昨日の夜から、何やら気配がざわめいている。自分が創造されて二年以上経過しているが、このようなことは随分と久しいように思う。
「……侵入者、ってわけでもなさそうだが」
ナザリック地下大墳墓第五階層『氷河』の中にある領域の一つ、『水竜の古巣』にて、彼は僅かな期待を覚えながらそう呟いた。静謐たる洞窟内には、小さな呟きであってもよく反響する。
この『水竜の古巣』の領域守護者シュラである。和装の剣士で、その腰には二本の刀を帯びている。その顔はひょっとこの面で隠されているため表情は窺えない。
「さて、俺の出番はあるのかな。あるといいな。くっくくー」
おそらくはないのだろうと半ば諦めつつも、実際のところ何が起きたのは気になる。オブジェクトとして配置されてある巨大な竜の骨に腰かけて、侵入者でも来ないかと待ちわびる。ちゃきちゃき、と刀の鯉口を鳴らす。
彼の創造主はかの大侵攻後にギルドに加入したため、必然的にシュラ自身も大侵攻を知らない。それどころか、彼が創造されてから侵入者が第五階層まで来た回数など数えるほどしかない。直接侵入者と対峙した経験など皆無だ。
戦闘狂の剣客として想像された彼からしてみれば、自分の経歴は恥ずべきものだ。せめて第一階層に配置されていれば事情は違ったのだろうが。
しばらくして、誰かが領域に足を踏み入れたのを察知する。だが、侵入者ではないことを理解したため鯉口を鳴らすのも止めて腰を上げる。
直属の上司である第五階層守護者コキュートスも含めて、この領域には滅多に誰も足を運ばない。まして至高の御方々が立ち寄ってくれたことなど数えるほどだ。だからこそ、久しぶりの来客がこの御方であることが心底意外だった。
相手の姿が見えると同時に、その場に跪く。
「ようこそ我が領域においでくださいました、我が創造主ポケット・ビスケット様」
「……おう」
ユグドラシルにおいて最も偉大なる存在、アインズ・ウール・ゴウン至高の四十二人の御一方、ポケット・ビスケット。シュラの創造主であり、最も忠義を向けるべき存在だ。
微妙に浮かない声だが、何か粗相をしてしまったのだろうか。もしそうならば自害の許可を得なければならない。
だが、ポケットが不機嫌になった様子はない。不機嫌でこそないが、微妙に困ったような探るような調子で話しかけてくる。
「えーと、その、元気してたか?」
「はい、息災でございます。ポケット様は?」
「ぼく? ぼくは別に問題ないよ、うん」
シュラは胸から湧き上がる歓喜を抑えるのに必死だった。自らの創造主がここまで自分に言葉をかけてくれたことなど、生まれた時くらいだったからだ。
「……そろそろ、小官も名乗っていいでありますかな?」
御方の存在感に気を取られていて、シュラは初めてその少女の存在に気づいた。まだ「女」と呼ぶには一歩届かない程度の年齢で、軍服を着ている。
「はじめましてでありますな、兄上」
その美少女を見て、シュラは、俺より強い、と察した。一撃だけなら入れられるな、とも思ったが。
「小官はアリス・マグナ。ポケット様の被造物にして恐れ多くもナザリック地下大墳墓守護者統括補佐という役職を命じられているであります」
「成程。貴様が俺の妹か」
そういう存在がいることは知っていた。誰に教えてもらうでもなく、ある日突然、そういう存在が造られたと認識できたのだ。別に会いたいとは思わなかった。そのような機能はシュラには備わっていない。否、持つべきではないと設定されているのだ。
この身体は、一本の刃であるべきだ。ただ合理的に敵を斬るためだけの武器。殺せる相手は殺す。殺せない相手なら一秒を稼ぐ。それ以上の機能はこの生命に求められていないことを、シュラは実感している。
故に、このような可愛らしい妹相手でも庇護欲を覚えることなど有り得ないのだ。
「その通りであります」
守護者統括補佐ということは、あの非常に性格の悪い大口ゴリラの直属の部下ということか。我が妹ながら不憫なことだ。御方々の采配である以上、とやかく言うつもりはないが。それに、そのような行いは自分に与えられた役割に反する。
「それで、ポケット・ビスケット様。本日はどのようなご用向きでございましょうか。俺は――何を切り捨てればよろしいので?」
「物騒だな。ぼくの子だけあって物騒だな」
子などと、不相応な呼び方だ。この身はレベル五十。いくらでも替えの利くガラクタだというのに。
「ちょっとナザリックに面倒な事態が発生していてね。色々と見て回っているのさ。何ならこれからおまえも同席するか?」
「よ、よろしいので?」
「ああ。せっかくだからな。ちなみに次はニグレドのいる――」
「あ、じゃあいいです。俺はここで待機しております」
その反応に、ポケットは何とも言えない顔をする。先程の物騒な発言の方がまだマシだったとばかりに。おそらく自分も同じような顔をしているんだろうな、とシュラは思う。しかし仕方がない。あの鬼女に逢いたくないのは本心からであり、それを隠してはならないという設定を持っているのだから。これで相手がモモンガなど他の御方ならば話は違ったかもしれないが、他ならぬ創造主だ。設定を無視する方が不敬である。
「すごいな。何だ、おまえ。すごいな」
「何だと言われたら御身の被造物に他なりませんが」
「そういうことを聞いているんじゃないよ」
眉間にしわを寄せるポケットは上を仰ぐ。アリスやシュラもそれに倣えば、鍾乳洞風に加工した天井が目に入る。
「ま、いっか。じゃあ次会える時を楽しみにしているぞ」
「御意に」
「ああ、それとひょっとしたら、おまえに刃を振るってもらう機会があるかもだから」
「ほう?」
その言葉を受けて、シュラはひょっとこの仮面を外す。そこには獰猛な笑みを浮かべられていた。彼の種族は悪魔だが、悪辣さや狡猾さよりも凶暴さに重視が置かれた設定となっている。デミウルゴスもよく笑みを浮かべる方だが、シュラの笑顔はそれとはまったく別ベクトルの質を持つ。
「それは楽しみですね、いえ、本当に。――ああ、できれば戦争がしたいところです。惨殺したいですね。虐殺したいですね。鏖殺したいですね。この刃の赴くままに」
そんな我が子の顔を見て、ポケットは割と理不尽な命令を出した。
「……シュラ。おまえ、これからは極力意味もないのに仮面を外すな。絶対に」
■
ナザリック地下大墳墓が謎の地に転移してから三日が経過した。
その間に、ギルメン三人によるいくつかの取り決めができた。
その中にNPCのことは信頼する、という項目がある。当然と言えば当然だ。初対面のようなものとはいえ、彼らはギルドメンバーの残してくれた財産にして、長年ナザリックに仕えてきた従僕。信頼しない方が不義理というものだろう。……問題があるとすれば、その忠義が重すぎるという点だが。
少し部屋から部屋に移るだけで大名行列よろしく御供がついてくる。しかもリアルでは縁のなかった美女や屈強な怪物が一般市民である自分たちに付き従っているのだ。プレッシャーが半端ない。
初日や二日目はそれなりに楽しめたように思う。滅多にない経験であり、自分が偉くなったように思えたからだ。しかし――三日目にして疲れてきた。
「でも口にはできないよな……」
「ポケット様。何かおっしゃいましたか?」
メイドからの質問で、自分が独り言を言っていたことに気づくポケット。うっかりしていた。とんでもないことを口走る前に気を引き締めなければならない。
「何でもないよー。ポケット様は何も言ってないよー。くっくくー」
場所はナザリック地下大墳墓の第九階層にあるポケットの自室だ。ギルドメンバーにはひとりずつ、ホテルのロイヤルスイートを思わせる自室がある。ここで事務仕事をしているのだが、ポケットは挫けそうになっていた。
内心で項垂れながら、ポケットは書類をめくる。デミウルゴスが提出してきたナザリックの警備変更に関する書類だ。正直、ゲームで対プレイヤーを仮想敵とするのとは勝手が違い過ぎるため、これで良いのかと言われても分かりませんとしか言いようがない。
ギルドの頭脳担当のぷにっと萌えや最年長の死獣天朱雀がいれば多少は意見が聞けたかもしれないが、生憎どちらもいない。
「かしこまりました。御用があれば何なりと」
「ん。至高の御方、ね」
どうやらNPCたちにとって、ギルドメンバーとは神に等しい存在のようだ。故に「至高」だの「偉大」だのという言葉をつける。
ギルド、アインズ・ウール・ゴウン。『九人の自殺点』と蔑称されたクランから始まった伝説。ユグドラシルの最盛期、たった四十一人で十大ギルドに数えられた最悪最強のギルド。サービス史上最大の千五百人からなる大連合を返り討ちにしたチート集団。確かに、『ゲーム』と『リアル』を知らないNPCたちにとっては崇拝すべき存在なのかもしれない。
ポケットは自分がその一員としてふさわしいかと言われたら首を横に振るう。加入時期が大侵攻の後であり、しかも最後の加入メンバーだったからだ。かつて別のギルドに属していたが、所属年数で言えば其方の方が長い。一応、幹部の末席を穢していたほどだ。
だが、ポケットはある事情からギルドを脱退した。当時所属していたギルドのギルド長と幹部四人とのPvP五連戦に勝利し、ワールドアイテムの所有権を簒奪。それを手土産にアインズ・ウール・ゴウンに入った。自分から加入要請を出したのではなく、ギルド脱退を知ったウルベルトからスカウトされたのだ。どうやら前々から目をつけていたらしい。ほとんど二つ返事で加入が決定した。今思えば、ヤケクソだったのだろう。
(ま、超賢いって設定のデミウルゴスが提出してきたんだから多分いいんだろう。信頼してますよ、ウルベルトさん。貴方と貴方の息子をね)
無責任かもしれないが、仕方ない。正直、何が正解かなど分からない。NPCに幻滅されないように頑張ろうとモモンガは言っていたが、いつまで続ければいいのだろうか。
「NPCと言えば、ヘロヘロさんだ」
何でも、ヘロヘロの創造したメイドたちはソリュシャンを始めとしてヘロヘロにべったりらしい。そして、ヘロヘロ自身も満更でもなさそうだった。メイド好きが自分の作った理想のメイドたちにあれだけ愛されているのだから当然の反応と言えば当然だった。
メイドたちも父親と二年ぶりに出会えたのだから甘えたいのだろう。空白を埋めるように傍を離れない。ヘロヘロもそれを望んでいるし、モモンガも赦してしまったため文句を言える者はいない。……正直、その様子を見て寂寥感を出しているNPCもいるので気を使って欲しいとは思うのだが。
近親相姦は時間の問題かもしれない。
「ままならないなぁ」
反対に、モモンガは自分の制作したNPC、パンドラズ・アクターとの距離を掴み兼ねているようだった。黒歴史だし。ドイツ語や敬礼に悩まされているようだった。埴輪顔の癖にやたらかっこつけた言い回しをするのも痛いそうだ。他人からして痛々しいのだ。製作者からしたらより一層だろう。
軍服は恰好いいという一点において、ポケットは同意するが。だからこそアリスの装備も銃との相性も合わせて軍服にしたのだ。パンドラズ・アクターがネオナチ風なのに対し、アリス・マグナは明治時代の日本軍風なのだが。
ちなみに、そのアリスはすぐ傍に控えている。ポケットが使っているのとは違う小さな机の上で、書類の整理を手伝ってもらっている。正直自分よりこの娘の方が優秀なんじゃないかと思う。アルベドに対抗して賢い設定にした覚えがある。
ポケットはどちらかと言えば、モモンガ寄りだ。シュラもそうだが、アリスもまあまあな黒歴史だ。突然あんな大きな息子と娘ができても、対応が分からない。昔の所属していたギルドではNPCは作らなかった。そもそも、正しい親子関係の姿というやつはよくわからない。貧困層にはよくある話だが、両親は小学校の頃に他界している。かなり薄れている両親との記憶を呼び起こし、何をすれば最適なのかを考える。
と、そこで頭に電話がつながったような感覚がした。
連絡に使用される魔法のひとつ、
『ポッケさん』
相手はモモンガだった。
「こちら、ポケット・ビスケット。何ですか、モモンガさん」
『いまナザリックの外に出ているんですけど』
「何それ初耳。やめてよ、ひとりだけ抜け駆けするの」
『はっはっは、すいません。気分転換がてらね』
何があるか分からないから慎重になれと言ったくせに。おそらくちゃんと護衛はつけているのだろう。これで近衛をつけずに出ていたとかだったらぶん殴る。
『星空が見えます。素晴らしいなんて言葉じゃ片付けられない星空が』
星空と聞いて連想するのは、第六階層だ。自然を愛したブルー・プラネットの自信作。だが、所詮は紛い物。モモンガが見ているであろう星空は、ブルー・プラネットが見たかったものとは厳密には違うのだろうが、間違いなく彼が見てみたいものだろう。
『宝石箱みたいです』
「うーん。ポエミーなラジオみたいなんですが、それは」
落ち着いた声なのに確かな興奮を孕んでいる。モモンガはアンデッドの特性で感情が一定ラインを超えると強制的に落ち着くため、そのせいなのかもしれない。つまり、それだけ綺麗なものを見ているということだ。
ポケットも俄然見てみたくなった。
『そうかもしれないな。いや、私だけで独占すべきではないな。我らアインズ・ウール・ゴウンの皆で持つべきものかもしれない』
「は?」
『と、すいません。いまのは傍にいるデミウルゴスに対してです』
魔王ロールもあったのだろうが、どんなことを言われたらそんな臭いセリフが出てくるのやら。そして、モモンガとデミウルゴスとの会話は続いているようで、ポケットにもモモンガの言葉が伝わってくる。
『まだこの世界での私達の立ち位置も分からないのに、そのようなことを言うのは危険だぞ? だけど、そうだな。世界征服なんて面白いかもしれないな』
「――――世界征服?」
モモンガがデミウルゴスに向けたのであろうその言葉。何かの軽い冗談だとは理解できたが、デミウルゴスが本気にしないといいのだが。流石に分かるとは思うのだが、ここ数日で実感させられたNPCの忠誠心・狂信から考えると笑えない冗談かもしれない。
まして、ユグドラシル最悪の魔王と称されたモモンガが口にしてしまったのだ。仮に他のギルドのプレイヤーも現実化しているのだとしたら、あまり聞いて欲しくない戯言だ。
そういえば、モモンガはネーミングセンスがない印象が強かったが、ジョークのセンスもなかったのだった。たっち・みーから思い出話で聞いた「異形種動物園」は何の冗談かと思った。
「でも、やってみたいよな。世界とは言わないが、せめて国くらいは潰してみたいもんだ。ぼくは戦争がしたくて四十二人目になったんだから」
くっくくー、と冗談めいて言うポケットだったが、失念していたと言っていい。彼の言葉を聞く者がすぐ傍にいたことを。デミウルゴスが本気にしないかと心配する一方で、自分の発言に気を配っていなかった。
つい先ほど、独り言には気をつけようと自戒したばかりだというのに。