もしもかごめちゃんが完全に桔梗さまの生まれ変わりだったら   作:ろぼと

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妖刀・"鉄砕牙"(上)

 

 

 

 荒地の中央に武骨な石墳が鎮座する。月光を受け夜闇に浮かび上がる巨岩の列は、静かな眠りを欲する主の心の旋律か。だがその朽ちた大地は血に染まり、墓守の群狼たちは不埒な墓暴きが働く乱暴狼藉の憂き目に遭っていた。

 

 無数の獣の死骸が散らばる墓石の前に、膝丈の白銀の長髪が波打つ一人の偉丈夫が立っている。端正な美貌に映える鋭い金色の瞳は強者の自負に強く輝き、帯びるただならぬ妖気は男の格を表す覇者の証だ。

 その青年の下へ、墓石の頂より小さな影が平身低頭で近付いた。白銀の主人へ平伏す小者もまた人ではない。身の丈の倍ほどの奇妙な杖を掲げた、嘴口の小鬼。青年と同じ人外異様───妖怪だ。

 

「"人頭杖"の、女子の面が鳴きましてございまする。どうやらここも違うようで…」

 

 不興を買う覚悟で口にした言葉は怯えを孕み、小妖怪は面目なく頭を垂れる。しかし報告を耳にした主の青年は従者を一瞥もせず、石墳へ背を向け来た道を引き返した。

 

 "宝探し"の無駄足も二百年と続けば行住坐臥。長きを生きる超越者にとっては細事に等しく、青年と主の背を追う小鬼の二人は次なる地へと旅立った。

 

 

 

「────あのぅ、やはり犬夜叉を問い質すべきではないでしょうか。彼奴ならばあるいは…」

 

 荒地を離れ、一行は道中滅ぼした国人武将の渡し船を拝借し、悠々と深夜の渓流を下っていた。その最中、若輩の小妖怪がおずおずと主へ具申した。

 延々と続く不毛な旅への不満は主の心境を慮ってのことだろう。だが従者はそこで一つ、失言を犯した。

 

「犬夜叉…」

 

 寡黙の大妖怪がその名をなぞる様に繰り返す。声に浮かぶ色は、不快。

 

「───ッゲボ、ボッ!?」

 

「…あまり思い出したくない名だな」

 

 気付けば小鬼は川へ叩き落とされていた。失態を自覚した下僕は進む船へ慌てて泳ぎながら主に弁明する。

 

「おっ、お許しを…! ですが最近の杖の反応が気がかりでございまする。向こう五十年、一度たりとも動かなかった翁の面が忙しないのも何か関係があるかとっ」

 

「くだらん」

 

 だが悲しいかな。元より無価値な雑魚の言葉など聞く耳持たぬ強大な主に、彼の進言は微塵も届かない。

 

「第一あいつは生きてはいまい。どこぞの人間の女と相打ち封印されたと聞いている」

 

「お、おっしゃる通りで。なんでもあの四魂の玉を欲して守人の巫女を襲い、返り討ちにあったとか…」

 

「そのままくたばっておればこれ以上生き恥を晒さずに済んだものを」

 

 溺れながらヘコヘコと器用に頭を下げる小妖怪は、己で述べたその名の人物について想起する。

 

 犬夜叉。

 目の前の傍若無人な大妖怪にとっては従者自身と等しく無価値な雑魚でありながら、その身を流れる血に忌々しい因縁を持つ、半妖だ。

 

 半妖とは、蔑むべき弱者たる人間の血を引く、妖怪の紛い物である。異端にして異形な奴らは反吐が出るほど醜く面妖で、その有様は宛ら人語を解す猿のよう。

 

 しかし、そんな気色悪い化物であっても、半妖犬夜叉はこの大妖怪にとって無視出来ない存在であった。奴の話になると途端に機嫌が悪化し、口数も倍以上に増えるほど。特に先日近隣の妖怪たちの集いで耳にした例の話を知れば、尚のこと捨て置けない相手となるだろう。

 従者は偉大なる主のお役に立たんと恐怖を押し殺し、口を開く。

 

「で、ですが、その……最近になってあの辺りから、妙な噂が流れて参りまして…」

 

 すると、これまで大して関心を見せなかった大妖怪が、しつこく付き纏う自称従者の小妖怪を百余年ぶりに直視した。

 

 

「…ほう? 興味深い、詳しく申せ────」

 

 

 獲物を見つけた山犬。視線の舌なめずりに晒された小鬼の邪見(じゃけん)は、新たな大仕事の予感を覚え歓喜と恐怖にぶるりと体を震わせた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「────おい犬夜叉。お主、お姉さまに何をした」

 

 

 四魂の玉を手にし、宝珠を妖力で染める最初の旅を切り上げた少年少女───犬夜叉とかごめ。再会より三日が経った二人は共に妖怪を避けながら周辺の宿場を転々と回り、帰還した拠点の村で束の間の平穏を楽しんでいた。

 とは言え、そんな彼らを放っておかないのが如何ともし難い人間関係というもの。貧弱な生身の人間であるかごめの体調を案じた半妖の少年は、彼女に休息をとこの地へ舞い戻ったのだが、そこで小煩い老女、楓に捉まり村外れの草原でネチネチと小言を聞かされていた。

 話題のかごめが水浴びに側を離れているのがせめてもの気休めか。

 

「なんでぃ、楓ババア。おれぁ別に何もしてねえぞ」

 

「惚けるなっ。いくらお姉さまの悲願だったとは言え、あのような、その……羽目を外されてるお姿など見たことがない…」

 

「羽目を外す、ねえ…」

 

 渋面の老婆を横目にふてぶてしく草の上へ横になる犬夜叉。だがぶっきらぼうな態度に反し、少年の頬は嬉しそうにヒクヒクと締緩を繰り返している。何気なく装おうと励むも感情を隠しきれない、まさに想い人との関係が好転しつつあることにはしゃぐ初々しい思春期男子がそこにいた。

 

「…けっ、どーせまたアレに見惚れてみっともねえニヤついた面晒してんだろ。天下の桔梗サマも形無しだぜ、ザマーねーな」

 

「低俗な表現をするな、お姉さまに無礼であろう! ()()()()()()ではなく()()()と言いなさい」

 

 声を荒らげる楓の剣幕に、犬夜叉はどこ吹く風で話題の少女に思いを馳せる。

 

 少年の言う「アレ」とは、彼が先日かごめに贈ったあの絹織物の打掛のことを指す。日中は澄ました顔で彼の隣を歩いておきながら、毎晩こっそり起き出しては贈られた一張羅を羽織り緩頬する桔梗と瓜二つな少女。その幸せそうな姿は狸寝入りで見ているこちらが悶えるほど恥ずかしく、されど再会以来切なそうな暗い顔ばかりする彼女から笑顔を引き出した感動は一入で、年頃の女の子らしいその素顔は誰にも見せたくないほど可憐で愛らしかった。

 本来はかごめの心を惹くために贈った着物なのだが、結局犬夜叉自身が余計に彼女に魅了されているのは皮肉と言うべきか。こうして当人の意図せぬところでさえ少女に振り回されてしまうことが腹立たしく、負けず嫌いな彼はこうして彼女を陰でからかい不毛な意趣返しに勤しんでいる。

 

「ムフッ、ククク…」

 

「…その下品な笑いを止めんか、みっともない」

 

 そんな幼稚な犬夜叉に呆れかえる楓は、彼の義妹となるであろう自分の未来に溜息を吐くばかり。大切な家族を託される男ならば甘んじて受けよ、と老巫女は姉を奪っていく男につい嫌味を零してしまう。

 

「しかし…『朝起きたら冷えぬよう着物が体の上にかけられていた』とお姉さまに伺ったが、まさかお主にそのような風情ある贈り方が出来たとはな。どこぞの光源氏の入れ知恵ではないのか、んん?」

 

「何だてめー、ケンカ売ってんのか? ったく、小姑気取りのババアってのはうるさくていけねぇ」

 

「…なぁにぃぃ?」

 

 だが直後の犬夜叉の腹立たしい態度に年配者の太い忍耐の緒はあっという間にぶち切れた。

 

「ケンカ売っとるのはお主だろうが! ただでさえお姉さまの伴侶にまーったく相応しからぬ頼りない甲斐性無しだと言うに! あろうことか()りを戻したその日の夜に女子の寝床に忍び込むなどまさに犬の名に恥じぬケダモノ! この場で成敗してくれるっ!」

 

「なっ、ち、違えよ! あれは忍び込んだワケじゃ───」

 

「不埒者の弁明など聞きとうないわっ、今この場でお主の名に懸けて正直に申せ! お主はまこと着物を掛けて差し上げただけなのだな? 本当にお体に触れてはおらぬのだなっ? お眠りになられている間にお姉さまがお主に純潔を散らされていたなどという阿鼻叫喚な事実はないと信じてよいのだなァッ!?」

 

「はっ──はあぁ!? おおおれがあいつの、じゅじゅ純け───」

 

「死ねェ犬夜叉アァァッ!!」

 

 鬼も裸足で逃げ出す般若面で目の前の外道へ掴みかかる楓。老い先短い身も顧みず少年に馬乗りになりながら首を絞めにかかる老婆の姉妹愛は、されど彼女の言葉に仰天し既に大混乱に陥った犬夜叉へ然したる制裁とはならず。あの桔梗が自分との初夜の情事に乱れる様を想像して髪の毛先まで顔を赤くする犬耳の若造と、そんな彼の態度に親の仇を見るような形相で殺意を膨れ上がらせる未来の義妹の取っ組み合いという奇天烈な光景は、互いの息が切れるまで続くこととなった。

 

 

「────犬夜叉、私はお主に感謝しておる」

 

 荒い息を治め、背を向け合い草原に座る二人。

 その片割れの楓は燻る憤りに蓋をし、後ろの助平小僧へ悪態混じりにそう頭を下げる。横目に映った犬夜叉の顔は怫然としていた。

 

「…さっきおれを半殺しにしといて何言ってんだババア、遂にボケたか?」

 

「それとこれとは話が別だ! …まあとにかく、今のお姉さまの幸せそうなお姿は間違いなくお主がいたからこそ。心底気に食わぬが、せめて礼の一言くらい申すのが筋だろう」

 

 本心ではあるものの、同時に真逆の感情も込められた楓の感謝の言葉に犬夜叉が鼻を鳴らす。不愉快そうな彼の態度はケンカ相手への蟠り故か、はたまた老女の述べた「幸せそうな姉」という言葉にどこか釈然としない思いがあるのか。神妙な面持ちで首を逸らす犬夜叉に後者の感情を読んだ楓は、この機に臆病な姉に代わって目の前の少年の真意を探ろうと決意した。

 

「お姉さまは変わった」

 

「……」

 

「笑顔が増え、また涙も増えた。あれほど幸せそうなお顔も、再会した日の辛そうなお顔も、私はお側で過ごした十余年の年月で初めて見た。平和と聞く未来の世でお過ごしになられたからか、あるいはあれこそが妹の私でさえ知り得なかったお姉さまの本来のお姿なのか……いずれにせよ今のお姉さまは前世の巫女として生きて来られた日々より、ずっと生き生きとしておいでだ」

 

 小さな悔しさを忍ばせ、楓は感慨深げに遠くを見つめる。誰よりも側にいながら気付けず甘えるばかりであった愚かな自分では、犬夜叉のように姉を巫女のしがらみから解放することは出来なかっただろう。自由に笑い、自由に悩み、自由に悲しむ"ただの女"として生きる桔梗の姿は、彼だからこそ引き出せた。

 

 だが。

 

「だからこそ、解せぬ」

 

「…何がだよ」

 

 思わず硬くなった老女の声に犬夜叉が眉を顰める。踏み込むことを拒む少年の険しい眼に臆さず、楓は多くの妖怪たちを屠って来たその鋭い眼光で目の前の半妖を睨み付けた。

 

 

「────何故、それを五十年前にしてくれなかった」

 

 

 二人の座る草原から音が消えた。

 一切の誤魔化しを許さない老巫女の気迫を受け、犬夜叉の金色の双眸が不快げに細まる。しばしの沈黙の後、楓の耳に届いたのは、少年の吐き捨てるような返答だった。

 

「……んなのこっちが知りてぇよ、胸糞悪ぃこと蒸し返してくんな」

 

「ッ、何だと貴様…っ!」

 

 まるで他人事のような無責任さに姉思いの妹の胸中は一瞬で烈火の怒りに燃え上がる。だが殺気立つ楓へ振り向いた犬夜叉の顔は、やり場のない激情に憤慨する悲痛に染まっていた。

 

「てめえ……"何だ"はねえだろ、おれが悪いって言いてえのか!? 確かに四魂の玉を奪うため村を襲ったのはおれだ! だけどそれもこれも全部───あいつがあの日おれを裏切って殺そうとしたせいだっ!」

 

「……は?」

 

 荒れ狂う両者の間に、場違いなまでに呆けた声が木霊する。楓はそれが己の口から出たものだと気付くまで、何を言われたのか全く理解出来なかった。

 

「おれは、おれは本気だった…! 本気であいつを信じ、共に生きようと思って……なのにあいつはっ、約束の日におれに矢を向けて、おれを騙し討ちしようとしやがったんだ…っ!」

 

 弾けるように立ち上がり激昂する犬夜叉。幾度と彼の主張を反芻し、ようやく少年の言わんとしていることを把握した老巫女は、そのあまりの内容に自分か犬夜叉か、あるいは双方がおかしくなったのかと混乱する。

 

「…お主は、一体何を言っておる? あの清廉潔白で万人に尽くす心優しいお姉さまがあろうことか、あんなにも愛おしそうに接しておられた男を騙し討ちだと? …封印が効き過ぎて気でも狂うたか? 貴様は一体今までお姉さまの何を見て来たのだ!?」

 

「だからンなもんおれが知りてえっつっただろ! 大体おれに止めを刺そうと思えば刺せる機会なんざごまんとあったはずなんだ! おれがまだ四魂の玉を狙ってあいつに突っかかってたときも、国越えの依頼のときも、あいつはその度に"私に似ているおまえを殺せない"って自嘲するように笑ってた…」

 

 犬夜叉の怒声が竜頭蛇尾に萎れていく。憤懣だけではない、深い悲しみを感じさせる彼の沈痛な姿は思わず溜息が零れるほど哀れで、楓はつい少年の独白に聞き入ってしまう。

 

「それがあの日突然おれを殺そうとしやがって……だってのに結局最後の最後で破魔の矢じゃなくて封印の矢でおれを生かして……おまけに四魂の玉を道連れにあの後死んだとか、もうあいつが何考えてんのかさっぱりわかんねえ…」

 

 項垂れたまま「いっそ本当に狂ったと思いたいくらいだ」と頭を掻き毟る彼の瞳に嘘は見えない。こんな、当時を思い出すだけで混乱に苦悩する素直な少年が──先ほど述べたことが真実だったとして──反撃や報復であの肩の傷を恋人に刻むことなど出来るのだろうか。

 楓は全く噛み合わない両者の話にかつてない胸騒ぎを覚え、当時の出来事を詳しく問い質そうと口を開く。

 

 

 だがそんな彼女の言葉が喉を通り抜ける直前、邪魔者どころではない巨大な脅威が二人へ牙を向いた。

 

 

「────! な、何だこの妖気はっ!?」

 

 草木が騒めき、空気が水底に沈んだかのように重く冷える。

 それは穢れの気配、妖気。背筋が震えるほどの暗い予兆の後、突如二人の後ろの森から巨大な炎の塊が襲来した。

 

「ッ、伏せろ楓ババアっ!」

 

「なっ───」

 

 楓が少年の手で地べたに引き倒されるのと、吹き荒れる炎熱が彼女の頭上を掠ったのはまさに紙一重の差であった。爆風に乗り草原を焼き尽くす猛火を避け、犬夜叉は慎重に目と鼻で敵の位置を探る。

 だが襲い掛かる火柱は一つに非ず。二撃、三撃と立て続けに森の奥から放たれる爆炎から身を隠し、二人は強烈な熱気の渦に耐え続ける。"火鼠の衣"が無ければ今頃丸焼きとなっていただろう。

 

「チッ! おい、くたばってねえかババア!」

 

「ぐ……ッバカな、妖怪だと!? あのお姉さまの自慢の結界を破ったと言うのか!?」

 

「桔梗は未来で鍛錬サボりやがって腕がすんげえ鈍ってんだ! 今の力じゃそれなりの妖怪ならああして食い破んのだってワケねえだろうぜ、ちくしょう…っ!」

 

 激しい炎の弾幕がこちらの動きを阻害し、人間の楓を庇いながらじり貧に追い込まれる犬夜叉。そんな二人の背に親しんだ女の声が投げ掛けられた。

 

「────二人とも、無事か!」

 

『!!』

 

 咄嗟に振り返り見た光景に、年長の男女は思わず顎を垂らす。視線の先に居たのは、水浴びで濡れたままの襦袢を乱暴に纏っただけの、あられもない姿をした少女であった。

 

「桔梗!? バカ、来んじゃねえ───っておまえ何てカッコしてんだ!?」

 

「着替える暇が惜しい! 楓、弓矢を寄越せ!」

 

「な、なりませぬ! ここは私と犬夜叉が相手を…!」

 

「足手まとい扱いするな、弓でなら多少は戦える! もう二度と四魂の玉を巡っておまえたちを失ってなるものか…っ!」

 

 だが一度"桔梗"として耐え難い不幸を知ったかごめに、二人の危機を後ろで呑気に見守ることなど不可能。少女は犬夜叉と妹の反対を押し切り強引に戦線に合流する。

 

 その瞬間を見計らうかの如く。立ち上る炎の壁の奥から、悠々と大小二つの人影が現れた。

 

 

「────"四魂の巫女"。大層な使い手だと聞いていたがこの程度の結界とは、所詮は犬夜叉如きと相打った雑魚か」

 

 

 それは華やかな大鎧を着崩した長い銀髪の美青年と、巨大な杖を掲げるギョロ目の小鬼。

 背筋が凍えるほどの膨大な妖気が敵の並外れた力を情け容赦なく伝えてくる。特に目を引くのは膨大な妖力を帯びた敵の得物───青年の腰の妖刀と、小鬼の妖杖。両者共に油断ならない強敵だと即座に判断した巫女姉妹は身構える。

 その横で、現れた(もの)()たちへ一人だけ異なる反応を示す男がいた。

 

「ッ!? て、てめえは…!」

 

 咄嗟に声を上げたのは、犬夜叉であった。

 長い時を生き、己の実力に強い自信を持つ彼が恐れるほどの相手か。普段の勝気な笑みが陰り、明らかな動揺を見せる少年の態度にかごめの警戒心が跳ね上がる。

 

「…知り合いか?」

 

「チッ……おいこら、殺生丸(せっしょうまる)! 何の用か知らねえが、後ろのやつらに手ぇ出したら死んでも許さねえぞっ!」

 

 ジリジリと焦がすような殺気に耐え兼ね、犬夜叉が伏せていた丘から飛び出し眼前の二人組へ指を突き付けた。

 "殺生丸"と呼ばれた長髪の大妖怪が、その能面のような顔の眉間に小さな皺を寄せる。そして開かれた青年の口が紡いだ言葉は、瞠目に値する驚愕的な事実であった。

 

 

「────ほう。この兄を前にして老婆小娘を庇う余裕があるとは思い上がったな、愚弟よ」

 

 兄、愚弟。

 

 聞き間違いでなくば、この凶悪な妖気の物の怪は犬夜叉の兄を名乗ったのか。思わず隣の少年の横顔を凝視するかごめを余所に、大妖怪と半妖は侮蔑と嫌悪の視線をぶつけ合う。

 

「それとも、ただ貴様の半身を流れる血と同じ…卑しい人間共とつるむことが生き甲斐か。一族の恥さらしめ」

 

「ッ、何だと…っ!」

 

 兄弟を名乗る双方の瞳は一切の肉親の情を映さない。妖怪と半妖、かつて犬夜叉が実母を人間だと言ったことを覚えていたかごめは、両者の間を漂う険呑な空気に一瞬で全てを察した。

 同じ人間から外れた身でも、姉を慕う妹の楓がいてくれた自分とは異なり、犬夜叉には弟を半妖と蔑む妖怪の兄しかいなかったのだろう。殺伐とした戦場にありながらも、かごめはどこまでも孤独な彼を思い胸を痛める。

 

 そんな少女の前で、犬夜叉もまた惚れた女とその妹を守ろうと気丈に二人を背に庇っていた。

 

「殺生丸、てめえ…そんなくだらねえこと言うためにおれの前に現れたってのか?」

 

「己惚れるな半妖、私は下賤者の前に用なく足を運ぶほど暇ではない。…貴様に問いたき儀がある、偽りなく答えよ」

 

 人間の女たちなど見向きもせず、赴きを述べた大妖怪は眼下の弟を超然と見下ろしたまま冷ややかに問い掛けた。

 

 

「────父上の墓はどこにある」

 

 

 自分とよく似た金色の瞳が無遠慮に向けられる。それを腹立たしげに睨む犬夜叉は、片眉を持ち上げ兄へ問い返した。

 

「…親父の墓だぁ? 何でンなもん探してんだ、てめえが律儀に墓参りでもするタマか?」

 

「墓とは死者ではなく残された生者のためにこそある。貴様如き半妖には見ることさえ烏滸がましい父上の"牙"がその地に眠っているのだ」

 

「ッ半妖半妖うっせえんだよ、てめえっ! 大体親父の牙なんか抜き取ってどうしようってんだ! お守りにでもすんのか、父親離れ出来ねえおこちゃまがよお」

 

 負けじと挑発を返す弟。一触即発の険呑な空気が漂う中、かごめはふと、犬夜叉の兄を名乗る男の言葉に微かな既視感を覚えた。

 目の前の妖怪はかごめはもちろん、桔梗ですら初めて感じる凄まじい密度の妖気を纏う化物だ。間違いなく国を超えて名が知れ渡るほどの大物で、断じて父親の遺骨を形見に持ち歩くような人間らしい軟弱な思考はしていまい。ならば男の真意はその"牙"という喩の言葉にこそある。

 

 そこで、かごめはこの兄弟の父親に関する伝承を思い出した。巫女修行の旅の途中、都で陰陽寮の術師に聞いたとある古の大妖怪の逸話。犬夜叉の父がかの伝説の怪物であると本人から聞いたときは驚いたものだが、もし彼の兄の言う"牙"が犬妖怪族の武力を指す比喩であるのなら、彼が求める父の武力の象徴はおそらく一つ。青年の腰から感じる恐ろしい妖気の正体だ。

 

「…もしや、西国の妖刀伝説か?」

 

 かごめの呟きの直後。妖気をぶつけ合う兄弟が矛を収め振り向いた。

 

「ほう…」

 

「ッ、なんか知ってんのか桔梗!」

 

「お姉さま、それはもしや上方で聞いたあの…」

 

 三者三様の反応を受け、必要を感じた少女は徐に当時の記憶を綴り出す。

 

「…その昔。大樹公が鎌倉におられた治世に、畿内近国から鎮西一帯を縄張りとした巨大な化け犬がいたらしい。名は"闘牙王"(とうがのおう)とも"犬の大将"とも国によって様々だが、いずれの伝説も幾振りの強大な力を持つ妖刀を振るっていたとされる。主の死後の行方は知らぬが…」

 

「…それがおれの親父、だってのか…? 刀なら殺生丸がそれっぽいのを一本腰に持ってやがるが…」

 

「ああ。眉唾な御伽噺だと思っていたが、もしかしたらおまえの兄の刀と対になるものが父君の墓に納められているのやも知れぬ」

 

 かごめは途轍もない妖力を帯びた男の得物を指さす。当初より警戒していた妖刀だが、真実が伝説の通りならば未だ殺生丸が手にしていない幾振りが残っているはずだ。

 

「…なるほど、妖怪の間で知れ渡るほどの巫女ならばその知識も頷ける。かつて我らの偉大なる父が自らの牙から打ち出した二振りの片割れにして、一振りで百の妖怪をなぎ倒すと謳われる妖刀……名を"鉄砕牙"(てっさいが)。それが父上の墓に残されている我が一族の宝刀だ」

 

「ほーん、で? なんでその宝物の在りかをおれが知ってることになってんだ。親父のことなんてほとんど覚えてねえぞ」

 

「"見えるが見えぬ場所、真の墓守は決して見ることが出来ぬ場所"、それが墓の手がかりだ。真の墓守とやらが貴様なら知らぬのも道理。…故に────」

 

 心底興味がなさそうな犬夜叉へ、殺生丸が目を向ける。その瞳はまるで道端の蟻を見るかのように何気ない。

 

 

「────やれ、邪見(じゃけん)

 

 

 だがその指示が飛んだ瞬間、犬夜叉たち三人の目の前に巨大な炎の塊が現れる。

 それとほぼ同時。

 

「ッ、離れろ犬夜叉っ!」

 

 少年は突然横から受けた衝撃に突き飛ばされた。

 

「なっ、桔梗!?」

 

「お姉さまっ!」

 

 狙われた犬夜叉本人すら固まる一瞬の最中、その体を動かしたのは鈍った巫女の直観とは異なるもう一つの、女の力。されど身代わりとなった彼女は、殺生丸の側に侍る従者、邪見(じゃけん)の持つ"人頭杖"の妖炎の直撃を受けてしまう。

 

「あの甘い父上のことだ。己の恥とは言え実の息子、瀕死にまで追い詰めれば自ずと墓への道を開いてくれよう」

 

「ふっふっふ、年貢の納め時というやつよ───って、人の話を聞かぬか犬夜叉!」

 

 襤褸雑巾のような姿で転がる人間の女など見向きもせず、大妖怪とその従者が淡々と次の手を準備する。だが犬夜叉と楓は最早敵に備えるどころではない。

 

「桔梗!? おまえ……クソッ! しっかりしろ桔梗! 桔梗ォッ!」

 

「ッおのれぇ、よくもお姉さまを…っ!」

 

 二人は苦しげに体を抱くかごめの下へ殺到する。幸い意識が飛ぶほどの怪我ではなかったのか、かごめが動揺する少年と老女へ微笑み無事を主張した。

 

「くっ……だ、大事ない、掠り傷だ…! 楓は急いで村人たちの避難を頼む!」

 

「お姉さま…! ッ、わかりました。どうかご無事で…っ」

 

「頼んだぞ、私はやつらを村から遠ざける!」

 

「な、おい待ちやがれ桔梗っ!」

 

 悔しげに去る楓を見送り、よろよろと立ち上がったかごめは犬夜叉の制止を振り切り森の奥へと走り出す。だがその足は覚束ず、少女は飛び込んだ獣道を十歩といかない内にガクリと膝から倒れ込んだ。

 

「桔梗!? てめえまた無理しやがって───ほら、掴まってろ!」

 

「あっ」

 

 立ち上がろうとするかごめを横抱きに、犬夜叉は彼女を匿える安全な地を求め全力で森を疾走する。

 

 断じて認めやしない。しかし本物の妖怪になりたいと願う犬夜叉の理想の姿は常に、孤高にして最強、唯我独尊の妖怪らしい妖怪である長兄、殺生丸そのものだった。故に少年は、恐らく誰よりもあの大妖怪と己の埋め難い力の差を理解していた。

 

 以前のように独りであれば、いつもの意地で臆することなく迎え撃てただろう。その蛮勇がどのような結果であれ、自分を半妖と罵り侮る者へ抗う己の誇りを守れるのであれば、それでよかった。

 

 だが犬夜叉には、己の誇りより遥かに大切なものが出来てしまった。桔梗という、自分の強大な妖怪の血を捨ててでも共にいたいと思った巫女が。かごめという、そんな桔梗が願った"ただの女"として生まれ変わった奇跡の少女が。

 

 そんな惚れた女に身を挺して守られ、結果、腕の中の彼女は立てぬほどに傷だらけ。

 なんと、なんと不甲斐ないことか。

 

「は、放せ犬夜叉っ。少し転んだだけだ、一人で走れる…!」

 

 抵抗し暴れる彼女の四肢は手折れそうなほどに細く、胸板を叩く拳も非力な女のもの。あの一騎当千の巫女を巫女たらしめる力は破魔の霊力のみで、その残酷な事実が犬夜叉の心を搔き乱す。

 そして、生まれた感情は新たな決意へと昇華する。

 

「うるせえっ、"ただの女"なら大人しくおれに守られてろ!」

 

「…ッ!」

 

 犬夜叉の怒声に少女が押し黙る。

 たとえ霊力が優れていようと、弓の名人だろうと、多様な術に明るくとも。それら彼女の強さは何一つとして彼の意思を曲げる力になり得ない。何故ならその根幹にあるのは、理屈などという誰にでも導ける答えではなく、胸に抱く愛する女を手放したくない一人の男の矜持なのだから。

 

 しかし。

 

 

「────鬼事(おにごと)に興じる気はない」

 

 

 如何なる強き意思であっても、絶対的な力の差を覆すは修羅の道。

 

「なっ───ぐあァッ!?」

 

「犬夜叉!?」

 

 元より人一人抱えた彼の足で逃げ切れる相手ではない。気付いたら二人は追手に捕捉され、咄嗟に少女を庇った犬夜叉は鉄をも斬り裂く憎き兄の攻撃を喰らっていた。一瞬の異物感の後、強烈な熱が背中を焦がす。少年はかごめを抱き抱えたまま慌てて地面に転がり回避を図った。

 

 だが彼の試練は未だ始まったばかり。

 

「ほう、その人間ごと我が"毒華爪"(どっかそう)にて溶断するつもりだったが……少しは腕を上げたと見える」

 

「あ……が、か、体が…!」

 

 どろりと体中の筋肉が脱力し、即座に犬夜叉は自身に起きた異変の正体に思い当たる。しかし気付いたところで意味など無く、大切に抱えていた少女はいとも簡単に腕から零れ投げ出された。

 

「犬夜叉!」

 

 追撃。体が縦に真っ二つになったかのような激痛に、少年の視界が一瞬で闇へと引き摺り込まれる。だが犬夜叉は耳元に微かに届くかごめの悲鳴を聞いた瞬間、遠のく意識を必死に手繰り寄せた。

 

「ちくしょうッ……死んで、たまるか!」

 

「フン、()()()たまるか。父上にはさっさと墓の在りかを示して頂きたいものだ。此奴のような雑魚を殺さず痛めつけるのは難儀が故に」

 

「てめえェッ…!」

 

 路上の石ころが蹴り飛ばされるように身体が宙を舞う。半妖のことなど眼中にすらない殺生丸の圧倒的な力に晒され、犬夜叉はあまりの屈辱に怨嗟の念を撒き散らす。

 

 強くなりたい。誰にも負けない強い男に。目の前の傍若無人を超える、絶対的な力を持った強い自分に。

 

 そう願う彼の意思に、懐の宝珠が妖しい光を帯びた。

 

 

『!!?』

 

 

 直後、相対する四人は同時に驚愕の声を上げる。

 満身創痍の犬夜叉の、右目。彼の象徴とも言える金色の瞳から突如、謎の渦が発生したのだ。

 

「なっ───うわああァァッ!?」

 

「犬夜叉!? くっ、何だこれはッ!」

 

 それは一瞬の、抵抗する意思すら芽生えぬ須臾の出来事。目の錯覚かと己を疑ってしまった僅かな隙に、膝を突く犬夜叉と彼を抱き留めるかごめは開いた渦の引力に成すすべなく吸い込まれた。

 

 

 如何なる望みも叶えると伝わる四魂の玉。巫女の手を離れ半妖へと渡ったそれは、少年の最初の願いに応じ、最も身近な()の下へいざなう小さな一押しとなった。

 

 

 

 

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