もしもかごめちゃんが完全に桔梗さまの生まれ変わりだったら   作:ろぼと

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いつもコメント&評価ありがたき候。
お待たせしました、現世編その1です。



校門の銀髪ロン毛

 

 

 

「────やっぱ神隠しだよ」

 

 

 畳敷きの間にて、二人の男女がちゃぶ台を囲み座っている。片割れの童子の域を出ない幼い少年が零した呟きに、相席の女性はおっとりと首を傾げ手元のお茶を啜るだけ。対する少年の顔は神妙で、両者の間には奇妙な温度差があった。

 

「もう三日も帰ってない。ねーちゃん、神様に気に入られて攫われちゃったんだ…」

 

「まーあの子なら神様に求婚されても驚きませんけど」

 

「驚くよ! かーちゃんいつもは『年頃の女の子がー』とかうるさいくせに、何でこんなときに限ってそんな落ち着いてられるのさ」

 

 どこかズレている女性、母の論点に少年は肩を落とすばかり。

 少年の名は日暮草太。日暮神社の宮司一族に生まれた長男の彼は、現在人生を揺るがす大事件に直面していた。

 敬愛する姉、かごめの失踪だ。

 

 事の発端は先週金曜の晩。諸事情により祖父の管理するこの神社へ引っ越して以来何かと様子のおかしかった彼女が、十五歳の誕生日の夜に忽然と姿を消した。部活の練習を言い訳に誕生日祝いの席を立ったまま戻らず、残された日暮家三人で境内から近所周辺を探したものの未だ成果無し。気付けばもう三日が過ぎようとしている。

 大人顔負けの理性的な優等生として一目置かれていたかごめの突然の消失。非力な未成年の女の子、無論大いに心配されて然るべき事態だ。

 

 しかし、こと日暮一家における長女かごめの人物像は、その辺の無垢な女子中学生とは一線を画す異質なものであった。

 

「だってあの子見た目に似ず妙に逞しいし、誘拐事件程度なら自力で何とかするわよ」

 

「…確かにねーちゃんならついカッとなって逆に相手をボコボコにしちゃいそう」

 

 二人の脳裏に過るのは昨年の暮れ、神社に屯していた不良グループをかごめが半殺しにして追い出した事件だ。返り血を頬に垂らし「これで大丈夫でしょう」とニッコリ微笑むその姿はまさに鬼の仕事人。古の女傑の魂を身に宿すと密かに一族内で囁かれる彼女は温和な性格の裏に容赦ない激情家な面を隠し持ち、大の大人数人を容易く屈服させる生まれながらの優れた古武術使いであった。

 他にも小学校の遠足のとき、迷子の班員を探すため牧場の馬で鵯越の逆落としを再現したり、迷子を見つけた後もその辺の草や木の樹液を使った軟膏をねん挫した彼女に処方したりと謎のワイルドさを持つかごめは、今回のような大事件にも拘わらず家族からある意味絶大な信頼を寄せられていた。

 

「荒事になるとすぐ力で解決したがるのはかごめの悪い癖ね。女の子なんだから乱暴な振る舞いはダメよ」

 

「…女の子なら行方不明になったらもっと心配してあげるべきなんじゃないの?」

 

「もちろん心配はしてるわよ? どうせ自力で帰って来るでしょうから騒いでないだけ」

 

 座して長女の帰宅を待つ呑気な母に草太は首を捻る。こんな状況、家の超人娘を"年頃の女の子"として扱いたがるこの女親なら到底穏やかでいられないはずなのだが、当人は何やらニヤニヤしたままいつも通りの生活を続けている。その違和感が気掛かりで、されど少年の疑問は残るもう一人の家族が廊下から姿を現したことで棚上げされた。

 

「────ふー、疲れた疲れた」

 

「あらおかえりなさい、おじいちゃん。電話いかがでした?」

 

「うむ、三年の新担任の七瀬先生じゃった。かごめのその後の体調はどうかと心配しておられたので『まだ何とも言えません』と誤魔化してきたよ」

 

 蘊蓄が大好きな小柄な老人、草太の祖父である。深夜のサラリーマンのような草臥れた様子で座布団に座る老宮司は、日曜を挟み土月と無断欠席中の孫娘の尻拭いのため今日も鳴り止まない電話の応答で忙しい一日を送っていた。

 

 もっともその尻拭いの方法にも独特の個性があるらしく、常識人である草太は祖父の電話対応をあまり信用していない。

 

「でもじいちゃんが昨日の電話の言い訳に使ってた"ケッカク"ってやつ、いっぱい咳して血まで吐いちゃうすごい病気って辞書に載ってたよ? ただの風邪って言えば大事にならずに済んだんじゃ…」

 

「古今東西、佳人薄命の象徴と言えば結核と相場は決まっておるのじゃ。文句なら美しいかごめに言いなさい」

 

「…ねーちゃん、学校戻ったら苦労しそう」

 

 微妙に失礼な理由に草太は老人へ白い目を送る。そんな空回り気味の祖父は、長女失踪事件の真相が自慢の一族伝説に隠されていると信じ、時は来たりと宮司の使命感に燃えていた。

 

「孫の贔屓目なくともかごめは実にしっかり者のよく出来た娘じゃ。あの子が断りもせず家を出て以後音信不通だなど、それこそ古の巫女であった前世に関わるのっぴきならぬ事情があるに相違ない! やはりここは先祖代々伝わる由緒正しき神事で────」

 

「ご近所から苦情が来るので神頼みの御祈祷やるなら明日にしてください。もう夜なんですから」

 

「あ、はい…」

 

 貴重な頼れる家長アピールチャンスを嫁入り娘にピシャリと封殺された舅が項垂れる。

 とは言えそれでも老宮司が孫娘の身を案じていることに変わりはなく、またこれほど長い間行方知れずとなった以上、最早事実を隠し続けることは社会的に不可能。よってそれを三人のちゃぶ台で切り出したのは、やはり一家の長老である祖父だった。

 

「しかしのう、かごめが消えてからもう三日も経つのじゃ。一年二年と続けて皆勤賞を取っておったあの子が新学年早々休んだせいで学校でも騒ぎになっておると聞く。先生方や由香ちゃんたちから来る電話を誤魔化すのも限界。そろそろ警察に連絡せねばならぬのやも知れん」

 

「…うん、ぼくもそう思う。やっぱこのままじゃ不味いよかーちゃん…」

 

 交友関係は広く浅くを信条としていたかごめとて、それなりに親しい生徒は何人か居る。教師はもちろん、珍しいかごめの欠席に律儀にお見舞いの電話をかけてくれる学友たちのためにも、一刻も早く無事な姿を見せて欲しいと願う孫思いの祖父の願いは切実であった。

 

 

「────全く二人とも、神隠しだの誘拐だの勝手なことばっかり言って。大事にしちゃダメでしょ、かごめが困っちゃうわ」

 

 そんな弱気な男衆を窘めたのは、一人だけ何やら確信めいたものを態度に忍ばせる草太の母であった。頑なに長女を信じ、普段通り娘の帰りを待つだけの無責任な実親へ、長男が不満の声を上げる。

 

「三日も家出なんて十分大事だよ! なんでそんなにねーちゃんが大丈夫だって思うのさ」

 

「むっ、もしやママの夢枕に『かごめは無事』とのお告げがあったとか? いつの間に霊力を…!」

 

 息子は情けなく慌てふためき、舅は隙あらば神隠し説に拘る。これだから男は、と肩を落とす母は続いてニヤリと頬を崩し三日も温め続けた持説をようやく詳らかにした。

 

 

「お告げなんかなくても女親にはわかるんですよー。今あの子はおそらく────燃えるような"恋"に夢中なのですから、ふふっ」

 

『……は?』

 

 

 にこやかに「その内報告にひょっこり帰って来るわ」と言い残し、湯飲みに口を付ける母。ポカンといつぞやのように顔を見合わせる男性陣は、されど此度はただ呆れ返るだけで彼女の恋愛脳な極論には冷静だった。

 

「まーたそんなこと言って────」

 

 だが草太が口を開いたその瞬間、一同が集う社務所の玄関から物々しい音が聞こえてきた。

 そして何事かと腰を浮かせた祖父と草太の視線の先の廊下に、待ち焦がれた最後の家族が現れた。

 

 

 

「────只今帰参致しました、おじいさま、お母さま、草太。長らくご心配おかけした次第にて、まことに申し訳ございませんでした」

 

 

 

 突然の事態に唖然とする男衆の後ろで、母がいやらしい笑顔を浮かべながら娘の帰還を歓迎する。面目なさそうに三つ指突いて下座をする若い少女を凝視すること数瞬。ようやく目の前の光景を脳が許容した草太と祖父は、三日ぶりとなる喉が潰れるほどの大絶叫を解き放った。

 

『ホ、ホントにひょっこり帰って来たああっ!?』

 

 我に返った男たちの叫び声が社務所近隣に木霊したのは、斜陽差し込む黄昏の暮れ六つ。俗世と神秘が交差する酉の刻、逢魔が時であった。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 日暮神社の騒ぎより、時は戻りて五百と余年と、あと少し。

 

 戦国時代へタイムスリップしていた話題の少女かごめは、再会した想い人──犬夜叉と共に強敵殺生丸を退け、無事前世の故郷の村へと凱旋していた。避難中の村人たちから歓迎された彼女だったが、今は宴会に盛り上がる集会所の奥間で楓から怪我の治療を受けている。相方の半妖思春期小僧が不在なのは姉思いの老巫女の計らいだ。

 

「────ああ、お美しいお姉さまのお肌がこんなに……女一人守れぬとは犬夜叉め、痕になったらどうするつもりなのだ」

 

「そう言ってやるな、楓。あいつがいなければ私は殺生丸に殺されていた」

 

 鼻息荒く「次見かけたらとっちめてやるわ」とこの場にいない少年へ苛立ちを募らせる妹に、襦袢を脱いだかごめが苦笑する。その顔は楓の昔の記憶にあるとおりの、優しい穏やかな姉のものだ。

 だがその"桔梗"の顔が、今世の彼女の幸せそうな笑顔を知る老いた妹の目にはただならぬものに映った。

 

「助かった。楓は本当に癒術が上手になったな、もう私では敵わぬやも知れぬ」

 

「…なんの、姉の心の傷も癒せぬヤブにござりますれば」

 

 楓の拗ねる声に、軟膏を塗り終えいつもの学生服に着替えたかごめが困ったように眉を傾斜させる。

 

 元々桔梗の凛々しく気高い振る舞いの多くは、身を心を人妖魑魅魍魎から守るための仮面だ。

 無論全てが偽りの姿とまでは言えない。だが生まれながらの巫女などありえぬ以上、どちらがより彼女らしいかはさておき、どちらがより人間の女らしいかと言う問いならば、やはりかごめとして生きる今の姉の在り方こそが、桔梗という"女"が本当に望んだ姿なのだと楓は自信を持って答える。

 だからこそ老いた妹は"桔梗"の顔に戻った姉の、巫女の仮面を被らざるを得ないほどの苦悩を見逃さなかった。 

 

「…別に心の傷などないさ。なぜそう思う?」

 

「お姉さまがその巫女のお顔をなさるときは己の弱さを見せまいと強気に振舞っておられるときにございまする。私と別れた後に犬夜叉と何があったのかは存じませぬが、お姉さまはもう少し男に素直に甘えることを覚えませぬと……傍から見ればただのウジウジ悩む七面倒な小娘ですぞ」

 

「…ッ」

 

 思わず年の功で小言を口にしてしまったが、バツが悪そうに顔を逸らすかごめを見る限り彼女自身も自覚はあったらしい。楓は初めての恋煩いに悶々とする偉大な姉のいじらしい姿に、生暖かい溜息を零す。

 

「全く……よろしいですかお姉さま。男というものはちょーっとしなを作ってやれば犬のように懐くバカな生き物故、お姉さまはただご自分の美貌を武器に犬夜叉に甘えるだけでよいのです。あやつは既にお姉さまの虜にござりますれば、如何な理不尽なお願いとて向こうの方から喜んで折れましょう」

 

「……」

 

 投げ遣りな高説は当然のこと。楓にとっても姉との再会は奇跡を越えた神仏の御業に等しい幸運で、魂に染み付いた巫女のものとは真逆の、ただの女としての人生を慎ましく生きる"桔梗"の姿は目に入れても痛くないほどに愛おしかった。そんな彼女に笑顔を与え、また奪いもするあの半妖小僧の無礼非行にはどうしても辛辣になってしまう。

 

 とは言え桔梗の前世と今世を見て、尚も二人の仲を引き裂こうと考えるほど楓は外道ではない。複雑な事情に苦しみながらも、必死に想い人との絆を取り戻し守ろうとする、大切な姉の憔悴した姿。その背中に胸を痛める老巫女は妹としての使命に駆られ、助言を授けることにした。

 

「…犬夜叉が信じられませぬか?」

 

「ッ、そんな…!」

 

 沈痛な声で否定するかごめには、誰にも頼ることの許されない生涯を送り、一度だけ女の幸せを望んだ瞬間まるで報いの如く己の全てを失った哀れな前世がある。かつての悲劇の光景が脳裏に焼き付く彼女に、犬夜叉へ心中を余さず打ち明ける覚悟を決めさせるのは酷なこと。

 

 だが、楓には一つ妙案があった。

 

 

「でしたら、あやつを試してごらんなされ」

 

 唐突な進言にかごめは眉端を下ろす。額を垂れる冷や汗が、何やら一筋縄ではいかない問題の予兆を物語っていた。

 

「…試す?」

 

「ただ守ると誓っただけで女を射止めた気になっておる愚かな犬っころに、"女心のわからぬ小童め"と灸を据えるのです。…そうですなぁ、いっそのこと───」

 

 困惑に目を細めるかごめの瞳に、己の意地の悪そうな笑みが映る。

 

 

「────未来の世に、一度戻られてはいかがでしょうか」

 

 

 シン。そんな擬音が聞こえるほどに、目の前の少女は身動ぎ一つなく固まった。

 続いて、少しずつ動揺の色に染まりゆく彼女の顔を見つめていると、辛うじて開かれたその小さな唇がぽつりと掻き消えそうな問いを紡いだ。

 

「…戻、れるのか?」

 

「さてそこまでは。ですが件の父王の墓への入り口のように、門とは出入り双方のために作られるもの。それに時代樹より作り出された"骨喰いの井戸"には時の理を捻じ曲げる力が隠されていても不思議ではありませぬ。何かそれらしき切っ掛けがあれば、あるいは」

 

 不明瞭な返答ながら、その実楓は半ば確信していた。あの枯れ井戸は捨てた妖怪の骸を消失させる力があり、同時にかごめの成した時渡りとの因果関係を推理すれば自ずと答えは導かれる。

 だが、あの半妖の少年と過ごす日々を胡蝶の夢と戒めるかごめにとって、それは到底穏やかでいられないことだった。

 

「…私に、犬夜叉の側から一時でも離れろと申すのか? 現世へ戻れたとて、もしこの乱世への時渡りが此度一度きりの夢幻であれば…」

 

「あやつとお姉さまの絆はそんなか細いものではありますまい。見ている私が一番よくわかっておりまする」

 

 微かに震えるかごめの不安を、楓は自信に満ちた言葉で掃おうとする。

 何より老巫女は、唯一の家族だった姉に先立たれた妹として一つだけ物申さねばならなかった。

 

「それに、親姉弟とは互いを思い合うもの。未来の世ではお姉さまの今世のご家族が心配しておられるでしょう」

 

 父王が犬夜叉に授けた妖刀"鉄砕牙"の逸話をかごめから聞いた楓は、彼ら父子の家族愛が強く印象に残っていた。それは語り手の姉とて同じことだったらしく、致し方なかったとはいえ言伝も残さず住まいを離れた彼女は己の失態に遅れて気付き顔を青褪めている。

 

 それでも二の足を踏んでしまうのは、それほど犬夜叉と過ごした逢瀬の日々を愛しみ手放したくないからだろう。体を強く抱きしめるかごめの様子は、まるで身が引き裂かれる痛みに苦しんでいるかのようだった。

 

「なぁに、ご心配召されますな。何かあれば未来(そちら)の井戸より犬夜叉を呼べばよいのです。お姉さまが未来の世へ帰ったと聞けば大慌てで『桔梗ーっ!』と井戸へ名を叫びに飛んでいくことでしょう」

 

 あの不遜な犬夜叉が、犬らしく井戸の底を掘りながら惚れた女の下へ行こうとする姿がありありと脳裏に浮かび、楓は思わず吹き出し破顔する。そんな妹の明るさが、五里霧中のかごめの心に差し込む確かな光となった。

 

「…また、私を呼んでくれるだろうか。未来と乱世……五百年もの時を、繋げてくれるだろうか…」

 

「無論にございまする」

 

 いざとなれば二人には四魂の玉があるのだ。散々振り回してくれた災厄だが、愛し合う男女の橋渡しとなるのなら、正しい使い道として願いも叶うだろう。

 

「何よりこの楓。お姉さまの妹として───」

 

 そして老女はふてぶてしい勝気な笑みで、あっけらかんと宣言した。

 

 

「────愛する女のために時も渡れぬ無能な男に、大切な姉を渡すワケには参りませぬ」

 

 

 果たしてその言葉が決め手となったのか。目を丸くした後、憑き物が落ちたようにころころと一頻り笑ったかごめは、遂に老いた妹の説得に両手を上げた。

 

「わかった。ならおまえの知恵の通りに、私もあいつとの絆を信じるとしよう」

 

「では私は後日に犬夜叉めの尻を叩いてやります故、お姉さまはごゆるりと未来の世で彼奴の呼び声をお待ちくだいませ。そして見事五百年の時を繋げて見せた暁には、ご褒美とでも誤魔化してあやつに目一杯甘えてやるのです。それが必ずやお姉さまの心を晴らす一歩となりましょう」

 

「…ああ。女らしく出来るかどうかはわからぬが、あいつに『らしくない』と言われるくらいには励んで見せるさ」

 

 零れた苦笑は降参の意。元の強く気高い桔梗の顔に戻った姉は一言礼を残し、再会を約束して村の集会所を後にした。

 

 

 

「────お姉さま…」

 

 かごめの去った戸間口へ、楓の掠れる声が相手へ届くこと無く消えていく。老女の顔に浮かぶ表情は先程までの明るさとは真逆の、痛ましい憐憫。聡い楓は姉の目に晴れぬ闇があるのを見逃さなかった。

 桔梗の胸奥深くに刻まれたかつての傷は未だ癒えず、希望の光に照らされるほど、その陰に浸る傷は膿み続けている。彼女が気付かぬまま、ずっと。

 

 あの殺生丸との戦いで何があったのか、楓にはわからない。果たしてそれは件の兄君に起因するのか、はたまた新たな力で惚れた女を守りきったはずの犬夜叉に関わることなのか。彼に贈られた着物に頬を緩める、幸せそうなかごめの笑顔が消えるほどの苦悩とは何か。

 その答えは、今世を生きる姉の姿を思うだけで一目瞭然だった。

 

「……一度犬夜叉に、私の知る五十年前のあの日のことを伝えねばならぬな」

 

 やはりどれほど生まれ変わりのかごめと犬夜叉が心を通わせようと、"桔梗"と犬夜叉の心が引き裂かれたままである限り、少女は前世の悪夢に永遠に囚われ続けるのだろう。

 

 楓の呟きは去ったかごめの耳に届くことなく、遠くの祭囃子の喧騒に溶けていった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 新たな週が始まり、新学年が始まった生徒たちの緊張が解れつつある四月中旬。最後の葉桜が見ごろな中学校の並木道に、珍しい人だかりが出来ていた。一同の学生服の襟元を彩る三色全てのネクタイとリボンが話題の注目度を物語る。

 

「────かごめーっ!!」

 

 その輪に目をぱちくりさせていた三年生の清水由香は、直後騒ぎの理由に思い至り慌てて隣の二人の友人たちと一緒に渦中へ飛び込んだ。

 生徒三人集まれば彼女の話が語られる。そんな逸話が囁かれるほどこの学校の少年少女を虜にする人物は、全校六百余人でただ一人。

 

「…おはよう、由香。あゆみも絵里も久しぶり。心配をかけてすまなかった」

 

 輪の中央へ呼びかけた由香たちは、そこで待ち焦がれていた学友の登校姿を目にする。絹のように艶やかな長い黒髪を春風にたなびかせる、学校一の才色兼備───日暮かごめの絶世の麗容を。

 

「久しぶりっ! もう学校来ていいの? なんか結核になったとか凄い噂流れてるけど、冗談だよね…?」

 

「もー、いきなり土曜月曜連続で休んで学年中大騒ぎよ。部活説明会もあんたがいなかったせいであまり集まらなかったし」

 

「かごめが病欠なんて初めてよね。そんなに深刻だったなんて…」

 

 怒涛の質問攻めに少女が微かに愁眉する。以前より夢見が悪いと体の不調を訴えていたが、先日ついに体調を崩したかごめはその後何日にも亘り学校を欠席していた。担任の教師より難病だと聞いたせいか、やはり今の彼女は休む前より更に華奢で儚い印象を受ける。微かに火照る頬も合わさり、顔を伏せるかごめは映画に見る病床の令嬢そのものだった。

 

「…その、少しタチの悪い咳に悩まされてな。今は落ち着いているから試しに登校したんだ」

 

 俯いたまま片手を口に翳して小さく咳き込むかごめ。ただそれだけの仕草が絵画のように美しく、由香たちは不謹慎にも見惚れてしまう。

 

「だ、大丈夫? ダメだよ治りきってないのに学校来ちゃ」

 

「そうもいかぬ。うつる類のものでも無くば、何より授業に置いていかれたら事だから」

 

「かごめに限ってそれはないわよ、今日はもう保健室行っときなさい。 ──ほーら、あんたたちも。ウチのお姫さまにうじゃうじゃ(たか)らないのっ。退いた退いた」

 

『えぇーっ』

 

 我に返った三人は慌てて周囲の野次馬を追い払う。しつこい文句を素通りし、一同は病み上がりの友人を休ませるべく校舎へ歩き出した。

 

 その途中、背後から一際耳に通る凛々しい声が投げ掛けられた。

 

 

「────日暮さん!」

 

 

 振り返った先にいたのは、青い自転車を押す茶髪の美男子。途端に人込みから黄色い声が上がり場が更に色めき出す。

 校内において異性で唯一、あの日暮かごめと二人だけで言葉を交わすことが暗黙で認められている、学校一の好青年。三年B組の北条秋時だ。

 

「おはよう日暮さんっ。体はもういいの?」

 

「おはよう、北条。おまえも見舞いの電話をくれたそうだな、わざわざ忝い…」

 

「い、いいよ別に! おれが好きにやったことだしっ」

 

 申し訳なさそうにこうべを垂れるかごめに慌て、少年があたふた手振り身振りで彼女の憂いを晴らそうとする。いつもの爽やかな印象が台無しな痴態だが、周囲は真っ赤な彼を嗤うどころか緊張に喉を鳴らす共感者ばかり。

 皆の関心は満場一致。彼らの通う学校のヒーローが、高嶺の花のヒロインを射止められるかどうか。それ一つであった。

 

「あっ、そ、それでな。日暮さんに渡したいものが…」

 

「?」

 

 そんな場の異様な一体感に戸惑うヒロインは続かない会話に小さく首を傾げている。言葉に詰まった北条ははたと我に返り、大切に抱えていた手元の小包を差し出した。

 

「これ、健康サンダル。店のお婆さんに聞いたら是非にって言われて……よ、よかったら使ってくれ!」

 

 半ば押し付けるような形になりながら、少年は答えも聞かず「じゃ、また!」とドギマギ駐輪所まで去っていった。その後ろ姿をぼんやり見送り、かごめは改めて手元の物体へ目を向ける。困惑する彼女の内心は美男美女の語り合いに桃色眼鏡な外野の誰にも伝わらなかった。

 

「…はぁ~、いいなぁ。北条くんに心配してもらって」

 

「ホントに付き合う気ないの? いつもかごめと成績トップ争いしてるし運動も出来る、おまけにイケメンで実家もお金持ち! ちょー優良物件なのにもったいない」

 

「去年も人気あった先輩から告白されたの断ってたし、罪な女だなぁ。このこの」

 

「こらこらあんたたち、かごめを困らせないの」

 

 騒めく人の輪から離れ、由香たちは保健室へ向かいながらこのモテモテな友人を取り巻く色恋沙汰に小さく騒ぐ。何かとこの手の話題を避けたがる彼女のために、三人が集めた日暮かごめに関する噂は数知れず。

 

 曰く。気高く凛々しく、困っている人へ無条件に手を差し伸べる優しい日暮さんがステキだ。物思いに耽ってるときの切なげな美しさがドキドキする。おいおい硬派ぶるなよ、一番はあのゆったりしたセーラー服でも隠しきれない巨乳だろ。あの清楚な長いスカートと体育のブルマ姿のギャップも堪らない。日暮さんは顔も身体も性格も全て最高。

 

 そんな異性からの高い評価を心底興味なさそうに聞き流すかごめはどこまでも浮世離れしていて、されど頑なに同級生たちの恋バナに加わることを拒むその姿は、何故か、時折とても辛そうに見えることがあった。恋に恋する思春期真っ只中の由香たちが遠慮気味なのも、彼女の暗い顔から垣間見える秘めた痛痒に気付いているが故のこと。いつか悩みを相談してくれることを期待しつつも、決して人を頼らない友人は今もその胸の内を閉ざしたままだ。

 

「…ま、かごめに彼氏なんてそれこそ学校中が大混乱よ。全校男子が消沈して学級崩壊が起きるかもね、あはは」

 

「女子も、特にウチらのすぐ下の"かごめお姉さまー"ってきゃいきゃい騒いでる二年の子たちは男子より落ち込みそう」

 

「うふふ、でもウチの高嶺の花子さんの心を射止める王子さまはどんな人なんだろ。…そこんトコ好みとかどーなの、かごめ?」

 

「ちょっと絵里…」

 

 それでも気になるものは気になってしまうのが果敢なお年頃と言うもの。小声で尋ねる三人組の三人目、増田絵里を咎めようとする由香もチラチラとかごめの答えに興味津々。

 

 普段のかごめであれば曖昧に微笑み話題が終わるのを待つだけだった。だが今回も彼女との恋バナを内心諦めていた三人は、辿り着いた保健室の前でクスリと零れた彼女の笑みに目を丸くする。

 

 

「────そんな男、後にも先にもあいつだけさ」

 

 

 自嘲するような、それでいて確かな熱の籠った吐息と共に呟かれた独り言。保健室の奥へと消えるかごめを茫然と見送った由香たち三人は、けたたましい授業の予鈴でビクリと覚醒し、そして互いに顔を会わせた。

 

 

『…"あいつ"って、誰?』

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 四日ぶりの学校は緊張の連続であった。授業や部活の欠席の後始末以外にも清算するべきことは多く、この日かごめは登校から下校まで忙しなく駆け回り、一時ながら未来への不安を忘れることが出来た。

 

 

「えーっ! かごめ弓道部辞めちゃったの?」

 

 放課後の午後四時、申の刻。帰りは自宅の神社まで送る、と甲斐甲斐しく付き添ってくれている由香たち三人組がかごめの決断に惜しむ声をあげた。

 

「大会の補欠として籍だけ置くことと、出席時に部員たちの指導を行うOBのような扱いになる。…己で決めたとは言え、みんなには申し訳ないことをした」

 

「顔色良くないし、やっぱ病気辛いの…? 相談してって言ったのに、日頃から無茶ばっかりしてるから…」

 

 苦しい虚言を素直に信じる友人たちに、かごめは申し訳なさから内心頭を下げる。

 

 この数日、人生を左右する驚天動地に幾度も巻き込まれ続けたせいか、目まぐるしく動く状況に翻弄されるかごめ。それでも前世の未練を忘れられず、少女は戦国時代の生活を優先する決意を固めようとしていた。病気の自宅療養の話も、現世を離れる「日暮かごめ」を身軽にするための言い訳だ。

 

「でもそっかぁ、療養に専念するならもうあまり学校来れなくなるかもしれないんだよね。寂しくなるなぁ」

 

「お見舞いとかは迷惑だろうし、代わりに体調いい時は電話頂戴ね。声ぐらい聞きたいわ」

 

「そのときは登校するさ。中間期末テストは勿論、出席日数は必要だからな」

 

 我ながらとんだ不良生徒になったものだ、とかごめは苦笑する。真実を嘘で塗り固め、友達の心配を裏切るどこまでも身勝手な女。この時代に囚われないよう近付く人々を突っぱねて尚、側に居ようとしてくれた友達を、私は。

 

 でも、それでも…

 

 

「…あれ? 何だろ、校門が騒がしいね」

 

 いたたまれない思いに俯くかごめ。その耳に、ふと絵里の訝しむ声が聞こえた。

 顔を上げた先には、またもや校門の人だかり。常に囲まれてばかりのかごめは少しだけ新鮮な気持ちで外の視点で正面の集団を見つめる。

 

「お、幸子見っけ。ねぇねぇ何の集まりなの、これ?」

 

「もう、多すぎて見えない…! いいや突っ込んじゃえーっ」

 

「あ、こら」

 

 知り合いを見つけたのだろう。一人の女子生徒の元へ駆け寄るあゆみに続き、由香と絵里も瞬く間に輪の中へ突入していく。

 一人取り残され佇むかごめは、その容姿も合わさり非常に目立つ。少しずつ辺りの注目が自分に移っていく光景も、少女は前世から慣れたものだ。かごめは自分の前にぱっくり表れた人の道を進もうと遠慮なく一歩を踏み出す。

 

 

「───なんか銀髪ロン毛の不良が先生に食いかかってるんだって」

 

 

 そこでかごめは、ふと足を止めた。

 

「何ソレ、他校の番長? 学校抗争でもしようっての?」

 

「お、あの子かな───って、うわ凄いギンギラギン! あんなの初めて見た…!」

 

 このご時世稀に聞く珍事に沸き立つ由香ら三人が、切り開いた野次馬の隙間に犇めき合う。その肉壁に視線を遮られ、かごめに奥の様子は窺えない。

 

 だか、そんな彼女たちの会話がやけに耳に残った。

 胸が強く騒めき、かごめは何かに急かされるように速足で目の前に立ち塞がる友人たちの背中からはしたなく首を伸ばす。

 

 その直後。人込みから聞こえてきた苛立たしげな争い声に、かごめは己の耳を疑った。

 

 

「────ったく、この俺が桔梗の匂いを嗅ぎ間違えるワケねえだろ! 居んのはわかってんだ、さっさとあいつを出しやがれ!」

 

「…キキョウの花に香りなんかあったかしら? いえ、そんなことよりあなた何処の生徒? 他校生はこんなトコに寄り道せずに帰宅しなさい!」

 

 

 男女の怒声。少女はそのどちらにも聞き覚えがあった。

 

 片方はつい先ほどクラスで聞いた担任の女性教師のもの。今後は休みが増える旨を伝え、心配してくれた生徒思いの恩師だ。今日の下校の見守りは彼女の担当で、そこに違和感はない。

 だが、もう片方は。

 

「…ッ!」

 

「え? あ、ちょ、かごめっ!?」

 

 ありえない。かごめは強引に三人の間を掻き分けながら、驚くほど容易く崩れ出した自分の心に言い聞かせる。

 

 あいつは神魔の類が駆逐されたこの平成の世とは無縁の、妖怪の血を引く少年だ。心が彼の下に囚われ離れられない桔梗の生まれ変わりの自分とは異なる、戦国時代にいるべき半妖。井戸を通し呼びかけてくれるだけでも十五年も願い続けてやっとだったと言うのに、自らこんなところにまで来てくれるなど。

 

 だが何故だろう。考えれば考えるほど、己の耳が捉えた彼の声は確たる現実としてかごめの中に根を下ろす。

 時渡りの井戸の力か。あいつが四魂の玉に願ってくれたのか。もしくはそのどちらでもない、互いを繋ぐ───強い絆が新たな奇跡を齎してくれたのか。

 不安と期待に荒れ狂う胸を押さえ、少女は人だかりの開けた校門広場へ飛び込んだ。

 

 そして転がり出た輪の中心にいた学ラン姿の少年の顔を見た瞬間、かごめの唇は自然と彼の名を紡いでいた。

 

 

「────犬、夜叉?」

 

 互いの視線が絡み合う。金色の双眸が見開かれ、「あ゛ぁ!」と怒気をぶつけられたと思うと同時。

 かごめは、見知った長い銀髪を束ねて頭部の犬耳を隠した彼に、両肩を強く掴まれていた。

 

 

 

「くぉら、桔梗! なに勝手におれの側から離れてやがんだッ!!」

 

 

 

 六百人もの少年少女の多くが通る、放課後午後四時の校門前。

 時代を越えて二度目の再会を果たしたかごめの想い人は、全校生徒の目の前で、そんな爆弾を放り投げてきた。

 

 

 

 

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