ツルギ、フタフリ   作:わさび仙人

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第十二話

「答えろ不知火(しらぬい)ッ!! 一体何のつもりなんだよ!?」

 

 僕が問うても何も答えない不知火。彼女は表情を変えぬままで僕の前に立っているだけだ。

 まだ状況が飲み込めずにいる。不知火はなぜこのようなことをしたのだろう。言葉を交わし、笑い合い、そして互いに背中を預けて戦った仲間だというのに……!

 

「許せ。これはお前のためなんだ、サン」

 

「僕のため……?」

 

 俯きながらそう呟く不知火は、なんだかとても悲しそうに見えた。

 しかし彼女はすぐに表情を引き締めると、僕の前へと少しずつ歩み寄ってきた。

 

「意味がわからないぞ不知火……僕らは第二拠点の視察をしに来たんじゃないのか?」

 

「そんな場所はない。最初からな。すべてはお前たちをここに連れてくるための方便だ」

 

「……何が目的だ?」

 

「それを尋ねる必要はあるのか? 聡いお前ならもうわかってるんだろう?」

 

 不知火の言う通り、なんとなくの推測はできている。

 それでも、そうだと信じたくない。本気で仲間だと信頼していた彼女が、本当にそのようなことを企てていただなんて思いたくない……!

 

「潰すためだよ。ポートラルを」

 

 僕の目の前まで迫ってきた不知火の言葉に、僕は拳を握り締める。

 そうだ。そうに決まっている。でなければ、仲間が大勢乗った吊り橋を落とす理由などないのだから。

 

 僕の背後。谷の底からはゾンビの大群と戦うみんなの声が聞こえる。

 しかしそれを援護している余裕はない。僕は不知火と視線を交えたまま、一歩も動くことができずにいた。

 

「ポートラルはお前という男を見誤っている。お前は間違いなく盟主の器だ。参謀なんて役不足だろう。なのにどうして誰もそこに疑問を抱かない? どうしてあんな下品で無能で能天気な盟主に付き従っているんだ? まったく理解できない」

 

 理解できないのは僕も同じだった。

 僕が盟主の器? 来栖崎(くるすざき)やみんなに守ってもらわなければ生き残れないほど弱い僕が?

 参謀が役不足? 決してそんなことはない。むしろ参謀だなんて、僕なんかにはもったいない大役を任せてもらっていることが幸せなくらいだ。

 

 そう思っても、僕は何も答えることができない。

 下手な反応を見せれば何かが壊れてしまいそうな、そんな危なげな雰囲気が、今の不知火にはあるからだ。

 

「お前も同じなんだろう? 女の醜い社会に飲み込まれ、本当の自分を偽り、肩身の狭い思いをしながらそれでも息を殺して生きるしかない……お前も()と同じだ」

 

「……()……?」

 

 一瞬、僕は思考が停止した。

 不知火の言動が明らかに不自然だったのだ。

 ずっと《私》と言っていた彼女が、今自分を指して《俺》と言った。この変化は一体何を意味するというのだろうか。

 

「俺と来い、サン。男がいなくなったからって上に立った気でいる女共に首を垂れる必要なんかないんだ。少数派(マイノリティ)であることは劣っていることとイコールじゃない。それを証明してみせるんだよ。お前と、俺で……!」

 

「不知火……お前は……」

 

 僕の中に、一つの推測が生まれた。

 というか、これはもう確信だ。不知火の言葉を聞けば聞くほど、僕は不知火の正体が日の下に晒されていくように実感できた。

 

「……LGBT……なんだな」

 

 僕の言葉に、不知火はこくりと頷いた。

 

 LGBT――つまり性的少数者(セクシュアル・マイノリティ)

 この中には同性愛者や両性愛者、身体と精神の性が一致しない性別超越者などが含まれるという。

 どうやら不知火は、女性の身体でありながら男性の精神を持っているらしい。一人称を《俺》と言っていたことからそう考えるのが妥当だろう。

 

「俺はお前を救いたいんだ、サン。お前のような能力のある男が、女共に蔑まれながら自分を殺して生きているのが我慢ならない。それがどれほどの苦しみを伴うのか、俺は痛いほどよく知ってる。俺なら本当のお前を理解してやれるんだ。だからこんな豚小屋なんか捨てて俺と来い。二人でこの世界を生きるんだ……!」

 

 見開かれた不知火の目が、得体のしれない恐怖を煽る。

 一体どれだけの苦悩を背負えば、ここまで人間は盲目になるのだろう。自分の求めるもののために、他のすべてを排除しようなどと考えてしまうほどに。

 

 ちらりと、背後の崖下を見る。暗くてよく見えないものの、そこには蠢くゾンビの大群の影が確認できた。

 この中で今、みんなは必死に戦っている。なのに、僕は動けない。本当なら今すぐ駆け付けなければならないはずなのに……!

 

「来栖崎が気になるか?」

 

 不知火の一言に心臓が跳ねる。

 再び彼女の――いや、彼の方を振り向くと、なぜだかそこには不気味な笑みが一つ浮かんでいた。

 

「そういえばお前は言ってたな。《来栖崎のためだけに生きる》んだと。ヤツに依存しなければ生きられないなら、その障壁も俺が取り去ってやる」

 

「……なんだと?」

 

 不敵な笑みを浮かべたままの不知火。

 彼は鞘に収まったままの刀を僕の前に水平に突き出してみせると、固い覚悟に満ちた声を高らかに張り上げた。

 

「生きるために依存する剣が必要なら、今日からは俺がその役目を担おう。生きるために依存される弱者が必要なら、今日からは俺がお前の聡明さと唯一性に依存しよう。どうだ? 今よりずっと理想的な凶依存の関係だろう? お前が躊躇う理由なんか一つもない。だから俺と来るんだ、サン……さあ!!」

 

 不知火の双眸は、眩しいほどの希望に満ち満ちているようだった。

 例えるなら、欲しいおもちゃを買ってもらえた時の子どものような、あまりにも純粋で嬉々とした目。

 きっと彼は幸福なのだ。長きに渡って続いた苦悩が、僕という存在によって終わりを告げるのだと。それを確信しているのだと、僕にはわかった。

 

 

 

 

 

 

「断る」

 

 

 

 

 

 けれど、そんな彼の眩しすぎる期待を、僕はたった一息で斬り伏せてみせた。

 

「……今……なんて言った……?」

 

 途端に表情が崩れ落ちる不知火。僕の返答はそんなにも予想外だっただろうか。

 いや、予想外なんてものではない。彼はもう、僕が頷くことを確信していたのだろうから。そんなことは、それこそ本当に空が落ちてきたのだとしてもありえない話だというのに。

 

「僕を救いたいと言ったな、不知火。そもそも、お前はその前提から間違ってるんだよ――」

 

 刀を握る手を震わせる不知火に、僕は淡々と言葉を投げかける。

 彼が聞いているかは定かではない。僕の返答に尋常ではないほど動揺している様子だ。

 

 それでも僕は言わなければならない。

 これは僕という無力な存在において、ある意味では心臓とも言えるほどの、何事にも代えがたい事実だからだ。

 

 

 

 

 

「――僕はとっくに、来栖崎に救われてるんだからな」

 

 

 

 

 その瞬間、僕らの足元は突然不安定になった。

 地震でも起きたのかと思うほどの地響きと揺れ。何が起きたのかも把握できないうちに、僕と不知火は崩れた地面と共に谷底へと滑り落ちていったのだった。

 

「ゲホッ、ゴホッ……何が、起きたんだ……?」

 

 土煙に巻かれてむせ返る息。すぐ横には僕同様に落ちてきた不知火の姿もある。

 どうやら垂直落下ではなく滑落だったおかげで怪我はしていないらしい。

 

「プギャー。一世一代の公開プロポーズを見事に拒否られてやんの、このおとこ女。どんな気持ち? ねえ今どんな気持ち?」

 

 ざくざくと土を踏みしめる足音と共に現れたのは、少し上擦っていて楽しげに不知火を煽ってみせる来栖崎だった。

 彼女は既に多くのゾンビを斬り伏せたのだろう、刀やコートにはどす黒い返り血がこびりついていた。

 

「岩壁を蹴って……足場を崩したのか……馬鹿力め……!」

 

 歩み寄ってくる来栖崎を睨みつけながら不知火が呟く。確かに来栖崎の膂力を持ってすれば、この程度の岩壁を崩してみせるくらい容易いことだろう。

 いや、そんな悠長なことを考えている場合ではない。崖下に落ちてきてしまったのなら、ここには大量のゾンビが蠢いているはず……! 現に僕の視界には、数えるのも億劫なほどのゾンビの群れと交戦する仲間たちの姿が映っていた。

 

「動くな、来栖崎(バケモノ)

 

 そう言って僕の背後に回り込んだ不知火は、咄嗟に僕の首に刀を突き付けた。

 それを見て来栖崎も足が止まる。首に当たる冷たい金属の感触に、僕は全身から冷や汗が噴き出るのがわかった。

 

「不知火……お前……ッ」

 

「全部お前のせいだ、サン。お前が素直に俺と来ていれば、こんなことはしなくてもよかったのに」

 

 耳元で囁かれる低い声は、もはや仲間として肩を並べた不知火ではなかった。

 彼の声色から感じ取れるのは、憎悪。何もかも諦め、眼前の敵にせめて一矢報いようとするような殺意だった。

 

「今すぐ剣を捨ててゾンビの群れに身を投げろ、来栖崎(バケモノ)。さもないとサンを殺す。そうなればお前にとっては死活問題どころの騒ぎじゃないんだろう?」

 

 動揺する僕とは対照的に、来栖崎は不知火の言葉に対して何の反応も見せなかった。

 

 彼女はどうしてそんなに冷静なんだ? 彼女は今何を考えている?

 僕が死ねば、僕の血を飲めない来栖崎も死ぬしかない。僕が死ぬことに関してはどうだっていいが、そのせいで来栖崎が死ぬことなどあってはならないのに……!

 

 右手に握った刀をだらりとぶらさげたまま、来栖崎は立ち尽くす。ゾンビと戦うわけでもなく、不知火の要求に応えるわけでもなく。

 

「やめてくれ、不知火……お前を拒絶したのは僕だ……来栖崎は関係なッ……ぅぐッ」

 

 どうにか不知火を説得しようとした僕の言葉は、喉にグッと強く押し付けられた刀によって嚥下を強要された。

 

「関係ないと思ったか? 大ありなんだよそれが。俺はあの女が昔から気に食わなかった……初めて会った中学生の時から、ずっとずっと殺してやりたくてたまらなかったんだよ……ッ!!」

 

 言葉尻が強くなる。叫ぶ呼吸が荒くなる。

 冷静沈着な不知火の印象を根底から覆す取り乱しっぷり。僕の首に刀を突き付けたままで、彼は立ち尽くす来栖崎に向けて喉を潰す勢いで吠えた。

 

「なあ、どうしてお前なんだッ!? どうしてお前はいつもいつもッ! 俺が死に物狂いで求めているものを何の努力もせずに手に入れるッ!? そのものの価値をまったくわかってもいないくせに……罪深いバケモノめッ!!」

 

 その叫びは、不知火の持つ感情のすべてを吐き出したと言ってもいいほどに悲痛だった。

 けれど僕には、その真意がわからない。どうやら来栖崎と不知火は、一度剣道の大会で試合を行ったというだけの間柄ではないらしいのだ。

 

「どういう……意味だよ……?」

 

 刀が突き付けられた喉から、どうにか言葉を絞り出す。

 それを聞いて不知火は、くつくつと不気味に笑ってみせると、再び僕の耳元で囁いた。

 

「そうだな……いいだろう。這い上がる手段がない以上、どうせここで全員死ぬんだ。冥土の土産に教えてやる」

 

 僕の首に突き付けた刀を、今一度握り直す不知火。

 そうして彼は、これまで謎に包まれてきた自身の過去について、僕と来栖崎に語り出したのだった――


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