(何だ、あのバケモノは)
ロンデス・ディ・グランプは、神に祈った。今こそ敬虔なる使徒であるロンデスをその加護で救うべきではないかと祈りを捧げた。もっとも、手を合わせることも天を仰ぐこともできなかった。
あのバケモノを前にして一瞬でも隙を見せることなど、できるはずがなかった。横を見る余裕などないが、他の隊員たちも同じだろう。
「■■――、■■■―――――っ」
怪物から大きな音が発せられる。鳴き声なのだろうが、音しか表現のしようがないものだったのだ。聞いたことがないというのもあったが、それ以上に生物らしさというものを感じなかった。まるで激流だ。
(どうして、こんなことに!)
彼はスレイン法国の兵士である。現在、ある極秘任務に参加中だった。内容はバハルス帝国の兵士に扮してリ・エスティーゼ王国の村を襲撃するというものだ。詳しいことは聞かされていないが、どうやら自分たちは囮で、おびき寄せられた『誰か』を別動隊が仕留めるようだ。自分たちはその『誰か』によって殺されないように上手くやるだけで良かったはずだった。
すでに幾つかの村を襲った。村人をあらかた殺し、家に錬金油をぶちまけて焼く。わざと数人生かすのは、おびき寄せられた集団の戦力を割くためだ。都市や他の村に避難するとしても、モンスターや盗賊に襲われる危険のある村人だけで避難するのは非常に危険だ。
今回の村もこれまでと同じように終わるはずだった。
途中までは上手くいっていたのだ。これまでと同じようになっていたはずだった。強い村人がいたわけではない。村に盗賊対策の罠があったわけではない。隊の中に急に体調が崩したものがいたわけではない。
ただ、何の脈絡も予兆もなく、このバケモノが出現したのだ。
バケモノは突如として出現したかと思えば、何人かの仲間が倒れた。何が起きたのかはわからなかったが、あのバケモノが何かをしたことは明白だった。
「■■■■■■―――――っ!!!」
バケモノがまた吠えた。地響きのような揺らぎを錯覚する。そう、錯覚だ。錯覚のはずだ。一個の生物が咆哮を上げた程度で、大地が動くはずがない。そんなことがあっていいわけがない。
(神よ。御身がおわすならば、あのバケモノを退け給え。敬虔なる使徒であるわが身を救い給え、それともあんな――あんな滅茶苦茶な体の構造をした生物の存在を許すというのですか――!)
バケモノの容姿を一言で説明することは難しい。本当に、バケモノとしか形容のしようがない身体をしているのだ。正確に伝えようと思えば言葉にはできるが、随分と長々しくなってしまうだろう。生き残って誰かに説明しても信じてもらえないかもしれない。
「お、お前達! あの化け物を近づけさせるなぁ!」
そう叫ぶのは、隊長のベリュースだ。箔を付けるために隊に参加し、隊長に抜擢された資産家のボンボン。戦闘能力も人格もカスであり、隊の誰からも嫌われていた。
「俺は、こんな場所で死んでいい人間じゃない! おまえら、時間を稼げ! 俺の盾になるんだぁ!」
「■■■■■■」
そんなベリュースの声が耳障りだったのか、バケモノの
「い、いぎゃあああああああああああああああああああ!!」
響く渡るベリュースの悲鳴。村の中央に集めた村人の息を飲む音が聞こえる。悲鳴すら上げられないほど、衝撃的な光景が広がっているのか。
バケモノから目を逸らすべきではない、という本能の警告を無視して、ロンデスはベリュースの方を見た。直後見なければよかったと後悔した。
「いたい、いたい! た、たすけて、た、たすけ、お、おかね、あげますおかねあげますあげましゅからから、いぎゃあああああああああああああああああああ!」
そこにあったのは、地面に倒れて必死に命乞いをするベリュースの姿。ただし、ロンデスの予想とは全く違った姿だった。
滑稽な姿ではあったが笑う気にはなれなかった。当然だ。どうしてああなったのかは分からないが、次は自分かもしれないのだから。怪物の方向に視線を戻す。
「■■■■■」
ベリュースを見たのは本当に一瞬だ。瞬き一つできるかどうか。
なのにどうして、この怪物は自分の目の前にいるのだろうか。
「は、はは」
乾いた笑いが出る。怪物の持つすべての目と、目が合ってしまった。
「■■■■■■―――――っ!!!」
耳が裂けるほどの巨大な咆哮を受けて、ロンデスの意識は途絶えた。
■
「そこまでにしておいけ、我が友ポケット・ビスケット」
突然の声に、誰もが其方を見た。意識があるものは全員だ。戦意など消滅している兵士も、生きた嵐に怯えている村人も、埒外の怪物でさえも。
空中に、漆黒のローブを着た謎の人物がいた。顔を怪しげな仮面で隠しており、露出は零。おそらくは男性で、魔法詠唱者なのだろう。空中に浮かんでいるのも魔法なのだろう。
「■■――、■■■―――――っ」
怪物が唸り声を上げる。
「不服か? だがこれ以上の勝手は許さん。お互い、不本意なことをすることになるぞ」
「■■■■」
怪物は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、その場に胡坐をかいた。複数の尾が大地を叩く音に身震いしてしまう。どう見ても、あの魔法詠唱者はこの怪物と意思疎通をしている。
魔法詠唱者は意識のある手近な兵士の下にゆっくり降りてくる。おそらくは敵であろう存在が接近しているというのに兵士は動けずにいた。あの怪物と同じくらいの脅威だと理解できたからだ。自然災害相手に剣一本でどうしろというのだ。兵士が動けずにいると、魔法詠唱者は器用にその兜をはぎ取る。
「諸君らには生きて帰ってもらう――そして諸君らの上司、いや、飼い主に伝えろ」
――この辺りで騒ぎを起こすな。騒ぐようなら今度はお前達の国に死を告げにいく。
「行け。そして確実に主人に伝えろ」
顎でしゃくると兵士達は文字通り転がるように一目散に走り出す。大地に倒されている兵士などに構っている余裕はない。倒れているだけで意識のある兵士もそれなりにいるのだが、やはり構う暇はない。
魔法詠唱者は兵士たちの姿が完全に見えなくなると、広場に固まっていた村人たちに視線を向けた。
「さて、もう安全だ」
「あ、貴方は?」
村人の代表らしき男性の視線は、魔法詠唱者と怪物を行ったり来たりしている。
「私の名はアインズ。アインズ・ウール・ゴウン。この村が襲われているのが見えたので助けにきた。……奴のことが気になっているようだが心配するな。恐ろしい外見だが、あの……あの、あの、えーと、何と言えばいいんだ? ドラゴン擬きは本人も嫌がるしな……。種族的には獣っていうのが正しいんだけど獣には見えないよな……」
魔法詠唱者――アインズは怪物を指差すが、何と呼称してよいか分からず迷っているようだった。気持ちは分かる。後に今日村に起きたことを説明しろと言われたとして、あの怪物の詳細を伝えるのはかなり難しそうだ。というか、見ながらでなければ説明など不可能だろう。明日には細部を忘れてしまいそうだ。
「と、とにかく、あれには理性と知性があり、この村を襲う意志はない。私共々、この村の住人を取って食おうなどという考えはないのだよ。純粋に好意で助けに来ただけだ」
それでも村人の警戒が解けないため、アインズはもう一押しすることにした。
「とはいえ、ただと言うわけではない。村人の生き残った人数にかけただけの金をもらいたいのだが?」
村人達の顔に、金銭的に心もとないという色が浮かぶが、その分だけ懐疑的な色は薄れていた。金銭的な目的があったという世俗的な心が逆に警戒心を解かせたのだ。
村人の警戒が解けたところで、アインズは周囲に散らばった兵士たちを見る。意識がある者も何人かいるようだが動けないようだ。その理由を察したアインズは怪物を見る。勝手に暴走した同胞を。
「生きているのは四人か。結果オーライですから今回だけ許しますよ。にしても、相変わらずごちゃごちゃしてんなぁ、あの形態」
アインズが何やら呟くが独り言だったらしく、村人たちには聞こえなかった。
「……報酬の話をする前に、この騎士たちの処分をしていいだろうか?」
「しょ、処分ですか? まだ生きている者もいるようですが」
「この騎士たちはアレに呪いをかけられました。詳しくは話せませんが、このままにしておけば皆さまにも危害を及ぼす可能性があります」
「ええ!?」
村人からは驚愕と恐怖の声が上がる。意識がある兵士はこれからの未来を予見して逃げようとするがやはり身体が動かない。
「だからこそ当方で処分いたします。この件に関しての料金の請求はありませんのでご安心を。子どももいますから別の場所で済ませてきますね」
アインズがそう言うと、怪物が立ち上がった。村人たちは反射的に震えてしまうが、目的は村人ではなく倒れた騎士たちだった。騎士――全身鎧を着た騎士のひとりを軽々と片手で持ち上げると、肩に乗せる。残った騎士たちも手に持つ。
怯える村人を一瞥した後、大きな足音を立てながら森の中へと進んでいった。
「すぐに戻ってきますので」
アインズも怪物に続く。
村人たちはほぼ一斉に腰を抜かした。
「な、何だったんだ、あのバケモノ。帝国の騎士の方がまだマシだ……」
「ほら、聞こえたらどうする? 人間より耳がいいかもしれんぞ」
「た、たべられなくてよかった」
「あの真っ黒なのは魔法使いなんだろうけど、アレは本当に何なんだ? あの魔法使いが支配しているのか?」
「まさか! あんなの、人がどうにかできるものなのか?」
足音も聞こえてこなくなり、アインズの姿が見えなくなったことで村人たちは口々に怪物への恐怖を口にした。
「というか、本当にアレは何だったんだ?」
「何だったんだと言われてねぇ……」
「あんな動物見たことがない。いや本当に生物なのか? 伝説に聞く森の賢王でももっとまともな姿をしているはずだぞ」
この開拓村カルネ村のすぐ近くには、『森の賢王』と呼ばれる伝説の魔獣の縄張りがある。森の賢王は白銀の毛皮で、蛇の尾を持つ大魔獣と言われる。
だが、あの怪物はそのようなシンプルな言葉では語れない。強いて言うならドラゴンが近いかもしれないが、ドラゴンもあんな生物と一緒にされたくないだろう。無理やり簡単にまとめるならば、『様々な動物の人形をバラバラにして、それを子どもが滅茶苦茶に繋ぎ合わせた巨大な怪獣』という感じか。
とにかく、あの何とも形容しがたい怪獣と怪しげな魔法詠唱者がこの村の恩人になってしまったことは確かなようだ。