と、いうわけで。
「ここを……キャンプ地とする!」
持ち運び式テントを背に、決然とした面持ちで鋭児郎は言った。
大家に事情を説明し、急遽アパートを引き払ってきた彼がその足で訪れたのは、街はずれの河川敷に設営されたアーバンキャンプ。お手軽かつ虫などに悩まされることも少ないとあって、特に夏場の週末は市民によって賑わいを見せている。今は晩秋で、しかも平日なので、宵闇の中はほとんどがらんどうのありさまであったが。
山中でないだけに、余計に寂しい光景である。これなら仲間の誰かを誘ったほうが良かったのでは──今からでも呼ぼうか迷った鋭児郎だったが、そんな折、一人用の小さなテントがふたつ並んでいるのを発見した。
(よかった、人がいる)
元来人見知りをしない鋭児郎である。人影を認めるや、躊躇なく駆け寄っていった。
「スンマセ〜ン!隣にテント張らせてもらってもいい……す──あっ」
「!」
振り向いた男女の姿を認めて、鋭児郎は一瞬言葉を失った。親子ほども年齢差のある──間違ってもカップルには見えない、というか犯罪である──彼らの顔かたち、よく知るものだったからだ。
「え、エンデヴァーに麗日!?」
──轟炎司に、麗日お茶子。ルパンブルーとイエローの正体である彼らも、パトレンジャーと同じ対策を採用していたのだった。
(カブっとるやん!)
内心ツッコむお茶子だが、当然気取られるわけにはいかない。顔に出やすい彼女に代わって、炎司が訊いた。
「あなたもキャンプですか?」
「え、ええまあ、任務の一環で。……あれ、ふたりだけっスか?」
爆豪勝己の姿がないことに気づいて、鋭児郎は訊いた。──炎司たちからすれば痛いところである。そもそも強制帰宅ビームの効かなかった勝己はキャンプをする必要がないので、ジュレに残っているのだ。
「それが──」
「そ、それが喧嘩しちゃって!マジギレされて、追い出されちゃったというか……」
「お、追い出された?」
「え、え〜とその……まあ、追い出されたは大袈裟かも……あはは……」
咄嗟の嘘はやはり不得手な少女である。炎司は内心嘆息したが、やはり表に出すわけにはいかない。
「元々店も休みだったので、どうせならば我々はキャンプにでも来ようかと。ひと晩あれば、勝己の頭も冷えるでしょうし」
「そうそう、そんな感じ!」
炎司の補足で信憑性のある話に仕立てあげることができた。ただ、それを聞いた鋭児郎の表情はすぐれない。疑っている……否、何か気がかりを抱いているかのような、顔だった。
*
切島鋭児郎と遭遇してしまったことは、快盗としてはまぎれもない変事である。テントの中でさっさと寝ついてしまったお茶子を置いて、炎司は勝己に電話をかけていた。
「──ハァ!?あのバカ、なんつー言い訳しやがんだ」
経緯を聞き、勝己が大声を発するのも無理はなかった。鋭児郎たちはジュレの常連なのだ。仲直りできたか等々、今度来店した際あれこれ勘繰られるのが容易に想像できる。
詰られたことに反応してか盛大にくしゃみをする夢の中のお茶子。一方の炎司は、
「言ってしまったものは仕方あるまい。それより、この状況そのものが問題だ」
『……ヤドガー見つけても出てこねーほうがいいかもな、あんたらは。背負ってるテントが同じってんじゃ、疑ってくれっつってるようなモンだ』
「……うむ。すまないな」
『別にいーわ。死柄木もいりゃ、なんとかなんだろ』
用件はそれだけ。必要な会話は終わったのだから、あとは通話を切れば良い。にもかかわらず、炎司は二の足を踏んだ。電話口の妙な沈黙を、相手はすぐに訝ったようだ。
『……ンだよ?』
「……いや、独りで寂しくはないかと思ってな」
『ハァ?クソ寒ィこと言うなや』
「そうだな、すまん。──おやすみ」
『……おー』
ぷつり。
今度こそ通話を終えてしまえば、テレビもない薄暗い店内はしんと静まり返った。寂しい──まっとうな人間なら、そう感じることもあるのだろうか。
「……野良犬は、俺のほうか」
ケルベーロ・ガンガンと言ったか、先日倒したギャングラーを不意に思い出して、勝己は嘲った。
「………」
炎司もまた、えも言われぬような表情で川べりに立ち尽くしていた。──ずっと考えていたのだ。ヤドガーの強制帰宅ビームによって、自分とお茶子はジュレに飛ばされ、勝己はどこにも飛ばされなかった理由。
難解な問題ではない。ゆえに容易く答が出るけれど、それをどうにか否定したくて、思考の角度を変えては結局同じ答にたどり着く──その繰り返し。
(俺たちにとっての"家"は……あそこか)
たしかに、もしも願いを遂げたとして──家族のいる家へ戻る未来を、想像したことはなかった。だがそれは、家庭を蔑ろにしてきた"不要な"父親であり夫であったからだ。ならば帰るべき家をもつはずのお茶子がやはりジュレに飛ばされたのは、快盗として生きる覚悟を固めたゆえか……そうではないだろう。彼女のそれはきっと、愛着だ。自分も、あるいはそうなのかもしれない。
では、勝己は。彼は実家にもジュレにも……どこにも飛ばされることはなかった。そういえば出会ってから今に至るまで、彼自身の口から家族のことについて聞いたことがない。ただ、以前店にやって来た"デク"の母親の口ぶりからすれば、決して希薄な関係ではないように思う。それでも彼は、帰るべき家などないと──
(……愚かな。何を考えているんだ、俺は)
一度たりとて家族と向き合おうともしてこなかった自分が、末子と同い年の少年のことを真剣に慮っている。そんな馬鹿な話、コメディにもならない。
目の前の淀みをぼうっと眺めていたらば、背後から不意に足音が響く。既に気配を感じていた炎司は、その碧眼で"彼"をじろりと睨めつけた。
「……何か?」
「あ……スンマセン。ちょっと、いいスか?」
切島鋭児郎。ギャングラーの存在がなければあるいは後輩ヒーローだったかもしれない彼は、今ではある意味いちばん厄介な存在だった。
「喧嘩の原因、なんだったんスか?」
「……警察に相談するほどのことではありません」
「あの……俺にもタメ口でいいスよ、大先輩なんだし」
「お断りします。私はジュレの店長で、あなたは常連のお客様ですから」
飯田天哉のときとは違う。迂闊にそれを越えた関係になって、ずかずか踏み込まれて堪るものか。
冷たくあしらわれた鋭児郎は、その点について突っ張ろうとはしなかった。それより今は、かの家なき少年のことが気にかかっている様子で。
「実は前に、荒れてるバクゴーを見かけたことがあって──」
数ヶ月前、初夏の夜。高架の上でひとり、フェンスを掴んで項垂れていた姿を思い出す。声をかけたあとの、今にも襲いかからんばかりの憎しみのこもった瞳も。
「そのあと、ウソみたいに懐っこくなって、俺のこともあだ名で呼んでくれるようになったりして……。でもやっぱり、たまに心配になるんだ。危なっかしいっつーか……ふと目を離したら、どっか行っちまうんじゃねーかって……」
「………」
「あいつ、元々ヒーロー目指してたでしょう。……中学んとき、やっぱり何かあったんじゃないスか?そのことですげえ傷ついて、今もまだ、立ち直れてないんじゃないスかね……」
表向きは沈黙を保っていた炎司だったが、身体が強張るのは止められなかった。この男はやはり、危険だ。快盗の目的すら知らないはずなのに、正体である自分たちの心に踏み込むことで、真相にたどり着こうとしている。
「……知りません。私は彼の保護者ではないので」
だから、押し殺したような声でそう言い放つほかなかった。これ以上首を突っ込むなという、炎司なりの拒絶。しかし彼はこのとき、少なからず冷静さを欠いていた。
「気になるのなら、ご自分で訊けばいいでしょう」
でなければ、こんな余計なことまで言ったりはしなかっただろう。
「……そうスね、たしかに」徐に立ち上がり、「じゃあ俺、ちょっと行ってきます!」
「……!?」
「善は急げって言うでしょ?じゃあまた、ジュレで!」
言うが早いか、鋭児郎は荷物をまとめてキャンプ場を去っていった。その疾風迅雷ぶりに、炎司は呆然とその背中を見送ることしかできなかった。
(しまった……俺としたことが)
慌てて電話をかける炎司だが、電話口からは呼出音がむなしく響くばかりだった。
*
間が悪かったとしか言いようがない。
炎司が電話をかけたとき、勝己はちょうどシャワーを浴びているところだったのだ。キャンプ場とジュレは車で十分とかからない距離にある。──湯から上がった勝己が着信に気づいたときには、既に十五分近くが経過していた。
一度通話をしてから、五分足らずでの再着信。伝え忘れたことでもあったか、あるいはその五分間に緊急事態が起きたか。いずれにせよ無視するという選択肢はなく、すぐに折り返そうとしたのだが、
「!」
ピンポンと、玄関のチャイムが鳴った。
もうそれなりに遅い時間だ、こんな時間に来客?不審に思った勝己だったが、相手は何度もチャイムを鳴らしてくる。いちおう身構えながら、ドアを開けた。
──そこには、ある意味酔っ払いなどより性質の悪い男の姿があって。
「よ、バクゴー!」
「な……クソ髪!?」
テントを背負った切島鋭児郎。相変わらず人好きする笑みを顔面に貼りつけつつ、勝己が戸惑っているのをいいことにずかずか入り込んでくる。
「おい……っ、勝手に入ってくんなや!!」
「悪ィ悪ィ!実は今、訳あって宿無しでさ……今晩だけでも泊めてもらえねーか?」
「ア゛ァ!?ウチはホテルじゃねえんだよ!!」
二階の居住空間──自室はともかく、炎司やお茶子の部屋には何があるかわからない。万一快盗との関連を窺わせるものでもあったら事だ。絶対に入れるわけにはいかない。
しかし、鋭児郎には最初からそのつもりがなかった。
「大丈夫、寝床は持ってきたからさ」
「ハァ!?まさかそれ……」
勝己が困惑としているうちに、鋭児郎はてきぱきとテントを広げてしまった。なんて強引なヤツ!自分のことを棚に上げて、勝己は心底呆れ返った。
「へへっ、屋内テントっつーのもオツなモンだよな!」
「………」
「ああそうだ、エンデヴァーたちから聞いたぜ。喧嘩したんだって?」
「!」
さも今思い出したかのような物言いだが、勝己にはすぐわかった。この男、喧嘩のことを聞きたいがためにわざわざ来訪したのだと。
「……別に、大したことじゃねえよ。あいつら、掃除サボりやがったから」
こんなことでいちいち嘘をつくのも業腹だったが、この男をあしらうにはそれしかない。
だのに、切島鋭児郎という男は猪突猛進、引くということを知らなかった。
「ほんとうに、それだけか?」
「……は?」
ずい、と一歩を踏み出す鋭児郎。思わず後退りしかけるほどの真剣さが、その表情にはあった。
「ずっと気になってたんだ、温泉行ったときのことも……。なあ、おめェはいったい何に悩んでんだ?何を抱えてんだ?」
「……ッ、」
「教えてくれ、爆豪。俺……俺、おめェの助けになりたいんだ!!」
迫った鋭児郎の手が、いよいよ伸びてきた瞬間。
──だいじょうぶ?たてる?
「──、」
幼き日の光景がフラッシュバックし、勝己の身体はほとんど意志とは関係なく動いていた。──鋭児郎を、思いきり突き飛ばすという形で。
「……え……?」
「……!」
我に返る。──困惑を露にした鋭児郎の表情が、勝己の心臓を締め上げた。
「ばく、ごう……?」
「……るせぇんだよ……」
「俺を、心配すんじゃねえ……!」
か細い罵声を吐き出して、勝己は踵を返した。そのまま二階へ駆け上がっていく。
鋭児郎は、後を追ってはこなかった。
*
翌朝。通勤通学の人々が往来に現れはじめた頃、ひと晩テント生活を営んでいた店長とウェイトレスがジュレに戻ってきた。
「たっだいまー!」
「お茶子……これは出勤だ」
「あ、そっか……。じゃあ、おはようございまーす!」
元気の良い出勤ぶりを見せつけるお茶子に対して、唯一店に居残った少年はカウンターに突っ伏してぐったりしていた。
「……あれ、どしたん爆豪くん?」
「……どうしたじゃねえわ……」
その姿勢のまま、テーブルに一枚の紙を叩きつける。覗き込んだふたりは、思わず絶句した。
──また来ます。 切島
「あの野郎っ、昨夜ここにテント張りやがったんだぞ!!」
「え゛っ、ここに!?」
「徹夜で見張る羽目になったっつうの……」
実際には、朝までテントの中から出てくることは一度もなかったのだが。
「てめェが余計なコト言うからだ……丸顔」
「う……マジでごめん」
いつもとは異なる沈んだ口調で詰られると、売り言葉に買い言葉というわけにもいかなくなる。謝罪の弁を述べるしかないお茶子だったが、
「……いや、俺の責任でもある」
「は?」
「俺も、余計なことを言ってしまったからな」
「すまん」──頭を下げる炎司の姿に、少年たちは二の句が継げなかった。
*
一方、ジュレからそのまま出勤してきた鋭児郎。今さら言うまでもないことだが、彼は感情が極めて顔や態度に出やすいタイプである。いつもの明るさが鳴りを潜めている──タクティクス・ルームに姿を現した瞬間、その場にいる全員が気づいてしまった。
「……切島くん、何かあったのだろうか?キャンプが余程堪えた……という風でもなさそうだが」
「……そうだね」
この音の感じは……対人のことか。他人の心音が聴ける響香は、瞬時にそれを察してしまった。無論、相手が誰かまではわからない。
「よし!ここは俺が先達として──」
張り切った天哉が声をかけようとする。──が、彼より先んじた者がいた。
「何シケた面してんの、切島くん?」
「あ……死柄木」
本部直属の特別捜査官、快盗とも繋がりがあって、必ずしも鋭児郎たちパトレンジャーと一心同体ではない死柄木弔。その彼が鋭児郎の隣に腰掛け、事情を聞こうとしている。意外な光景に、仲間たちもそのまま様子を窺わざるをえない。
鋭児郎も目を丸くしていたが……ややあって、おずおずと口を開いた。──昨夜あった出来事を、つらつらと語る。
「……ふぅん、そんなことがあったのか」
「俺……踏み込みすぎたのかな。助けになりたいなんて……余計なお世話だったのか?」
「ははっ、まァそうなんじゃない?だって、彼がそう言ったんだろ?」
相変わらず弔の言葉には容赦がない。天哉などは「そんな言い方はないだろう」と怒りを露にしかけたが、響香が彼を止めた。ふたりの距離がここ最近でぐっと縮まっていることは、端々で感じとっていたので。
「じゃあ、そっとしておくべきなのか……?」
「きみはどうしたいんだよ?」
「……俺は、」
「ダチになりたいんだろ、爆豪くんとも」
「!」
はっと鋭児郎は顔を上げた。こちらに向けられた弔の瞳が、やわらかく細められている。冷徹の中に一片のあたたかさを感じとって、鋭児郎は少しだけ救われた気持ちになった。
──そんな折、ジム・カーターのアラートが鳴り響いた。
『小田井町三丁目に、ギャングラー出現との通報がありました!』
「!」
即座に立ち上がり、装備を調えて出撃していくパトレンジャー。ギャングラーから人々を守るという崇高な任務の前には、ひとりの少年の懊悩など些末なことかもしれない。──頭ではわかっているのだけれど、鋭児郎にはどうしても、脳裏に浮かぶその顔を消し去ることができなかった。