準々決勝。全国優勝候補筆頭と言われていた俺にとってはただの通過点のうちの一つだ。
そんな試合でも、俺は決して手を抜くことはない。気を緩めることはない。それが俺の剣士としての誇りだから。
誰が相手であろうと、持てる力のすべてで向き合う。でなければ倒す相手に失礼だ。
これは中学生の部活動だが、本来ならば命の取り合い。自分を殺す相手の全力も見られぬまま死ぬのでは、斬られた相手が報われないであろうという俺なりの配慮は、もちろん今日も欠かすことはなかった。
だが、コイツの――
それは試合開始直後、俺と来栖崎が一合目を打ち合ったその瞬間に確信したのだ。
この女には、何もない。
闘志も、覇気も、誇りも、信念も。勝ちたいという意欲すら、俺にはまったく感じ取れなかったのだ。
そんな人間がいるだろうか。部活動とはいえ大会だ。俺ほどの強い覚悟がある者は珍しいとしても、せめて目の前の試合には勝ちたいと必死になるのが普通ではないのか?
けれどこの女は違った。この女が剣を握っているのは、俺のように自分の修行のためでも、他の剣士のように試合に勝つためでもないようだった。
それが何のためだったのかは俺にはわからない。わかりたくもない。
少なくともわかっているのは、この女は剣士の誇りとは対極に位置し、
事情は知らないが俺にはそれが許せなかった。同じ剣士として恥だと感じた。そんな女に負けるわけにはいかない。そうして俺はより一層の強い覚悟を持ってこの女との勝負に臨んだのだ。
正直俺は、剣士としての覚悟もないこの女との決着はすぐにつくと思っていた。
しかし実際は違った。このような女でも準々決勝まで駒を進める実力は本物らしく、思いのほか接戦となったのだ。
わからない。ますますわからない。
これだけの実力を持つ者が、どうして自分の剣に一切の誇りを抱いていない? それだけの強さに憧れる者がどれほどいると思ってるんだ。剣士の誇りを汚すのも大概にしろ……ッ!!
気が付くと、俺の剣は来栖崎の頭を捉えていた。
面打ち、一本。審判が下した判定を聞くまで、俺は自分が冷静さを欠いていたことに気づかなかった。
これが剣道の試合でよかったというものだ。握っているのが真剣だったなら俺は間違いなく、この女を再起不能にするまで止まらなかったことだろう。
その女の――来栖崎ひさぎの名前を知ったのは試合後のことだった。
噂ではコイツの家は剣術道場で、その跡取りとしてこれまで育ってきたらしい。
だからこそ理解できなかった。だからこそ憤った。それだけ剣士として恵まれていながら、どうすれば自分の剣をそこまで汚すことができるのだと。
俺が剣士であるためにどれだけの苦労をしたと思っているんだ。俺が死に物狂いで手に入れた幸福を、お前は道場の家に産まれたというだけで簡単に手に入れて、なぜそれを誇ることができないんだ。
殺してやりたい。殺さなければならない。コイツは剣士を名乗るすべての者にとっての恥だ。
けれどそれが許されるはずもない。せめて世界が終わってくれたりでもすれば、話は別なのだろうが。
その後俺は周囲の期待通り、全国大会まで駒を進めた。
そして全国4位という結果で中学生最後の大会を締めくくるに至ったのである。
優勝できなかったことは正直悔しい。けれど俺よりも強い剣士がいるというのはとてもわくわくする。
自分はもっと強くなれる。その伸びしろを身をもって体感したのだ。これからの修行にも一層気を引き締めて臨まなければ。
父親が指定した女子高校に進学したあとも、もちろん俺は剣道を続けた。
高校でも全国大会常連となり、界隈で俺の名前を知らない者は一人もいないだろうと言われるくらいだった。
けれどそんなことはどうでもいい。俺は有名人になりたくて修行をしているんじゃない。男らしく、強く生きていくために剣士としての誇りを大切にしているだけだ。いつか打ち負かしたあの女とは違う。
しかし、そんな俺の充実した修行の日々は、唐突に終わりを迎えることとなる。それは高校三年のとき、俺の引退試合が終わった後のことだった。
高校での俺の最終成績は全国3位。惜しくも再び優勝を逃してしまった。
ならばもっと修行を積めばいいだけ。父親が俺の今後の方針をどう定めるかは知らないが、進学しようと社会人になろうと剣道は続けられる。自分より強い剣士ともっともっと戦い、自分の誇りを磨いていけるのだと、この時の俺はそう思っていた。
しかし父親から与えられた次の命令に、俺は深く深く絶望を抱くことになったのだ。
父親が俺に求めたのは、進学でも就職でも、はたまた財閥の仕事の手伝いでもなかった。
父親が選んだ《男》との――結婚だ。
父親は俺にこう言ったのだ。経営上の姉妹契約を結んだ他財閥の御曹司の許嫁になることで、両財閥の関係をよりよいものにするのだと。
それを聞いて頭が真っ白になった。どうして俺が初対面の相手――それも
しかし俺に反発は許されない。それは剣道を始めるときに父親と交わした契約があったからだ――二度と言いつけは破らない、という契約が。
けれど黙ってもいられない。他財閥に嫁ぐことになれば、剣道を続けることなどできるはずがないのだから。そしてそのことについて父親に問うと、返ってきた言葉はあまりにも冷たかった。
剣道なら十分すぎるほどやり切っただろう。夢を見るのはもうやめて、大人になりなさい、と。
夢? 俺がこれまですべてを懸けて向き合ってきた剣の道は、ただの夢物語なのか?
違う、違う、違う……ッ! 俺はそんな中途半端な覚悟で剣を握ってきたわけじゃない……あの女とは違うんだ……ッ!!
しかし、俺に拒否権など与えられなかった。俺は高校卒業と同時に、契約を結んだ財閥の御曹司と結婚してもらうと、その決定事項だけが俺に伝えられたのだ。
もう、何も考えられなかった。今自分を取り囲む状況のことも、これからのことも、何も。
俺には剣しかない。それ以外のものは何も持っていないのだ。そんな唯一の誇りを奪われた俺に、一体何が残るというのだろう……。
そんな折、幸か不幸か、その日は突然やってきた。
3月15日。その日渚輪区は、地獄に落ちたのだ。
家の者は次々とゾンビへ変貌し、互いを食い合い殺し合う混沌が俺を襲った。
咄嗟に家に飾られていた日本刀を握った俺は、どうにか死線を潜り抜け、家から脱出することができた。
けれど、生きて出られたのは俺だけであるようだった。
父親も、家政婦も、仕事の関係者たちも、このときに揃って全員死んだのだ。
それでも俺は生きなければと前へ進んだ。
家に未練はない。むしろ今となっては自分の障害でしかなかったと思えるくらいだ。
俺は強い。心身ともに。そのためにこれまで修行を積んできたのだ。そう思うとこれまでの青春の日々がさらに誇らしくも思えるようだった。
ところが、これはまだ地獄のほんの入り口。
この先にさらなる地獄が待ち受けていようとは、俺は想像もしていなかった。
そう。気づいてしまったのだ。
ニュータウンで見かける生存者たち――その全員が、女であることに。
いつしか生存者たちの間でこんな噂が出回るようになった。
男は感染に免疫がない。生き残れるのは女だけのようだ、と。
俺はそれを聞いてさらに絶望した。ならばなぜ俺はこうして生きているんだ? 男である俺が、こうして、堂々と……?
理由ならわかっていた。わかってはいたが認めたくなかった。それでも、現実は俺の胸の内までじわじわと確実に侵食してくるようだった。
俺が生き残った理由……それは間違いなく、
正確には、俺の身体が女だからなのだろう。感染がどういった原理で起こっているのかは知らないが、身体的異常が精神を通して感染するはずもない。俺は女の身体を持つが故、男でありながら感染を免れているのだ。
そのことに気づいた俺は、今すぐにでも自害してやろうと思った。俺が男なら死ななければならない。そんな義務感まで芽生えたほどだ。
どうして、どうして、どうして……ッ!
父親や友人や教師たちだけじゃない。どうして《世界》までもが《俺》を否定するッ!? 俺はただ、本当の自分に正直に生きていたかっただけなのに……ッ!!
けれど、自分の喉元に剣を当てる俺を、とある記憶が思いとどまらせた。俺が剣道を始めるきっかけになった、少年漫画の主人公だ。
彼のようになりたくて、俺は剣を握り始めたんだったな。彼ならこんなときどうするだろう。ふと俺はそんなことを考えたのだ。
そして辿り着いた結論は、戦うことだった。
彼なら絶対に諦めたりしない。きっと残酷な現実に立ち向かうことを選ぶはずだと。
だから俺は、この地獄を生き抜くと誓った。
男のいなくなったこの世界で、女社会などという醜い世界に染まることなく、一人で。
俺にはそれを可能にする強さがある。誇りがある。覚悟がある。
俺はそれを最後まで貫きたい。この壊れた世界でも、気高き剣士として……!
ところが、どうやら俺という男の人生には転機というものがつきものらしい。
渚輪ニュータウンという地獄を一人生きる決意をしてどのくらい経った頃だろうか。俺の前にとある人物が現れたのだ。
そう。空から投下される物資コンテナの上。
そこにいかにも不機嫌そうな様子で腰掛ける、中学最後の大会以来一度も顔を合わせていなかったあの女が、俺の前に現れたのだ。