「でもイッキさんがいなかったら、どうなっていたんだろう。」
「うん。私たちと同じ境遇の人がいてくれて、それでいて頼りになるって、とても安心感があるよね。」
なんだか他人からの評価を聞いていると、むず痒い。
俺にもっと『力』があれば、平和に生きさせることはできた。
2人は、日本人のままでいられただろう。
「これから……、どうする?」
「イッキさんなら、少しの間は面倒を見てくれると、思う。」
「ああ。明日起きたらがんばって頼んでみて、無理そうなら、俺たちでもできる仕事を紹介してもらおう。」
別に求めてくれるのなら、助ける。
俺が聞き耳を立てているのは2人の本音が聞きたいからだ。
戦いたくないのなら、そういう働き先も紹介できる。
少々肉体労働になるが、荷物運びの仕事がある。この世界の常識を学べば、若い2人なら売り子としても、引く手あまただ。それでも、『高校生』としては生きさせてはあげられないことは、本当に先輩として申し訳ない気持ちでいっぱいである。
日常は、遠いものとなった。
「太一が冒険者になるのなら、私もなるからね。」
「でも、ああいう馬と戦う時もあるんだろう?」
「うん、怖いよ……」
黒曜馬は、冒険者B級クラスの魔物である。
いつもあんなのと戦っていれば、精神に支障をきたすぞ。
「本当のことを言えば、怖い。でもタイチはタイチだもんね。」
「俺がなんだっていうんだよ?」
「無茶ばかりするもの。だから、私もがんばりたいの。」
「リン……あまり、無茶はするなよ。」
「こっちの台詞よ。」
それでも、この世界の理不尽を打ち砕くための『力』を、欲する。守りたいという気持ちは戦いの恐怖すら乗り越える。大切な人を失うということが何よりも怖いことなのだ。まあ、タイチはまだ自分の恋心を理解できていないようだ。
その環境を提供できる人に会えるとは、運がいい。
俺と同じでな。
2人の欠伸が、重なった。
「そろそろ寝ましょうか。」
「ああ、リンは寝袋使わせてもらえよ。俺は……」
「ふ、2人で寝てもいいって、イッキさんが言っていたでしょう?」
「で、でも……」
「タイチだったら……、いいわよ」
どちらの世界でも女の方が度胸があるのは、確かである。
それでも。
「基本的にヘタレだよな、迷い人って。」
背中を向け合って、やがてぐっすり眠り始めた2人の寝息を耳にしながら、俺も目を閉じた。