ツルギ、フタフリ   作:わさび仙人

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第七話

 暗い暗い部屋の中、窓から差し込む月明かりに目元を照らされて、僕は目覚めた。

 来栖崎(くるすざき)は屋上から部屋に戻るとすぐに不貞寝してろくに口も利いてくれなかったが、どうやらいつの間にか僕も眠っていたらしい。

 

 騒がしかった屋上の声も、今はすっかり止んでいる。もう真夜中だし、不知火(しらぬい)の歓迎会もお開きになった頃なのだろう。

 きっと屋上には酔い潰れたアマゾネスたちの肢体が散乱しているに違いない。そう思うと翌朝片付けに向かうのも気が重い。

 

「……そうだ、輸血……」

 

 ふと、僕は思い出したようにそう呟く。

 ちょうど目覚めてよかった。そろそろ来栖崎への夜中の輸血の時間だ。

 

 けれど、彼女を起こすのは気が乗らない。ただでさえ寝起きの機嫌が悪い来栖崎は、今日は特別虫の居所が悪い様子だったからだ。

 それでも輸血を放棄することは許されない。なにしろこの輸血こそ、僕という弱者の最大で唯一の存在意義なのだから。

 

 

 そう。来栖崎に血を飲んでもらわなければ、僕に生きる価値など微塵もないのだ。

 

 

「……ん? 何の音だ?」

 

 横たわる来栖崎を揺すって起こそうとした、そのときだった。僕の耳が妙な違和感を覚えた。

 次第に大きくなるこの音は……足音か? どうやら部屋の外の廊下を、誰かがこちらへ向かって走ってきているようだが……。

 

「――サンくん、来栖崎くん、起きてくれッ!!」

 

礼音(あやね)さん?」

 

 足音が部屋の目の前まで迫った時、激しく扉を叩く音と共に聞こえてきたのは、礼音さんの声だった。

 なぜだか随分急いでいるようだが、どうしたのだろう。

 

「起きてます、礼音さん。どうかしたんですか?」

 

「すぐに来てくれ、敵襲だ! エントランスのバリケードが、ゾンビ共に破られたッ!!」

 

「なんだってッ!?」

 

 扉越しの礼音さんの言葉に、僕は急ぎ立ち上がる。

 どうやら外のゾンビがバリケードを破って、デパート内に侵入してきたらしい。

 

 とにかくこれは急がなければならない。

 時間帯は誰もが寝静まった深夜。それもデパートにいるのは僕らだけではない。非戦闘員のメンバーに被害が出る前に食い止めなければ。

 

 僕に非常事態を伝えた礼音さんはもう現場に向かったのだろうか、ドアの向こうには既に気配はない。

 僕は急いで来栖崎を起こすと、押っ取り刀でデパートのエントランスへと走った。

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 現場に駆け付けると、それはもう地獄絵図だった。

 バリケードは見事に崩れ落ち、エントランスホールには既に三十体ほどのゾンビが闊歩している。いや、エントランスの二階から見たところ、外にはまだまだいる様子だ。

 のろのろ、よたよたと拙い歩みで侵入してくるゾンビの群れ。しかしその中には一人だけ、まったく異なる俊敏さを見せる者がいた。

 

「不知火ッ!!」

 

 その者の名を咄嗟に呼ぶ。

 すると不知火は、一階で剣を振りながら僕らの方を見上げた。

 

「来たか、サン。悪いが早く手を貸してもらえると助かるッ。一人で抑えるのはもう限界が近いぞ……ッ!」

 

 どうやら礼音さんが皆を起こして周る間、不知火は一人でこの場を抑え込んでいたようだ。彼女の足元には、既に数体のゾンビの死骸が転がっている。

 加入したばかりの彼女にいきなりこのような重労働を任せてしまったらしく、申し訳ないことこの上ない。

 

「ああ、そうだな。来栖崎、頼むッ!」

 

 ここで僕自身が前に出ることができないのがどうしようもなく歯痒い。本当に僕は無力なのだと痛感してしまう。

 けれど、僕の隣にいる来栖崎はそんな葛藤などお構いなし。僕が指示を出す前から、彼女はいつの間にかエントランスホールへ飛び降りていた。

 

 着地の瞬間に二つ、ゾンビの首が宙を舞う。来栖崎がいつ首を撥ねたのか、速すぎて僕は見逃してしまった。

 続けて駆け出す来栖崎。足音につられて寄ってくるゾンビをさらに二体、三体。同じく首を撥ねたり、頭を串刺しにしたり。目にも止まらぬ速さでゾンビの死骸を積み重ねていく。

 

 共に戦う不知火も負けず劣らず。彼女は掴みかかってくるゾンビの腕を落とし、顎を潰し、無力化してから胴体を真っ二つ。

 一撃で決着をつけ、とにかく数多く斬る来栖崎と違って、不知火は一体一体を確実に仕留めていくスタイルのようだ。

 

 初めから既に死んでいるゾンビ共は、完全に倒したのかまだ動くのか、一目で判断することが難しい。仕留めたつもりがあとから起き上がって襲ってくるなんてことは珍しい話ではないのだ。

 それを考えると、不知火の戦術は理にかなっている。仕留めきれず起き上がってきたとしても、腕や顎を潰しておくだけでその脅威は激減するからだ。

 

 これも不知火がこれまで生きてきた環境で身に着けた戦術だろう。

 一人で戦うならばもちろん仲間のフォローなど存在しない。できるだけゾンビとの接触を避け、最低限の戦闘でもゾンビを確実に再起不能に追い込んでおく。その用心深さ故に生き残って来られたのだと言っても過言ではない。

 

「クッソ。人がいい気分で寝てるってのによォ!!」

 

「早く終わらせて二度寝するです……」

 

「今加勢いたしますわッ!!」

 

 少し遅れて、タンクトップにジーパンというラフな格好の姫片(ひめかた)、Tシャツ1枚の豹藤(ひょうどう)ちゃん、上品な寝間着にナイトキャップまで被った甘噛(あまがみ)が掃討に加わった。

 その後ろには弓を引く礼音さんと、銃を構える百喰(もぐ)の姿もある。ここまで人数が揃えば何とかなりそうな気がしてきた。

 

「甘噛と豹藤ちゃんで入り口を食い止めてくれ! 新手を中に入れないようにするんだ! 姫片はホールの真ん中! その方が思いっきり鎌を振り回せる。礼音さんと百喰は適宜援護射撃を! あとは来栖崎と不知火で、奥に進もうとするゾンビを片付けてくれ!」

 

 二階からの僕の指示を了承し、皆がその通りに動き始める――ただ一人を除いて。

 

「っておい、来栖崎ッ!?」

 

 真っ白な髪を波打たせて駆ける一人の少女だけは、僕の指示を完全に無視していた。

 来栖崎の動きは、とにかく視界に映ったゾンビを片っ端から斬るといった風で、荒々しいことこの上ない。

 

「来栖崎ッ!! 陣形を乱すなって、おいッ!!」

 

 僕の呼びかけにもまったく反応する様子がない。

 来栖崎は時に姫片の鎌を掠めながら、時に礼音さんや百喰の射線を横切りながら、とにかく数多くのゾンビを斬り倒していく。

 

 これは危険極まりない。掃討のペースこそ早いものの、今の来栖崎の周囲を見ない立ち回りはあまりにもリスキーだ。

 一体何が来栖崎にそうさせるのだろう。僕にはわからない。普段はここまで無鉄砲な戦い方はしないというのに、どうして……。

 

「ぁがッ……!?」

 

 そのとき、尋常ではない速さでゾンビを斬り刻んできた来栖崎が、不意に動きを止めた。

 

「来栖崎……?」

 

 その瞬間を僕は見逃さない。突然片膝をつき、刀を杖のように床に突き立てる来栖崎は、二階から見下ろす僕にもわかるくらい呼吸を乱していた。

 一体どうしたのだろう。僕の声を聞いて動きを止めたようには見えなかった。

 というか、あまりにも突然すぎる。今の今まで人間離れした早さで最も多くのゾンビを切り倒してきたというのに、手の止め方が不自然すぎるのだ。

 

 けれど、僕がその疑問の答えに辿り着くまでには、まったく時間はかからなかった。

 

 

 

 

 ――血が、足りないのだ。

 

 

 

 

 そうだ、思い出した。僕らは突然、礼音さんにこの非常事態を知らされ駆けつけてきたために、深夜の輸血ができていない……!

 故に来栖崎は短時間の戦闘でも感染度が上昇し、発作を起こしてしまったのだ。

 

 なんということだろう。僕は自分自身の失態に吐き気を催すようだった。

 どれほどの非常事態であったとしても、僕が最優先すべきは来栖崎であったはずなのに。自分の命よりも大切な契約を忘れ去ってしまっていたなんて、どう足掻いても償い切れない。

 しかしエントランスの状況は、そんな僕の自責の時間すら待ってはくれない。気が付くと、肩で息をする来栖崎の背後には一体のゾンビがよろよろと迫っていた。

 

「後ろだッ!! 来栖崎ッ!!」

 

「チィッ……!!」

 

 舌打ちと共に振り向いた来栖崎の両目は、既に真っ黒に染まっていた。

 そんな彼女に構わず牙を剥くゾンビ。咄嗟に反応して防御の姿勢を取った来栖崎だったが、ゾンビは容赦なく彼女の左腕に食らいついた。

 

 血が飛び散る。死体から流れ出るような真っ黒に腐った血ではなく、ありありと生命を感じられる赤々とした血が。

 それを目にした僕の視界も真っ赤に染まるように感じる。この血を流したのは来栖崎であり、僕であり、この事態を引き起こしたのは紛れもなく僕自身だ。自分の命が齧り取られていく様を、今僕は目の当たりにしている。

 

「こんの……ッ! 退け……ッ!!」

 

 来栖崎は自分の腕に食らいついたゾンビの頬に刀を突き立てて引き剥がすと、そのゾンビの腹を力一杯に蹴り飛ばした。

 

「来栖崎ッ!!」

 

 蹴り飛ばされて転がるゾンビを見て呆然としていた僕も我に返り、咄嗟に階段を駆け下りる。

 僕には今すぐしなければならないことがある。他の何を犠牲にしてでもしなければならないことが……ッ!!

 

「来んなッ!! 来たら殺すッ!!」

 

 しかし来栖崎は、そんな僕を漆黒の双眸で突き刺した。

 足がすくむほどの殺気。来栖崎のたった一言で、僕は階段の途中で立ち止まったまま身動きが取れなくなってしまったのだった。

 

 来栖崎はそのまま立ち上がる。そして自身に群がろうとするゾンビを再び斬り裂き始めた。

 これ以上彼女を戦わせてはいけない。頭ではそうわかっているのに、なぜだか僕は動けなかった。

 

 来たら殺す。来栖崎のその言葉に臆したわけではない。

 僕に向けて叫んだその一言が、なんだか酷く悲痛だったような気がして。そんな痛々しい彼女の望みを裏切ることが、どこまでも罪深いような気がして。

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

「おい! 中は片付いたぞッ!!」

 

「急いでバリケードを修復しましょう……!」

 

 数分後。姫片と百喰の合図で、戦闘班は一斉に出入口へと集まった。

 外から群がるゾンビたちも粗方掃討できたようで、抜け殻のように茫然自失となった僕の指示を待たずして、いつの間にか各々がバリケードの修復を始めていた。

 

 ひとまず脅威は去った。けれど刀を取り落とした来栖崎だけは、エントランスホールの真ん中で一人蹲り、自分の両肩を抱いてがくがくと震えていた。

 

「……殺したい……殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい……」

 

 ぶつぶつと呟き続ける来栖崎。感染度の限界が近いのは火を見るよりも明らかだ。

 すると、そんな来栖崎の元へゆっくりと歩み寄っていく足音が一つ――右手に血濡れた刀を握った、不知火だ。

 

「噛まれてしまったなら、ここまでだな」

 

 耳を貸す余裕もない来栖崎にそう呟いた不知火は、手にした刀をそっと持ち上げた。

 切っ先を一度来栖崎へ向ける。そのあとで不知火は、刀を両手で握り直し、ゆっくりと高く持ち上げた。

 

「短い付き合いだったな、来栖崎」

 

 不知火がそう囁く。冷静な僕がこの状況を見たのなら、彼女が何をしようとしているのかはすぐにわかったことだろう。

 けれど僕に不知火の姿は見えていない。彼女の意図に気づく余裕もない。

 

 僕の視界には、たった一人の少女の姿しか映っていないのだ。その姿を目掛け、床中の血油に足を滑らせながらも、僕は一心不乱に走っていた。

 

 

 

 

「 来 栖 崎 ―――― ッ ! ! 」

 

 

 

 

 するとその叫びを発した瞬間に、来栖崎は僕目掛けて飛びかかってきた。もちろん僕の身体能力では反応できるはずもない。

 辛うじて押し倒されることなく踏ん張ったものの、飛びかかった勢いのまま僕の左肩に食らいついた来栖崎を受け止めて、僕は尻餅をついてしまった。

 

「なッ!? 何をしてるんだサンッ!? いくら感染しない身体だからって……殺されるぞッ!!」

 

 不知火が狼狽えるが、僕にその声は届かない。

 僕が感じているのは左肩の激痛と、その中に顔を埋めて血を啜る少女の荒い息遣いだけだ。

 

「待ってろ。今引き剥がして――」

 

「――やめろッ!!」

 

 来栖崎の背後から伸びる不知火の手を、僕は無心で払いのけていた。

 不知火の驚いた表情が見える。それに対して僕が抱いたのは、ただただ強い憤りと憎悪だけだった。

 

「サン……?」

 

「……悪い、不知火。今は……今だけは、僕らの邪魔をしないでくれ」

 

 これは僕と来栖崎にとって、命よりも世界よりも重要な儀式。

 それを阻もうとする者がいるならば、僕は鬼にでも悪魔にでも死神にでもなる。例え命の恩人であろうと背を預け合う仲間であろうと、僕は躊躇いなく殺そうとするだろう。

 

 幸い、不知火はそれ以降、黙って僕らを見守るだけだった。

 次第に来栖崎の呼吸も落ち着き始めている。どうやら感染度が臨界点を超えるのには間に合ったようで一安心だ。

 

「どうなってるんだ……? 感染が……治った、のか?」

 

「いや、治ったわけじゃない。一時的に症状を抑え込んだだけだ」

 

 来栖崎の症状が治まり始めて頭が冷えたのか、いつの間にか僕は不知火の問いに答える余裕が生まれていた。

 

「実は来栖崎は、僕のせいでとっくに感染してるんだ。そして僕の血にはなぜだか、感染の進行を抑える効果があるらしくてな。だから僕は、来栖崎に血を飲んでもらうためだけに生きると誓った……それが僕と来栖崎が交わした契約なんだ」

 

「……そうか……」

 

 思いの外、不知火はあっさりと理解したような素振りを見せた。

 

「ずっと疑問に思っていた。お前たちの関係を。だが今ようやくわかったぞ。信頼でも恋愛感情でもない……お前たちを縛る鎖は――《依存》か」

 

 その言葉に、僕は何も返すことができなかった。

 そうだ。僕らはずっと――《共依存》。互いを救い、互いを巣食う、どろどろに真っ黒に絡み合った――《凶依存》なのだ。

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