「それじゃあ、この会議はこれで終了ということで――」
「――その前に、私から一ついいか、サン」
解散しようとした僕の言葉を遮る声。
その声の主は、昨晩大活躍だった
「どうした、不知火?」
「ああ。バリケードの補強も重要だが、もっと他の対策も必要なんじゃないかと思ってな」
「他の対策?」
新入りながら、会議で積極的に発言する不知火の姿勢は非常に好感が持てる。
昨晩共に戦い合ったことで、ポートラルのメンバーとして打ち解け始めてきたのだろう。僕としては嬉しい限りだ。
しかし、バリケードの他の対策とは一体どういったものを指すのだろうか。
不知火の提案に興味を抱いているのは、どうやら僕だけではなく、会議室の面々が皆そうであるようだった。
「簡単に言えば、もう一か所拠点を作ったらどうか、ということだ。今回のようなことはもう起きないのが望ましいのは確かだが、その保証もないだろう? 万が一のとき、このデパートを捨てて逃げ込める第二の拠点があればと思ったんだが、どうだろう?」
「なるほどな……」
不知火の提案も非常に理にかなっていると感じた。
今回のような事件がまた発生し、デパートがゾンビで埋め尽くされる最悪の状況となった場合、身一つで逃げ出しても街はゾンビの巣窟だ。安息の地などない。
けれど第二の拠点を作っておけば、一直線に駆け込むことでひとまずの安全は確保できるわけだ。
何の準備もないまま行先もなく街を彷徨うよりは、態勢を立て直すための安全地帯を予め設けておく方が生存率は格段に上がるだろう。
「確かに、非常時に明確な行動目標と行先があるっていうのは心強そうだな」
「混乱の中ではぐれたとしても、その第二拠点で皆と合流できることは確実だからな」
「非常時に持ち出す備品を前もってまとめておけば、脱出もスムーズになりますわね」
「その第二拠点に日持ちする食料を数日分備蓄しておけば、身一つで逃げ出さなければならないような状況からでも十分立て直せます」
僕に続いて
他の面々も頷きながら話を聞いていて、特に反対する者もいないようだった。
安全性や生活利便性を考えればデパートを出るという選択肢はあまりにもリスキーだ。
しかしながら、その選択肢を視野に入れておく必要性を考えさせられる出来事が起きたのは昨日の今日だ。ここは不知火の提案通り、ひとまずの安全が確保された第二拠点を用意しておくことを検討する必要があるのだが――
「――そうなってくると次は……
そう。一番の論点はまさにここだ。
この渚輪ニュータウンにおいて、安全と言える場所はほんの一握りしか存在していない。
街はゾンビで溢れかえっているし、このデパート以外の安全な建造物は他の生存組合が拠点にしていたりする。
ポートラルのメンバー全員を収容可能なほどの大規模な拠点候補など、そう簡単に思いつくものではなかった。
僕以外の面々も同じように頭を悩ませている。
不知火の提案が魅力的だったのは間違いないのだが、やはり現実的ではないのだろうか……。
「私に心当たりがある。数十人程度なら容易に収容できて、かつ比較的ゾンビの少ない地域にある、拠点候補にうってつけな場所のな」
「本当か、不知火!?」
「ああ」
これはなんという僥倖だろうか。どうやら僕らは、これから拠点候補地を一から探す必要もないらしい。
候補地が既に定まっているのなら、不知火の提案を却下する理由はもはや存在しない。会議室のメンバーも皆、僕と同意見のようだった。
「よーーーーしッ! それなら早速、その拠点候補とやらを見に行こうず! 40秒で支度しな、てめえらッ!!」
「却下だ。早まんな弛みナード」
勢いよく立ち上がり啖呵を切るアドを、僕はあくまで冷静に引き留めた。
「えーッ! なんでさッ! オラわくわくすっぞ。早く冒険行きてっぞ!?」
「昨晩ゾンビの群れに応戦したばっかりで、みんな疲れてるんだよ。今すぐ冒険に出られる元気があるのは、居眠りぶっこいてたお前だけだ」
「そんなことないもん! みんな行きたいよね? ドキがムネムネの大冒険楽しみだよねッ?」
アドの問いに頷く者は……悲しいことに、一人もいなかった。
「
「うぅぅ……今すぐにでも寝られそうです……」
「睡眠不足は美容の大敵ですので」
「コンディションが万全でない状態での作戦決行には賛同しかねます」
「すまないが
「わあお。四面過疎」
四面楚歌な。勝手に僕らの存在を抹消するな。
なんてツッコミはもう入れない。誰一人背中に続こうとしないこの哀れな盟主には。
とはいえ、僕だってアドをいじめたくて反対しているわけではない。ゾンビと戦ったばかりで疲弊している皆を差し置いて、実際に戦ってもいない僕が今すぐの作戦実行を宣言するなんて、到底できるはずがないのだ。
「出発は明日の朝にしよう。不知火の案内で拠点候補地を視察。問題なさそうなら、拠点づくりの準備を順次進めていきたい。それまでは各々しっかり身体を休めてくれ」
さすがにこれに反対する者はおらず、会議はここで解散となった。
つまらなそうに頬を膨らませる盟主を残して、皆は不足した睡眠時間を補うために自室へと戻っていったのだった。
*****
「寝なくていいのか、
二人の自室。頬杖をついて窓の外を眺めている白髪の少女の背中に、僕はそっと声をかけた。
「別に。あの程度で疲れるほどヤワじゃないし」
「そっか」
外を向いたまま振り向きもせず、口だけでそう答える来栖崎。
彼女が会議の間ほとんど発言しないのはいつものことなのだが、不知火の提案についてどう考えているのかは正直気になる。
けれどそれを尋ねられるはずもない。不知火の話題を振るのはタブーと言っても過言ではないほど、来栖崎は不知火のことを毛嫌いしている様子だからだ。
勝負に負けたことをまだ根に持っているのだろうか。それとも、顔見知りだからと馴れ馴れしく接してくるのが苦手なだけだろうか。
なんにせよ、僕にはわからない。来栖崎の考えていることなんて。
いや、わからない方がいいのだ。僕のせいで感染し、一度自ら命を絶とうとまでした彼女がどれほどの絶望を抱いているかなんて。
わかってしまったら、きっと僕は壊れてしまうだろうから。
「そうだ、腕の怪我の具合はどうだ?」
不知火の話題の代わりに、僕はそんな当たり障りもないことを尋ねてみる。
来栖崎は変わらず僕に視線を向けないまま、ふんと鼻で笑ってみせた。
「今更その話? もうとっくに治ったんですけど」
「そっか。ならよかった」
「だから言ったでしょ、手当なんかいらないって。次同じ話したら、その舌斬り落とすから」
「はいはい、わかったよ」
怪我の方はもうなんともないようで一安心だ。
けれど来栖崎は、また僕のせいで負傷してしまった。その罪悪感に胸焼けがする。
僕が自分の役割を見失ったりしなければ。ちゃんと輸血を済ませてから応援に駆けつけていれば。
来栖崎に血を飲ませるという、僕の唯一の存在意義を放棄した結果がこれだ。今後は何よりもこれを優先していくことを、僕は自分の胸にひっそりと、改めて固く固く誓った。
「じゃあ来栖崎。一回シャワーでも浴びてきたらどうだ?」
「……は?」
改まった僕の提案に、来栖崎はようやくこちらを向いた。
眉にしわを寄せ、目一杯の軽蔑の視線と共に。
「あ、いや、変な意味じゃないからな!? まだところどころ血で汚れたままだから、それを洗い流してきたらどうかって……」
しまった。言葉足らずだった。
僕らは24時間行動を共にする以上、僕からシャワーに誘うなんて言語道断だ。
けれど僕は気になってしまうのだ。タオルか何かで拭ってはいるようだが、来栖崎の顔や身体のあちこちには返り血の跡がある。
それがどうしても、彼女自身が傷ついた跡であるかのように見えてしまって、どうにも落ち着かないのである。
とはいえ、一体どんな罵詈雑言を浴びせられることだろう。僕は来栖崎の機嫌を一層損ねてしまったことを覚悟した。
しかし来栖崎は何も言わなかった。それどころか彼女はすっくと立ちあがるとため息をつき、適当なタオルケットを一枚引っ掴んで部屋を出た。
どうしたのだろうか。まさか、僕の言ったようにシャワーを浴びに行ったのか?
なんだか突然素直になったものだから少し戸惑ってしまうものの、僕も来栖崎に続いて急ぎ部屋を出ることにしたのだった。
*****
デパートのシャワールーム。とはいっても世間一般に知られていたそれとは違い、ペットボトルに溜めた水で身体を流すだけの簡易的なものだが。
シャワーの間ももちろん僕は来栖崎から離れられない。突然発作が起きたときに対処できるよう、シャワールームの目の前に待機だ。
来栖崎からすればなんと屈辱的なことだろう。けれどそれが契約である以上仕方がない。
トイレに行くことすら躊躇い、そのたびに大喧嘩していた初期に比べれば、嫌々ながらも傍に僕を置いてシャワーを浴びるようになっただけ良しとしなければならないというものだ。
しかしながら、やはり僕がいるのが嫌なのだろう、シャワールームが近づくにつれて来栖崎の足取りは重くなっていく。来栖崎に続いて歩いていたはずが、到着する頃にはいつの間にか僕が先導する形になってしまっていた。
「ほら、着いたぞ」
「……」
タオルケットを胸元に抱きかかえて僕を睨む来栖崎。その視線が痛い。軽蔑されることはわかっていたものの、やはり痛い。
「心配すんなって。僕が覗いたりしたことなんかないだろ?」
「……でも……もしなんか起きたら?」
「…………」
「…………変態」
「いやいやいやいや何も起きないって! 大丈夫だよ来栖崎ッ!」
《なんか》とはつまり、感染の発作のことだろう。というか、なんで急にこんなしおらしくなるんだよ。接し方に困るだろ。
どうやら来栖崎にとっては、僕を罵る元気もなくなるほど屈辱的な案件らしい。その解決策なんて……ないけども。
「ほら早く行ってこいよ。次が来るかもしれないだろ」
もう強引に入れた方がいいかもしれないと、僕はシャワールームの戸を開ける。
するとその先の光景に、僕は唖然とすることになってしまったのだった。
「あっ」
「えっ」
こんなことがあるだろうか。シャワールームの戸には確かに《空室》の札がかかっていた。
だというのに中にいたのは――まさに今着替えている真っ最中の、不知火だった。
いや、着替えているというか、これからシャワーを浴びるつもりだったのだろうか。彼女が羽織っていたブルゾンは壁にかけてあり、その下に着ていたスポーツTシャツを脱ぎ去ったところだったようだ。
そしてそのTシャツの下はあろうことか――ノーブラだった。
「……わ、わああああッ!!?? 悪い不知火ッ!!」
僕は慌てて目を背ける。きっと次の瞬間には不知火の悲鳴が響き渡り、何事かと幹部たちが駆け付けてくるだろう。僕の尊厳は失われたも同然だ。
「ああ、すまない。驚かせてしまったな」
ところが不知火は、信じられないほど冷静だった。
どういうことだ? 事故とはいえ僕は、意外にも発育のよい上半身裸の女性にばったり遭遇したはずなのだけれど。ばっちり目まで合ってしまったのだけれど。
まさか、気にしていないのか? だとしたら肝が据わりすぎていないだろうか。それとも周囲に男性がいなくなってしまったが故に、恥じらいを感じなくなってしまっているのか? もう焦りと混乱でわけがわからない。
「実は私はな……下着は身に着けない派なんだ」
「驚いたのはそこじゃないッ!!!!」
そう叫びながら、僕は勢いよく戸を閉める。
まだ心臓が暴れまわっている。女性の裸を見たからというわけではなく、冗談抜きで僕は死を覚悟したからだ。主に社会的に。
「つ、次からは、ドアの札を《使用中》にしておいてくれるか、不知火?」
「そんな札があったのか。気づかなかったな。今後は気を付けるよ」
中にいる不知火とドア越しにそう話す。新入りであるが故にルールに疎いのは仕方ないが、よりによってシャワールームでトラブルとは……僕もついてない。
というか、下着を身に着けない派ってなんだ。あれだけ凛々しく常識人である不知火にそんな一面があったなんて。ひょっとしてあのパンツァーと同類なのか……考えたくはないけれど。
ひとまずは不知火がシャワーを終えるまで待つとしよう。
そう僕が来栖崎に提案しようとした瞬間、彼女は僕の右足を思いっきり踏みつけてきたのだった。
指の骨が、砕け散ったかと思った。