ストライクウィッチーズの世界に日本が転移!?(リメイク) 作:RIM-156 SM-2ER
申し訳ございません。最新話のみ話の再構成を行わせていただきました。細かい部分がかなり変わっています。
ではどうぞ。
1939年8月。
扶桑海事変から実に5ヶ月が経過したある日。黒海に怪異の巣が出現した。黒海に接するオラーシャ帝国海軍の艦船が攻撃された。
この知らせは日本政府にも届いたが、経済的余裕が皆無であったために必要な物資の格安での輸出などにとどめて静観する事を決定した。オラーシャ帝国軍とダキア軍が対応してくれることを期待していたのだ。
しかし、これは希望的観測であることは日本政府も承知であったので、国防軍に欧州への部隊の派遣を検討させた。
そして9月1日。ついに怪異がダキアに上陸した。ここにきてダキアは各国に救援要請を出すも時すでに遅し、同月中にダキアは陥落しモエシア、オストマルクが飲み込まれた。この怪異は扶桑海事変時に確認された「ネウロイ」と名付けられた。ネウロイは扶桑海事変において現れた怪異と同一と断定された。
対ネウロイ戦の最前線となったカールスラントはオストマルクとの国境線に部隊を集結させ、防衛線を築いた。それと同時に各国に援軍要請が出された。とくに扶桑海事変で活躍した日本には期待が集まっていた。
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カールスラントからの救援要請を受けて、日本政府では転移後何度目かの閣議が開かれた。
「さて、本日集まってもらったのはほかでもない。カールスラントからの救援要請についてだ」
議長である石田の言葉で閣議は始まった。
すでに会議に出席している全員が会議前に配られた書類を熟読いたので、救援要請について把握していた。
「まず岩峯統合司令長官から説明を頼む」
石田の声に反応して立ち上がったのは一人の40~50代の女性であった。
彼女は
日本初の女性統合司令長官としてマスコミにも大々的に報道された。能力的にも優秀で、優れた戦略眼を持っていたことから統合司令長官に抜擢されたのだ。
「はい。まず統合参謀司令部としては1個師団15,000名までの地上部隊であれば今年中の派遣も可能であると判断しました」
岩峯ははっきりとそういった。
「ふむ・・・・それ以上の部隊を派遣できない理由は?」
「補給路の問題です」
モニターが切り替わり、扶桑、日本、オラーシャ周辺の地図が映し出される。岩峯はレーザーポインターを取り出すと、扶桑海事変で奪還したばかりの浦塩周辺を指し示す。
「まず、国防軍が想定している派遣計画です。まず我が国の函館、大湊に派遣部隊を集結させます。その後、海軍第1揚陸艦隊と第3揚陸艦隊が地上部隊を浦塩まで輸送。シベリア鉄道を使用して欧州まで部隊を移動させます。補給にも同様のルートを使用する予定です」
「では輸送に使える船がないのか?」
岩峯が詳しい理由を述べる前に官房長官が自身の予想を述べる。しかし、その予想は外れていたらしく、岩峯は首を横に振った。
「いえ。浦塩でも運用可能な船舶は、民間を合わせればセミコンテナ船、RO-RO船など合わせて300隻ほどあります。現在、輸送に使われていない船をすべて補給路に回せば4個師団分の補給が可能です」
現在、日本国内の主要港間の運送はこの世界では使えないフルコンテナ船などを使用しており、扶桑との貿易には70隻ほどのばら積み船とその20隻ほどのRO-RO船、セミコンテナ船が運航しているだけであった。
すると、何かを察したらしい国交大臣が口を開いた。
「なるほど、シベリア鉄道が問題ですか・・・・」
「はい。シベリア鉄道が現在運用している汽車の性能、数的に1個師団分の物資を運ぶのが精一杯です。また、コンテナ貨車がないので食料、部品類は中身を取り出して乗せるなどの工夫が必要になります」
岩峯の言葉にみんな納得したようであった。すると総務大臣がこんな提案をしてきた。
「欧州の港まで直接船で運ぶのはどうだ?」
「欧州の港まで直接輸送するにしても欧州まで輸送できる船が少ないので結局変わりません」
先ほどは船が十分にあるといいながら、今度はないという。一見、矛盾した主張に一同は首を傾げた。しかし、環境大臣と国交大臣は理由が分かった。
「大半の船舶が電気推進だからな。向こうまで行けるのは数の少ない旧式の船か
岩峯はうなづくことで、環境大臣の考察を肯定した。
2020年代、世界各国では環境対策が進んでいた。それは船舶にとっても例外ではない。電子化によって電力消費量が多い軍用艦艇には、有害ガスを排煙から除去する装置を付けたうえでガスタービンエンジンが搭載されていたが、民間船舶にはバッテリー搭載の電気推進方式が採用されていた。
当然ながら日本から欧州まで行って帰ってくることを無補給で行うことは不可能である。途中や目的地でエネルギーを補給する必要がある。転移前の前世界では、それらへ電力を供給する設備が各港にあった。しかし、この世界ではいまだに船舶は重油を使ったエンジンを使っているし、民間船舶の中にはいまだに石炭を使っているものすらあるのだ。
つまり欧州まで行くには、いまだに重油を使っている旧式船舶を使うか、排煙から硫黄化合物を取り除く装置を付けた船を使うしかない。しかし、有毒ガス除去装置を付けた民間船舶は大型のフルコンテナ船や大型豪華客船などが多く、欧州の港で運用可能なRO-RO船やセミコンテナ船の新型はほとんど電気推進方式を採用している。つまり、欧州まで物資を運べる船舶は非常に少ないということになる。
「なるほどな・・・・。では西欧諸国に対しては物資の供与に限るとしよう」
「それと同時に各地の港湾設備の整備と化石燃料機関の輸送船舶の建造を依頼しましょうか」
石田と官房長官は口々にそういった。
実をいうと、扶桑皇国が自動車や家電製品を大量に輸入してくれている*1おかげで経済は徐々に回復してきている。
「では、岩峯君。その方針で話を進めるとしよう」
結局、この日の会議で海兵隊第2海兵師団を欧州に派遣することが決定。民間海運会社に補給物資の運搬を委託し、オラーシャ帝国に対して協力を要請することとなった。また、国内の造船所には新型の戦時急造型のセミコンテナ船の建造を依頼した。ほかにもインド、スエズ、パナマ及び西欧諸国の港の整備を進めることとなった。
また、シベリア鉄道でも使用できる貨物列車の計画を鉄道会社に要請することとなった。もし、日本製の貨物列車がシベリア鉄道で使用できるようになれば、大幅な補給能力向上が見込めるからだ。
西欧諸国に対しては医療品、12.7㎜弾薬などの物資の無償提供や車両などの有償提供を行うこととなった。
しかし、日本国外務省がこれらの提案を行うと、オラーシャ帝国は日本の提案に難色を示した。
それもそうだ、自国領内を他国の軍隊やその補給物資が通ることにいい顔をする国はそうそうないだろう。だが、11月になってからカールスラント、ミュンヘンがネウロイの襲撃を受け、自国にもネウロイの脅威が迫っていると実感すると態度が一変。日本側の提案を素直に受け入れた。
すでに派遣準備が整っていた海兵隊第3海兵師団22,000名と物資を乗せた海軍艦隊は、11月26日に函館、大湊を出港。1週間ほどかけて浦塩に到着。そのころにはスオムスがネウロイの侵攻を受け始めており
オラーシャ帝国は対ネウロイ戦の最前線になっていた。
当初、国防軍は部隊を薄く展開させ現地軍と協力し、持久戦を行なおうと考えていたが、ネウロイがすでに欧州を東西に分断するように陣取ったことで想定していた戦略は崩れ去った。
一方、ブリタニアやリベリオンに対して行った各地の港湾設備の整備の提案はすんなりと受け入れられた。日本政府はODAを使い、余っている貨物船舶を使用し、変電設備や電力補給装置を輸送。日本の建設会社に建設工事を委託し、最新の工法を使用して、港湾の整備がすすめられることとなった。
変電設備、電気補給装置の設置工事、既存の燃料補給設備の改良工事だけなので、工事は2.3年ほどで終了するとされていた。
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その後の欧州の戦局は、お世辞にも良いとは言えなかった。
12月にスオムスで超大型ネウロイを撃破するも、ネウロイの攻勢はとどまることを知らずに内陸部へと進んでいった。
1940年次国防大綱が、25日に国家安全保障会議で決定。同時に1940年度中期防衛力整備計画が発表される。それにより、新たな空母航空団の整備と空母打撃艦隊の新設。1個揚陸艦隊の整備と揚陸任務群の揚陸艦帯への整備。1個海兵戦闘航空団と1個海兵師団の整備が盛り込まれる。
1940年
1月:スオムスのスラッセン、オラーシャ帝国のペテルブルクが陥落、スオムスとオラーシャ帝国は分断されてしまったのだ。
2月:スオムス軍が大規模攻勢を仕掛け、多大な犠牲を払いつつもスラッセンを奪還。
同時期に国防軍海兵隊第3海兵師団はオラーシャ帝国のドニエプル川を防衛ラインと定めオラーシャ軍と共同で機動防御作戦を展開、更なる増援が来るまで持久戦を開始。
6月:カールスラントが陥落。
電撃的にガリアに侵攻されパリが陥落する。この時期には欧州大陸からブリタニアへの避難が行われていた。
9月:エジプトが陥落し、スエズ運河が使用不能となった。これにより、日本の西欧への部隊派遣はさらに遅れることとなり、事前に予定していた補給路もパナマ運河を使用する航路へと変更を余儀なくされた。
10月:ペテルブルクが占拠されオラーシャと西欧との連絡路は完全に遮断された。
ドニエプル川で防衛戦を展開していた第3海兵師団とオラーシャ軍は包囲されることを嫌い、撤退戦を開始。殿は第3海兵師団が引き受けることとなった。
海兵隊UH-71汎用ヘリコプターが、地上部隊の撤退支援中にオストマルクより撤退していたウィッチ部隊を発見・回収。消耗が激しかったウィッチ隊は国防軍が次の防衛地点と定めたツァリーツィンまで大型ヘリで空輸された。
12月:日本で軍事偵察衛星と弾道ミサイル照準用の衛星が打ち上げられる。それからは毎月のように気象衛星やGPS衛星などの各種衛星が打ち上げられた。
1941年
1月:第3海兵師団がツァリーツィンに到着。ここで本国からの増援部隊が来るまで持久戦を開始した。戦局は非常に苦しかったが、第3海兵師団はヘリや各種装甲車両などの機動戦力とミサイルなどのハイテク兵器を最大限使い、防衛に成功。
日本本国では転移後にウィッチ適性が発現した人間のうち、志願者が集められ、ウィッチになるための訓練を開始。
また、扶桑海事変中から官民合同で研究されていたストライカーユニットの技術実証機であるXW-1が初飛行。6ヶ月間の実験に回される。
4月:すでに日本国内で引退していたディーゼル機関車の設計を流用した機関車がシベリア鉄道で運航を開始。*2同時にコンテナ貨車の運用も開始されたことで補給問題がかなり解決された。
それを受けて国防軍は陸軍第1機甲師団と第2独立機械化歩兵旅団、第3独立機甲旅団の合計32,000名の派遣を決定。
同時に撤退戦で消耗した第2海兵師団の帰国と再編成が決定。陸軍と入れ替わる形で撤退。
6月:日本・オラーシャ軍は共同でネウロイへの反抗作戦を決定。バルバロッサ作戦とタイフーン作戦を開始した。日本本国より派遣された短距離弾道ミサイル部隊がペテルブルク周辺にいる大規模なネウロイ群とヴォルガ川対岸のネウロイ群に対してATACMS短距離弾道ミサイルによる攻撃を連日のように行い、1週間の爆撃が完了するとペテルブルク方面には陸軍2個旅団が、ヴォルガ川では第1機甲師団が、オラーシャ軍と協力し侵攻を開始。これらの部隊にはジェット戦闘機などの強力な航空戦力はいなかったものの、移動式対空レーダーと日本製個人無線機によって行われた要撃管制は、ウィッチ隊の戦闘能力を底上げした。飛行ネウロイには要撃管制されたウィッチ隊が、地上ネウロイには耐熱装甲板を取り付けた戦闘ヘリや装甲車両が対処し、陸空の連携の取れた作戦は成功した。結果、ペテルブルクの奪還に成功。しかし、徐々にネウロイの巣が近づくにつれてネウロイの量が増えていき、国防軍も息切れを起こし始める。結局、ドニエプル川にたどり着く前に冬が到来したことで、国防軍は再び撤退を開始。結局、ネウロイの巣が破壊できるようになるまでヴォルガ川で持久戦を行うこととなった。
7月:日本本国で新型ジェット戦闘機、X-5の初飛行に成功。
11月:南アフリカに電気推進船用の補給設備が完成。オストマン方面にも補給設備は作られていたが、スエズ運河の占領を受けて工事は無期限の休止。ただ、アフリカ方面への部隊配備は検討され、補給路確保のためにスエズ運河の奪還が計画される。
1942年
2月:ブリタニアにも補給設備が完成し、日本から西欧への補給路が確保された。この時期にはディーゼル機関を使用するセミコンテナ船が多数、就航していたため約400隻以上の貨物船が日本―西欧間を行き来することとなる。
日本政府は国防軍の更なる派遣を決定。陸軍2個師団、3個旅団、海兵隊2個師団*3を追加派遣した。
また、ブリタニア、ヒスパニア、ロマーニャ、オラーシャ、スオムスにジェット機の運用可能な飛行場の整備を開始。
各国からウィッチを集めた統合戦闘飛行隊がアフリカで発足。日本は国防軍から地上部隊の一部を派遣することとなった。
9月:ブリタニアで第501統合戦闘航空団が発足した。日本政府は戦闘機部隊の配備が可能になり次第、戦闘機隊を派遣することを約束した。
11月:他国からストライカーユニット技師を招聘していた、三菱重工業と防衛省防衛装備庁の共同開発チームがF-86ストライカーユニットの試作機を製作。扶桑皇国よりウィッチが呼ばれて、試作ストライカーユニットの初飛行が行われた。
12月:防衛省は新型ジェット戦闘機をF-5ファントムハンターとして制式採用。
1943年
この年、各地で統合戦闘航空団の編成が進んだ。
5月:国防軍の更なる派遣が進み、陸軍から3個師団、2個旅団と海兵隊1個師団、1個旅団*4が抽出されて欧州に派遣された。本土の防衛は手薄になるものの、現在はネウロイとの戦争の真っ最中であるため、本土が攻撃を仕掛けられることはほぼないというのが国防軍上層部の判断であった。
7月:国防空軍が新型ジェットストライカーをWF-86セイバーとして制式採用。
8月:74式戦車のストライカーユニットの試作機が完成。実用化に向けた試験が行われた。
12月:ブリタニアの燃料補給設備の改良工事が完了し、ブリタニアでも5つの飛行場でジェット戦闘機の運用が可能な滑走路が完成した。これらの飛行場には国防空軍や海兵隊航空群から基地業務隊が派遣され、航空部隊の受け入れの準備が進められた。
1944年
1月:WF-86セイバーの量産型がウィッチ訓練航空隊に配備。今まで訓練で使用されていた、カールスラント製のBf-109と置き換えられる。
日本政府は国防海軍第1空母打撃艦隊、第1揚陸艦隊、国防空軍2個早期警戒航空隊、2個戦術輸送航空団、海兵隊1個海兵戦闘航空団からなる大規模航空部隊と陸軍第1砲兵旅団の派遣を決定。アメリカ合衆国も海兵隊の戦闘機部隊を派遣することを発表。ついに欧州の情勢は変わろうとしていた。
《陸軍》
第7師団(機甲師団) :約14,000名
第2独立空挺旅団(軽歩兵旅団) :約4,500名
第10師団(自動車化師団) :約15,500名
第11独立機械化旅団(機械化旅団) :約6,800名
第1工兵旅団 :約4,600名
《海兵隊》
第1海兵師団《機甲師団》 :約22,000名
第2海兵師団(歩兵師団) :約19,000名
《陸軍》
第1空挺師団(軽歩兵師団) :約15,000名
第9師団(自動車化旅団) :約15,500名
第8師団(自動車化師団) :約15,500名
第1輜重旅団 :約8,000名
第1防空砲兵旅団 :約4,000名
《海兵隊》
第4海兵師団(歩兵師団) :約19,000名
第6海兵旅団(歩兵旅団) :約6,200名
今日中に第26話も投稿したかったですが、間に合いませんでした。申し訳ありません。26話は火曜日に投稿します。
ご意見ご感想お気に入り登録お待ちしております。
では、また次回。さようならぁ!
次回 第26話 欧州へ
お楽しみに
ネウロイの瘴気の正体は?
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1:放射線もしくは放射能物質
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2:有毒な重金属などの微粒子
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3:毒ガス
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4:日本でもよくわからない