緑の兄弟どもが行く 作:カロ
「耳長ニンゲン! お前の腸を引きずりだして、それを使って絞め殺してやる!」
後方から聞こえてくる恐ろしい罵声に心臓を高鳴らせながら、ウォルは必死で森の中を駆け抜けた。
突き出た木の枝が肌を掠める痛みを感じるが、もはやそんな些事に気を取られている余裕もない。
「慈悲深き森の木々よ、我に仇なす敵を阻みたまえ」
鬱蒼と茂る木々が枝を伸ばし、鋭い枝で奴らの行く手を阻むが、強靭な外皮を持つ奴らにとっては大した脅威とはならないのだろう。
直ぐに無理やり障害を突破してくる、枝折れの音が聞こえてきた。
ハイエルフという種族特有の強力な魔力と森の木々との共感能力は、このエルフの聖地、リーン・ノウの森の中で絶対的な優位となる筈であった。
かつてロデニウス大陸で猛威を振るった魔王でさえ、力押しではなく森を焼き払う事で、この自然の要塞を攻略しようとした伝説が残っている。
だが、永きに渡って破られなかった不落の神話も二年前までの話。
現在この森はブラザーズと名乗る、スーパーミュータントという魔族の集団により支配されてしまっていた。
彼らは二年半程前から突如としてロデニウス大陸に出没し、クワ・トイネ公国のみならず、クイラ王国やロウリア王国において村や小規模な町を襲い始めた。
当然、各国の軍隊は迎撃に動いたが、スーパーミュータントが持つ圧倒的な膂力と弓矢すら跳ね除ける強靭な外皮という種族的優位を崩すことが出来ず敗走。
幾度かは交渉を試みようとする動きもあったらしいが、あまりの凶暴性に全く話が通じなかったらしい。
しかし、奴らへの対抗策は全くの皆無という訳ではなかった。
スーパーミュータントは魔法を行使する事が出来ず、扱う飛び道具といえば精々が投石のみ。
そこで各国はワイバーンを用いた対空攻撃で、スーパーミュータントの脅威に立ち向かおうとした。
この作戦は実際にある程度の効果を発揮したらしいが、残念ながらスーパーミュータントもあらゆる面において愚か者という訳ではない。
理性的な対話や、生産性という面に関してはまさに獣並としか言えない種族だが、なぜか戦闘に関しては意外な知性と機転を発揮する。
奴らはワイバーンの攻撃からの防衛策として、上空からの自分達の姿の発見が困難となる森を拠点とすることを選んだ。
よりにもよってそれが、このエルフの聖地、リーン・ノウの森だったのだ。
当然この森を守るエルフはスーパーミュータントの侵攻に対応しようとしたが魔法の力も、侵入者を惑わす深森の景色も奴らの勢いを止めるには至らなかった。
魔法による攻撃はそれを凌駕する膂力でもって打ち破られ、森の声を聞けない種族を惑わすリーン・ノウの地形にも、野生動物じみた方向感覚を持つスーパーミュータントは容易く適応した。
住民のエルフ達は奴らと戦い殺されるか、聖域の守り人としての誇りをすて逃げ出すかのどちらかを迫られ、ウィルも命からがも森の外へと逃れた一人だ。
永きに渡り受け継がれてきた種族の使命から目を背け、ただ命をつなぐ事を選んでしまった。
幸いクワ・トイネ王国のある土地は大地の神の祝福を受けており、食べていくには全く困らない。
近頃は野生の獣を仕留め、その肉を売る狩人としての仕事にも慣れてきて、何とか前途が開けてきた。
しかし、そのウォルはまたこの森に戻ってしまった。
その理由は幼馴染のエルフの娘、ミーナとの別れの記憶である。
森から逃げる事を選んだウォル達の派閥とは違い、ミーナを含む全体の三分の一程のハイエルフは最後まで聖域を守る為に戦う事を選んだ。
どんなに説得しても自分の信念を曲げようとしないミーナと、最後は喧嘩別れになってしまったが、新たな環境に馴染む事に必死だった二年間を過ぎて、暮らしに余裕が生まれ始めると、なぜかミーナの事を思い出してしまう。
日に日に大きくなるその思いに、彼はついにもう一度リーン・ノウの森に足を踏み入れる事に決めた。
流石にもう生きてはいないだろうが、ミーナの最後を少しでも知ることが出来たら……。
その一心で始めた探索だったが、途中で三体のスーパーミュータントに見つかってしまい、ウォルの命も尽きようとしていた。
もはや魔力も枯渇し、逃げる体力も尽きた。
「あっ」
命の危機を目前にした焦燥の為か。
木の根に足を取られ、地面に体を投げ出してしまったウォルをスーパーミュータント達は笑いながら取り囲む。
「お前、馬鹿だ。 どうせ死ぬのになぜ抗う?」
「耳長の肉、食ってやる!」
もはや立ち上がる体力も無く、無様に地面に転がる彼をスーパーミュータントは嘲笑する。
これでは楽に殺してすら、くれそうもない。
直ぐ先に待ち構えているであろう己の未来を悟り、せめて自分の手でこの人生に引導を渡そうと、彼は腰の短剣に手を伸ばした。
(報い……、なのかな。 ごめん、ミーナ、あのとき一緒に死んであげられなくて)
ウォルの口元に乾いた笑みが浮かび、まさに短剣を抜こうとした時だった。
「っ!?」
狼を思わせる、腹を揺るがすような咆哮が森を突き抜け、ウォルの腹の奥を揺さぶる。
スーパーミュータント達も獲物をいたぶる前の楽観的な雰囲気を改め、途端に周囲を警戒しだした。
「ラビットマン! いるのか?」
「出てこい、出来損ない共! 俺はお前らより強い!」
スーパーミュータントの声に応えるように、少し離れた場所にある茂みから葉が擦れる音が聞こえてきた。
「そこだ! 行くぞ!」
一斉に走りだす三体のスーパーミュータント。
彼らの意識は一時的にウォルから逸れ、新たな外敵へと向けられている。
その僅かな隙にも、疲れきったウォルは動くことが出来ない。
だが地面に蹲っていた彼は、視界の隅から飛び込んできた何かに勢いよく抱えられる。
「なに!」
驚くスーパーミュータントが対応する間も無く、その何かとウォルは森の中へと消えていった。
______
ウォルを抱えてスーパーミュータントから逃げ出したそれは、怪物としか言いようのない姿をしていた。
全身を大部分を黒い体毛に覆われ、狼を思わせる頭部を持ち、その口からは肉を噛みちぎる為の鋭利な牙が覗いている。
手足のバランス等は純粋な獣よりも人間に近いだろうか。
だが極端な猫背であり、ウォルを抱えていた時の様子を見るに二足歩行も出来るようだが、四足歩行が最も適している移動方法のようだ。
頭から突き出す、茶色い肌の尖った長い耳だけが体表の中で唯一毛に覆われていない部位だった。
もしかしてこの怪物は、自分を喰らう為にスーパーミュータントから奪ったのだろうか。
怯えるウォルを怪物は暫く見下ろした後、鋭い鉤爪がついた指で一方向を指さした。
「日が暮れる前に逃げて。 夜の森で奴らに見つかったら逃げる術は無いわ」
獣のような外見に相応しい、唸るような低く重い声。
だが、その言葉の中にウォルは聞き覚えのある響きを感じた。
「ミー……、ナ?」
怪物はウォルの発した声に一瞬びくりとした後、何かを振り払うように数度首を振り、森の奥の方へと踵を返す。
「この森にもう来ては駄目。 奴らは……、恐らくあなたが思うよりずっと恐ろしい存在だから。 私も今度会った時は、あなたを殺してしまうかもしれない」
「ま、待て。 ミーナ……、ミーナ!?」
ミーナと呼びかけられた怪物は何も語ろうとせず、ウォルの元から遠ざかっていく。
ミーナが生きているという希望に縋りたいのか。
それともあんな姿になっているという可能性を信じたくないのか。
混乱と葛藤の中で、ウォルは後を追うことも出来ずに、怪物が消えた方向を見つめ続けていた。