アリス・スプリングスは年間を通して温暖な気候の街だ。大陸中心部に位置していることもあり、空気が乾燥しているためまとわりつくような不快感は少ないが、それでも暑いものは暑い。特に11月ともなれば真夏の陽気でコロニー育ちである駐留兵士の大半は休日であっても外へは出たがらない。本音で言えばヴィッシュ・ドナヒュー少佐も基地で大人しくしていたかったのだが、基地司令直々の命令では否応ない。独立戦争以来の愛機であるグフⅡを駆り、街の南部に位置する空港の警備に当たっていた。
『隊長、今日来る帰還者は元連邦兵って本当ですか?』
近くで待機している僚機のジョゼフ・マゼロ少尉が不安げにそう問うてきた。彼は戦争の最後期に配属された新兵だった。戦中は交戦経験が無かった彼にとって実戦とはゲリラ相手の経験を意味している。故にその内容がかえって元々気弱な彼の精神を苛んでいた。
「心配するな、少尉。彼らは正式に除隊して故郷に帰ってくることを望んだ人々だ」
ヴィッシュは言い聞かせるよう、意識的に落ち着いた声でそう告げた。コロニーが直接落下したオーストラリアは極めて住民感情の複雑な地だ。地球で最も民間人に被害の出た地域であり、それに伴い家族を失った在郷軍人も多く、戦後も武装解除に応じずそのままゲリラへ転身する部隊が相次いだ。一方で生き残った住民はと言えば、制圧したジオンの援助無しには生活が立ちゆかず、加えて戦後同地域がジオン共和国領となったことで心情的にはともかく表立って反意を示す者は少数だ。その事実が彼らを余計に追い詰めるのだろう。脱走兵の中にはジオンと結託した裏切り者などと口にして、街を襲撃する者まで居る始末だ。
「そんなの、表向きはどうとでも言えてしまうじゃないですかっ。潜り込まれて連中の支援をされるくらいならこのまま…」
「そこまでだ少尉!受け入れを決めたのは政府だし、我々は民主主義国家の軍人だ。彼らを拒絶する権限は与えられていない。それが不満だと言うならば今直ぐにMSから降りろ!」
「っ!申し訳、ありません」
強く発せられたヴィッシュの叱責に少尉は息を呑むと、憤りを隠しきれない声音で謝罪を口にした。その様子にヴィッシュは小さく溜息を吐いた。彼の懸念がPTSDから来る妄言だと切り捨てるには現実味がありすぎたからだ。
(戦争は終わった。だが俺達の戦いはいつ終わるのか)
取敢えずこの任務が終わったら、少尉にはカウンセリングを受けさせる事をヴィッシュが心に決めていると、輸送機と共に着陸してきた戦闘機から通信が入った。
『こちらは連邦空軍所属、336飛行隊マスター・P・レイヤー大尉であります。民間人護衛任務の引き継ぎを願います』
「こちらは地球方面軍オーストラリア駐留軍第42警備隊、ヴィッシュ・ドナヒュー少佐だ。本国国民の護衛感謝する。データの引き渡しを、通信回線は221だ」
『了解しました』
事務的に対応しつつも、ヴィッシュは静かに緊張していた。目の前の存在が唯の戦闘機で無い事は明らかだったからだ。FF-X8、Gファイター。戦中戦うことは無かったが、オデッサ経由で上げられていた情報の中にあった機体だった。
(確か、あの形態はGアーマーだったか?と言うことは、積んでいるな)
この機体をヴィッシュが覚えて居たのはその特殊な機体特性、即ち内部にMSを格納し移動する強襲機としての機能を有していたためだ。そして目の前に駐機された2機は間違いなくMSを搭載している。その上、搭載しているMSには、オーストラリア方面軍全体に注意喚起のなされたマークがペイントされていた。
『すみません、少佐。生憎足の長い連中は我々以外出払っていまして』
こちらの緊張を感じ取ったのか、Gファイターのパイロットはそう告げてきた。
「いや、内陸のここまで飛んでくるなら護衛も相応の機体が必要だろう。それに、土地勘のある人間が選抜されるのも不思議じゃない」
ホワイト・ディンゴ。ジオンのオーストラリア方面軍に悪名を轟かせた連邦軍のMS部隊である。ミノフスキー粒子下にありながら高度な連携を維持しつつ戦う彼らによって、当初個人の技量に依存した戦闘を行っていたジオン軍のMS部隊は相当数の被害を出していた。彼らの存在によって、地球降下初頭からヴィッシュの提言していたMS同士の連携した部隊運用が注目され、それが彼の昇進に繋がっていた。その為か、直接会うのは初めてだというのに、ヴィッシュは彼らに不思議な縁を感じていた。
『そこまでご存じなら隠す必要はありませんね、オセアニア方面はまだ随分ときな臭い状況でして』
その言葉にヴィッシュは顔を顰めてしまった。同地域は終戦後多くの脱走兵が流入した地域だ。厄介であるのは人数だけでなく、ある程度の生産設備を脱走時に基地から運び出していたことだろう。当初こそ生産設備があっても、原材料が確保出来なければ早晩干上がるであろうと楽観していた両国であったが、相応に大きな後援者がいるらしく、終戦から一年近くたった現在でも活発に活動している。
「君たちは連邦軍だろう?彼らからすれば同胞じゃないのか?」
『民間人すら襲う連中ですよ?我々なんてそちらに寝返った裏切り者呼ばわりですよ、おかげでまだまだコイツが手放せません…おっと、データ送信完了しました。少佐、ご確認願います』
「ああ、確認した。他に何か申し送りはあるかな?」
『いえ、ああ、その、とても私的なことなのですが』
「なんだろう?」
『彼らは、連邦の籍を捨ててでも故郷に戻ることを、貴方方と歩むと決めた者達です。どうか、偏見無く受け入れて頂けるようお願いします。その、難しい事を言っているとは思うのですが』
その言葉にヴィッシュは目の前の男へ好感を覚えると同時、戦後に彼と引き合わせてくれた事を神に静かに感謝した。このような善良な人間であっても、戦場で出会っていたならば、殺し合うことを余儀なくされるのだから。
「ああ。経緯はどうであれ、今の彼らは我が国の国民だ。その選択が間違いだったなどと言わせぬよう尽くす事を約束しよう」
その言葉に合わせるように、移動用のバスが動き出す。その車列を挟むように、ヴィッシュと僚機のグフⅡが動き出した。ヴィッシュがカメラをGファイターへ向けると、そこにはいつまでもこちらを見送るパイロットの姿があった。
市内を流れる川のおかげで幾分和らいでいるとはいえ、夜になっても相応の熱気を持つ空気が街を覆っている。無事護衛の任務を終えたヴィッシュは日の落ちた道を一人歩いていた。なんとなくではあるが、今日は飲みたい気分だったからだ。だが、そんな日に限って厄介事というのは降りかかってくるらしい。
「連邦兵が何の用だよ!」
「ここにゃお前らが飲む酒なんて一滴も無いぜ、他あたりなっ!」
野戦服そのままという余りにも無警戒な恰好に、一瞬ヴィッシュは呆けた後苦笑しつつ彼らに近づいた。
「すまない、待たせた」
気安く先頭にいた連邦士官の肩に手を掛ける。その様子に驚いたのは入り口で彼らの入店を遮っていた男達だった。
「ヴィ、ヴィッシュ少佐!?」
アリス・スプリングスにおいてヴィッシュはちょっとした有名人だ。そしてその中には腕っ節についても含まれる。
「ああ、彼らとは知り合いでね、一緒に酒でもと思っていたのだが…。この店では飲めないのか?困ったな」
「す、すみません。ちょっと飲み過ぎたみたいでさあっ。俺らは行きますからどうぞごゆっくりしてってくだせえ!」
そう言いながら慌てて逃げていく男達を呆然と見送る連邦兵達の肩を叩き入店を促す。全員がカウンターに着いたところで、お気に入りのウィスキーを手にヴィッシュが口を開く。
「改めて自己紹介をさせて貰おう、ヴィッシュ・ドナヒュー。ジオンでMS乗りをやっている」
「マスター・P・レイヤー、連邦でMSパイロットをしています。助かりました、ドナヒュー少佐」
律儀な物言いにヴィッシュは相好を崩す。
「プライベートだ、ヴィッシュでいいよ、レイヤー?」
その言葉に相手も緊張の解けた表情になる。
「では自分もマスターと」
そう言ってグラスを掲げてみせる相手に、ヴィッシュは笑いながら同じように自分のグラスを掲げた。
「ああ、宜しくな、マスター。では、この出会いに」
「ええ、この出会いに」
グラスが合わさり、清んだ音が僅かに鳴った。それを聞いていたのはジオンの少佐でも連邦の大尉でもなく、その日友人となった2人の男だった。
オーストラリア関連の話書いたのに、アンクルドナヒュー出てこないじゃん!
というわけで我慢できずに書いた。