「――ではこれよりッ! 『第408回ポートラル第二拠点視察作戦~せっかく別荘作るなら、やっぱ屋外プール付きがいいよね~』を、決行するぜィ!!」
相も変わらず適当なナンバリングの作戦名を唱えながら、アドが大きな横断幕を広げる。すぐ出発するんだから邪魔なだけだろうに。
毎度のことでもう誰もツッコミを入れようとしない。それでも一人でやいやいと楽しそうにしているアドの図太さは本当に目を見張るものがある。いい意味でも悪い意味でも。
先程少し外を覗いた限りでは、天気は曇り。
厚い雲が太陽にかかってはいるものの、雨が降る様子はない。少し涼しくて活動しやすく、屋外作戦にはそれなりに適している天候と言えるだろう。
「それじゃあ案内しよう。私についてきてくれ」
黒い竹刀袋を背負った
最低でも、デパートから第二拠点までゾンビの少ない地域を移動できることが必要な条件となってくるだろう。
非常事態によりデパートを捨てる判断をしたと仮定した場合、非戦闘員のメンバーを守りながら第二拠点まで移動する必要がある。
戦闘が可能なメンバーの人数を考慮すれば、守りながら移動できる非戦闘員の人数には限界がある。距離が近いのがベターなのは間違いないが、戦闘を極力避けながら移動できるルートを確保しておかなければ、第二拠点に辿り着いた時の生存人数に直結してしまう。
けれど、それは要らぬ心配だったようだ。
不知火も僕の懸念については同様に考えていたようで、彼女が先導するルートは見晴らしの良い広い道路であったり、踏切から中に入った線路の上であったりした。
住宅街や細い道では、物陰に潜むゾンビから不意打ちを受ける可能性がある。障害物の少ない大きな道路や、柵で隔離された線路内を歩くことで、ゾンビとの接触を最小限に抑えようということだろう。
実際不知火に続いて歩く中でも、ゾンビとはまだ数体しか接触していない。この程度なら、数十名の非戦闘員を守りながらでも進むことは容易そうだ。
「ところで不知火。今向かってる候補地って、どんな場所なんだ?」
ふと、僕はそんな疑問を不知火へと投げかけてみる。
すっかり忘れていたが、まだその話をしていなかった。僕以外の皆もそういえばといった風に、不知火の回答に耳を傾けた。
「それは着いてからのお楽しみだ。きっと驚くぞ、サン」
ニヤリと楽しげな笑みを浮かべる不知火。どうやら候補地について具体的に語らなかったのは敢えてのことだったらしい。
遊び心があると言えば聞こえはいいかもしれないが、僕は少しばかり不安に思えてきたようにも感じる。しっかり者に見える不知火だけれど、意外にも一風変わった趣味趣向の持ち主であることは既に思い知っているからだ。例えば、そう……昨日のシャワールームとかで……。
「うひょーッ! そう言われると余計に楽しみじゃないかー! 到着が待ちきれないぞよヌイヌイッ! まだ着かんのかッ。まだ着かんのかッ!?」
僕の心配事とは裏腹にはしゃぐアド。
思えばコイツは不知火と同類かもしれないわけだしな……同調していても不思議ではない。不知火からは若干避けられてるみたいだけど。
「一体どんな場所なんですかね……」
「心配か、サンくんは?」
「まあ、少しだけですけど」
そんな話を持ち掛けると、
「なに、きっと大丈夫だろう。不知火くんは一人でこのニュータウンを生き抜いてきたのだ。ゾンビ共から身を守る術は、おそらく私たちよりも熟知しているだろうからな。空が落ちてくることを憂いても仕方あるまい」
「空が落ちる……『杞憂』の語源になった逸話ですね」
「うむ。さすがだ」
礼音さんと話していると、やはり考えすぎかと思えてきた。
そうだ、僕らは不知火を新しい仲間として受け入れ、一度共に戦ったじゃないか。彼女の言葉に疑念を持つ理由などない。僕の懸念は礼音さんの言ったように杞憂に過ぎないのだろう。
ゾンビがデパートに侵入してきたときも、その後の会議で第二拠点を築こうという話をしたときも、不知火が僕らに良い影響を与えていたことは間違いないのだ。
そんな彼女に連れられてやってきたのが、例え少々おかしな場所だったとしても……なんとかフォローしてみせるさ……ッ。
「――ん」
そんな折、僕の隣を歩いていた
その意図を僕は把握できない。手のひらを上にして差し出されたこの手は……何かを渡せとでも言っているようだが?
「……悪い、なんだ来栖崎?」
結局、僕はその意図を理解できずに尋ねてしまった。
すると来栖崎は僕に対して「使えない」とでも言いたげにため息をついた。
「喉乾いたんだけどー?」
「ああ、そういうことか。少し待ってろ」
僕は急いでリュックサックを開け、中からペットボトルを取り出す。
それを来栖崎の手の上に置いて任務完了――かと思ったが、来栖崎は再び大きなため息をついた。
「キャップ」
「えっ、ああ……わかった」
僕はボトルのキャップを開けて、もう一度来栖崎に手渡す。そうして来栖崎はようやく喉を潤すことができたのだった。
「血は大丈夫そうか? どこか調子が悪かったりとかは――」
「――血なら出発前に飲んだでしょ。ボケた老人じゃあるまいし」
「そうか。ならいいんだ」
なんだその、朝ごはんならさっき食べたでしょ、みたいな。
けれど僕は心配なのだ。例え杞憂と言われても、僕は来栖崎のことが何よりも大事で、何よりも気がかりで仕方がない。
「ったく。しっかりしなさいよね。辛うじて荷物運びくらいにしか役に立たないんだから、あんた」
そう言いながら突き返されたペットボトルに、僕は再びキャップを閉める。
けれど、なんだろうか。このとき僕は来栖崎に、なんとなく昨日までと異なる雰囲気を感じた。
「なあ、来栖崎。お前……何かいいことでもあったのか?」
漠然とそう尋ねてみる。不知火と揉めてからというもの口数が減っていた来栖崎が、なんだか今日はよく喋っているのだ。喋っているというか、僕を罵っているんだけれど。
僕にとっては、その様子がどうにも機嫌がいいように感じられる。その理由が知りたくて、僕はつい来栖崎に取り留めもない問いを投げかけたのだった。
「別に。むしろその逆だったら? どっかのクソ虫がクソどうでもいいことを聞いてきた、とか」
「それは悪うございましたね」
クソがつくほどどうでもいい割に、質問にはちゃんと答えるんだな。どっちとも取れない曖昧な回答だけれど。
けれども、24時間一緒にいる僕にはわかる。来栖崎は昨日までと比べて明らかに機嫌がいい。それだけは自信を持って断言できるのだ。
一体どうしてだろう。僕には心当たりがまったくない。それこそ24時間一緒にいる僕ですら、だ。
わからない。わからない。理解したくても僕にはひと摘まみもわからない。来栖崎が何を感じ、何を思っているのかが。
「ここを通り抜けるぞ」
あれこれと考え込んでいると、前方から不知火の声がした。
見渡すと、いつの間にか僕らは山の入口にいて、眼前には巨大な洞窟のようなものがあった。
「な、なあ不知火……拠点候補ってまさか、この洞窟か……?」
恐れていた事態が起きたかもしれない。いくらなんでもそんな不便な場所に身を顰めなくても。
デパートと比較すると生活水準は格段に下落することは間違いない。僕以外の面々も眉が引きつっているじゃないか。
「ははは、まさか。通り抜けると言っただろう。候補地はもう少し先だ。そこへ行くまでの近道なんだよ、ここは」
「それを聞いて安心したよ……」
セーフ。もしここが拠点候補だと言われたら全員で回れ右するところだった。
しかし、ニュータウン内の山地にこのような洞窟があることなど知らなかった。
いや、ここは自然にできた洞窟ではなく、どうやら人工的に掘られた場所のようだ。採掘場か何かだったのだろうか。
「ここは感染爆発の前にトンネル工事が行われていた場所のようでな。作業員用の通路も完備されていて歩きやすいんだ。ここを通れば山の向こう側に抜けられる」
「なるほどな。山の反対側に行くなら、迂回するよりずっと早そうだ」
「ただ、中には稀に少数のゾンビが迷い込んでいることがある。だから前衛で戦える者から先へ進み、後衛がそれに続いてもらいたい。私とサンで
「そうか。わかった」
僕らにとっては土地勘のない場所である以上、ここは不知火の指示で動くのがよさそうだ。
彼女の提案通り、前衛には
*****
洞窟内は暗く、充電式の懐中電灯で照らしながら進むしかなかった。
それも当然だ。感染爆発によってライフラインがストップしている以上、工事用の照明が使い物になるはずはない。
皆の足取りも慎重になる。真っ暗な中から突然ゾンビが現れようものなら死に直結するからだ。
しかし不知火の話では、これまで何十回と通った中でゾンビが現れたことなど片手で数える程度だという。遭遇率が低いのはありがたい話だが、それでも警戒は怠らないようにしなければ。
「ん?」
暗い視界の中に何かが見える。けれど最後尾の僕にはそれが何なのかはわからない。
「吊り橋が見えますわ。下は谷になっています」
前方の状況を確認した甘噛の声が聞こえてくる。
少し進んで追いつくと、その言葉通り一本の吊り橋がかかっていることが確認できた。
どうやらこの山の内部には洞窟のような空洞があったらしく、トンネルを掘っている途中でその空間にぶつかり、それが谷となっているようだ。
鎖で吊られた橋は少々錆びついてはいるものの固定は十分そうである。吊り橋の幅は随分狭いが、一列になって進めば問題なく反対側へと渡れるだろう。
「ここまで来たなら出口はもうすぐだ。さっきまでの順で渡っていってくれ」
不知火の合図で一人ずつ吊り橋に足をかける。
鎖で吊られているだけであるため割と揺れるようだが、想定外の地形に臨時でかけた橋にしては良く出来ている方だろう。
前衛が橋の真ん中あたりまで差し掛かり、中間の射撃隊が橋を渡り始める。
それに続いて最後尾組の来栖崎が足をかけ、
――はずであった。
「――うわぁッ!?」
橋に足をかけた瞬間、僕は背後から引っ張られバランスを崩す。
そのまま尻餅をついた僕の目に飛び込んできたのは、なぜだか抜刀している不知火の姿だった。
僕の声に皆が振り向く。しかし不知火は何を思ったか、橋を吊っている鎖を自らの刀の一振りで断ち斬った。
「なんだッ! 何が起きているッ!?」
「サン様ッ! これは一体!?」
「おいしがみつけッ! 橋が落ちるぞッ!!」
ジャラジャラと音を立てる鎖の橋と共に、真っ暗な谷の底へと皆が吸い込まれていくのは一瞬の出来事だった。
何が起きたのか、まだ僕にも把握できない。突然のことに驚き呼吸を乱す僕の前には、鎖を切った刀を鞘に収める不知火の後ろ姿だけがあった。
「無事かみんなッ!? 返事してくれッ!!」
「なんとか生きてるよ、サンちゃん。全員無事ー!」
慌てて谷底に向けて叫んだ僕は、アドからの返答に胸を撫で下ろした。
どうやら咄嗟に橋にしがみついたおかげで、落下による致命傷を受けた者はいないようだ。
「うおッ!? なんだコイツらッ!?」
「早く戦闘態勢を取らないとッ!」
「まずいぞサンくん! 橋の下はゾンビ共の巣窟だッ!」
「なんだって!?」
耳を澄ますと、確かに皆の声に紛れてゾンビの呻き声が聞こえてくる。
数体……いや、数十体は軽く超えているのではないだろうか。どうしてこのような谷底なんかにゾンビの大群が……!?
しかし、考えればそれは当然の話だ。
感染爆発当時、このトンネルには大勢の作業員がいたと推定される。それも大半が感染に対する免疫のない男性作業員が、だ。
ふらふらと歩くゾンビ共は平衡感覚がほとんど機能していない。吊り橋を渡るほどの知能もない。
千鳥足でこのトンネル内を彷徨ううちにほとんどがこの谷底へと落ちていったことは容易に想像できることだ。
そして落ちたら最後、彼らが這い上がってくる手段はない。必然的にゾンビの掃き溜めがこうして出来上がるというわけだ。
わからない。わからない。わからない。一体どうしてこのような状況になってしまったのか。
混乱する。錯乱する。狼狽する。僕らに何が起きたというのだろう。たった今まで並んで平穏に歩いていた僕らの身に、一体何が?
いや、本当はわかっている。ある人物がこの状況を作り出すところを、僕は目の前で見ていたのだから。
「……どういうことだ、不知火……ッ!!」
振り向いた先に立つ彼女の表情には、何の感情もこもってはいなかった。
あまりにも遅すぎるが、僕はこの瞬間にようやく気付いたのだ――
――本当に空が、落ちてきたのだと。