緑の兄弟どもが行く 作:カロ
ロウリア王国、首都ジン・ハーク、ハーク城。
その一室はテーブルから文机、椅子まで細やかに細工された豪華な家具で統一されていた。
ハーク城の中でも最も警備が厳しく、奥まった場所にあるそこは王の寝室。
窓から差し込む朝日が部屋を薄ぼんやりと照らす頃、天幕付きのベッドの上で一人の少女、ミラが身を起こした。
「ふぁぁぁ、眠……」
背を伸ばして、大あくびをする姿は彼女の臣下や国民たちには見せられないものだが、部屋に一人でいる今は特に気にする事もない。
あと三十分程で侍従がミラを起こしにくる筈であり、それまでに毎日の日課をこなしておこうと、彼女は寝台脇のテーブルから水差しを取り、銀のグラスに水を注いだ。
そして文机の中から、小さな白いケースを取り出すと、中から白い錠剤を幾つか手の上に落とす。
錠剤を口に放り込み、水で一気に飲み込むんだ後、彼女は恍惚とした表情を浮かべ、ベッドの上に腰を下ろした。
「やっぱり、寝起きのメンタスは最高ですねぇ……、寝ぼけた頭が冴え渡る感じが何とも言えない」
そのまま彼女は暫くぼんやりと座っていたが、やがて文机の上においてあった昨日の分の新聞を手に取る。
市井の動向を知るために、民間の新聞を毎日部屋に届けさせているが、王としての仕事があまりに忙しくて、つい溜めてしまう。
人が見れば本当に読んでいるのか疑問に思える程の速度で次々と紙面を捲っていくが、メンタスの長期間投与により文章の理解力や読む速度が飛躍的に向上したミラにとっては、このくらいが適正な速度だ。
(しかし、分からないものです。 スーパーミュータントに囚われたときは死を覚悟したのに、今ではロウリアの女王として国を導く存在にまでなっているとは)
こうなるまでの経緯をミラは思い返した。
彼女……、いや、彼は元々ヤミレイというロウリア王国に仕える王宮主席魔導師だった。
あれは三年程前だっただろうか。
ロウリア王国全体でも二人しかいない大魔導師の序列に位置する彼は、その実力や知識により王のすぐ近くに置かれる程だった。
平民出身の彼だったが、一人で百人の軍団とやり合えるとまで言われた武力を持つ彼には、例え貴族でも敬意を払わざるを得ない。
しかし地位と名誉を欲しいままにし、魔導の研究と自身の立身出世に邁進していた日々はある日終わりを告げた。
近年、辺境の村々を荒らし回り、食料や道具等を奪い去っていくスーパーミュータントという種族がジン・ハーク近隣で目撃されたのだ。
魔族であるとも噂されるスーパーミュータントに実験材料としての興味を見出したヤミレイは、奴らの討伐を自ら買って出て、十人の魔導師の部下と五十人の騎士団を連れて出撃した。
事前の情報によると、スーパーミュータントの数は僅か五、六人程度。
その時は十倍以上の兵力差があれば、いかに魔族と言えど討伐であれ捕獲であれ容易に出来ると思っていた。
……しかし結果は悲惨なものだった。
兵士の放つ矢も、振るう剣も尽くが強靭な外皮に弾き返され、僅かな傷を与えたのみ。
魔導師達の放つファイヤーボールは表皮を火傷させる程度の効果はあったようだが、ファイヤーボールは詠唱と構築に三十秒程の時間がかかる。
スーパーミュータント達は最初に一撃で魔導師を脅威と認識したようで、二回目の魔法を放つべく詠唱を行う魔導師達に握り拳大の石が次々と投げつけられて、ヤミレイもそれが頭に当たり気を失ってしまった。
そして次にヤミレイが意識を取り戻した時には、スーパーミュータントによりヤミレイ以外の討伐隊は全滅してしまっていた。
だがスーパーミュータント達はヤミレイが死んだものと思い込んでいたようで、一時は命を長らえたヤミレイも、意識が戻った後直ぐに殺されそうになる。
ヤミレイは主席王宮魔導師としての恥も外聞も忘れ命乞いをしたが、スーパーミュータント達は嘲笑いながら手に持ったメイスをヤミレイの頭にふり下ろそうとする。
しかし、その時スーパーミュータント達の群れの統率者がそれを制したのだ。
「おい、やめておけ。 そういえば、魔術師のサンプルを試してみた事はなかったな。 そいつは基地まで連れて行こう」
その一言で間一髪助かったヤミレイは縄で拘束されてクワ・トイネ王国内の森へと連行される。
彼らの目的は自分の体を使って何かの実験をすることだったようで、ボスと呼ばれる統率者が透明な筒に針がついた器具を使い、緑の液体をヤミレイの体内に注入した。
あの時の感情はよく覚えている。
つい先日まで栄光の中で生きてきた自分が今では化物の実験台になるという屈辱と、これから何が起こるのかという恐怖。
だが、結局はその緑の液体こそがヤミレイの運命を大きく変えたのだ。
液体を打ち込まれて数分が経過した時、骨を除くヤミレイの肉体は透明な粘液となって崩れ落ち、地面に広がる。
ヤミレイとしての肉体で最後に見た景色は自分の両手が溶け落ちて、骨が露出する光景であり、そこでヤミレイは己の死を覚悟した。
……だが人間としての終わりを迎え、肉体が半透明な粘液に成り果ててもヤミレイの意識は途切れなかった。
「これは……、興味深い」
ボスはそう呟きヤミレイの粘液と化した肉体と、後で知ったことだが脳が変異して生まれた青く光るナメクジのような本体を回収し、それから半年かけてヤミレイの体は隅々まで調べられた。
その研究によって判明した情報によると、ヤミレイはナメクジのような本体と、その本体の意思である程度動かせる粘液の体の二つに分裂したらしい。
それからヤミレイが研究材料として分析されている間は、ヤミレイの体内に抗体という物質が投与されていたと聞く。
全ては理解出来ていないが、どうやら緑の液体を注入された者は、基本的に知能が低下し記憶も失ってしまう。
ヤミレイも今は人間だった頃の記憶を保持しているが、それもいずれ失われる可能性が高く、そうならない為にボスの体内から抽出した脳の変異を防ぐ抗体という物質を定期的に投与しているらしい。
ボスやアマンダと名乗るスーパーミュータントは、この抗体を体内で産生する能力を持っているため、他のスーパーミュータントよりも高い知能を持つらしい。
粘液は本体に直接触れている部分と、それに繋がっている部分しか動かせないが、ボスとアマンダというスーパーミュータントの発案で応用訓練を重ねた結果、他の生物の体内に本体を潜り込ませ、血管内に粘液を混入させる事で、生物の体を乗っ取り自分のものとして扱える能力を持つ判明した。
但し、他の生物の体を乗っ取った所で宿主として使えるのは短期間のみ。
その期間を過ぎると宿主の肉体が限界を迎えて、腐敗を初めてしまう。
スーパーミュータントの研究者達はそれを拒絶反応とやらのせいだと結論づけたようで、人間の、それもヤミレイと"でぃーえぬえー"の構造が近い者を宿主にすれば恒久的に寄生を続けられる可能性が高いと考えた。
そこでヤミレイは身柄の解放と、抗体の持続的な提供を引き換えに、スーパーミュータント達とある取引をする事になる。
取引の内容とはロウリア王国の上層部に潜り込んでスーパーミュータント達に有利な情報を流したり、便宜を図るというもの。
ボスはどういう手段を使ってきたのか、ロウリア王国の王族や貴族の毛髪を採取してきて、ロウリア王国第一王女であるミラが最もヤミレイの宿主として適していると結論し、ヤミレイも取引を了承してミラに寄生した。
動機は研究材料として一生閉じ込められるより、例え条件付きでも自由に生きたかった事。
そして己の誇りを踏みにじったスーパーミュータントへの復讐を果たすためだった。
ただ後者は抗体を相手側に握られていることや、スーパーミュータント達の圧倒的な武力を前に未だ目処が立っておらず、出来れば将来的には、という希望に近い。
今の目下の問題はパーパルディア皇国や殺人蟻への対策であり、スーパーミュータント達とも敵対よりは協力した方が圧倒的にメリットがある為、直ぐに事を構えるつもりはなかった。
やがて部屋に入ってきた侍従に身支度を整えられ朝食を済ませた後は、いつもどおりに水の神殿から部下に汲み取らせてきた神水を部屋に持ち込んで作業に移る。
自由になってからもヤミレイは自身の体について研究を重ね、スーパーミュータント達から提供されたメンタスの効果もあったのか、幾つかの重大な発見をした。
まずヤミレイは緑の液体により変異してから、魔力を生み出すことが出来なくなり魔法が使用不能になっていたが、一つだけ魔法を使う方法がある。
それは他人の体内の魔力を取り込む事だ。
ミラの肉体を乗っ取った時に、寄生に邪魔な幾つかの器官を分解して処分したが、その時にヤミレイの粘液の中にミラの肉体に含まれる魔力が取り込まれた。
ヤミレイはその魔力を自分のもののように扱う事が出来、それは魔法の使用を諦めかけていたヤミレイにとって大きな発見となる。
そして二つ目は粘液に特殊な処理をする事で、自分が使用した魔法を封じ込めた結晶を作成できること。
作成には実際に魔法を詠唱し、発動するのに要するのと同じ時間がかかるが、これを使えば魔法の資質を持たないものでも簡単に魔法を利用できる。
ミラに寄生し、成り代わった時からヤミレイに既に王族への敬意などない。
かつての自分でさえも及びもつかない豪勢な暮らしを知り、王族という立場の心地よさを感じ、思いがけなく手に入れた力に酔ったヤミレイにある欲望が浮かんできた。
……この国の王になりたい、と。
それからというものヤミレイは魔法を封じ込めた結晶を魔封石と名付け、発表する事で王族の中での自分の存在を急激に増していき、スーパーミュータント達に更なる便宜と引き換えに助力を頼み、自分が王となる為に邪魔な王族を、そして最終的には王をも暗殺して自分がロウリアの頂点に立った。
彼は自分の事を神に選ばれた王だと謳い、魔力を溜め込む粘液をジン・ハーク内に作った石造りの池に張り、神水の泉と名づけ、国民にある布告を出した。
我が国は水の神の祝福を受け、この神水の泉を与えられた。
これより我が国で亡くなった者は、この泉に入れる事で弔うべし。
さすれば神の身許へと送り届けられよう、と。
粘液は魔力を吸収すると、淡い青色の光を発する性質がある。
美しく光輝く神秘的な泉と、水の神の名前は、ロウリアの民に王の言葉を受け入れさせ、今では泉には一日に数百体の遺体が葬られていた。
粘液は有機物を取り込む事で勝手に増えるので、枯渇する心配もなく、ここにヤミレイが魔封石を無尽蔵に生産するための仕組みが整った。
……だが当のヤミレイ、いや、ミラはと言うと魔力を豊富に含んだ神水を前にして憂鬱そうにため息を吐いていた。
「はぁ……、戴冠式の時、大見得を切りすぎました。 今じゃ兵士達も湯水のように魔封石を使って殺人蟻を駆除してるし……、少しは私の苦労も知って大切に使って欲しいですね」
魔封石の作成には、実際にその魔法を使用するのと同じくらいの時間がかかる。
つまり、現在最もよく使われているファイヤーボールの魔封石を作るのには約三十秒間必要となってくるわけだ。
ミラが休憩を挟まずに魔封石を生産していっても、一時間に百個の魔封石を作るのが限度。
それを六時間行って、一日六百個生産するとしても、兵士達はそれらを簡単に消費してしまう。
正直、ミラの精神は毎日の単純作業でかなり疲弊していた。
「これがなきゃ、やってられませんよ」
そう呟くとミラは懐から、スーパーミュータントから受け取った薬物であるジェットを取り出して、レバーを引いて内部のガスを噴出させると、吸引口から深く吸い込む。
このガスには動体視力や反射神経を上げる他に、覚醒作用や集中力の強化、気分の高揚などの効果があり、ミラは魔封石作りの時には、この薬品を常用していた。
(でも、即位して間も無くパーパルディア皇国の使者を殺してしまったのはまずかったですね。 ………本当に反省しなければ。 人がジェットで高揚しているときに魔封石の製法を提供しろとか何とかで、不愉快な脅し方をしてくるものだからつい……、今度から人に会う時はジェットをキメるのはやめておきましょう)
ミラはため息を吐き、これから薬は減らそう、と何百回目か分からない決心をする。
体の構造が人間とは違うからか幻聴や記憶障害などの副作用は出ていないが、依存性の影響は受けている。
ジェットの服用をやめる事による意欲低下など、禁断症状も軽度ではあるが現れていた。
ちなみにパーパルディア皇国の件に関しては、スーパーミュータント達との約束で大きな行動を起こすときは事前に知らせるように言われていた為に、ボスに相談している。
ミラとしてはパーパルディア皇国への謝罪と賠償で何とか衝突を回避できないか、と考えていたが、ボスとしてはそのくらいでパーパルディア皇国が矛を収めるとは考えられないという意見だった。
やってしまった以上は下手に引くよりもとことんまで行った方がいい、というアドバイスの元、ミラは使者を殺した理由として、自分が王に即位したことを機に奴隷の供出を一切停止する旨を伝えた所、聞くに耐えない言葉で罵倒してきた為に討ちとったと正式に発表。
その場にいた者にも箝口令を敷いた。
これによりミラは民を想う王としての姿を民衆に示し国民の支持を一気に集めたが、パーパルディア皇国との決裂は決定的になる。
魔封石とスーパーミュータントのアドバイスにより地上戦、海上戦ではそれなりに戦える目処がついてきたが、航空戦ではワイバーンロードを有するパーパルディア皇国に対しての圧倒的不利は否めない。
非文明国とは言え、人口だけならロウリアは大国。
パーパルディア皇国と言えども、戦争には相応の準備が必要であり、まだ軍事衝突には至っていないが、それも時間の問題だろう。
なるまでは深く考えなかったが、実際に王になると責任やら立場やらで気苦労ばかり。
ミラはたまに後悔の心境になってしまう事もあった。
そんないつもと変わらない筈の一日だったが、その日の昼食時にミラはある報告を受ける。
「本日、外務局に日本国と名乗る国家が接触してきました。 彼らの申すところによると、クワ・トイネ公国から北東に千キロ程の沖合に出来た振興国家だそうですが……、我が国のワイバーンを見て初めて見たと驚いている所を見ると所詮、未開の蛮国でしょう。 先んじてクワ・トイネ公国と接触している所を見ると、我が国とは価値観も合わないように思えますし、追い払っておいてよろしいでしょうか?」
「日本国、か。 確かに聞いた事のない名前だな。 ……だが追い払う事はあるまい。 我が国はパーパルディア皇国との戦争を控えており、その際の補給地点を求めてアルタラス王国やシオス王国、フェン王国、ガハラ神国との交渉を試みているが、どこもパーパルディアに怯えていて成果は出ていない。 日本国とやらが存在する位置ならば、来るべきパーパルディア皇国との戦争において重要な地点となる可能性が高い。 ………とりあえず、私が会ってみるとしよう」
「た、確かにそうですな。 私が浅慮でございました。 しかし陛下自らおいでになる程の事では……」
「いいから、どこかの会議室を確保して会談の準備をしておけ。 私は準備をしてから向かうので、開始は二時間後だ」
宰相にそう言い放つとミラは部屋から出て自室に向かう。
(取り敢えず、軽く汗を流してから服を着替えて、緊張しないようにジェットを……、ってダメだ。 さっき人に会うときは辞めようと決めたばかりでした。 しょうがないから、メンタスで我慢しときますか……。 あ、一応スーパーミュータントにも連絡してきましょう)