もしもかごめちゃんが完全に桔梗さまの生まれ変わりだったら   作:ろぼと

8 / 9
 

上下編を訂正。
中々納得いく文にならなかったのでおまけに挿絵挟みました


【挿絵表示】


3話のいちゃいちゃおめかし桔梗さま




少年の一歩

 

 

 

 

 

「──すげぇ人だな」

 

 

 遊び歩く放課後の制服姿、夕食前のタイムセールに勇み足な主婦、足早に駅へと向かうスーツの勤め人。雑多な往来に賑わう現代の街並みは、戦国時代の先人の目にさぞ異様な光景に映ることだろう。

 

 人目を避け、隣町へと足を運んだ犬夜叉とかごめは、現世観光に駅前の商店街へと訪れていた。

 

「神秘の信仰を止めた人間の未来…と言えば元巫女として些か複雑だが、行楽にはなるだろう? かく言う私も転生当初は随分と驚いたものだ」

 

「ああ、旨そうな匂いばっかで涎が出るぜ…!」

 

 手を離せば即座に屋台へ突撃していきそうな犬夜叉を宥めながら、かごめはクスリと苦笑を溢す。

 

「全く、そう急かさずとも店は逃げぬ。近くに美味しい揚げ物屋があるから一先ずそれで我慢なさい」

 

「! 揚げ物ってこたぁこっちだな。先行くぜっ、メシだメシー!」

 

「あっ、犬夜叉! …もう」

 

 子供のように人混みを爆走する二五〇歳児。鼻敏く油の匂いを嗅ぎ付けた食いしん坊に躊躇いもなく放置され、一人残された少女は呆れ返る。勝手知らぬ未来の世でよくああも自由奔放に振る舞えるものだ。騒ぎを治める身にもなってほしい。

 

 腹立ちに身を任せ後を追うと、犬夜叉は早速出店のメンチカツを豪快に頬張っていた。無遠慮にガツガツ食い荒らす少年の野生児っぷりに慌て、かごめは頭を抱えながら店先へと急ぐ。

 

「犬夜叉っ、財布も無しに勝手に馳走になるな!」

 

「うめーなこれ! おい店主、もう一個だ!」

 

「いい食べっぷりねぇ、お兄さん。またいらしてねー」

 

 かごめが店主へ代金を支払っているうちに、相方の犬夜叉は次だとばかりに横のたこ焼き屋へ吸い込まれていく。その首根っこを寸前で掴まえ、少女は花より団子な半妖小僧を何とか引き摺って近くのベンチに座り込んだ。

 

 開始早々の脱力感。悲願の現世デートが、よもやこんなことで躓いてしまうとは。

 

「ったく、ずりーぞてめえ。一人だけ十五年もこんなイイもん味わいやがって。今度から旅の区切りにまたこっちの国までメシ食いに行くぞ」

 

「…おかしい、こんなはずでは」

 

「おい聞いてんのか、桔梗?」

 

 鼻息荒く肩を揺さぶってくる少年に、濁った眼のかごめはされるがまま。男女関係の作法は詳しくないが、たとえ狭量な女でなくともこのぞんざいな扱いには不満を覚えて当然だろう。

 だが落胆に内心膝を抱くかごめの受難は未だ終わらない。

 

 

「──あーっ、かごめお姉さんが知らない男の人と一緒にいるー!」

 

 突然、かごめは聞き覚えのある幼い声に名を呼ばれた。はたと顔を上げると、そこには恰幅のよい女性に連れられた童女の姿。買い物帰りと思しき二人は、驚きの表情の中に満面のいやらしい笑みを器用に浮かべていた。

 

「まぁこんにちは、かごめちゃん。しばらく見ない内にまた綺麗になったわねー。…もしかしてそちらのハンサムな彼のお陰かしら、うふふ」

 

「もーっ、かごめお姉さん恋愛なんて興味ないとか言ってたのにウソつき! あたしお姉さんのステキな恋バナずっと聞きたかったんだからっ」

 

 隣町に来てまで避けたかった、知人とのまさかの遭遇である。

 

「…ご無沙汰しております、おばさま。ひとみもこんにちは、いつも草太と遊んでくれてありがとう」

 

 この二人は弟の草太と同じ小学校に通う娘、湖南ひとみとその母親だ。家族ぐるみで付き合いのあるかごめは落ち着いて親子へ挨拶を返す。しかし彼女のらしくない微かな動揺は目敏く見抜かれ、母娘の下世話は更に熱を帯びてしまった。

 

「あの大和撫子なかごめちゃんが男の子と一緒にデートだなんて、まさかの大ニュースよ! でもおばさん安心したわ。硬派も美徳だけど、やっぱり若い娘は恋をしなきゃね」

 

「ね! ね! かごめお姉さんカレシとどれくらいラブラブなのっ? キスはまだ? どんな味なの? きゃーっ、ステキ!」

 

「いや、別に私たちは、その…そういった関係では、もう…」

 

 隣の犬夜叉を背に隠し、かごめはしどろもどろに親子の勘繰りをはぐらかす。

 肯定も否定もせず、ただ今の曖昧な関係に甘んじ続ける。そんな弱気が滲んだかごめの言葉に、恋に足踏みするいじらしい乙女の姿を見た年長の母君は、一目で二人の繊細な間柄を悟った。

 かくして。

 

「…ちょっとちょっと、お兄さん」

 

「あん?」

 

 小学生の愛娘が憧れる、美人で優しいかごめお姉さん。大人びた彼女の年相応の悩みを解決してあげたいと思うのは、同性の子を持つ母として当然の老婆心だった。

 

「いい? かごめちゃんみたいなオマセな子は意外と恥ずかしがり屋さんだったりすることが多いの。もしちゃんと捉まえたいなら男の子のほうからグイグイ引っ張ってあげなさい。おばさんのアドバイスよ」

 

「…いきなり何だ」

 

「お、おばさま。どうかそれ以上はご容赦のほどを…っ」

 

 小声で微妙な話を始めた二人にかごめは慌てて割り込む。切実な思いで首を振ると、有難迷惑を察した湖南母が苦笑いで謝罪した。

 

「やだごめんなさい、お喋りはこの辺にしましょうか。ほらひとみ、お邪魔虫は退散するわよ」

 

「ちぇっ…あとで草太くんに詳しく聞いちゃうからねっ」

 

 湖南親子へ「失礼します」と手短に別れを告げたかごめは、反応の鈍い犬夜叉を掴んで足早に商店街を後にした。

 

 

「…すまぬ、犬夜叉」

 

 アーケードを小走りで走り抜けることしばらく。立ち止まった人気のない裏通りで息を整えたかごめは、横で不機嫌そうに佇む犬夜叉へチラリと目を向ける。生前、何度も見た彼が拗ねているときの顔だ。

 

「何謝ってんだ、いきなり」

 

「いや…先程もそうだが、母にもその学生服に着替える際に色々と茶化されただろうと思ってな。せっかく此方まで来てくれたというのに、嫌な思いばかりさせてしまった…」

 

 校門に商店街、加え日暮家でのことも予想が付く。初めての現代で、戦国時代とは比べ物にならない数の人混みに奇異の目で見られる一日を過ごした彼の不愉快は如何程のものか。

 

 人間が栄華を極める未来の世を見せ、また犬夜叉に人間へ興味を持って貰いたかった。だが、見上げた空は既に茜色に染まりつつある。これ以上の長居は部活帰りの生徒たちにまで捕まるだろう。残念ながら、時間切れだ。

 

 

「おい」

 

 だが落ち込むかごめの耳に、ふと少年の固い声が届く。恐る恐る顔を上げた少女は、そこで彼の強い──男の視線に心を絡め捕られた。

 

「…!」

 

 商店街での幼稚さが影も形もない真剣な金色の虹彩には、戸惑う自分の姿が妖しく揺れて映っていた。そんな犬夜叉の瞳に揺蕩う陽炎が、かごめには不意に、まるで目の前の女を求める慕情の炎のように見えて…

 

「──帰るぞ、桔梗」

 

 ドキリと跳ね上がった心臓が下りる間もなく。次の瞬間、気付けばかごめは犬夜叉の胸元で横抱きに抱えられていた。

 

「なっ」

 

「いくぜ。振り落とされんなよっ」

 

 立て続けの急展開に狼狽していると、突然足が竦む強い浮遊感に襲われた。驚き辺りを見渡すかごめは、犬夜叉に抱えられたまま俯瞰で模型のように小さくなった駅前のビル群の上を縦横無尽に飛んでいた。

 

「よ、よせ犬夜叉! 現代の世でこんな目立つマネをしては…っ」

 

「うるせえっ。ウジウジ萎れるくれぇならずっと大人しくおれの腕の中で抱かれてやがれ!」

 

「…ッ」

 

 文句を口にすることも許されない。何を考えたのか、唐突にいつも以上に強引になった犬夜叉に逆らえず、かごめに出来たのはただ空駆ける自分たちが他人に見つからないよう祈るだけ。少年の急な変化に困惑しながらも、彼の両腕に包まれる少女の胸は切ない鼓動を激しく刻んでいく。

 

 気にしているのだろうか、先程の湖南親子のお節介を。不本意そうな犬夜叉の表情に擽ったい焦燥を見付けたかごめは、意固地な彼に自然と身を委ねていた。

 

 ──ああ。

 

 駆け抜ける肌寒い春風でも冷やせない犬夜叉の体温が、かごめの肢体を甘く燻す。こうして彼に包まれるだけで心が満たされていくのだから、あれほど望んだ"ただの女"とはかくも単純で度し難い。

 

 ──でも。

 

 

「…お、おい。桔梗…?」

 

 あとどれ程の月日を、犬夜叉は私を大切に思い続けてくれるのだろう。

 

 少年の持つ四魂の玉。日々増していく宝珠の妖力から目を逸らしながら、かごめは躊躇いがちに彼の大きな胸元に顔を埋める。そして無意識に求めるように伸ばされた彼女の腕は、ゆっくりと少年の(うなじ)に回り…

 

「…許せ、犬夜叉」

 

 それが楓の助言に反した、後ろ向きな感情に起因することなど気付いている。だけど臆病な少女には、未来のことを考えないようにするだけで精一杯で。

 

「もう少しだけ、このままでいさせてくれ…」

 

 

 小さな、されど残酷な因果に囚われた二人にとっては何よりも大きな願いと共に、かごめは犬夜叉に縋るように抱き着いた。

 

 晴れぬ憂いのせいか。想い人に甘えるという心踊るはずの体験は、思っていたよりも虚しいものだった。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 空の散歩を終え自宅の日暮神社に戻ったかごめと犬夜叉は、母から昼間の騒動を遅れて知った祖父と草太を交えた日暮家三人に囲まれ夕餉の食卓に着いていた。

 

「よ、妖怪だ! じーちゃんホントに妖怪がいるよ!」

 

「だから年寄りの言葉は聞きなさいと言ったじゃろう? 魑魅魍魎蔓延る戦国乱世はこの日本の古き姿! 犬夜叉くんの存在が何よりもその証拠じゃ」

 

「うん! 昨日はねーちゃんの話聞いても良くわからなかったけど、不思議なことってホントにあるんだね!」

 

 初めて目にする伝説上の生物に大興奮な男性陣。それを冷めた目で遠巻きに見つめるのは、盛り上がりの焦点が気に入らないかごめの母だ。

 

「ウチの長女が初めて男を連れて帰ってきたってのに、なんでそっちの話が先に出るのよ。全くもう」

 

「ケッ、妖怪を見てこれっぽっちも動じねぇおめーのほうがズレてやがんだよ」

 

「だってかごめが選んだ相手なら妖怪だろうと神様だろうと同じウチの大切な家族よ。…それに、ちゃんと()()してくれた人だもの、ねぇ?」

 

「…おいこら、その『ねぇ?』のどさくさに紛れて人の耳触ってくんな」

 

 こちらはこちらで夕食のおでんを頬張る犬夜叉を弄るのに忙しいようで、かごめは一人蚊帳の外で静かに食事を進めていた。

 先日骨喰いの井戸から戻ったときに家族へ事情を説明する必要に迫られたが、聡い母はすぐに二人の複雑な関係を察してくれた。前世のことを深く追及せず、娘の幸せをただ優しく見守ってくれる母の配慮は、危うい天秤のような犬夜叉との関係をこれ以上揺さぶられては堪らないかごめにとって何よりも有難かった。

 

「…あ、そうそう。かごめ?」

 

 ふと名を呼ばれ少女は振り向く。おもちゃにされるのに拗ねて窓から逃げ出した犬夜叉を見送っていた母が、含むような笑みを浮かべていた。

 

「はい。何でしょう、お母さま」

 

「あんたまた戦国時代へ遊びに行くなら今夜中に行ったほうがいいわよ。かごめが犬夜叉くんとのデートで留守にしてたときに由香ちゃんたちがたくさん電話くれてね。みんな凄いはしゃいでたわぁ、うふふ」

 

 満足そうに「校門は大騒ぎになったみたいね」と目を細める彼女の様子は何やらとても楽しそうだ。あれほど好奇心旺盛な由香たちなら、間違いなく早朝にかごめを問い詰めるべく自宅までやってくる。言外にそう述べる母の忠告を素直に受け取ったかごめは、一日足らずの家族との触れ合いを存分に楽しみ、三人に惜しまれながら住まいの社務所を後にした。

 

「…では、行って参ります」

 

 

 

 

 夜の帳が降りた日暮神社。あの奇跡の夜と変わらない静かな境内を、かごめは同じく変わらない暗い顔で歩いていく。かつてとは何もかもが違う、長年の悲願が結実した奇跡の日々を過ごしつつも、その胸奥の闇の底は深まる一方だ。

 

「──醜いな、人の心は…」

 

 あれほどちっぽけな願いを身を滅ぼす思いで祈り続けていたというのに、再会したあいつにまた"桔梗"の望みを押し付けたくてたまらない今の自分の、なんと愚かで恥知らずなことか。馴染み深い妖気を感じる方角を見つめ、終わりなき女の強欲に少女は自嘲の笑みを零す。

 

 かごめとして転生し、平和な世で惰眠を貪る年月を過ごしてきたからか。あるいは──古今の歌人たちが詠うように──初めて恋をし、悲恋のまま一生を終えたからか。果たして今世の自分の落魄が何れのせいであろうと、どれも己の無様を開き直る免罪符とはなり得ない。

 ほんの数日前の自分であれば憎悪と嫉妬に怒り狂うほどの、傲慢不遜で滑稽腑抜けな小娘。それがかごめが自覚する今の彼女自身の有様だった。

 

「犬夜叉…」

 

 気配を辿った先で、少年は神社の御神木の前に佇んでいた。

 桔梗と犬夜叉、二人の愛憎渦巻く因縁の象徴。夜風の中、聳える大樹を無言で見上げる彼の内心は、かごめにはわからない。

 そして、それはどうしようもないほど恐ろしいことで…

 

「…ッ」

 

 ほら、まただ。己の忌々しい臆病は意図も容易く四肢の自由を奪い、恐怖に震えるかごめは足下を見つめたまま立ち尽くす。こうして彼の心に踏み込む勇気も出せないクセに、叶うはずもない浅ましい願いばかりが増えていく自分のことが、少女は心底嫌いだった。

 

 

「──この木、おまえの時代にも残ってんだな」

 

 思わず跳ねた両肩が情けない。唐突な犬夜叉の独り言に言葉に詰まったかごめは視線を彷徨わせながら、徐に相槌を返した。

 

「…ああ。骨喰いの井戸の基になった、"時代樹"だ」

 

「…そうか」

 

 互いに言わずとも察している。そう形容したのは、触れたくないもう一つの逸話を避けるため。視界の端に映る犬夜叉は少女と同じ、複雑な葛藤が浮かぶ渋面だ。

 

「…この日暮神社に引っ越してきたのは最近でな、祖母が無くなり祖父を独りに出来ぬと家族四人で暮らすことになったのだ」

 

「…」

 

「私もまさか、五百年前の時代樹がまだ生きているとは思いもよらなかったよ。それも木を代々守り継いで来た一族に生まれ変わるとはな」

 

 小さく「不思議なものだ」と続けるかごめ。だが沈黙の間を持たせようと始めた昔話も、気もそぞろな語り手では然したる慰めにはならず。

 転生と言う奇跡を経ても、否、経たからこそか。刺激に溢れる未来の世の十五年。大層な自分語りになるかと思いきや、如何に話の風呂敷を広げようと、結局少女の人生の全てはあの前世の悪夢へと収束してしまう。その救いのない袋小路が己の惨めさを突き付け、かごめの首は口を開く度に垂れ下がっていく。

 

 過去を振り返らず、前世の過ちを繰り返す。過去そのものに身が竦み、今を失う恐怖に蹲る。果たして愚か者はどちらなのか、愚かな少女にはわからない。

 

「…さて、そろそろ乱世へ戻るか。神秘の乏しいこちらの世では四魂の玉もおまえに馴染み難いだろう」

 

「…」

 

 話題が尽きたかごめは時代樹を背にし、毅然と骨食いの井戸へ歩き出した。口を噤んだままの犬夜叉を尻目に、少女は逸る。ただひたすら、今の二人のつぎはぎだらけな馴れ合いを守るために。

 

 

「──桔梗!」

 

 だが嫌な話題から逃げることに腐心するかごめとは異なり、犬夜叉は惚れた女へ手を伸ばすことを諦めなかった。

 

「おまえ、妖怪は嫌いか…?」

 

 沈痛な声で紡がれた問い掛けは、自分以上に拙い彼が前へ進まんと必死に踏み出した一歩。その短い一言に一体どれほどの想いが込もっているのか。

 

 強い。羨ましいほどに強い。四魂の巫女の定めから逃れるため、己の幸せのためだけに生き、そして夢破れた"桔梗"の自業自得に怯える私とは違う。決して素直ではないけれど、犬夜叉はいつだって、どんな苦境にも負けず前に進もうとしている。

 

「私は…」

 

 かごめは返答に窮し臍を噛む。

 

 ここで恥も外聞もなく、この秘めた慕情を言葉にする勇気があれば、彼はどんな顔をするのだろう。薄汚い乞食のように縋り付き、妖怪にならないでくれと願い倒せば。人間となって私と共に生きてくれと、ひたすら頭を下げれば。彼はどのような答えをくれるのだろう。

 とうの昔に捨て去ったはずなのに、何かを求めるように揺れる犬夜叉の強い眼差しを見ていると、浅はかにもかつての希望を抱いてしまいそうになる。

 

 また、あの小さな桟橋でしてくれたように、私を抱きしめ二人の未来を囁いてくれるだろうか、なんて。

 

 

「…私は、半妖のおまえが嫌いじゃないよ」

 

 

 出来るはずがない。口惜しさに歯噛みするかごめの唇が零したのは、そんな卑怯な返事だった。

 

 

 

***

 

 

 

 ──かごめを、助けてあげて。

 

 

 愁眉し悲しそうな笑みを浮かべる少女を見つめながら、犬夜叉はかごめの母と交わした約束を呼び起こしていた。

 

 

『あの子、本当に幸せそうにあなたのことを話すのに……何でかしら、ずっと怯えてるように見えるのよ…』

 

 

 痛ましい彼女の言葉が少年の耳に木霊する。誰にも気を許さず自ら孤独を選び、毎日毎晩あの大樹を見つめては陰で涙を流す、生まれ変わった想い人の惨めな半生。苦しみ続ける今世の少女の過去を知った犬夜叉は、もう逃げることなど出来なかった。

 

 

「…おれは人間が嫌いだ」

 

 起伏に乏しく、それでいて強い決意の籠った声が神社の静寂に溶けていく。悲痛な面持ちでこちらを見つめ返すかごめへ、犬夜叉はそう宣言した。

 紡ぐ言葉は刺々しい。己の気に食わない記憶が怒涛の如く想起され、籠る憎悪と敵意は凄まじかった。自分でも驚くほどに。

 

「弱っちいクセに蝗みてぇにいつもウジャウジャ群れて図に乗りやがる。感謝した次の日には徒党を組んで平然と裏切り、全部おれのせいだと非を押し付ける。人間ってのは恩も礼儀も知らねえクズばかりだ。おれは村のヤツらも未来の連中も誰も信じねぇ」

 

「…ッ」

 

 本心を聞かされた少女は俯いたまま、微かに震えていた。違う時代の同じ場所で見た、鏡写しの彼女の姿が脳裏にちらつく。犬夜叉は悪態を続けたい気持ちをぐっと呑み込み、何とか心を落ち着かせた。

 

「──だけど、おまえだけは別だ」

 

 そして、もう一つの本音を、そう告白した。

 

「…え?」

 

 呆けるかごめの理解を待たず、少年はこの来世の桔梗と過ごした不思議な四日間を振り返る。

 

「おまえの封印が解かれてから、おれはずっとおまえのことを見てた。笑ったと思えば直ぐに辛そうな顔になったり、照れて耳赤くしてらぁってからかおうと思えば一瞬で泣きそうな悲しい顔になったり…」

 

「…」

 

「ったく、ビビったぜ。全部おれの知る桔梗なら絶対しねえ顔だからよ」

 

 正直なところ、わからない。五十年も意識がなかったからか、はたまた新たに自らの弱さを見せるようになった今の彼女の印象が大きいからか。桔梗が本当に犬夜叉の記憶通りの常に気高く強い女だったのか、彼には未だ確証が持てずにいる。

 

 だが。

 

「おまえは別人みてぇに変わったが、おまえがおれを見る目は…やっぱり、桔梗の目だった」

 

 犬夜叉には一つだけ、桔梗との思い出で絶対に疑えないものがあった。

 

「散々人間にも妖怪にも疎まれてばっかだからわかっちまうんだ、てめえの嫌なモンを見る目ってのはな。殺生丸は当然、村のヤツらも、おまえの妹だって程度は別だが結局同じだ」

 

 人でも妖怪でもない、半端者。常に蔑まれる立場にあった彼は周囲の敵意に目敏い。如何に上手に隠そうと、不本意にも豊富な経験に恵まれた半妖の少年には、他者の悪感情を容易く見抜くことが出来た。

 

「けど、おまえの目は全然違う。昔の、一人だけおれに優しかったお袋だってそんな目はしなかった。桔梗だけがおれに向けてきやがった、小恥ずかしいヘンな目だ」

 

「…そんなもの、知らぬ…」

 

 戸惑いながら瞳を右往左往させるかごめ。交差しては逸らされる彼女の視線の中にも、その目は確かに残っている。濡れた鏡面のように艶やかで、勾玉の曲線ように柔らかで、優しく、そして身を焦がすほどに熱っぽい。女が男を見る、特別な目だ。

 無論、死んでもそんなこと口にして堪るものか。だが、どんな宝石よりも美しいその懸珠を我が物としたい思いだけは、決して誤魔化せるものではなかった。

 

「…だからおれは、おまえのその目だけは見間違えねえ」

 

 犬夜叉は正面からかごめを見つめる。

 

 少年は決して口が上手い訳ではない。桔梗以上に孤独な人生を送って来た彼に優しく女を励ます方法など持ち合わせているはずもなく、また自分の気持ちを容易く言葉に出来るほど素直にもなれなかった。

 

「…ッぁ」

 

 荒治療。故に不器用な犬夜叉が選んだのは、少女を逃がさぬよう強く抱きしめ、秘める全てを四の五の言わさず無理やり彼女の口から吐き出させることだった。

 

「桔梗…」

 

 突然の抱擁にたじろぐかごめの耳元で、少年は真摯に囁く。

 

 

 …これから問うのは、過去の二人を引き裂いた触れ難い禁忌だ。

 

 考えぬよう蓋をし、暴くことを恐れて来た真実。未来のこの世でただの女になった彼女となら、無理に触れずとも新たな絆を結ぶことだって出来るだろう。らしくないと思いつつも送った着物を幸せそうに羽織ってくれる彼女となら、清算せずともまた昔のように寄り添い合えるだろう。全てなかったことにしてしまえば、すれ違う二人はまた一つになれるはずなのだ。

 

 だが、それでは桔梗を救えない。

 

 殺生丸との争いで惚れた女を守る誓いを新たにした自分とは異なり、桔梗は未だにあの日の悪夢に囚われ苦悩している。忌々しい兄に前世の想いを嘲笑われてから、より酷く、深く。

 

「犬夜叉…」

 

 青褪めたかごめが、閉じた腕の中でゆっくりと頭を振っている。頼む、止めてくれ。そんな懇願が聞こえてくる悲愴な声色。その哀れな様に挫けず、犬夜叉は有り丈の覚悟を声に乗せた。

 

「…昔、一度だけおまえのおれを見る目が違ったときがあった。最初に会ったときよりも、ずっと、ずっと嫌な感じがした、あの初めて見た目だ」

 

 あの日、何かがあったのだ。犬夜叉の知らない、桔梗が自ら命を捨てるほどの、彼女の笑顔を奪い続ける、悍ましいナニカが。

 

「なあ、桔梗───」

 

 おれはもう逃げない。犬夜叉は震えるかごめの体を抱き締め、ついに、惚れた女を救う大きな一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 ────五十年前のあの日のおまえは、誰だったんだ?

 

 

 

 

 

 

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