ふたりぼっちのかみさま   作:きせのん。

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 どれだけ手を伸ばしたって、どれだけ高く跳んだって、届かない。

 でも、見上げたらどんな時もそこにある。その広い体で、自分を包みこんでくれる気がする。

 そんな空が、好きだった。


Ⅰ 青空
かみさま、おうちをなくす。


 心地よい鳥の声と風に揺れる草の音で、あたしは目を覚ます。草の中で身を起こすと、徐々に空腹感を覚えた。だいぶ昼寝してしまったらしい。太陽はすでに南西の方に移っていた。

 

 とりあえず帰って食べよう。今朝採った栗の入った籠を持って立ち上がる。

 

 ――っと、何か固いものを踏んづけた。足元の草の中にキラリと光るものがある。危ない危ない、(ハサミ)を忘れていた。地面に立てたら腰まである、でかくて重いこいつ。ずっと昔から一緒の、頼もしい相棒だ。これを使って木の幹に印を刻んだり、身を守ったり。山で暮らしていくには欠かせない。

 

 鋏を拾い上げ、大きく伸びをする。そして、家に向かって歩きだした。

 

 

 

 

 格子戸と屋根のついた、薄汚れた箱。高さはちょうど背丈くらい。これがあたしの家だ。

 

 扉を大きく開けて身を乗り出す。一瞬、頭から何かに吸い寄せられる感覚。次の瞬間には、薄暗い空間に着地していた。手足をめいいっぱい伸ばして転がりまくれる程度の広さはある。雨風をしのげるし、夜もさほど寒くない。朽ちた木の臭いを気にしなければ、寝泊まりするにはもってこいの場所だ。初めてここを見つけたときは、本当に驚いたものだった。

 

 大きめの鍋を出し、水をたっぷり入れて火にかける。その中に昨日から水に浸しておいた栗を入れる。しばらく待てば美味しいゆで栗の完成だ。

 その間、特にやることもない。気がつけば懐に入った丸く小さな板をいじくっていた。大分汚れてはいるものの、山の木々や石にはない、白く独特な光沢を持っている。これは〈オカネ〉と言うらしく、先日突然現れた〈人間〉と呼ばれる生物のものだった。

 

 確か、日差しの暖かい昼だった。うちでうたた寝していると、彼らが四体ほどやってきた。同類なのか、山で見る他の動物より姿かたちがあたしに近く、発する声の意味もいくぶん理解できた。少し興味が沸いたが、何をされるかはっきりしない以上、中から様子をうかがうだけにとどめておいた。

 彼らは家の前に立ち、仲間内でひとしきり話をした。

 話の大半は、山で採れる動植物についてだとか、麓に住む仲間のことや、自身の生活に関する内容だった。それによれば彼らは〈人間〉という種族で、山の下に群れで暮らしているそうだ。この四人は、家族や仲間のために、狩りに来ているらしかった。

 そして、少しではあるがこの家についても触れていた。要約すれば、

 

──この箱は、〈ほこら〉と呼ばれる特別な箱で、〈かみさま〉というものが住んでいる。

 

 ・・・・・・なんてことを言っていた気がする。

 

 この話を聞き、一つ疑問が生じた。

 自分は果たして〈かみさま〉なのか。

 残念ながら、あたしは誰にも会わず、ずっと一人で暮らしている。〈かみさま〉というものを見たことがない。それが何なのか、どんなことをするものなのか・・・・・・よくわからない。

 

  帰り際に、彼らは片手ほどもある木の実やら、この〈オカネ〉やらを置いて帰っていった。

 結局うちに何をしに来たのかは分からずじまいだった。が、少なくともあたしに対して敵意はない、という印象を抱いた。あれから木の実を食してみたが、毒はなかった。それどころかお世辞抜きに美味いのだった。〈オカネ〉は食べ物ではなかったものの、人間社会において価値のある物らしい。

 

 

 

 

 そんなことを考えながら、時折鍋をかきまぜたり火の調整をしているうちに、いい匂いがただよってきた。ゆで上がった栗を水で冷やしてから、栗の座から先端に向かって切っていくと・・・・・・香ばしい湯気と一緒に、見事な黄色い中身が現れる。一口かじってみた。

 ――ん!

持っている分を口に放り込み、知らぬ間に手を二つ目の栗に伸ばしていた。

 今日のは特にほくほくで甘い。

 あっという間に栗は腹の中へ消えていった。

 

 

 

 

 異変に気づいたのは、食事が終わって横になろうとしたときだった。棚にしまってある皿がカタカタ音をたてて小刻みに揺れはじめたのだ。

 

 何だろう?

 耳をすますと遠くの方からかすかにずん、ずん、という音がする。少しずつそれは大きくなっていく。皿の音もまるで何かを警告するようにガタガタ……ガチャガチャと激しいものに変わる。

 何か……こちらに近づいてくる。

 

 家を飛び出し、辺りを見回す。音は、ここからいくぶんか離れた茂みから―――その茂みが大きく揺れたと思うと、中から一頭の生き物が現れた。

 

 黒く大きな体に、太くて短い肢。たしか人間が〈熊〉と呼んでいたやつだ。力は強いが木の実を食べ人間はめったに襲わないとは聞いた。けれど、果たしてそうだろうか。全身に、特に口とかぎ爪あたりに赤黒いものがこびりついている。そこから生き物の死骸のものによく似た臭いを放っていた。

 

 ――こいつは危ない。

 

 本能的にそう感じた。

 

 熊のぎらつく目があたしをとらえる。家まで一目散に逃げ帰りたい衝動にかられたが、思いとどまった。下手に刺激してはいけない。怒らせてしまったら一瞬で八つ裂きにされるか、頭から食われるかのどちらかだろう。熊から目を離さずにゆっくりと移動する。とりあえずこの場を離れたほうがいいと思った。数十歩隔たった所にある木の陰に身をひそめた。

 

 よかった、幸運なことに熊は追ってこなかった。そのかわり先程出てきた茂みの方をやたら気にしている。

 何かいるのだろうか?

 

 熊が茂みにうなりはじめた。あの熊が警戒するとは、向こう側にいったい何があるのだろう。見つからないように体を木の幹に押しつけ、縮こまった。

 

 ―――来た!

茂みから赤いものが飛び出す。そして、熊の目の前に降り立った。

 

 そこにいたのは、紅白の衣をまとった人間。それも、かなり若そうな個体だったのだ。

 な、何なんだこいつは。あんな猛獣の前に堂々と立ちはだかるなんて。

 彼女が危ないことはわかる。でも助けない。そんなことできる力はない。逆にこっちがやられるだけだ。そもそも彼女は自分から熊の前に出てきた。襲われたら自業自得、あたしは関係ない。

 だけど、誰かが殺されるところは、見ていてけっして気持ちいいものではない。早く逃げないかな、と思いながら様子を見ていた。熊が向こうに行ってくれないことには、家に帰れないのだ。

 

 しかし彼女は動かない。それどころか勝ち誇ったような顔で、

 

「やっと見つけたわよ、覚悟なさい」

 

戦闘の体制に入った。熊のうなり声が一段と大きくなる。

 

 いやいやいや、怒らせてどうするの・・・・・・。どうかしている。

 

 熊は彼女の背丈の倍は余裕である。その真っ赤なかぎ爪は人の首も刈り取れそうだ。一方彼女が持っているのは四角い飾りのついた棒と数枚の紙。どう見ても彼女が勝てるわけがない。

 

 熊が後ろ足で立ち、吠えた。そしてかぎ爪が彼女に降り下ろされる―――!

 

 

 彼女のほうが早かった。左手の棒でかぎ爪を押さえ、残った右手の紙を投げつける。紙は熊に当たった瞬間爆発し、熊の体に焦げ目をたくさん作った。

 

 熊は目を血走らせながら立ち上がり彼女めがけて突進していく。彼女はとっさに飛びのき棒をさっと横に振るう。いくつもの光る弾が空中から現れた。

 

 速く動くものは、急に止まれない。それは熊だって同じ。勢いよくその中に突っ込んだ。

 

 大きな爆発。熊はそこら辺の木々をなぎ倒しながら吹っ飛び地面に落ちて動かなくなった。

 

 

 

 

 

 爆発でたった砂ぼこりで思いきりむせた。そこで口が半開きになっていたことに気づく。鋏を持つ手も汗で濡れていた。揺れがおさまり、熊がもう起き上がらないのを確認して、あたしはおそるおそる家の方に戻る。あの強すぎる人の子もそのうちいなくなるはずだ。

 

 ・・・・・・おかしいな。

 家があるはずの場所に何もない。少し離れたところに横たわる熊と、それをじっと見つめる人の子がいるだけだ。そのすぐ横の地面は深く削りとられていた。熊との戦いでできたものだろう。飛び散る土にまじって角ばった木片があちこちに見える。

 暫し考えたのち、ようやく理解した。

 

 

 

 家、壊された。

 

 

 ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・。

 

 うわああああ何してくれたんだよ!

 

 、と怒鳴りたいができない。ある程度人の言葉はわかるものの、なんせ他人と話したことがないのだ。声が出せるかすら怪しい。それに、あんな人を怒らせたら何をされるやら・・・・・・。だからその場に立ち尽くすしかなかった。

 

 困ったなぁ。せっかく集めた食べ物はパーになったし、山の夜はとても冷えるのだ。また森の中で震えながら過ごさないといけないのか・・・・・・はぁ。

 

 そんなあたしに構うことなく、彼女はのんきに倒れた熊を観察していた。体の傷を棒でつついたり、紙をペタペタはってみたり。

 

 不意に熊から茶色の気が立ちのぼる。ゆらり、と揺らいだかと思うとそれは濃縮しながら熊の体を離れ、そのままあたしの方、あたしの目の中に―――

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・・・・っ!」

 

 

──声が、聞こえる。

 

 

 「・・・・・・っと!」

 

 そっと目を開ける。

手が汗でびっしょりだ。いつの間にか地べたに寝転んでいた。一瞬気を失ってしまったのだろうか?

 

 「ちょっと!あんた!」

 

 すぐ前に、人の子が立っていた。機嫌が悪そうだ。

 

 「さっきの石!返しなさいよ!」

 

 は?石?石なんか取ってないよ。首飾りの宝石ならあるけれどこれは元から持ってるものだし。

 

 「あの茶色いやつよ。持ってるでしょ」

 

 肩を揺さぶってくる。

 さっきあたしの目に入ってきたのだろうか。でもあれは霧だ。石では決してなかったはず。首を横に振った。これが人間の〈否定〉を表す身振りだ。

 

 「嘘でしょう?私見たわ。あんたの方に飛んでくの」

 

 そう言われても、石じゃないんだってば。

 

 しばらく無視していたらさすがにあきらめたのか、彼女は大きくため息をついて手を放した。 

 

「もういい。じゃあ私帰るから。さよなら――って、何よ?泣きそうな顔して」

 

 『何よ』じゃないよ。ひとの家を壊しておいて、謝りもせずに自分だけ帰るなんて。ひどいよ。

 あたしは鋏の先っちょを家の破片に向けた。

 

 「あのボロ箱がどうかしたの?ボロ箱くらい壊したっていいじゃない。なんでそんな自分の家が壊されたみたいな顔してんn・・・・・・まさかあれがあんたの家?」

 

 ぼっ・・・・・・ボロ箱で悪かったね!でもあれがあたしの大事な家なんだよ、なんとかしてよ!

 首を大きく縦に振った。こちらは〈肯定〉の合図である。

 

「悪いけど、今オカネがないのよ。自分でなんとかしてちょうだい」

 

 オカネというのは、色々なものと交換できるという人間の道具らしい。前に会った人間によれば、オカネをたくさん渡すほど良いものが受け取れるそうだ。多く貯めれば家も手に入ると聞いた。

 彼女の服は、山で見た人間のそれより鮮やかで、美しい色をしていた。

 こいつ嘘ついてるな。オカネいっぱい持ってるけど使いたくないんだ。このケチめ。

 

 「・・・・・・」

 

 にらんでやった。

 彼女はまたため息をつき

 

「わ、わかったわよ・・・・・・」

 

 あたしの目つきは相当悪いらしい。彼女の顔が少しひきつっていた。よっぽど怖かったんだな。半分脅しみたいになってしまったけど、仕方ないか。悪いのはむこうなんだから。

 

 

 

 

 彼女はこう提案した。

 彼女は〈妖怪〉という恐ろしい生き物の退治を仕事とする〈ハクレイのミコ〉だという。先程の熊も〈妖獣〉と言って、妖怪の一種だそうだ。そりゃ強いわけだ。一度仕事をしただけで大金が手に入るらしい。必要なオカネを集めあたしの新居が建つまでの間、家に泊めてもいいとのことだった。

 

 これは予想外だった。本当にオカネを持っていないようだった。

 巨大な熊を楽々倒した彼女だ。オカネがないなら、そこらの木を切ってきて、この場で小屋でも建ててくれるとてっきり思っていた。

 むしろそうしてほしかった。あたしはこの場所が好きだ。この景色が好きだ。空気は美味しいし、草木をかき分け探検するのが楽しい。山の頂上へ行けば、次々と表情を変える空がある。この山を離れること、この生活をやめることは嫌だったのだ。

 

 でも、最近山でとれる食料は明らかに減っている。それに外の気温もどんどん下がっている。食べ物もすぐ手に入るし、暖かいすみかを提供してもらえるのも悪くない。

 

 少し考えてから、彼女の言葉に甘えることにした。人間と一緒に暮らすといっても、住む場所が同じになるだけだ。別に仲良くならないといけないわけではないだろう。一人でのんびりすればいい。それに新生活も永遠ではない。家が建ったら、その時点でおさらばだ。ちょっとの辛抱である。

 

 

 

 こうして、あたしと〈ハクレイのミコ〉の同居生活が始まったのだった。

 




◇この作品においては、

「祠」の中には、神様しか入れない居住スペースがある

というオリジナル設定がございます。ご了承下さい。



格子戸
……格子〔細い木材や竹などを縦横にすき間をあけて組んだもの〕を組み込んである戸

栗の座
……栗のお尻のザラザラしたところ

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