ツルギ、フタフリ   作:わさび仙人

2 / 18
第二話

 どうにも耐え難い空気が漂う。あの礼音(あやね)さんですら反応に困ってしまうほどの、胸焼けしそうな苦い空気が。

 状況がわからない。相手の少女は来栖崎(くるすざき)と面識があると言っていたが、人違いなのだろうか?

 いや、名前まで知っているのなら人違いとは考えにくい。なら単純に来栖崎が覚えていないだけか?

 

 どちらにせよ気まずい。どうにかフォローをしなければ。

 しかし例の少女は、その必要はないと語るかのように軽快に笑ってみせた。

 

「ははは、やはり覚えてないか。無理もない。私たちが顔を合わせたのは一度きりだからな」

 

 例の少女の様子からして、彼女は来栖崎の返答をあまり気にしていないようだった。正直僕は少し安心した。

 来栖崎はというと、コンテナの上に腰掛けたまま興味もなさそうにそっぽを向いている。いくら覚えていないとはいえ、自分と面識があるという人物が現れたのだからもう少し話を聞いてもいいと思うのだけれど。

 

「挨拶が遅れて悪かった。私は不知火(しらぬい)。来栖崎とは中学生の時、剣道の大会で一度手合わせした関係だ」

 

「そうだったのか。それはすまない。来栖崎くんのことはどうか悪く思わないでやってくれ」

 

「構わないさ。あの時は互いに面を被っていて、顔も見えづらかったことだしな」

 

 礼音さんと会話する少女――不知火の堂々とした振る舞いは非常に好感が持てる。

 竹を割ったようというか、さっぱりしているというか、物分かりが早くて話のわかる人物という印象だ。

 

 来栖崎と剣道の大会で顔を合わせたということは、不知火も剣でゾンビと戦い、この渚輪区(なぎさわく)を生き残ってきたのだろう。

 今まで背中に隠れていて気づかなかったが、見ると確かに彼女は黒い竹刀袋を背負っていた。

 

「私は三静寂(みしじま)礼音(あやね)。背後にいる者らも含めて、私たちはポートラル所属だ」

 

「ポートラル……?」

 

 挨拶を返した礼音さんの言葉に、不知火はきょとんとした表情を浮かべた。

 一体どうしたというのだろう。僕らの立場を簡単に説明するなら、今礼音さんが述べた言葉以上にわかりやすいものはないと思うのだけれど。

 

「なんだ、その《ポートラル》というものは?」

 

「おや、聞き慣れない名だったかな? ニュータウンの生存組合の一つだよ。特に私たちの盟主の名は知れ渡っていると思うのだがな」

 

「その《生存組合》というものも初耳なんだが……」

 

 ここにきて、どうにも形容しがたい違和感が漂い始めた。

 生存組合を知らない……? この渚輪ニュータウンに生きていて……?

 

 そんなことがありえるのだろうか。

 ニュータウンの生存者はいずれかの組合に所属しているはずだ。個人でこの地獄を生きるなど、考えただけでも恐ろしいというのに。

 

「どういうことだ……? つまり不知火くん、君はどの生存組合にも所属していないと……そういうことなのか……?」

 

「恐らくだが、その解釈で間違いないと思う。私は集団で行動していない。ずっと一人で生き延びてきた」

 

 不知火の言葉に耳を疑った。そんな人間が本当にいるなんて。

 もしこれが本当ならば、彼女は相当な手練れだ。ゾンビと戦う力があるというより、《生き残る》という一点の事柄に対して。

 

 いくら剣道を経験し、武器も持ち合わせているとはいえ、一人で大量のゾンビに囲まれればなす術はない。個人でこのニュータウンを生き残るために重要なのは、いかにゾンビと接触しないかにかかってくるだろう。

 

 事実、不知火は個人でこうして生きているらしい。

 組織として動く僕らですら、状況に応じた適切な行動をとることが難しい中、彼女はそのような重要な局面を幾度となく一人で切り抜けてきたに違いない。かなりの切れ者であることはもはや間違いなかった。

 

「驚いたな……随分苦労しているだろう。この環境を一人で生きていくなど」

 

「そうでもないさ。常に自分の身のことだけ考えていればいいというのは、案外立ち回りやすいものだ」

 

「食料調達はどうしているのだ? 私たちはこうして投下物資を手に入れられるが……」

 

「同じだよ。私も投下物資を少々もらい受けている。投下直後の、まだ誰も手を付けていないものから少量頂戴しては身を隠してきた。他の生存者が集団である以上、見つかって奪い合いになれば勝ち目はないからな」

 

 不知火の言葉は、聞けば聞くほど信じ難いものばかりだった。

 信じ難いものの、すべて辻褄が合っていて納得してしまう。彼女は本当に、この渚輪ニュータウンを一人で生き抜く術を熟知しているのだ。

 

 しかし、そんな不知火の話にも気になる点があった。

 

「実はな、不知火くん。わざわざ身を隠さずとも、奪い合いになどならないのだよ」

 

「……?」

 

「組合間の条約でな。物資の奪い合いは禁じられているんだ。物資のコンテナは、最初に触れた者に独占権が与えられる。先に触れた者がいるコンテナは、他の者に横取りされないことが約束されているのだよ」

 

 礼音さんは、まさに今僕が気になった点について語り始めた。

 不知火はそれに対してまたもきょとんとした表情を浮かべ、礼音さんの言葉に疑いを隠せない様子だった。

 

「そんな規則、誰も守るはずがない。生きるか死ぬかの瀬戸際にいるんだぞ? 殺してでも奪うに決まってる」

 

「ところがこれが遵守されているのだよ。だから今のニュータウンは幾分平和だ」

 

「馬鹿な……信じられない……」

 

 組合の仕組みすら知らず、一人で生きてきた不知火が驚くのも無理はない。

 僕は当時のことは知らないが、感染爆発から最初の14日間は本当に壮絶だったと聞く。

 

 その地獄を一人で生き抜いた不知火だからこそ、ここまで危機管理が徹底しているのだろう。

 そして組織に属さず、条約の情報を得ることもままならなかったのなら、本当に警戒すべきはゾンビではなく人間だという考えを抱いていても不思議ではない。僕らを隠れて監視していた理由にも頷けるというものだ。

 

「もしかしてだが、不知火くん。私たちの後ろにあるこのコンテナ……君が既に開封したということはないか?」

 

「……ああ、来栖崎が来る直前にな」

 

 礼音さんの問いに対し、不知火は一瞬返答を迷うような素振りを見せた。

 しかし彼女はあっさりと答えると、羽織ったブルゾンのポケットから缶詰と飲料水のペットボトルをいくつか取り出してみせた。

 

「ふむ。どうやらサンくんが言っていたコンテナの蓋の違和感は、不知火くんが開封した跡だったらしい。ならば仕方がない。組合間の条約に則り、このコンテナは君のものだ、不知火くん。私たちは潔く身を引こう」

 

「はあッ!? ちょっと待ちなさいよトシマンドリルッ!!」

 

 まったく関心を示していなかった来栖崎がコンテナの上で吠える。意外にも耳は傾けていたらしい。

 

「このコンテナは私の手柄でしょ。なに勝手に譲ろうとしてるわけ?」

 

「違うぞ来栖崎くん。君より先にコンテナに触れたのが不知火くんなのだから、それは不知火くんのものだ」

 

「はあー? 私が見つけた時は誰もいなかったし。どうやってそいつが先に触ったって証明するのよ」

 

「君も見ただろう、不知火くんが持っている食料を。あれが何よりの証明だと思わないか?」

 

「思わないし。その缶詰がほんとにこのコンテナから取ったものかどうかなんてわかんないじゃない!」

 

 来栖崎と礼音さんの口論――というか、騒ぐ来栖崎を礼音さんが冷静に諭そうとする様子を、僕は黙って見ていることしかできなかった。

 

 本当ならば礼音さんの側につくのが正しいのかもしれない。けれど来栖崎の言い分にも一理あるのだ。

 不知火がコンテナに触れたところを目撃した第三者がいない以上、それを証明することは難しい。彼女が持っていた食料だって、《相手の了承を得た上でコンテナを奪う》ために予め持ち歩いていたものである可能性がないとは言い切れないのだ。

 

 しかし、もしそうでなかったら? 不知火の話がすべて本当であるならば、このコンテナを彼女に譲らなければポートラルは条約違反となってしまう。

 不知火にその情報を拡散されでもしたら、他の生存組合からの非難は避けられない。そうなればポートラルは一巻の終わりだ。礼音さんはそれを危惧しているのだろう。

 

 どうすれば……僕はどうすればいい?

 

 中立と言えば聞こえはいいが、要はどっちつかずの半端者。僕は自己を持たず、誰からも責められない、都合のいい立場にいる傍観者だ。

 しかしそれではこの場は収まらない。来栖崎につくか、礼音さんにつくか。きっと僕の判断で、この議論の結末は変わってくる。くれぐれも慎重に、かつ適切な判断をしなければならないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「――来栖崎の言う通りだ」

 

 ところが、がやがやと言い争う二人に割り込むようにそう述べたのは、僕ではなかった。

 その結論を口にしたのは、なんと意外にも不知火だったのだ。

 

「一度この場を離れた以上、私が最初だと証明する手段はない。それにだ。触れるだけで物資が独占できるという組合の規則の恩恵を、どこの組合にも属していない私が受けるのは筋違いだろう」

 

 そう話しながら、不知火は礼音さんの方へと歩み寄っていく。

 そして彼女は何の躊躇いもなく、自分の持つ食料を礼音さんへと手渡した。

 

「これは返そう。そのコンテナから抜いた分だ。規則のことを知らなかったとはいえ、悪いことをしたな」

 

「だが……それでは君が……」

 

「いいんだ。今回は気配を悟られてしまった私の失敗だからな。だが、次からはもっと上手くやる。今後はコンテナの違和感に気づいても、見て見ぬふりをしてもらえると助かるよ」

 

 なんという潔さ。明日どころか今日食べるものにも困るこのニュータウンにおいて、これは簡単に下せる決断ではないだろう。

 しかし、ふふんと勝ち誇ったような顔をする来栖崎とは対照的に、礼音さんの表情は浮かばない。

 それもそのはずだ。不知火が納得したとはいえ、僕らは最初にコンテナに手を付けたかもしれない者から、ほんの一握りの食料をもらい受けようとしているのだ。礼音さんの性格では罪悪感を感じるに決まっている。

 

 するとそのとき、僕の中に一つの考えが浮かんだ。

 来栖崎の主張も礼音さんの懸念も、すべてが丸く収まる完璧な解決策が。

 

「待ってくれ」

 

 礼音さんへ食料を返し、背を向けてこの場を去ろうとする不知火。

 気が付くと僕は、そんな彼女の背中へ咄嗟に声をかけていた。

 

「どこの組合にも所属してないなら、僕らと一緒に来ないか、不知火?」

 

 その言葉に、不知火がピタリと足を止める。

 僕の背後からは来栖崎の「……は?」という殺意に満ちた声が刺さり、隣に立つ礼音さんからはその手があったかとハッとなる息遣いが聞こえた。

 

 これは確実に最善手だろう。コンテナの所有権は変わらずポートラルが持ち、かつ不知火もこの物資の恩恵を受けることができるようになる。

 さらには、これまで一人でこのニュータウンを生き延びてきた不知火も、ポートラルに所属することで仲間と助け合いながら生きていくことができるのだ。来栖崎は不服のようだが、絶対にそうした方がいいに決まっている。

 

「……悪い。もう一度、言ってくれるか?」

 

「ああ。ポートラルの仲間にならないかって言ったんだ。そうすれば食料調達もゾンビとの戦いも、全部一人でやらなくて済む。みんなで助け合えるんだ。悪い話じゃないだろ?」

 

 振り向いた不知火の言葉に、僕はもう一度答える。

 この地獄をずっと一人で生きてきた不知火のことだ。これだけ凛々しい彼女でも、きっと怖い思いや大変な思いをたくさんしてきたに違いない。

 

 そんな彼女に手を差し伸べたい。傍観するだけではなく、一人でも多くこの地獄で生き残るために、僕もできることをしたいのだ。

 

「一つだけ、答えてくれ」

 

 僕の目をまっすぐに見据え、不知火はそう述べた。

 

「今、声を聞いてまさかと思ったんだが……お前はもしかして……男か?」

 

 論点のずれた不知火の問いに、僕は一度固まりかける。

 しかしこの疑問は決して不自然なものではない。感染爆発以降、男性の生存率は0%であるとされている。おそらくたった一人の例外である僕を見て驚かない者など、このニュータウンにいるはずがないのだから。

 

「ああ、そうだ。理由はわからないけど、どうやら僕は感染しない身体らしい」

 

「本当なのか……? どうにも男性的な外見の女がいると思っていたが、まさか……」

 

 蒼い蒼い瞳を見開き、一歩一歩歩み寄りながら驚愕する不知火。

 男性生存者の存在しないこのニュータウンで遭遇した僕という存在は、例えるなら現代の街中に突如出現した恐竜のようなものだ。絶滅したはずの生物が目の前に現れて、冷静でいられる者などいないだろう。

 

「名は……なんと言う?」

 

 ついに僕の目の前までやってきた不知火。

 今までの凛として逞しかった表情から一転。彼女は僕と視線をべったり合わせたまま、一声一声を繊細に噛み締めるように、弱々しい声で問うた。

 

「みんなからはサンって呼ばれてる。実は記憶がなくて、本名を思い出せなくてな……」

 

「サン……サンか……」

 

 ゆっくりと咀嚼して飲み込むように、不知火は僕の呼び名を復唱する。

 そして大きく息を吸い込みながら天を仰いだ不知火は、背負った竹刀袋の口を解きながら声を発した。

 

「サン。さっきの提案だが、ぜひともよろしく頼む。飯を食う口が増えるのは厄介だろうが、その分は戦の前線で活躍することで取り返してみせよう……この剣に懸けて」

 

 再び表情を引き締めた不知火は、竹刀袋から取り出した日本刀を僕の前に水平に突き出してそう述べた。

 黒い鞘に反射した太陽の光が目に刺さる。その輝きは不知火の言葉を体現するかのように明るく、力強く、眩しかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。