ツルギ、フタフリ   作:わさび仙人

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サン視点に戻ります。


第十五話

 言葉が、出なかった。

 

 すぐ耳元で聞いたはずなのに、どこか現実味を感じられなくて。よくできたフィクションであるような気がして。

 けれどこれらはすべて事実なのだろう。実際に不知火(しらぬい)が経験してきた《地獄》なのだろう。

 

 でなければ、《彼》がこれほどの狂気に飲まれてしまったことへの説明がつかないのだから。

 

「不知火……」

 

 辛うじて僕が発した言葉は、それだけだった。

 彼の名を囁くも、それ以上は何も口にすることができない。それ程までに僕は、不知火が経験してきた過去の苦悩に驚きを隠せずにいた。

 

「同情してくれるか、サン? お前を殺そうとしているこの男は哀れだろう? 惨めだろう? だからお前が必要だった。お前に依存しなければ、これ以上は生きられなかったんだよ」

 

 僕の喉元に突き付けた刀にグッと力を込めながら、不知火はくつくつと笑ってそう囁く。

 その嘲笑は僕でもなく、来栖崎(くるすざき)でもなく、不知火自身に向けられているようだった。

 

「だから潰す必要があったんだ。ポートラルがある限り、来栖崎(あのおんな)がいる限り、お前が俺に依存することは未来永劫ないんだからな。俺はお前という存在を知った時点で、どうしようもなく依存していたっていうのに……」

 

「まさかあの夜……ゾンビがデパートに侵入してきたのも……」

 

「ああそうだ、俺がやったんだよ。お前らが宴だなんだと浮かれて眠っている間に、ゾンビ共に皆殺しにしてもらうためにな」

 

 そう白状すると不知火は、悔しそうにギリギリと歯を食いしばっていた。

 彼の視線は、どうやら僕らの周囲で大量のゾンビと戦っているポートラルの仲間たちに向けられているようだ。

 

「そのためにわざわざ音を立てずにバリケードを開いたっていうのに……あの三静寂(みしじま)とかいう女の鋭さを甘く見ていた。咄嗟にゾンビに応戦するふりをしたらまんまと信じてくれたから助かったが、三静寂(あれ)は先に殺しておくべきだったな」

 

 弓を引く礼音(あやね)さんを睨みつけながらも、不知火は僕を捕らえた手を緩めようとはしなかった。

 思えば不知火と初めて会った物資コンテナでも、礼音さんは第三者の視線を敏感に感じ取っていた。そんな礼音さんがあの夜エントランスで感じ取った気配は、ゾンビだけではなく不知火のものでもあったらしい。

 

「だから僕らを……ここに連れてきたのか……? 今度こそポートラルを潰すために……」

 

「そうだ。せっかく最後のチャンスを与えても、お前は断固として来栖崎の所有物であり続けようとした。だからこうするしかなかったんだ。半分はお前のせいだよ、サン」

 

 最後のチャンスとは、おそらく昨晩のことだろう。

 不知火は僕と来栖崎の契約を解消すべきだと説得するために、わざわざ僕らの部屋を訪れた。あのとき僕が不知火の提案を飲まなかったが故に、彼はこのような強行手段に出たというのだろうか。

 

 けれど僕にとって来栖崎との契約は、自分の命よりもこの世界よりも重い。例えあのとき説得に来た人物が誰であったとしても、僕は必ず同じ結論に辿り着いたはずだ。

 そのせいで仲間たちが危険に晒されている。ならば僕はどうすればよかったというのだろうか。考えれば考えるほどひどい頭痛に襲われるような感覚だ。

 

 いや、過ぎたことを考えても状況は好転しない。今考えるべきは、ゾンビの掃き溜めと化したこの谷底で生き残り、脱出することだ。

 仲間割れしている場合ではない。どうにか不知火を説得しなければ、本当にここで全員死んでしまう……!

 

「頼む、不知火……こんなことはもうやめてくれ……今ならまだ間に合う。みんなと生き延びて、もう一度やり直すんだ……!」

 

谷底(ここ)から出る方法なんかないのにか? 例え出られたとしても、あの女(・・・)がいる限りお前は何も変わらないんだ。お前があの女(・・・)に依存したままじゃ、生き延びたって何の意味もないんだよ……!」

 

 淡々と語っていた不知火が、突然感情を剥き出しにした。

 背筋が凍るような彼の殺意が僕らを取り囲む。その中心にいるのは……右手に刀をぶら下げたまま黙っている来栖崎だ。

 

「さあ、さっさと自害しろ、来栖崎(バケモノ)。さもないと本当にサンを殺すぞ? お前はどちらにせよ、ここでゾンビに食われるか自分の感染で死ぬかしか選べないんだ。だったらサンが少しでも長生きできる選択をしたらどうだ?」

 

 来栖崎は何の反応も見せない。まるで不知火の言葉が聞こえていないかのように。

 そんな彼女が何を考えているのか、僕にはわからない。不知火の自白を聞いて何を思ったのか、僕には想像もつかない。

 

「どうした、来栖崎(バケモノ)……俺にサンが殺せるはずがないとでも思ってるのか? だったら本当に殺してやる……お前に殺させるくらいなら俺が――ッ!!」

 

 まったく動きを見せない来栖崎に苛立ちが限界を迎えたのだろう、不知火は突然感情的になったかと思うと剣を振り被った。

 次の瞬間には彼の剣が僕の喉元を引き裂くだろう。僕は死を覚悟した。ゾンビと懸命に戦う仲間を残して、来栖崎との契約も最後まで守れぬまま、僕は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 頬に、温かな何かが飛び散った。

 きっと血だろう。僕は喉を裂かれ、そのときに飛び散った血が頬についたに違いない。

 けれど、なぜだか痛みは感じない。いや、死んでしまったなら痛覚が働くはずもないし、当然か。

 

「――バッカじゃないの」

 

 ふと、そんな声が聞こえた。お世辞にも上品とは言えないけれど、聞いていてとても落ち着く声が。

 

 あれ? 声?

 僕は死んだはずなのに、聴覚だけはまだ生きているのか?

 いや、そういえば温感もある。頬についた血の体温を感じ取っているじゃないか。

 

 これは一体、どういうことだ……?

 

 いつの間にか閉じていた瞼を、ゆっくりと持ち上げる。

 そこで目にした光景に、僕は呆然としてしまっていた。

 

 すぐ目の前に迫った、一人の少女。赤いマフラーに巻かれた長い銀髪がひらりとうねって、すとんと落ちる。こんな谷底で風なんて吹くはずはないのに。

 そんな少女から伸ばされた左手は、僕の首に突き付けられた刀身を鷲掴みにしている。その刀身に沿って流れ落ちていく赤い雫にを見るに、随分力一杯握り締めているようだ。僕の頬についた血はここから飛んだものだろうか。

 

「……なッ……速い……!?」

 

 耳元でそんな囁きが聞こえる。

 それが誰のものなのかを考える余裕はない。それほどまでに、僕は眼前の少女の姿に目を奪われていた。

 

「あんたなんかに言われなくても、死ねるもんなら死にたかったわよ。私だって」

 

「くそッ……動か、ない……!!」

 

 僕の首に突き付けられた刀が、かちゃかちゃと忙しなく音を立てる。

 しかし微動だにすることはない。ぽたぽたと血を滴らせながらも、刀身を握り締めて離そうとしない少女の左手がそれを許さないのだ。

 

「だけど私は、そいつのために慈善事業で生かされてんの。なのに今度は慈善事業で死ねって? 生きててやるだけで手一杯だってのに、あんたのためにくれてやる命なんか――」

 

 そう言って彼女は息を吸い、少しだけ仰け反る。

 そして身動きが取れない不知火の額目掛けて――

 

「――あってたまるかってのッ!!」

 

 ――渾身の、頭突きを繰り出したのだった。

 

 石と石がぶつかり合うような鈍い音が響く。

 その瞬間、僕は身体がふわりと軽くなるような感覚を覚えた。どうやら来栖崎の頭突きで怯んだ不知火が僕を開放したようだ。

 

 すると次に僕が感じたのは、首が締まるような息苦しさ。

 いや、実際本当に締まっていたようだ。それに気づいたのは、来栖崎に首根っこを掴まれて放り投げられた後だった。

 

「サン様ッ!? どうしてここに!?」

 

 放り投げられたのは、ゾンビと戦っている真っ最中の甘噛(あまがみ)の真横。どうやら僕が谷底へ落ちてきたことには気づいていなかったらしい。

 しかし驚く彼女の言葉に耳を傾ける余裕はない。僕はすぐさま立ち上がると、手にした刀を構える来栖崎の方へ視線を向けた。

 

「待て来栖崎! お前まさか不知火と戦うつもりじゃ――」

 

「――邪魔だからそこで震えてなさい。来たらあんたも切り刻むから」

 

 そう呟く来栖崎に向けて、自分の頭を抱えたまま睨みつける人物がいる。

 言うまでもなく、不知火だ。彼の目にはもう、かつての頼もしい面影はない。

 

 そこに宿るのは、目の前に立つ憎き少女に対する、強烈な殺意だけだ。

 

「そうか……ゾンビに食われるでもなく、自分の感染で死ぬでもなく、俺に斬られて死にたいのか。このバケモノは」

 

「やめろって二人とも! どうして仲間同士で殺し合わなきゃならないんだよッ!」

 

 僕は叫ぶも、同時に違和感を抱いていた。

 咄嗟に《仲間》と呼んだものの、本当にその言葉は正しいのか? 少なくとも来栖崎と不知火は、互いを仲間だなんて思っていないんじゃないのか?

 

 その疑問の答えは一瞬にして導き出された。

 僕の目の前で来栖崎と不知火は、初めてコンテナ前で会ったあのときのように斬り合いを始めたのだ。

 

 最初に飛び出したのは来栖崎。弾丸のような速さで間合いを詰め、一太刀。ところが不知火はそれをなんなく受け流してみせた。

 続けて来栖崎の連撃が不知火を襲う。しかし来栖崎の刀が不知火を捉えることはない。不知火はすべての攻撃を常人離れした反応で捌き続けていた。

 

 そのまましばらく打ち合ったあと、不意に不知火は身を翻し、来栖崎の一振りを躱す。

 体重の乗った来栖崎の刀は受け皿を失い、彼女の身体は大きくバランスを崩した。

 

 その隙を突いた不知火の一撃。

 しかし来栖崎は土煙を上げながら右足を踏ん張ると、自身の頭目掛けて振り下ろされた不知火の剣を自分の刀で受け止めてみせた。

 

「同じ手が二度も通じると思ったわけ?」

 

「ほう、意外だな。バケモノにも学習能力があるのか」

 

 来栖崎が刀を振り抜き、不知火が数歩下がる。

 しかしその瞬間には来栖崎が間合いを詰め、再び目にも止まらぬ速さの打ち合いが始まった。

 

 幾度となく鳴り響く金属音が谷底に反響する。

 それだけの回数を打ち合っても、2人の刃は一向に相手を捉えることができない。

 

 まさに互角。他者の介入の一切を許さないほどに互角だ。

 やがて2人の打ち合いは鍔迫り合いへと発展する。先程までとは打って変わって異様な静寂が二人を包んでいた。

 

 しかしその静寂は来栖崎が打ち破る。

 彼女が勢い良く刀を振り抜くと、不知火は後方へ跳んで距離を取り、再び構えの姿勢を取った。

 そのとき僕は気づいた。二人の背後には一体ずつのゾンビが迫っていることに。

 

 ところが「後ろだ!」と叫びかけた瞬間、僕はその息を飲み込んだ。

 僕が声をかける前に、既に二人は襲い掛かるゾンビを仕留めていたのだ。

 不知火は首を撥ね、来栖崎は頭を串刺しにして。それも互いに睨み合ったまま後ろ手に。邪魔だ、と無言で切り捨てるかのように。

 

 不知火の足元にゾンビの頭が転がり、来栖崎は刀に刺さったゾンビの死骸を蹴り飛ばす。

 そうして二人は仕切り直すように、再び駆け寄って剣を交えた。

 二人にはもう、互いの姿しか見えていない。あたりをうろつくゾンビどころか、必死に説得を試みる僕のことすら眼中にないらしい。

 

 来栖崎の連撃と、それを受け流し続ける不知火。前に二人が打ち合った時と戦況は似ているが、明らかに違ったのはその勢いだった。

 あのときは手加減していた来栖崎も本気を出しているのだろう、スピードとパワーが段違いに上がっている。しかし不知火は難なくそれに対応してみせる。とんでもない集中力と反射神経だ。

 

 僕は一体、どうすればいい……?

 仲間同士で争うところなんて見たくない。けれど二人はきっと、どちらかが死ぬまで止まらない。

 

 しかし、何かが変だ。二人の斬り合いを前に狼狽える僕は、なんとなくそう感じた。

 ポートラルを崩壊させ、僕だけが不知火と共に生き延びるよう仕向けるのが彼の目的だったはずだ。なのに今の彼は僕のことなどまったく考えていない。来栖崎への異常な憎悪と殺意しか感じられないのだ。

 来栖崎もそうだ。今の彼女は、単純に僕やポートラルを不知火から守るために戦っているようには見えない。目の前の敵を斬る。それだけが彼女を突き動かす衝動であることは一目瞭然だ。

 

 現状を考えれば、まずは周囲を取り囲む大量のゾンビを処理するのが先決だろう。

 議論はそのあとでいくらでもできる。その先の結果が和解であろうが決裂であろうが、こんな混沌とした中で斬り合う必要なんてないはずなのに。

 

 何かがおかしい。二人は今、一体何のために戦っているんだ……?

 それがわからなければ止められない。けれど僕にはそれがわからない……きっと二人にしかわからない何かが、そこにはあるのだ。

 

 僕の視線の先で一度距離を取った二人が、再び駆け出す。

 そしてもう何百回目かもわからない火花が二人の剣の間に散るかと思われた、その瞬間だった。

 

 谷底で反響する、何かが爆発したような音。

 鼓膜がツンと痛み、耳鳴りに頭痛が巻き起こる。

 一体何事だと音のした方へ視線を向けると、岩壁の一部が大量の土煙に覆われていた。

 

 そこから瓦礫が吹き飛んでくる。中には僕の全身を丸ごと圧し潰せるほどの大きさのものまであるようだ。

 そんな大きな瓦礫は来栖崎と不知火の方へ。しかし二人はそれに気づくと、打ち合う寸前で間一髪回避してみせた。

 

「なんだッ!?」

 

 突然のことに驚きを隠せない。一体何が起きたら岩壁が突然爆発するのだろう。

 トンネル工事の最中に設置されていた不発弾かなにかだろうか。いや、このご時世に爆破でトンネルを掘削するとは考えにくい。いくらなんでも危険すぎる。

 じゃあ一体何が? そんな僕の疑問の答えは、土煙の中から現れた一際低い呻き声が与えてくれた。

 

「嘘だろ……なんでこんなところにいるんだよ……」

 

「なんだ、あれは」

 

 呟く不知火の疑問に答える余裕はなかった。

 土煙の中、岩壁の向こう側から現れたのは5mはあろうかという巨躯。その大部分は分厚い脂肪が覆っており、千切れそうになりながらぶら下がった皮膚の重量感は計り知れない。

 身体どころか四肢や顔までもが灰色の脂肪組織で包まれている《それ》は、唯一右手だけが赤黒い結晶のような棘で固まっている。血液かなにかが硬化したものだと推測できるが、その鈍い輝きが《それ》の不気味さを一層掻き立てていた。

 

「《変異種》……よりによってこのタイミングで……ッ!」

 

「《変異種》だと?」

 

 僕の独り言に不知火が反応してみせる。

 そう。岩壁の向こう側から現れたのは通常のゾンビとは違う。感染によって突然変異を起こし、身体が異常発達した個体――僕らが俗に《変異種》と呼んでいる個体に間違いなかった。

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