「う・・・・・・うぅ・・・・・・ぁぁあ」
マンションの一室で低い唸り声をあげる男。尋常ではない量の汗を流し、苦しそうに胸元を右手で押さえつけている。
端から見れば病気か熱中症か何かで苦しんでいるように見えるが、その症状のどれもがこの男には当てはまらない。
「うう゛ぉ」
男に強烈な吐き気が襲ってくる。口から出て来たのは唾液と胃液の混ざり合った純黒の液体。
「ぁ・・・あ・・・・・・ウァアアアアアアアア!?」
男の姿が変わり果てるまで、2時間を切った。
「ここか・・・・・・」
俺は指示されたマンションに辿り着き、彼女の姿がないか周囲を探す。流石に30分も前に来て、自分より先に居る筈は無いか。
「メールで着いたとは伝えたけど、反応が無いしな・・・・・・やっぱり騙されたか?」
「なーにが騙されたのかな?」
「うわぁっ、ビックリし・・・・・・た・・・・・・え?」
背後から掛けられた聞き覚えのある声に驚き、すぐさま後ろを振り向くと、そこに立っていたのは以前に合った彼女ではなく、銀髪金目の現実に存在するのが有り得ないような美女だった。
「え?え?」
「どうかした?」
見覚えがある筈だ。俺は今になって気付いた。彼女の容姿は髪色と目の色を除けば、2日前の夜に送られて来た出会い系の迷惑メールに写っていた女性とそっくり、いや、その人なのだから。
――マズい。流石にこれは、金を取られる気しかしない・・・・・・!
思い出されるのはメールの内容。触れ合い体験という意味深な話。
いくらメールの差出人が偽物ではなく本人だったとしても、見知らぬ人に場所を指定されて呼び出されたことに違いはない。
逃げるチャンスを窺わないと・・・・・・
「あ、あの、俺はまだ17なんでそういうのは駄目というか・・・・・・なので今から帰らs」
「んー?大丈夫だよ。私は何歳でも問題ないよ?」
ヒェッ、と内心で恐怖する。まさかそういう趣味があるのか?と一瞬疑うが、これはただ鴨を逃がさないように言っているだけだろうと判断した。
内心ではきっと、20歳未満だと知った上であれこれ惚けたようなことを言って、最終的には金を騙し取る気なんだろう。
「いや、駄目ですよ。その、法律的に」
「固いことは言わないで、ホラホラ行った行った」
OKOK。これはあれだ、BAD ENDってやつだ。所持金が半分になって目が真っ暗になるどころか、下手したら所持金0で取り残される可能性もあるな。
マズい、非常にマズい。何冷静にふざけてんだ俺。
だが、そうやって逃げる方法を模索したりこの後のことを考えている内に、マンションのエレベーターに乗せられてしまう。
――終わった・・・・・・俺の人生はここでゲームオーバーか
エレベーターにまで乗せられてしまったことで、遂に諦めるという選択肢を選んでしまう。例えエレベーターから出て逃げ出したとしても、向こうが先回りして出口を塞いでしまう。そうなれば逃げ場はない。ドナドナされる未来しか残されてはいない。
6階です。とアナウンスが流れ、彼女の目的地である部屋の前に辿り着く。
「あ、デッキは持って来てる?」
「え?あ、はい・・・・・・」
「よし、じゃあちょっとそこに居てね?・・・・・・逃げないでね?」
「アッハイ」
今の質疑応答に何の意味があったのかは定かではないが、取り敢えず逃げられないことは改めて理解した。底冷えするような金の瞳で睨まれては、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまう。
彼女はマンションの一室の扉の前で鍵を開けるでもチャイムを鳴らす訳でもなく、ただ手を翳しているようだった。
すると、彼女が翳していた手を下ろしたと同時にも扉の鍵がアンロックされる音が確かにした。指紋認証だったのだろうか・・・・・・?
――何か、魔法を使ってるみたいだなぁ・・・・・・なんて
「よし、開いた・・・・・・。時間はまだ余裕がある。どうにかなりそうね。・・・・・・何してるの?ほら入るわよ」
「え、あ、はい」
恐る恐る部屋に入ると、男の唸り声のようなものが聞こえた気がした。・・・・・・やっぱり、そういうことをしているのだろうか・・・・・・。
「あの、これから何をするんですか・・・・・・?」
怖いもの見たさで聞いてみる。彼女はどこかキョロキョロしながらしっかりと質問に答えた。
「え?それは・・・・・・デュエマと・・・・・・ふふ、ドキドキ触れ合い体験・・・・・・とか?」
妖艶に笑う彼女に一瞬見惚れてしまうが、ドキドキ触れ合い体験というワードはいけない。大変いけない。R18タグが付いてしまう。
「ホラ、男の人の声が聞こえたでしょ?その人とキミと私で・・・・・・」
「え」
「ま、見れば早いか・・・・・・それに君に拒否権はないしね。もし逃げたら・・・・・・ね?」
ハイソウデスネ。オレゼッタイニゲナイ。
恐怖という感情の圧倒的な力は、俺の本能に働きかける。あぁ、遂に男がこっちに来て・・・・・・
「・・・・・・רעבים」
「予想より成長が早い・・・・・・?」
「・・・・・・え?」
彼女は不思議そうに何か喋っているようだが、今はそれよりも目の前の男だ。
その男の姿は、あまりにも異質過ぎた。
全身を覆う灰色の肌。所々から漏れ出ている黒いドロッとした液体。吐き気を催す腐臭。
まるでそう、ゾンビだ。ゾンビのような化け物のようなのだ。
これは作り物ではない。そういった雰囲気がする。目の前に映っている存在は、間違いなく一つのリアリティを持った存在なのだという認めたくない事実。
「あ、は、はははは・・・・・・は・・・・・・?」
「さて、それじゃあ始めましょうか。キミ、デッキを出して」
後退りする俺の腕を掴み、絶対に此処から逃さんとする彼女は、俺にデュエマのデッキを出せと指示をする。
「・・・・・・何を、言ってるんですか?」
「デッキ、出して?キミはその人とデュエマするの」
「嫌だ!」
「?キミに拒否権はないって、言ったでしょ?」
「っ!?」
彼女は懐から出したナイフを、俺の首もとに笑顔で押し付ける。肌に感じる冷たさと、仄かに反射する光が、本物であることを証明している。
デュエマをしなければ殺す。これは明確な脅しだ。最初はパニックで混乱していた頭も、命の危機を感じ一周回って気持ち悪い程冴えている。
デュエマをしなければ、俺はここで死ぬ。
じゃあ、俺は何をしてこの窮地を脱すれば良い?
答えは出ている。
「わ、分かった。デュエマを、する」
「うんうん、良い子だね~」
頭を撫でられるが、全く嬉しくない。悍ましさと恐怖感が襲って来る程には、俺は彼女が目の前の人と同じ化け物に見えていた。
どうやら俺は、とんでもない人物に目を付けられてしまったらしい。震えた手でバッグからデッキを取り出す。
「ほ、ほら、デッキ出したぞっ」
「じゃあそこで立ってて、準備するから」
そう言うと彼女は自分と化け物から距離を取り、玄関の入り口で止まる。一瞬、自分を化け物の居る空間に一人置いて逃げるのかと不安になったが、いつまで経っても彼女は扉を開ける仕草を見せない。
「בשם הנס והמסתורין」
何を喋っているのだろうか?小さな声で此方からは聞き取れない。
だが、真面目な顔付きでいる彼女が、意味もなくそのような行動をしているようには思えなかった。
「פתח הדלת הדלת」
彼女の足元から漏れ出た青い輝きが、魔法陣のようなものを作り出し、部屋の中を青く照らす。
「うぉっ」
「קבל את זה!」
化け物が大きな声で吠えたのが聞こえた。俺はあまりの眩しさに目を閉じてしまうが、すぐに足元の感覚が土のようなものに変わった気がして思わず目を開けると、そこに広がっていたのはマンションの一室ではなく――
「どこだ・・・・・・ここ・・・・・・」
『惑星ジェネシス。その化け物が来た場所よ』
「っ!?どこから話して・・・・・・?」
『私はマンションに居るわよ。惑星ジェネシスの大地の一部を此処に接続してるだけだから、この結界の外はさっきまでと同じマンションの中』
説明されても今は良く分からないが、青い結界の外はマンションではなく、酷い風景が広がっていた。
腐敗した土地、崩壊した都市の建物、朽ち果てた枯れ木の数々。どれもが世紀末的な雰囲気を放っている。
――こんな場所に、あの化け物は生きていたのか・・・・・・
死んだ土地という言葉が一番適しているように思える。それ程までに酷い環境下で、あの化け物は一体どうやって生活していたと言うのだろうか。
『化け物はどうしてる?』
「そうだっ、化け物――」
『רעביםרעביםרעביםרעביםרעביםרעבים』
何を言っているのか相変わらず分からないが、同じことを繰り返し言っているように思える。
血走った眼、腐臭を放つ灰色の肉体、そして、うなじ付近から生え始めた謎の突起物。更に化け物らしさが強くなっている。
「気持ち悪い・・・・・・何なんだよコイツ・・・・・・」
『その説明は後。今はデュエマをして。デッキを出した時点で、ゲームは開始しているわ。先行はキミから。・・・・・・因みに、負けたらソイツに殺されるかもしれないから、本気で頑張ってね?』
「――っ」
もう、流石に驚き過ぎて疲れてしまった。
自分の理解が追い付かないような出来事をこう何度も目の前で繰り広げられては、脳が思考することを放棄し、手足が震えてしまうのも仕方がない。
チラッと右を向くと、大きな砂時計が時を刻んでいるのが分かる。直感であれが制限時間だと気付き、震える手を無理矢理動かし、ゆっくりとテーブルに伏せられたままの5枚の手札を確認する。
――《フェアリー・ライフ》、《ドンジャングルS7》、《失われし禁術の復元》、《失われし禁術の復元》、《龍素記号Sr スペルサイクリカ》・・・・・・。《禁術》が2枚も・・・・・・!
非常にマズい。このデッキに入っている《禁術》は全部で3枚。内2枚が手札にあっては、《クイーン・アマテラス》の『無限フォースアゲイン』が出来ない可能性が高まってしまう。もし1枚が盾落ちしていた場合、山札に《フォースアゲイン》が入っていても、コンボを成立させることは出来ない。
――《禁術》で《禁術》を使って、無理矢理戻すしかないか・・・・・・!
「《サイクリカ》をマナに、ターンエンド」(マナ1)
まずは一枚、コンボパーツをマナに置く。マナに必要な後2枚は山札にあるはず。こういう時、《神秘の宝箱》があれば・・・・・・。
そう思っていると、目の前の化け物の体がいきなりグチャグチャと音を立てて変容していく。
――・・・・・・顔だ、あれは間違いなく、人の顔だ。
『ドロー、《ブラッディ・タイフーン》をマナへ、ターンエンド』(マナ1)
化け物の顔はそれまで人の顔ではなく、朽ち果てた獣らしさをどこか持っていたのだが、それも今では完全に人の顔をしている。首から上が入れ替わったかのようだった。
吐き気がする光景であったが、何とか吐かずに耐える。ここで恐怖に負け、一度でも吐き出してしまえば、ドミノ倒しのように恐怖が心を、体を、何もかもを、貪り尽くしてしまいかねない。
「ド、ドロー・・・・・・ゲホッゲホッ・・・・・・ハァハァ・・・・・・《ドンジャングルS7》をマナへ、2マナで《フェアリー・ライフ》。1マナブースト・・・・・・ターン、エンド」(マナ3)
足場が淡い緑色に輝き、山札の上から自動的にカードが1枚、空中に浮いている透明な板の上、俺の盤上のマナゾーンに置かれる。
緊張が、恐怖が、嗚咽となって出てくる。
この精神状態だと・・・・・・長くはもたない。
『ドロー、《クロック》をマナへ、2マナで《エマージェンシー・タイフーン》』(マナ2)
青い竜巻による強風が、化け物の山札の上から2枚を使用者の手札に加える。そして竜巻が消えると同時に、化け物は手札から1枚を墓地へと捨てた。
「2枚ドロー、《世紀末へヴィ・デス・メタル》を墓地に。ターンエンド」
「墓地退化かっ」
墓地退化、デュエマのデッキタイプの一つだ。
低コストで墓地を肥すカードを使い、高コストのフィニッシャーなどを墓地に準備するのが最初の動き。そして、墓地進化という墓地に存在するクリーチャーを進化元に使い進化するクリーチャーを出し、最後に進化したクリーチャーのカード1枚だけを取り除けるカード指定除去タイプのカードを使い、場に進化元となったクリーチャーを残すというのが主な戦い方だ。
この方法を用いれば、今墓地に送られた《へヴィ・デス・メタル》も13という重いコストを支払わずに早い段階で場に出すことが出来る。オマケに《へヴィ・デス・メタル》はパワーも高く、スピードアタッカー。そして何よりもワールド・ブレイカーを持っているのだ。
正に破滅を齎す神だ。次のターン、《死神術士デスマーチ》が《へヴィ・デス・メタル》を進化元に出るのは分かっている。順調に行けば《デスマーチ》から《落城の計》で今から2ターン後にはワールド・ブレイクされてしまう。それまでに準備を完了出来なければ俺の負けだ。
そう、負けだ。殺される。俺はあの化け物に殺されてしまう。
――嫌だ、それだけは嫌だっ
「ドロー!・・・・・・っ!」
力強く、震えた声を押し殺してカードを引く。引いたカードはコンボパーツの一つ。一番重要な役割を持つ女王のカード。
「《クイーン・アマテラス》をマナへ、4マナで《禁術》を唱え、その効果で墓地の《フェアリー・ライフ》を唱えるっ」(マナ4)
《禁術》を唱えると、再び俺の足元が淡い緑色に輝き、山札の上からカードが1枚マナゾーンに送られる。その直後、墓地にあった《フェアリー・ライフ》は独りでに山札の下へと移動していった。
「《禁術》の効果で唱えた呪文は山札の下へ。ターンエンド」(マナ5)
『ドロー、《スパイナー》をマナへ、2マナで《エマージェンシー・タイフーン》。2枚ドローして《デスシュテロン》を手札から墓地に。そして1マナで墓地進化、《死神術士デスマーチ》』
墓地に存在する《へヴィ・デス・メタル》を進化元に、予想道理《デスマーチ》が現れる。そのピエロのような姿から発せられる悍ましさは、負ければ死が待っているということを、これでもかと言うほどに感じられた。
そして、何よりも――
「――あれが、俺の敵・・・・・・!? 」
ピエロの操る糸の先、本来人形が付いているべき場所には、神々しくも荒々しき姿をした、紅の神の姿があった。
最初の敵が神とかいうハードルの高さよ