「残念だよ。君のような優秀な部下を失うとはね」
大きな執務机の前。タバコ臭く、あまり清潔とは言えない空間で上司は積み上がった書類の始末をつけている。
「君はこの海軍省に必要な人材であると言うのに。どうして上官に楯突くような真似をした?」
書類を書いている手を止め、タバコを外し煙を吐き出しながら上司が自分のことを見る。
「不正を行っているなにそれを見逃せと?」
私は強く言い返した、それが当然だと思うから。
上司はまたタバコを吸って煙を吐き出し、沈黙の時が流れる。
「たしかに不正は取り締まるべき項目だが……。そんな単純な世界じゃない。世渡りがうまくなければ、出世街道からは大外れだぞ」
改心して謝りに行けとでも言っているのだろうかこの人は 。
私には到底できることではない。それは断言できる。
「私は出世のためにこの道へ入ったのではありません。扶桑の未来のため。美しき扶桑のために身を捧げようとしたからこそこの道を歩んだのです」
上司は頭を掻きながら、何か言いたそうにしたが口を閉じた。
「まあ、いい。お前がそこまで言うなら、俺も止めはしないさ」
上司は惜しそうな顔をしながら私を見つめる。
「しかし、その姿勢を崩さないでいることは大切だ。私が左遷先にも手を回しておこう。苦労しない職場にな」
上司はそう言うと、執務机の引き出しを開け、一枚の紙を取り出す。
霞ヶ浦航空隊にウィッチ教練場が併設!
新たな教練場への有志諸君を求む!
「なんですかこれは。私はウィッチでもなんでもありませんよ」
上司は何か企んでいたかのようにニヤリと口元をゆがめた。
「この教練場はウィッチ候補生の教育も行なっている。君はその学習練の司書課の課長になってもらう」
私は一瞬唖然とした。が、瞬時に状況を理解しようと努めた。
「本が好きな君にはもってこいだろう」と上司は話し続けるが、これは果たして軍務の一環と言えるのだろうか……。
「言い忘れたが、同時にお前の昇進も決まっている。まぁ、本省からの左遷祝いというところだな。お前は司書課の課長と共に、教練場の教育総監部の東北方面教育官としての任も背負ってもらう」
余計に理解が追いつかなくなった。
結局、無理やりこの任を背負わされる形で書類にサインをさせられた。
先が見えない不安からか足取りも重くなり、自分の執務室へ向かう道がいつまでも終わらない階段のように思えた。
(とりあえず荷物の整理でもするか……)
ダンボールを取り出し、本棚にしまってある本や机の者類等を小分けにしながら整理していく。
「おーい、いるかぁー」
顔を上げて入り口を見ると、同期の倉本がガムを噛みながら立っている。
いつもリベリオンから輸入しているガムを噛んでいることから指導を受けていたが、いつの間にか、その指導を行う担当官も呆れて何も言わなくなった。
「なんだ倉本。お前が来るとは珍しいな。用があるなら単刀直入に。ないなら仕事へ戻れ」
またすぐに荷物の整理を始める。
正直、自分にとって彼は関心の対象にも入っていなかった。
「冷たいなー。わざわざ同期の優等生が異動になったからって見送りに来てやったのに」
本心から言っていて、皮肉を混じらせるつもりはないのだろうが、私にとっては心底うざいと思わせるには十分だった。
「異動ではなく左遷だろ。それにわざわざ見送られるようなことでもない」
やけくそになり本当のことを話してしまった。が、彼はふーんとだけ話すと、噛んでいたガムを包み紙で包み、軍服のポケットへとしまった。
「お前、霞ヶ浦に行くんだろ。あそこはいいぞー、海も近いし、山もある!ここで疲れたやうにはもってこいだ」
「田舎ってことだろ、都会に疲れたら田舎へ戻って、お母さんにでも泣きつけと?」
私は逆に皮肉って、思ったことをそのままに言ってしまう。彼は、目を丸くしていたかと思うと、わははと急に笑い出す。
「何がおかしいんだ」
「いや、お前がそんなジョークを言えるやつだったとはな!」
「何も変なことは言っていないだろう。用がないならもう帰ってくれ」
彼はしばらく笑い続けていたが、笑い疲れたのか息をヒィヒィいいながら落ち着きを取り戻した。
そして、胸ポケットから一枚の紙を取り出し、私の目の前へ突き出した。
「気をつけろよ。この東京じゃ憲兵大隊がいるからそこまで治安は悪くないが、地方じゃ反軍拡主義者や反ウィッチ主義者が活動してる。この前も佐渡島海軍教練場に過激派が破壊行為をしたばかりだ」
急に真面目になり、冷たい空気を醸し出している彼を見て、私も「あぁ、忠告ありがとう」とだけしか言えなかった。
「それでは、異動先でも頑張ってくれ」
上司が入り口に見送りに来てくれた。上の階の窓際では倉本が私を見下ろしながら、いたずらな敬礼をしている。
「はい、今までお世話になりました」
形式的な事例を済ませ、用意されている送迎用車両に乗り込む。
扉を閉め、運転手が各種点検を終わらせると、エンジンをかけ、車はゆっくりと走り出した。
後ろを振り返ると、上司は既にいなかった。
私はこんなものだろうと思い、軍帽とボタンを外し、荷物を離して楽な姿勢になった。
これからどうなるのだろうか。
父は田舎で教師をやっていた。母は私を父と同じように教師にしたかったのだろうか、熱心に勉強をさせた。
常日頃、勉強することしかさせてもらえなかった私の唯一の休憩時間は読書だった。読書は教育の一環として認められていたので、私が逃げることができる唯一の空間だった。
その教育の成果もあってか、学校では常に成績はトップクラスで、将来有望と大人たちからはもてはやされた。しかし、どこか心の奥で親に反抗したい気持ちがあったのも確かだろう。
ある日、学校へ軍服を着た人がやってきた、士官学校への推薦生徒を視察に来たのだ。
昼休み、私は先生から職員室に来るようにと呼ばれた。
「志雅君、悪い話ではないんじゃないかな?君は熱心に努力していたじゃないか」
先生は士官学校への入学を熱く推してきた。
目の前の軍服を着た2人組は何かをボソボソと話している。
「彼が、志雅………くんです」
「成績は素晴らしい………だな」
片方の軍人が私を見て、ある紙をカバンから取り出す。
「君は地方の学力優秀者の中から選び抜かれた1人なんだ。親御さんにも説明させてもらうが、君は国に選ばれた1人なんだよ」
当時の私はその言葉が意味するところを理解できた。ここでこの推薦を拒否すれば、国からの命令を拒否した非国民として私の居場所はなくなる。それどころか、親にも迷惑がかかるだろうと。
「分かりました」
そう言う事しか出来なかった。
2人の軍人は嬉しそうな顔をしながら、書類を出し、サインを求めた。
私は求められるままに書類にサインをし、彼等と共に家へと帰った。
母と父は最初は反対していたが、私から行きたいと言うと、もう何も言わなかった。
次の日、昨日の軍人たちが再び黒塗りの車に乗ってやってきた。
私は母と父に別れの挨拶をした。
母は目元に涙を浮かべていた。
「私達は貴方の帰る場所として待ってるからね。いつでも帰ってきなさい」
「うん、分かった」
私は車に乗り込んだ。
車はゆっくりと走り出した。
「……さん!大尉さん!」
誰かが私を呼んでいる……。いつのまにか昔のことを思い出しているうちに寝てしまっていたようだ。
「どうしたんだ」
運転手が顔を青白くしながら私を見るために振り返っている。
周りは地方の町のように思える場所だ。私にはどこか懐かしく思えたが。
「過激派です!バリケードを作って道に簡易的な検問所を引いています!」
車のシートに隠れながら前をゆっくりと覗き込むと、3両ほど前に家具が乱雑に置かれた状態でバリケードのようなものが引かれ【軍拡反対!民衆に力を!】という文字が書かれた旗がかかっている。さらに覗き込むと、散弾銃で武装した過激派と思われる連中が、1両1両確認しているところだった。
私は身の危険を察知し、腰につけている九四式拳銃を取り出す。
「運転手、他に道はあるのか?」
運転手は興奮状態になっており、考えることは難しそうに見えた。
(これでは無理だな……)
1両前の車に検閲が入っている。奴らが来るまでもう時間がない。
(覚悟を決めるか……)
私は拳銃の弾数を確認し、息を整える。
連中のうち、1人が走って2両前方の車両へと戻っていった。
(近くの武装民兵は2人!今しかない!)
私は勢いよくドアを蹴り飛ばし、飛び出しながら1人に照準を合わせた。
パァン!
乾いた銃声が町に響いた。