重苦しい忠義の儀式の後、外に偵察に出ていたセバスが帰還した。
彼の口から、驚愕の事態が判明する。
なんと、現在ナザリックが存在している場所は本来あるべき沼地ではなく、草原だという。しかも付近で確認できた生物は知性もなく脆弱な小動物ばかりだという。空は綺麗な夜空が広がっているという。
つまり、ゲームであるユグドラシルが現実化した、という単純な話ではなさそうだ。現実化した上で不明な土地に転移されたなど意味不明だが。
守護者一同に確認したが、彼らはこの異変に気付いていなかったらしい。各階層にも異常はない。更に付け加えるなら、ゲームであった時の仕様の変化――同士討ちの解禁なども自覚していなかった模様だ。
ひとまずの危険はなさそうではあるが、ここがどこか分からず敵性存在がどこにいるか分からないため、ナザリックの隠蔽が決定。上空には幻術をかけ、壁部分はマーレの魔法で大量の土で隠すことも決定した。アルベドとデミウルゴスによる警備体制の一時期的な変更も決定された。
隠蔽が完成したら、調査が必要になってくるだろう。
NPCたちが自分たちに敵意どころか重すぎる忠義を持っていると認識できたところで、モモンガは彼らに最後に問いを投げかけた。自分たち――ギルドメンバーのことをどう思っているのか、と。
返答は、ギルド長であるモモンガは勿論のことしばらくログインしていなかったヘロヘロや最新参であるポケットでさえ「誰のことを言っているんだ?」と言いたくなるような過剰な評価だった。
骨しかないモモンガやスライムであるため表情が分かりづらいヘロヘロと違い、ポケットは自分の感情が顔に出ないようにするのが大変だった。痛みで誤魔化そうと腕をつねっていたのはバレていないだろうか。
三人だけで話し合いをするためと言い残して、指輪の力で転移するモモンガたち。それを忠義の姿勢を崩さぬままNPCたちは見送った。
■
至高の御方々の気配の余韻を味わいつつ、最初に口を開いたのはアリスだった。
「――とりあえず、初対面な方が多いでありますし自己紹介をさせてもらうであります」
先ほどは忠義の儀式のために脱いでいた帽子を再度被り、敬礼とともに名乗る。
「ポケット・ビスケット様に創造されし天使、アリス・マグナであります。役職は守護者統括補佐。よろしくお願いするであります。皆さまのことは承知しております故、其方からは不要であります。時間もありませんので」
その名乗りを受けて、彼女の顔を知らなかった者は納得の顔色を浮かべる。
「成程。貴女がそうでしたか」
一年ほど前に、守護者統括補佐という立場で創造されたNPCがいたことは知っていた。しかし実際に逢うのは初めてだ。今日まで面識があったのは、同じ玉座の間に配置されていたアルベドだけだ。
「そう、この子は私の可愛い補佐官よ」
「あぁん? 突然何言い出してんだ、てめえ」
何故か仲の良い友達を紹介するような態度のアルベドに、アリスは自らに課せられた設定を忘れるほどに表情を一変させた。
「もう、アリスったら照れ屋なんだから」
「おまえマジぶっ殺すぞ」
このやり取りだけでこの場にいる誰もが理解した。知恵者であるデミウルゴスから諸事情につきしゃがんだままのシャルティアまで全員が理解した。
この二人がお互いに向ける感情には猛烈な温度差があると。
よって、これからの作業に支障が出ないように、デミウルゴスは強引に話題を変えることにした。
「このような事態ではあるが――久々にモモンガ様やポケット・ビスケット様以外の御方の姿を拝見できたのは喜ばしいことだ」
「そ、そうですね! ヘロヘロ様がご帰還されていたなんて……」
「ウム。コノヨウナ事態デナケレバ催シ物ガアルベキナノダガ」
現在が至高の御方々でも詳細不明な異常事態であることは確かだが、その一点においてはどうしても声が弾んでしまう。
「……ところで、シャルティア。君はどうしてしゃがんだままなのですか?」
デミウルゴスからの質問を受けて、シャルティアは恥ずかしそうに答える。
「その、忠義を誓った時にモモンガ様がすごい気配を放ったじゃありんせん? それで、その、下着がまずいことになってありんすの」
それを聞いて、事情を察せられないマーレ以外が微妙な表情を浮かべる。
アルベドに至っては「このビッチ」と罵倒を吐き出し始末だ。そして、そこから始まるひどすぎるキャットファイト。
「この大口ゴリラ!」
「偽乳ヤツメウナギ!」
デミウルゴスは同じ女性ということでアウラに丸投げしてコキュートスやマーレと闘技場の端に避難した。しれっとアリスもついていく。
「個人的には結果がどうなるか興味のあるところです。ナザリックの将来という意味で」
幼い故にデミウルゴスの言いたいことが察せられないマーレはきょとんと首を傾げるが、アリスは納得したように帽子のつばを上げる。
「どちらかがモモンガ様の後継を生み出せれば良い、という意味でありますな? 万が一、残られたお二方――ヘロヘロ様が帰還されたので御三方でありますか――が他の御方々のように御隠れになった時、我々が忠義を捧げられる御方を残していただければ良い、と」
「ええ。補佐官殿は頭が回るようで助かります。」
「デミウルゴス! ソレハ不敬ダ!」
根っからの武人であるコキュートスは臣下にあるまじき発言だと、悪魔を糾弾する。
「ソウナラヌヨウニ、ヨリ一層ノ忠義ヲ捧ゲルベキデハナイカ?」
「無論、私もそのことは理解しているとも。しかし、モモンガ様――だけではなく、ヘロヘロ様やポケット様のご子息にも忠誠を尽くしたくはないかね?」
「ムウ。ソレハ確カニ憧レル」
コキュートスの脳裏に「じい! 遊んで!」とせがむご子息やご息女の姿が浮かび上がる。
「素晴ラシイ。素晴ラシイ光景ダ。オオ、ボッチャマ。遊ブノモ良イデスガ今ハ稽古ノ時間デスゾ。イケマセヌ。私ガ御父上ニ叱ラレテシマイマス……」
「コキュートス殿。戻ってくるであります」
しかしアリスの声が届かないようで、コキュートスは恍惚とした様子で未来のお世継ぎの妄想に耽る。冷静になるまで放っておこうと判断したアリスであったが、自分もこの話題には興味がある。
「と言っても、モモンガ様はアンデッド、ヘロヘロ様はスライムでありますからな。御三方の中で『種』があるのはポケット様だけであります。お世継ぎを作っていただくというのなら、我が創造主が一番の有力候補ということになりましょうな」
「確かに。一理あるね。ちなみにだが、アリス。君は未だにあそこで争っている二人ならばどちらがモモンガ様のお妃に相応しいと思うかね?」
質問しているが予想はついている。先ほどのアルベドとのやり取りを見る限り、アリスはアルベドのことを非常に嫌っている。ならば必然的にシャルティアの名前か、あるいは別のNPCの名前を挙げるはずだ。
「統括殿の方であります」
「……意外ですね。アルベドのことは嫌っているように見えていましたが」
「嫌っているだけで低く評価しているわけではないでありますから。アンデッドの生殖能力をどうにかできる手段さえ見つかれば、『胎盤』として優秀な方がお妃になるべきでありましょう。側室の子がお世継ぎでも問題がないと言えばないのでありますが、『どちらかと言えば』という話でありますから」
「面白い意見ですね」
それに、といやらしい笑みを浮かべて、アリスはこう付け加えた。
「統括殿が寿退社したら小官が守護者統括の任を命じられるかもしれないので。不敬な思惑であるとは自覚しておりますが――小官は、そうあるべしと生み出されたのでありますから」
■
「あいつら、マジだ」
第九階層の円卓の座ったモモンガから、絞り出すような独白が吐き出された。
ヘロヘロとポケットも無言を貫くことでそれに同意する。
「……現実逃避に酒でも飲みます?」
「ポッケさん、俺が舌も喉も胃袋も肝臓もないアンデッドだって知ってますよね?」
ユグドラシルにおいて、アンデッドを含む一部の異形種は「飲食不要」である。逆説的に食材系アイテムによる強化も得られないため一長一短だったが、現実化したいま、「飲食不可」というデメリットになったと考えるべきなのだろうか。
暴飲暴食は避けるべきだが、ポケットの言う通り、思いっきり酔いたい気分なのだ。そうはいかないのだが。状況的にも、身体的にも。
「それで、これからどうします?」
モモンガの問いが、単に情報を集めるためにどうするかという目先に関してではないことは察することができた。
「いまの内に、聞いておきます。二人とも、元の世界に戻りたいですか?」
「うーん。それ言われると、現状では即答しづらいんですが……」
ブラック企業勤めだったヘロヘロ。現状はそれから解放されたと言えなくもないが、果たしてそれが良いことなのかはわからない。ブラック企業の社畜だった方が良いと思えるような事態がこれから発生する可能性だって決して低くないのだ。
対して、ポケットは軽い感じで答えた。
「ぼくは、このまま戻れないなら戻れないでいいかな。恋人もいねえし、戻っても楽しいことなんてないし。不謹慎だけどこの状況にわくわくしている自分がいる。十分だけ戻れる権利があったら戻りたいけど」
「その心は?」
「自宅のパソコンのデータを処分したい」
あー、と納得するモモンガとヘロヘロ。二人も同意見だった。
「というか、これが漫画やアニメでよくある異世界転移ものなら、どういうパターンなんでしょうね?」
「どういうパターンとは?」
「いわゆる異世界転移ものってのは、主人公が身体丸ごと異世界に飛ばされるわけですよ。でも、ここにあるのって究極的には
「ああ、スワンプマンってやつですか」
スワンプマン。いわゆる思考実験の例題だ。曰く、ある男が人知れず落雷で死んだ。しかし、死んだ男の近くにあった沼に雷が落ち、どういう因果か男と寸分変わらぬ生物――スワンプマンが誕生した。この生物は見かけも知識も記憶もすべて死んだ男と同一だ。男の死も生物の誕生も誰も目撃していない。スワンプマンは男の代わりに彼の家や職場で生き続ける。
さて、スワンプマンと男は別人と言えるだろうか?
「この場合、スワンプマンはここにいるぼくたちの方だけどね。案外、ここにいるのは『ゲームキャラクターになってしまった人間』ではなく、『自分を人間だったと思い込んでいるモンスター』なのかもしれませんよ」
口にしてみて、ポケットは其方の可能性の方が高いのではないかと思う。根拠はNPCたちの反応くらいなものだが。
「でも現実に戻れない以上は」
「それを確認する手段はありません」
それこそ考えても意味のないことかもしれないが。
「……ヘロヘロさん。帰りたいなら今のうちに言ってくださいよ。帰ろうとした貴方を引き留めた負い目が、ぼくにはあるんですから」
「気にしないでいいですよ?」
「気軽にそういうこと言わない方がいいですって。それで後から恨み言言われても、ぼくは逆切れしますからね」
「うーん。そう言われると」
モモンガが手を叩く。骨の手でどうなっているのか分からないが、良い音が円卓に響いた。
「この話題は一旦保留にしましょう。答えを出すのは、ちょっと早かったかもしれません」
「いや、勘違いしないでくださいね。私だってほとんど答えは出ているようなものなんですから……そういうモモンガさんはどうなんですか?」
「……正直、俺もポッケさんと同じですね。会いたい家族も友人もいません」
再び会いたい者がいるとすれば、それは他ならぬアインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーだけだ。
「とりあえず差し当たっては、NPCたちの重すぎる忠義にどう対応するかですね……」
「一般人には辛すぎる問題ですね」
「あいつら、どうしてぼくたちをあんなに高評価しているんでしょうか?」