ツルギ、フタフリ   作:わさび仙人

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第十六話

 突如現れた変異種に、その場にいる全員の視線が向けられた。

 最悪だ。本当に最悪の状況だ。

 この谷底には未だ大量の通常種ゾンビが蠢いている。さらには谷の上へと這い上がる手段の見当すらついていないというのに。

 そこへ変異種まで出現したとなると、状況はなんと絶望的なことだろう。いや、既に絶望的だった状況に追い打ちをかけられた、というのが正直なところだろうか。

 

「《変異種》か……なるほどな。その呼び名からして、あれがどういった個体なのかはおおよそ見当がついた」

 

 けれど、動揺する僕とは対照的に、不知火(しらぬい)は冷静さを保っていた。

 彼の反応を見るに、変異種と遭遇したのは初めてなのだろう。だからきっと知らないのだ。変異種は、来栖崎を含めたこの場の全員でかかったとしても、倒せるかどうか五分五分であるほどの強敵であることを。

 

 巨体を引きずるように歩く変異種は、少しずつ僕らの方へと近づいてくる。

 やがて変異種は来栖崎(くるすざき)と不知火の目の前までやってくると、紅く硬く変貌した右手を振り上げ、二人目掛けて叩きつけたのだった。

 

 二人はそれを難なく躱す。すると二人が立っていた場所は、変異種の拳と同程度のクレーターができあがっていた。

 俊敏に動くことはできないようだが、その巨体から繰り出される一撃の重さは脅威だ。直撃すれば間違いなく即死だろう。

 

「真剣勝負に割って入るつもりか。その愚行は万死に値するな」

 

「フン。死ぬほど気に入らないけど、はげど」

 

 変異種を睨む一方で、互いに一瞥する来栖崎と不知火。

 「はげど」とは確か、古いネットスラングで「激しく同意」という意味だった気がする。この絶望的な状況の中でも、どうやら来栖崎にはまだ軽口を叩く余裕があるらしい。

 

 いや、余裕があるというのは少し違う。きっと今の彼女は不知火と決着をつける以外のことなど取るに足らないのだ。

 きっとそれは不知火も同じ。例え乱入してきたのが、この場の全員を簡単に皆殺しにできる力を持った変異種だとしても、だ。

 

 そして二人は、駆け出した。突然現れた巨躯目掛けて一目散に。まるで邪魔者を先に始末しようと言わんばかりに。

 

「待て来栖崎!! 不知火!! 変異種相手にたった二人で戦うなんて危険すぎるッ!!」

 

 僕が叫ぶも、二人は聞く耳など持っていない。

 来栖崎が先に変異種の胴体に一太刀。変異種がそれに気を取られた隙を突き、続いて不知火が脚を斬りつけた。

 

 半分固まった真っ黒な血が飛び散る。けれど変異種の動きが鈍ることはなかった。

 どうやら全身を覆う脂肪組織は想像以上に分厚いようで、二人の剣は皮膚の表面を少し切り裂いた程度なのだろう。

 

 すると変異種は来栖崎に目を付けたのか、彼女目掛けて紅い拳を振り下ろす。

 来栖崎がそれを正面から刀で受け止めると、彼女の足元の地面には稲妻のようなひび割れが走った。

 

 眉間にしわを寄せ、ギリギリと歯を食いしばって踏ん張る来栖崎。

 彼女ですら受け止めるだけで精一杯なこの一撃。他の者なら間違いなくぺしゃんこだろう。

 

 そこへ不知火が次の攻撃を繰り出す。

 どうやら彼は執拗に脚ばかり狙っているようだ。ふくらはぎの腱でも切って転ばせようとしているのだろうか。

 

「不知火、腕だ! 腕を狙ってくれ! このままじゃ来栖崎が危ないッ!!」

 

 咄嗟に僕は指示を出す。

 けれど不知火は僕の言葉が聞こえていないのか、あるいは無視しているのか、黙々と変異種の脚に斬りつけ続けるばかりだ。

 

 まさか不知火は、来栖崎を助ける気がまるでないのか?

 来栖崎と顔を見合わせていたからてっきり共闘するとばかり思っていたけれど、今の彼の動きはどう見ても連携を取ろうとしているようには思えない。

 

 これは本当にまずいかもしれない。このままでは本当に来栖崎が……ッ!!

 

「重すぎ……ッ。ちょっとは痩せろ、このクソブタッ!!」

 

 来栖崎が、吠える。

 彼女は足が地面に食い込むほどの力で抑えつけられながらも、刀で巨大な拳を押し返している。

 

 このまま切れてしまうのではないかと思うほどに額の血管を浮かび上がらせながら、ようやく来栖崎が刀を振り抜いた。

 すると変異種の拳は軌道が逸れ、来栖崎の真横に再び巨大なクレーターを穿った。

 

 その時に舞い上がった土煙の中を来栖崎が跳躍。

 彼女はひとっ飛びで変異種の頭の高さまで飛び上がると、瞼や頬が醜く垂れ下がった顔面を一閃。赤黒い一直線の傷を走らせた。

 

 しかし変異種に怯んだ様子はない。

 脚を狙い続けていた不知火の攻撃もあまり効果がなかったようだ。彼の剣はふくらはぎの筋肉まで辿り着かず、それを覆う脂肪組織を切り裂くばかりだった。

 

 そのとき、変異種の注意が不知火へと移る。

 振り向きざまに水平に振り抜かれた紅い拳が、不知火の頭を直撃――

 

 ――する寸前で、彼は地面すれすれまで体勢を低くすることでその一撃を躱した。

 ところがその拳は勢いそのまま振り上げられ、不知火へと落下する。

 回避する余裕のない不知火は、高く構えた剣でそれを受けようとしているように見えた。

 

「駄目だ不知火ッ!! 避けろッ!!」

 

 僕は全身から冷や汗が噴き出るのを感じた。

 来栖崎ですら踏ん張るのがギリギリだったあの拳を、不知火が受け止められるはずがない。間違いなく潰れて死んでしまう……ッ!!

 

 ところが、そんな僕の予想は簡単に裏切られた。

 不知火は頭上へと持ち上げた剣を斜めに傾ける。そこに変異種の一撃が落ちると、紅い拳は剣の上で火花を散らしながら滑り、不知火の真横の地面を砕いた。

 

 彼は初めから受け止めるつもりなどなかったのだ。

 来栖崎の様子を見て、自分なら潰されることはわかっていたのだろう。だから受け止めるのではなく、受け流す(・・・・)選択をしたというわけだ。

 

 思えば不知火の戦い方はいつもそうだった。

 来栖崎の斬撃をすべて受け流し、その隙を突いて斬りつける。同じ戦術を変異種相手に即応用してみせるとは、一体どれほどの修羅場を潜ればそれだけの対応力が身につくのだろうか。

 

 変異種が不知火に気を取られている間、来栖崎は猛攻を仕掛ける。

 顔、腕、腹、脚、背中、肩、胸……来栖崎の刀は目にも止まらぬ速さで変異種の全身を切り刻んでいく。

 しかし、やはり変異種の動きには何の変化も起きない。あの来栖崎の攻撃ですら分厚い脂肪を引き裂くだけで、致命傷にはまったく至らないのだ。

 

「まずい……やっぱり二人だけじゃ……!」

 

 見ている限り、来栖崎と不知火の動きはバラバラだ。連携で敵を叩こうという意識がまったく見られない。

 そもそもたった二人で相手取ること自体が危険な相手だ。にもかかわらず連携までめちゃくちゃでは勝ち目はないというのに。

 今のところたった一度の有効打すら与えられていない。これでは二人が殺されるのも時間の問題じゃないか……!

 

「落ち着くんだ二人とも!! 一旦下がって態勢を――」

 

「――危ねぇッ!!」

 

 僕の言葉を遮って、鋭い風が駆け抜けた。

 何事かと驚くと、僕の真横には胴体を真っ二つに切り裂かれたゾンビ。そして大鎌を振り抜いた姫片(ひめかた)の姿があった。

 

 僕の頬には黒い血が飛び散っている。

 どうやら僕は知らぬ間にゾンビに接近されていたらしい。危うく姫片の鎌で一緒に斬られるところだったけれど。

 

「おいサン! あんま出過ぎんなッ!!」

 

「わ、悪い……でもッ!!」

 

 僕はいつの間にか、通常種ゾンビと戦うみんなから随分離れたところに立っていた。無意識に来栖崎と不知火が戦っている変異種の方へと足が進んでいたようだ。

 けれどゾンビ共はまだ数十体単位で僕らを取り囲んでいる。みんなその掃討に手を取られてしまっていて、変異種に構っている余裕はなさそうだ。

 

「でもこのままじゃ来栖崎と不知火が……ッ! どうにかして助けないと二人とも変異種に――」

 

「――サンくんッ!!」

 

 嘆願を遮った叫びに、僕は振り向く。

 そこにはゾンビに向けて弓を引く、凛々しく美しい背中があった。

 

「落ち着くのは君の方だ、サンくん! 私の言葉を思い出してくれ。自分の役割を見失うな……ッ!!」

 

「……礼音(あやね)さん……?」

 

 僕に背を向けたままで、礼音さんは僕にそう説いた。

 

 自分の役割? そんなものはとっくに自覚している。

 僕の役割は来栖崎に血を飲ませること。来栖崎のために生き、来栖崎のために死ぬことだ。彼女の危機である今動かないで、一体いつ動けばいいというのだろう。

 

 ……いや、違う。礼音さんが言ったのはきっとそんな意味ではない。

 礼音さんが言ったのはきっと、組織(ポートラル)における自分の役割という意味だ。僕という個人の本質についてじゃない。

 

『冷静さを欠いた頭脳では統率が崩れる。そうして烏合の衆となれば組織の壊滅は必至だ』

 

 物資回収の際、コンテナを見張りながらそんなことを言われた気がする。

 礼音さんが言っているのはきっとこのことなのだろう。そのときに僕は、ポートラルという組織が僕にどんな役割を期待しているのかを聞いているはずだ。

 

 しかしだからといって、来栖崎が危険に晒されているとわかっていながら放り出してもいいのだろうか。

 僕は一度失敗している。来栖崎の輸血を後回しにして他の仲間を優先したばかりに、彼女を負傷させてしまったあの夜を忘れたわけではない。

 

 僕は……どうしたらいい……?

 

 変異種と対峙する来栖崎を一瞥する。そしてゾンビの大群と戦う仲間たちを見渡す。

 僕はどちらかを切り捨てる判断をしなければならないのか? ポートラルという組織を救うために、来栖崎を見捨てるか。大勢の仲間を見殺しにしてでも、自分の命より大切な契約を貫くか。

 

 どちらを選択するか。どちらを選択したいか。どちらを選択すべきか。

 ポートラルを殺すか、来栖崎を殺すか。僕は散々迷い迷った末――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……僕が指示する。まずはゾンビの大群を掃討。終わり次第、変異種の討伐を援護するぞ。みんな、力を貸してくれ……ッ!!」

 

 

 

 

 ――来栖崎を、信じる(・・・)という選択をした。

 

 

 

 

「おうよッ!!」

 

「っしゃあッ!!」

 

「はいですッ!!」

 

「了解ッ!!」

 

「承知したッ!!」

 

「おまかせをッ!!」

 

 まるで統一感のないバラバラな返事。

 けれど、それが今日ほど頼もしく思えたことはない。

 

 僕は諦めない。諦めたくない。来栖崎も、ポートラルも、絶対にだ。

 きっと来栖崎は、みんなが駆け付けるまで持ちこたえてくれる。それができる彼女の強さを、僕は誰よりも知っている。

 だから信じる。この窮地を乗り越えて、全員揃ってデパートへ帰れると……!!

 

「絶対に背中を晒すなッ。常に仲間を背後において戦うことを意識するんだ!!」

 

 僕を中心に背を預け合う仲間たち。僕は全体の状況を見極めながら指示を出していく。

 僕が掃討組に加わったことで、ゾンビ共は確実にペースを早めながら数を減らしていった。

 

 急いで掃討して、来栖崎と不知火に合流しなければ。

 けれど焦りは禁物だ。僕が冷静さを欠けばこの場にいる全員を危険に晒す。

 大丈夫。まだ周りはよく見える。すぐに僕らもそっちへ向かうから、もう少しだけ持ちこたえてくれ、来栖崎……!

 

「ぐッ……!!」

 

 そのとき、ドサドサと音を立てながら僕らの方へ転がってくる声が聞こえた。

 見るとそこには、頭から血を流したぼろぼろの来栖崎。どうやら変異種の攻撃で吹き飛んできたようだが、その姿に僕は一瞬、頭が真っ白になるのを感じた。

 

 しかし来栖崎は即座に立ち上がる。おかげで少し安心して、冷静さを取り戻すことができた。

 見ると不知火も土でドロドロに汚れていて、かなり息も上がっている様子だ。幸い負傷はしていないようだが、随分苦戦しているのは明らかだった。

 

「こんにゃろォ……!!」

 

 再び来栖崎が変異種へと向かっていく。

 彼女に一番苦しい役回りを押し付けなければならないのが悔しい。

 それでも僕は、僕のすべきことに集中しないと。それが来栖崎を救うための一番の近道なのだから。

 

「……ぐぁ……ッ!?」

 

 ところが、僕の集中は一瞬にして奪われた。

 変異種の元へと駆け出した来栖崎が、突然呻き声をあげてよろめいたのだ。

 

 まずい……感染度が……!

 不知火から変異種へと連戦。どちらも一筋縄ではいかない強敵だ。来栖崎の感染度が上がり始めているのも当然である。

 急いで輸血しないと……ッ! そんな焦りを抱いて駆け出そうとした僕だったけれど、次の瞬間には足が止まった。

 

 よろめいた来栖崎は、膝をつかなかった。足を滑らせ土煙を上げながらも踏ん張り、立ち続けた。

 その背中がまるで僕に語っていたような気がしたのだ。私はまだやれる。あんたの血なんかに頼らなくても、まだ戦える、と。

 

 来栖崎の片眼はもう真っ黒に染まっている。

 それでも彼女は再び刀を構えると、一向に倒れる気配のない変異種へと再び斬りかかっていったのだった。

 

 落ち着け。冷静になれ。自分の役割を見失うな。

 もう一度胸の奥でそう唱える。再び仲間たちの指揮を取るために。

 

 信じろ。来栖崎は強い。来栖崎は負けない。僕らが行くまで絶対に。

 だからもう少しだけ待っていてくれ。僕らもすぐに行く。必ず助けに行くから……!

 

 

 

 *****

 

 

 

 それから戦い続けたのが5分だったのか10分だったのか。

 あるいは数十分が経過していたのかは、もうわからない。

 

「――獲ったッ!!」

 

「ちょッ!? 待てッ不知火ッ!!」

 

 ゾンビ掃討の指揮を終えた僕の背後で、二人の剣士のそんな声が聞こえた。

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