しかし、《それら》は動いていた。
──話が違う。
彼女はあわてた。
長きにわたって彼女の内に巣食い、苦しめてきた《それら》 を封じる術。そんじょそこらの妖が扱うようなものではない。かの大賢者らが編み出し、霊験あらたかと謳われる代物である。決まった手順さえ踏めば、《それら》を完全に沈黙せしめる──はずだった。
体外に追い出すことには成功したものの、《それら》は動きを止める様子を見せない。まるで彼女を嘲笑うかのごとく、身体を小刻みに揺するのだった。
のこされた書物を読み込み、準備に準備を重ねた上で実行に至った。それなのになぜ──?いったいどこに不備があるというのだろう。
そんな疑問が脳裏を埋めつくしたのも束の間。答えをだす前に、彼女の思考は恐怖で上塗りされる。《それら》のうち、一番大きな個体が襲いかかろうと近づいてきたのである。
──やめて!来るな!
考えもなしに、手元にあった薬瓶を投げつけた。傍から見れば決して良い判断とは言い難い。むしろ逃げた方が賢明とも言えよう。彼女と対峙する《それ》は、もはや手に負えないほど凄まじい力を持つ存在なのだから。本来ならこの程度の足掻きなど、なんの足しにもならない。
ただ、今の彼女にはそんな考えはなかった。
──もうここで終わらせなければならない。
とどめを刺せなかった焦りと、一刻も早く目の前の敵を消すという意思。それだけだ。
派手な音とともに中身が飛び散り、甘ったるい匂いが部屋を満たしたが、気にもとめなかった。
幸運にも、例の術によって弱まったであろう《それ》には効果があったようだ。一瞬怯んだ隙を、彼女は見逃さなかった。
──こんなモノは、あってはいけない。
彼女は《それ》に更なる術をかけた。指先から紡がれる術式は、連なり繋がり鎖となった。逃れようと暴れるそいつを、固く絡めて縛ってゆく。《それ》が二度と現れないように。誰とも接触しないように。
──もう見たくない。
・・・・・・こわかったのだ。突然湧き出て、わたしだけでなく、大切な人まで傷つけてしまう■■■■が。
気づけば手に石を握っていた。あの術に使った霊石の一つだ。本来は戦いに使うものではないが、構わない。その切っ先を《それ》へと向ける。そして、やるべき事は一つ。
──さよなら。
まるで楔を打ち込むように。ありったけの力をこめて、彼女は石を《それ》の中心に突き刺した。
泣き叫ぶような断末魔が噴き出す。黒く濁った液体が、脈を打つようにあふれ出た。両者とも次第に弱まっていき、今度こそ《それ》は押し黙った。
そして、何も聞こえなくなる。
もう動かない《それ》を拾い上げ、すでに事切れている他のモノとまとめて、空へと放った。《それ》らは幾筋もの光となり、彼方に散っていく。限りなく穢れた存在であるはずなのに、最期はどこか美しいとさえ思える光景であった。
事が全て終わるまで見届けたのち、彼女はぐにゃりと倒れ込んだ。安心からではなかった。
なぜか、体が動かない。手足に力が入らない。疑問に思い、自身を眺めた。
そこで今更、彼女は気づいた。
――己の胸に、大穴が穿たれている。
今の今まで立てていたのが不思議だ。どうして今の今まで立てていたのだろうか。痛みはなかったのだろうか。
力なく座り込んだ彼女の胸からは、とくとくと命が流れ出てゆく。ぽっかりできた空洞から漏れ出す錆びた赤。衣と、辺りを濡らしていくそれを、もはやどうすることもできない。
術の代償は、それだけ大きかった。
あとは、眠りの時を待つほかない。早い段階で分かっていれば、手を打つこともできただろうが。
仕方ない、と彼女は思った。望んだ形ではないものの、これも彼女が『望んだ』結果。甘んじて受け入れるのが筋だろう。
――次に目覚めたときは、きっといい日が待っているから。
少し笑って、彼女は目を閉じた。
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