終わった。すべてが、終わった。
この谷底に残されたのは無数の死骸と、ただ一人を除いたポートラルのメンバーたちだ。
僕は、ゆっくりと歩み寄る。最期まで戦い抜いた剣士と、彼を看取るもう一人の剣士の元へ。
「……でしょうね」
ふと、
動かなくなった不知火は、既に息を引き取ったのだろう。そんな彼と来栖崎が最期に一体何を話していたのかは、僕にはわからない。
「さてとさてと。あたしらの夢の別荘地とやらは儚い幻想だったわけだし? デパートに帰るとしますかねえ。やっぱり実家が一番よ」
「とは言え、どうやって
「ふむ……何か策はないものか……」
仕切り直すように口を開いたアドの言葉に、
岩肌をよじ登る、なんて無謀すぎるが、それ以外に方法があるとも思えない。しかし実際、登り切れるのは
「……あの、ちょっと待ってください」
そんな声を上げたのは、豹藤ちゃん本人だった。
先に彼女に一人で登ってもらって、どこかでロープでも調達してきてもらうか。そんな策を僕がぼんやりと考えていた矢先、彼女はとてとてとどこかへ走っていった。
「あ、やっぱり」
豹藤ちゃんが気にかけたのは、変異種が現れた大穴。
この場所の岩壁を突き破ってあの怪物は現れたわけだが、その大穴を覗き込んだ豹藤ちゃんは、僕らに向けて手を振りながらこう呼びかけてきた。
「この向こうから風が吹いてきてますー! ここから出られるかもしれませんー!」
「なぬッ!? やちるんそれはまことかねッ!?」
「確かに、外に繋がっている可能性は高いですね。密室で風が吹くはずはありませんから」
「でかしたやちる! お前はやっぱ最高だよ!」
「
空気に似合わないほどの底抜けの明るさ。
ポートラルはいつだって、この陽気さで様々な壁を乗り越えてきた。命の危機も、仲間の死も。
「おっしゃーッ! 隠し通路一番乗りはあたしーッ!!」
「シャツが泥だらけで気持ち悪いです……脱いでいい、栗子?」
「いいんじゃね。こんだけ頑張ったんだからサンも許してくれんだろ」
「駄目です。一応男性の目があるんですから、デパートに帰ってからにしてください」
「はぁ……早くシャワーが浴びたいですわ……」
「ほら、サンくんも来栖崎くんも、行くぞ」
皆がぞろぞろと歩いていく中、最後尾の礼音さんがそう呼び掛けてきた。
それに僕は「あ、えっと……」なんてしどろもどろな反応をしてしまったけれど。
来栖崎はなぜだか、不知火の元を離れようとしない。あれだけ毛嫌いしていたのにどうしたのだろうか。
いや、それよりも今は先にやることがある。感傷に浸るよりも、皆とデパートへ帰るよりも、僕にとってもっと重要なことが。
「すみません礼音さん。みんなと先に帰っててください。僕と来栖崎は……ちょっと」
僕はポケットからナイフを取り出してみせる。
するとそれだけで礼音さんは納得してくれたようで、彼女の物分かりのよさには本当に頭が下がる思いだ。
「では、先に行かせてもらうとしよう。二人とも、くれぐれも帰路は気を付けてな」
「ありがとうございます」
こうして礼音さんの背中を見送り、この場所には僕と来栖崎だけになった。
ゆっくりと、来栖崎の方へと歩み寄る。彼女はどうやら、折れた剣を不知火の手に握らせ、その手を彼の胸の上に添えたようだ。
まるで、歴戦の騎士が倒した相手に敬意を表するかのように。まるで、名誉の戦死を遂げた英雄を弔うかのように。
「……ケツパ」
不知火の前で片膝をつく来栖崎は、背を向けたままで僕にそう呼び掛けてきた。
「私……わからなかった」
ぽつぽつと呟かれる来栖崎の言葉。
それはひっそりと悲しんでいるような、静かに嘆いているような、どこか胸の奥がツンと痛む声だった。
「あれだけ言葉を交わしても、あれだけ剣で打ち合っても……不知火が何に苦しんでたのか、私には一つもわからなかった」
その言葉は、僕にとっては随分意外に感じられた。
あれだけ嫌悪し合っていた不知火に対して、来栖崎がそんな風に考えるなんて。
それは最初からなのか、はたまたつい先ほどからなのか。
僕がそれを知ることはない。僕はいつだって、来栖崎に血を飲ませることしかできない無力な傍観者だから。
「答えて、ケツパ。それは、私が――」
片膝をついた姿勢から、ゆっくりと立ち上がる来栖崎。
そして彼女は首だけ僕の方へと振り返ると、黒く染まった片目で僕を見ながら無感情に呟いた。
「――私が……バケモノだから?」
悲しんでいるわけでも、自身を哀れんでいるわけでもない。
彼女の言葉と表情には、何かの感情がこもっているようには感じられなかった。
無表情のまま僕を見つめる来栖崎と、それを呆然と見つめ返す僕。
そんな彼女に、一体どんな言葉をかけてやるのが正解なのだろう。彼女は今、僕にどんな答えを期待しているのだろう。
彼女はこう考えているのだろうか。不知火の苦しみを理解できなかったのは、自分が人間らしい心を失っているからだと。
感染によって自分は、身体だけではなく心までもが怪物に成り果ててしまっているのではないかと、そんな不安でも抱いているのだろうか。
僕は、その不安を否定してやることができない。彼女が恐れていることが実際に起きていない証拠など、僕は持ち合わせていないから。
それでも否定してやるべきなのだろうか。その場凌ぎに曖昧な答えで場を濁すことは簡単だ。けれど、それは本当に来栖崎の求める答えなのだろうか。
わからない。わからない。わからない。
僕にだってわからないよ、来栖崎。お前が何を望んでいるのか、いくら知りたくても僕なんかにはわからないのに。
僕に向けられた無感情な視線が痛むようにすら感じる。
そんな彼女に対して僕が返した答えは――
「……さあ……どうだろうな」
――あまりにも、無責任なものだった。
僕を見つめていた来栖崎が視線を落とす。長い睫毛がどこか悲しげに見えたのは僕の勘違いだろうか。
けれどこれが事実なのだ。僕なんかが簡単に否定することなんてできない。その場凌ぎに否定することが彼女を救うことになるとは思えない。
だから僕は、自分の感じていることをありのまま伝えようと、そう思ったのだ。
「だけどな、来栖崎。感情を共有する方法が存在しない以上、人の痛みっていうのはその本人にしかわからないものだ。違うか?」
俯いたままの来栖崎に、僕は説く。
彼女が納得してくれるかどうかはわからないけれど、それでも僕は自分の思いの丈を伝えたい。それが救いになるとしても、そうでないとしても。
「それでも人は、他人の心を推し量ろうとすることをやめない。共有はできなくても、共感くらいはしたいと願うことはできる。不可能だとわかっていても、理解しようと努力することくらいはできる」
僕は知っている。来栖崎がそれを実践しようとしていたことを。
彼女は努力したはずだ。不知火の苦悩を理解しようと挑んで、足掻いて、もがいて。そして彼が本物の怪物になる前に、せめて人として死なせてやろうと考えたんだ。
けれどそれでもわからなかったから、今こうしてお前は不安に駆られているんだろう? ただの血液パックに過ぎない僕なんかに、その答えを求めてしまうほどに。
「それは、きっとゾンビなんかにはできないこと――人間にしかできないことなんじゃないかって……少なくとも僕は、そう思うよ」
だから、お前はきっと大丈夫なんだよ、来栖崎。
そもそもお前と不知火が、互いの苦悩を理解し合えるはずはないのだから。
剣術道場の跡取りとして、女らしさを捨てるよう育てられてきた来栖崎。
普通の女の子らしい幸福を望んでいた彼女にとっては、剣の道など産まれた家柄のせいで無理に押し付けられた苦悩に過ぎない。
女性の身体に産まれてきたというだけで、男としての自分を否定され続けてきた不知火。
彼にとって剣の道は、周囲から期待される女性らしさという檻から自由になれる唯一の逃げ道だったのだろう。
自身の苦悩が、相手の幸福。互いが互いの幸福を苦悩と感じ否定し合う二人が、どうして相互理解などできようものか。
二人の剣士の立ち位置は、例えるなら北極と南極。二振りの
それでも来栖崎は、理解しようと努力した。理解できなくて苦しんだ。
そんな彼女をどうしてバケモノと呼ぶことができるだろう。こんなにも人間らしい彼女を人間と呼ばずして、一体なにを人間と見なすべきなのだろう。
もちろん、こんなものは僕という一個人の見解に過ぎない。
もっと高尚で、もっと現実的で、もっと説得力のある思想なんていくらでも存在するだろう。
けれど、今の僕が来栖崎に提示できるのはこれだけだ。
こんなもので彼女が納得するかはわからない。なぜなら人間同士の完璧な相互理解など不可能だから。
来栖崎と不知火がそうだったように、僕と来栖崎もまた然り。相手のことをどれほど強く想っていたとしても、異なる精神のもとに住み分けた二つの人格が完全に理解し合うことなど、到底できるはずなどないのだ。
しばらくの沈黙が流れる。今の彼女は、僕の言葉をどうにか理解しようとまた努力しているのだろうか。
そんな考えを起こしてしまう自分が図々しい。僕なんかのために彼女が労を割くことなど、本来ならばあってはならないのだから。
すると来栖崎は、不意に僕の方へと歩み寄ってきた。
そして何を思ったか、彼女は僕の右隣までやってくると膝を抱えて座り込んだ。その意図は、もちろん僕にはわからない。
とりあえず、僕もその場に腰を下ろす。一人分の間隔をあけて、来栖崎の隣に。
すると彼女は、唐突に僕の顔の前に左手を伸ばしてきた。無言のまま突き出された手は何かを要求しているようだ。
なんだか前にもこんなことがあったような。確かこのトンネルにやってくる前、来栖崎は喉が渇いたと水を僕に要求してきたっけ。
けれど今は違うようだ。僕の顔の前にある左手は軽く握られているし、何かを渡せと言っているわけではなさそうだけれど……。
「……来栖崎?」
結局、僕はその意図がわからなくて尋ねてしまった。
それを聞く来栖崎は膝を抱えたままで、僕とは反対側に顔を逸らしたままこちらを見ようともしない。
「……手……痛いんだけど」
不機嫌そうにつぶやかれた来栖崎の言葉。見ると彼女の左手は、自身の血で真っ赤に染まっていた。
そう言えば不知火に捕まった僕を助けるために、来栖崎は彼の剣を鷲掴みにしていた。ぱっくりと切れた手のひらの傷は、その時ついたものに違いない。
いや、どういった経緯の傷なのかなど問題ではない。
こうしてぶっきらぼうに突き出された血濡れの手が、僕にとって天にも昇るほどの幸福を運んでくれたことに、果たして君は気づいているだろうか。
「ああ。僕に手当てさせてくれ」
ポケットからハンカチを取り出し、真っ赤な左手に巻いてやる。
傷の回復が異常に早い来栖崎のことだ。この程度の傷なら手当てしなくてもすぐに治癒することだろう。
けれど彼女は、敢えて僕に手当てすることを許してくれた。前はあんなにも僕の手当てを拒否していたのに。
それがどういった心境の変化からきたのかは、もちろんわからない。けれど、もうこのままわからなくてもいいと思えるほどに、今の僕は満ち足りている。
「これでよし。じゃあ次は――」
来栖崎の手にハンカチを結んだ僕は、次にナイフを取り出してみせる。
そしていつものように自分の手を切りつけ、指の上に小さな赤い風船を膨らませていく。
「飲んでくれるか、来栖崎?」
そう尋ねると、彼女は片方が黒く染まった双眸で僕の方をちらりと見た。
少しだけ間が空いて、来栖崎はずりずりと僕の方へにじり寄る。
そうして僕の無骨な指は、彼女の柔らかな唇の間へと咥え込まれていくのだった。
最後までお読みいただきありがとうございます。わさび仙人と申します。
いかがでしたでしょうか。ここまで本格的に二次創作シナリオを書いたのは初めてのことだったので、どこか不自然なところなんかがないかと心配です。笑
本作は非常にマイナーなジャンルの二次創作であることは自覚しておりますので、ほとんど読まれることはないでしょうと勝手に思っております。
それでも最後までページをめくり、この後書きにまで目を通していただけているのであれば作者冥利に尽きるというものです。本当にありがとうございます。
さて、私にとって久しぶりの長編作品であった本作。気に入っていただけましたら是非とも二周目を読んでいただけたらなと思います。
サン視点であるが故に、作中は基本的にサンの心理描写ばかりとなっているわけですけども、結末を知った上で他の登場人物たちの心理にスポットを当てて読んでいただくと、また新しい発見ができるように書いたつもりですので。
また、このシーンがどこの伏線だったとか、あのシーンが後々こう繋がってくるなど、いろいろと仕込んで書いたつもりですので、そういったところに気づいてもらえると嬉しいですね。
またなにかいいシナリオが思いついたら書くこともあると思います。そのときはぜひとも御贔屓に。
以上、わさび仙人でしたー!