バリケードが修復されるまでの間、僕は自分と
戦えない僕をゾンビから庇って来栖崎が感染したこと。来栖崎の感染が治るまでは僕の血で命を繋ぐ契約をしたこと。その間僕は来栖崎の所有物となり、生かすも殺すも彼女次第であること。
そして来栖崎の感染が治療された暁には、僕は彼女の望み通り、必ず死ぬと誓ったことを。
不知火はその話を、とても信じられないといった風に聞いていた。
けれど僕が話したことに偽りは一つもない。来栖崎が血を飲むのに一心不乱でこちらの会話に注意が向いていないのをいいことに、僕はすべてを話してしまったのだった。
言いようのないほどの罪悪感。来栖崎はこのことを他言したくないだろうに。
しかし、ここまで来てしまってはもう話すしかないのも事実だ。少なくともこれで不知火が抱いていた疑問が一つ晴れたのなら、まだよしとすべきなのかもしれない。
「……理解できない」
僕の話を聞き終えた不知火が、首を左右に振りながらそう呟いた。
「そこまでする必要はないじゃないか。来栖崎にサンの血が必要なのはわかった。だがだからって、人が人を《物》として所有するなんて……言い方は悪いが、狂ってる」
「
この契約は、僕が生きるために必要なすべて。来栖崎に血を飲んでもらうことだけが無力な僕の存在意義で、これを失えば僕に生きる価値はない。
狂っているとは思わない。これが僕にとっては当然で、必然で、絶対だ。
生きるために呼吸をするように、食事を取るように、睡眠を取るように、僕は来栖崎に血液を提供する。そこには疑念も不自然も違和感も、何も存在しないのだ。
「……来栖崎?」
不意に、来栖崎が僕の左肩から頭を上げた。
口周りが血で汚れたままだが、目の色は正常に戻っている。症状は治まったようで一安心だ。
「身体はどうだ? 落ち着いたか?」
「……別に。最初っから平気だし」
尻餅をついた僕にのしかかる形だった来栖崎は、袖で口元を拭うとそそくさと立ち上がって僕と不知火に背を向けた。
しかしその後ろ姿を見て僕は気づいた。来栖崎の左手から、ぽたぽたと血が滴っていることに。
「来栖崎、お前……その手……」
「……あ? 手がなに?」
そうだ。来栖崎は先ほど、感染の発作で動きを止めたときに左腕を噛まれている。
僕は慌ててポケットからハンカチを取り出し、立ち上がった。
「腕を出してくれ、来栖崎。手当しよう」
「いい。このくらいほっときゃ治るわよ」
「そうかもしれないけど……でも、痛いだろ?」
僕が来栖崎の左側に回ろうとすると、彼女は左腕を僕から隠すように身体を捻る。
確かに来栖崎の身体は感染の影響なのか、傷の治りが異常に早い。背骨が剥き出しになるような大怪我でも、彼女の身体は数時間もあれば活動可能なまでに回復する。
だがそれでも、痛みは感じているはずなのだ。
傷が塞がってしまえばどうということはないかもしれない。それでも、その傷が塞がるまでの痛みは計り知れないはずである。戦わない僕に、それがどれほどのものなのかは想像もつかないけれど。
「いいから見せてみろって。ハンカチ巻くだけだから」
「いいって言ってんでしょ! 触んなケツパッ!」
僕がやや強引に詰め寄ると、来栖崎は僕の手をはたいてそう叫んだ。
ハンカチは僕の手を離れ、ひらひらと足元に落ちる。床のハンカチから来栖崎の顔へと視線を持ち上げると、彼女は殺気立った紅い瞳で僕を睨みつけていた。
「おい来栖崎、なんだその態度はッ! サンはお前を心配して――」
「――いいんだ、不知火」
来栖崎の振る舞いに煮えを切らしたのか、不知火が食って掛かる。
そんな不知火を制し、僕は足元のハンカチを拾った。
「これが僕と来栖崎なんだ。来栖崎がしたいようにするのが最優先。僕に干渉する権利はないんだからな」
「……お前は本当にそれでいいのか、サン……?」
「ああ。もちろん」
不知火の問いに即答する。そこには少しの虚偽も違和感もない。
僕は来栖崎のためだけに生きていればそれで十分なのだ。彼女が手当したくないと言うのならそれに従うし、彼女に死ねと言われれば――当然僕は喜んで死ぬ。
しかし不知火はやはり納得できていない様子だ。無理もないことだとは思うけれど。
「う~い~。我が家の玄関でぇ~。にゃあにゃあ騒いでんのはドコのドイツだイタリアだぁ~? 発情期の仔猫ちゃんはあたしのとこに来なさぁ~いぃ~。ムフフ~」
バリケードの修復が終わる頃、千鳥足を通り越してほぼ這いずるようにエントランスホールに現れたのは、全身真っ赤になって泥酔した我らが盟主だった。
ところがそんな盟主にはお構いなし。誰一人彼女に声をかけることなく、まるで存在すら認知していないかのように、各々は事態の収束した現場から自室へと戻っていったのだった。
*****
「――つうわけで、野郎ども。今日集まってもらったのは他でもねえ。昨晩のゾンビ襲来についてだ」
翌朝。デパートの会議室には戦闘班の面々が集められていた。
会議を仕切っているのが、昨晩埃ほどの役にも立たなかった、マフィアのボスのような口調で話す酔いどれ姫なのが気に入らないけれど。
「疲れてるところ、朝から集まってもらって悪いな、みんな。今日の議題は、チームの危機にもかかわらず酔っ払って居眠りしてやがった
「サンちゃん酷いよッ!! そのことについてはもう何回も謝ったのにッ!!」
「
「ね"ぇぇぇぇごめんてばぁぁぁぁ許してリッちゃぁぁぁぁんッ!!」
僕が会議を仕切り直すと、すぐさま議論が展開された。最初の発言者は、怒っている様子に見えないのが逆に怖いように思える
その後はまさに阿鼻叫喚。涙と鼻水の洪水警報を鳴り響かせながら、アドは
「まあまあ、サン。冗談はこのくらいにして、本題に入ったほうがいいんじゃないか?」
「そーだよッ!! さすがはヌイヌイ!! いいこと言うじゃないの!!」
さっきまでの号泣はどこへやら。不知火の発言を受けて強気に出たアドは、打って変わって満面の笑みを浮かべていた。
なんか腹立つ。本当に反省してるのかこいつは。
「まあ、
「サンちゃんさっきから《元》ってなに!? 辞めてませんけど!? あたし辞任した覚えありませんけどッ!?」
騒ぐアドに付き合っていたらきりがない。僕はこの会議の本来の議題である、昨晩のゾンビ襲来について話題を修正する――
「――と、その前にみんなに話しておきたいことがあるんだ」
改まって僕がそう述べると、皆の視線が一斉に僕に集まった。
ゾンビ襲来について話し合うことも重要だ。けれど僕には、それと同じくらい重要だと思うことがある。まずはそのことから話そうと考えたのだ。
「昨晩バリケードが壊されたとき、不知火は僕らが応援に駆け付けるまで、エントランスのゾンビを一人で抑え込んでくれてたんだ。まずはそれを賞賛してやって欲しい。本当にありがとな、不知火」
「えっ、ああ、いや……まあ、当然のことをしただけだが……」
自分の話が出るのが予想外だったのか、不知火はあからさまに戸惑っている様子だった。
僕の話を受けて、一同が不知火に拍手を送る。不知火の活躍を全員で共有することで、新入りと古株の間にどうしても生まれがちな壁を取り去ることができるだろう。僕がこの話をしたのは、それを期待してのことだった。
「そーだったのね! いいじゃんいいじゃん。ヌイヌイは昨晩のMVPぞよ! うむうむ!」
「そう言うお前は戦力外通告だ、弛みナード」
「次で挽回しますからチャンスをくだせえ!! サンちゃん監督ぅ!!」
アドのやつ、やけにはしゃいでるから反省してるのかどうかいよいよ怪しくなってきたな。
非難される側に立っていながら何がそんなに楽しいのだろうか。僕には少し理解しがたい。いつものことと言えばいつものことだけれど。
「私のことじゃなくてだ、サン! ここに集まったのは、昨晩の件について話し合うためじゃなかったのか?」
「そうだな。そろそろそっちの話をしようか」
照れくさいのだろうか、不知火は自分の話題を早々に終わらせようと必死なように思えた。
やはり振る舞いには見せない照れ屋な一面があるらしい。人は見かけに依らないものだ。
「もうみんな知ってると思うけど、一応確認しておこう。昨夜未明、デパートのエントランスのバリケードが突然破られた。100体弱程度のゾンビの侵入を許したものの、みんなの活躍でこれを掃討。その後バリケードを修復するに至った。ここまではいいな?」
僕の言葉に皆が頷く。
確認するまでもなく、ここにいる者らが数時間前に対処した事態なのだから当然と言えば当然だ。……まあ、ただ一人を除いて、だけれど。
「バリケード倒壊の原因は不明。第一発見者は……不知火でいいんだよな?」
「ああ」
僕の問いに不知火が即答する。
すると不知火は立ち上がり、僕に変わって発言し始めた。
「眠ろうとしていたら大きな物音が聞こえてな。何事かと様子を見に行ったらあの有様だった。既に数体のゾンビが侵入していて、それに応戦せざるを得なくなったといったところだな」
「そして次に現場に居合わせたのが、私だ」
不知火の次に立ち上がり発言したのは
「不知火くんの言っていた物音とやらは聞いていないが、エントランスに何者かの気配を感じてな。様子を見に行ったところ、ゾンビが侵入していることに気づいたのだ。対処に人数が必要だと判断した私は、不知火くんに少しの間現場を任せて皆の部屋を周らせてもらったよ。その時は弓も持ち合わせていなかったしな」
「正しい判断だったと思いますよ、礼音さん」
そうして礼音さんは僕と来栖崎の元にやってきて、それ以降のことは僕もよくわかっている。次第に事態の全貌が明らかになってきた。
しかし、最も肝心な部分があまりにも不鮮明なままでもどかしいのも事実だった。
「あとは《バリケードが倒壊した理由》……だよな」
そう。ここが明らかにならなければ根本的な解決にはならない。
「侵入してきたゾンビの中に、バリケードを突破できそうな個体がいたりしなかったか? 身体が大きかったとか、腕力が強かったとか」
「いんや、そんなのはいなかった気がすんなぁ。雑魚ゾンビばっかだった」
「わたくしも覚えがありませんわ。主に侵入前のゾンビに対処しておりましたので」
「私も同意見です。できるだけ全体を見るようにしていましたが、そのような個体は確認していません」
姫片、
僕も高台から全体を見て指揮をとっていたけれど、皆と意見は同じだった。
乱戦の中で見落としてしまったのだろうか。もしくはバリケードを破壊した強力な個体は早々に倒れていたとか。
後者である可能性はあるかもしれない。なぜならあの現場で戦っていた中には、少々身体が発達したゾンビなどよりも遥かに勝る力を持った者がいたのだから。
「来栖崎はどうだ?」
「あ?」
隣の席で退屈そうにマフラーを弄る来栖崎に、僕は声をかける。
しかし彼女は心底面倒くさそうな顔を僕に向けてきただけだった。
「いや、話は聞いてただろ? バリケードを破る力がありそうなゾンビはいなかったかって――」
「――知らないわよそんなの。全部一撃でぶった斬ってんのにそんな区別なんかつくわけないでしょバカなの死ぬの?」
早口で罵倒する来栖崎の答えを聞いて、不知火の眉がぴくりと動く。しかしこれで、バリケードを破ったと思われる強力な個体は早い段階で処理されていた説が濃厚かもしれないと思えてきた。
思えば来栖崎は、不知火を除いて最初に掃討に加わったのだ。そして彼女は、侵入してきたゾンビの約半数を一人で処理している。この仮説が正しいと考えるのが最も理にかなっているのは間違いないだろう。
「ひとまず、バリケードの補強は必要だと思う。それから、今後同じことが起こらないように、バリケードの点検も頻繁にやっていこう」
僕の提案に異を唱える者はいなかった。今回は不知火が早い段階で気づいたからよかったものの、彼女がいなければどうなっていたかと想像すれば身の毛がよだつ。
寝静まった深夜。あっという間にデパートはゾンビで埋め尽くされ、眠ったまま何も知らずに僕らは――いや、これ以上はやめておこう。