しかし炎司サンの過ちに比べれば可愛いものです(キリッ
ひくり、ひくりと、こどものしゃくりあげる声が聞こえる。
「……やだよ、おとうさん……っ、やだよぉ……っ」
──……燈矢?何を、泣いている?
長男は、答えない。暗い部屋の片隅で、こちらに背中を向けたまま蹲っている。
「捨てないで……!ぼくを、捨てないでよ……っ!」
──何を、言っている?
捨てるなんてこと、あるわけがない。燈矢、おまえは俺の夢を継ぐ者ではなかった。それだけのことだ。おまえはかけがえのない、俺の──
「……うそつき、」
言葉を、失った。──振り向いた我が子の顔は……焼け爛れ、皮膚が腐り落ちていた。
「──ッ!?」
自分自身の声にならない悲鳴に揺り動かされるようにして、轟炎司は飛び起きた。はあ、はあと、荒ぶった呼吸が脳髄に響く。
(俺は……そうだ、あのとき──)
未だぼんやりした頭を回転させ、記憶を手繰る。対峙する荼毘の……死んだ我が子を名乗る男から妖しい光が放たれ、途端に異変が生じた。そのまま、気を失ってしまった──
しかし、ここはどこなのか。古い西欧式の部屋に、自分の身体を受け止める柔らかいベッド。寝室のようだが明らかに長年ひとの手が入っておらず、半ば廃墟のような有り様で。
「あぁ、もう起きたんだ──おとうさん?」
「ッ!」
弾かれたようにそちらを見遣れば、出入口を塞ぐように立つ痩身のシルエット。差し込む僅かな光を背に浴びて、継ぎ接ぎの顔が露になっている。
「荼毘ッ、貴様──!」
怒声をあげかけて……ようやく、違和感に気がついた。
自分のものとは思えない、声の甲高さ。喉を押さえようと反射的に動いた手は、ひと目でわかるほど小さく、丸みを帯びたものとなっていて。
「なん、だ……これは……?」
「あれ、まだ気づいてなかったんだ。──じゃあよく見るといいよ……今の、自分の姿」
言うが早いか荼毘は、扉近くに立て掛けてあった布のかたまりを、勢いよく引き剥がした。隠されていた大鏡が、そこに映る己の姿が晒されて、炎司は言葉を失った。
──子供、だった。幼児といって差し支えない年齢の小さな子供が、大きな碧眼を見開いてこちらを凝視している。
細胞を若返らせる個性、生物を小さくしてしまう個性──瞬時にそんな思考が浮かぶ。しかしそのどれも、蒼炎を操るこの男には当てはまらないはずだ。
「荼毘……貴様、俺に何をした……!?」
「………」
一瞬の沈黙のあと──炎司の髪を、節くれだった手が掴んだ。
「痛……ッ!?」
「……燈矢って呼んでくれなきゃヤだよ、おとうさん」
顔を近づけ、優しげな声で強請る。一致しない言動に脳が混乱を来しそうになる中、炎司はヘルフレイムで抵抗しようとする。
しかし、
(個性が……出ない……!?)
いくら手に力を込めても、何も起こらない。──炎司の肉体は、個性が発現する以前の状態にまで退化してしまっていた。つまり今の彼は、ただの幼子も同然で。
いよいよ生命の危機を覚えはじめる炎司だったが、意外にも荼毘はすぐに手を放した。小さな身体が再びベッドに投げ出され、スプリングが甘く軋む。
「ぼくが何したか、知りたい?」
荼毘が、コートのジッパーに手をかける。そしてそのまま、破れても構わないとさえみえる勢いで引き下ろした。
「……ッ!?」
炎司は再び絶句した。露になった、痩せた胴体。顔と同様爛れた皮膚が継ぎ接ぎになっているのはまだ、予想の範疇だった。
──そこには、鈍色の金庫が埋め込まれていたのだ。ギャングラーのものと、まったく同型の。
「ッ、貴様、やはり──!」
「違うよ」
ギャングラーの擬態だったのかという炎司の、願望ともいえるような推測を、荼毘は即座に否定した。
「貰ったんだ。ぼくの願いを、かなえるためにね」
「ねが、い……?」
その言葉に思いを致そうとしたときだった。
「──ぐ、あ……ッ!?」
炎司は堪らず頭を抱えていた。脳を乱暴にかき混ぜられるような強烈な頭痛が、なんの前ぶれもなく襲ってきたのだ。
「あーあ……中途半端に目ぇ覚ますから」
「とう、や……ぁ……!」
「あっ、燈矢って呼んでくれた!」
少年を通り越し、同じ幼子のように歓喜を露にする荼毘。彼がこの状況をもたらしているのだということも忘れ、炎司の手は救いを求めようともがく。
荼毘は左手でそれをそっと握り、
右手で、炎司の口に布を押し当てた。
「む゛ぅ……ッ!?」
アルコールのような匂いが鼻腔を満たしたかと思えば、急速に意識が遠のいていく。薬を嗅がされたことははたらきを鈍らせていく頭でもわかったけれど、それはなんの解決にもなりはしなかった。
「……ぅ、………」
完全に脱力し、くたりと凭れかかるちいさな身体。その頭をくしゃりとひと撫ですると、荼毘は炎司を再びベッドに横たえた。
「……おやすみ、おとうさん」
そう独りつぶやいて、立ち上がろうとしたときだった。
「──ッ、ぐふ……!」
突然喉の奥から何かがせり上がってきて、荼毘は堪らず口を押さえた。びしゃりと、掌が濡れる感触。
徐にそれを見れば……液体とも固体ともつかないような、赤黒い塊で。
「──あら、副作用が出ちゃったみたいね」
「!」
女の声に振り向けば、そこには声からは想像もつかない異形の怪物──そして、一つ目の大男の姿。
「……お前らか。何?」
「何とはご挨拶ね、私もデストラも手を貸してあげたのに。……あら?」
ベッドで眠る炎司の姿を認め、ゴーシュ・ル・メドゥは「あらぁ」と甲高い声をあげた。
「これがルパンブルー?随分可愛い姿になっちゃって……フフフ、いっぺん切り刻んでみたいわ」
「……これは俺のだ、寄るな」
「わかってるわよ、フフフっ」
妖艶かつ不気味に微笑うゴーシュを押しのけるようにして、デストラ・マッジョが迫ってくる。
「そんなヤツのことなぞどうでもいい、約束の物はどうした?」
「チッ……せっかちだな。ほらよ、」
ため息混じりに、"それ"を投げ渡す。──サイレンストライカーと名付けられた最強のVSビークルはこうして、最強のギャングラーの手に渡ってしまった。
「ご協力感謝するよ、次期首領殿?」
「……まだ決まったわけではない」
ぶっきらぼうに言い捨てると、デストラは踵を返して去っていく。ゴーシュはというと、
「私は近くにいるから、体調が悪くなったらいつでも声をかけてちょうだい……フフフフっ」
表向き親切な言葉だが、迂闊に頼れば生きたままバラバラにされかねない。ギャングラーを安易に信用しない程度の分別は、荼毘にもあった。
*
降り出した雨は、四半刻もしないうちに土砂降りへと変わった。
大粒の水滴が絶えず鉄筋を叩くのを窓越しに聴きながら、八木俊典は部下の報告を受けていた。
「逃走した切島鋭児郎と死柄木……志村転弧ですが、現在のところ発見には至っていません。防犯カメラの映像から、天神町近辺に潜伏しているとみて、捜索範囲を絞っています」
「そうか。……彼らは銃火器やVSビークルを所持している。ないとは思いたいが、一般市民に危険が及ぶことも想定しなければならないね」
「心得ています。引き続き、捜索に全力を挙げます」
「よろしく頼む。……すまないね物間くん。日本に帰ってきて早々、つらい任務を引き受けてもらって」
八木の労りの言葉に、寧人は初めて相好を崩した。
「まぁ、汚れ仕事には慣れてますんで。それより残りの連中、どうするんです?放っておくと暴発するかもしれませんよ」
「そうだね……。では、彼らの監視も頼んでいいかい?」
「了解しました」
いちおう警察官らしく敬礼を返すと、寧人は踵を返した。──尤も彼の本職は、鋭児郎と同じくヒーローなのだが。
「……人遣いの荒いことで」
扉を閉めたところで、ぼそりと毒づく。垂れた碧眼に冷たいものを宿らせながら、寧人は歩き出した。
同じ庁舎内では、寧人曰く"残りの連中"が確かに暴発寸前の状態に達していた。
「管理官ッ!上層部はいったい何を根拠に、死柄木くんに容疑をかけているんです!?」
飯田天哉に詰め寄られた塚内管理官は、珍しく苛立った表情でそれに対した。
「そんなことッ、俺だって知りたい!!……ウエに照会しても、ろくな回答がないんだ」
「……ッ、」
確かに、塚内を責めるのはお門違いだ。しかし仲間の受難は、彼の硬質な精神に楔を打ち込んでいた。もとより激しやすい性質を、彼は改めて自覚せねばならなかった。
そんなとき、警察戦隊"五人目"の仲間が声をあげた。
『──あ……ありました!志村転弧!』
「!」
事務用ロボット、ジム・カーター。その言葉に、面々は彼のもとに集った。
『見てください、十五年前の記事です!』
モニターに表示された、なんの変哲もない新聞記事。──とある一家の惨殺事件について、淡々としたテクストで掲載されていた。世帯主の男性、その妻、妻の両親、娘……飼い犬に至るまで、全身を跡形もなく"壊された"状態で死亡していたと。
「"一方、志村転弧くん五歳の遺体は発見されておらず、警察は何者かにより拉致されたか、なんらかの事情を知っているとみて捜索を続けている"……」
そして、ちいさく掲載された顔写真……黒髪の可愛らしい少年は、特徴的な顔立ちではなくて。弔に似ていると言われればそうだが、ほんとうに同一人物か断定しがたい。
いや……その紅い瞳だけは、確かにその面影を残していた。
「この子供が……死柄木……」
「!、まさか殺人とは……一家を殺害したのは、彼だと?」
そんな馬鹿な、と天哉。だって弔……志村転弧はたったの五歳だ。五歳の子供が一家全員を惨殺した?
「──御名答、飯田さん」
「!」
振り返れば、いつの間にか寧人が壁に凭れかかるようにして立っていた。──かつて、短期間とはいえ仲間だった青年。本来なら、諸手を挙げて歓迎したいところだったが。
「物間くん……こんな形で再会するとは思ってもみなかった」
「僕もです。まあ、人生なんて不条理なモノですから」それより、と寧人。「老婆心ながら申し上げますと、皆さんは非常に拙い立場に置かれています。志村転弧はともかく、烈怒頼雄斗まで一緒に逃亡してしまったわけですから」
「ッ、そんなことわかってる!だいたい、今はこんなことしてる場合じゃないんだよ!民間人が、ギャングラーの世界に捕らわれてるんだ……!」
「………」
寧人が沈黙したところで、塚内が切り出した。
「我々は捕らわれた民間人を救出しなければならない。……何よりそれが、優先すべき責務だ」
弔の過去や素性のことは、直接本人に問いただす。──いけ好かないところもあるが、それでも彼はともに命がけで戦ってきた仲間なのだ。
「そうですか。……そうですよね」
瞑目した寧人は、静かな笑みを浮かべた。そこに普段の彼のような、皮肉めいたいろはなくて。
「ジム・カーター。ちょっと端末を貸して」
『えっ?』
「大丈夫、悪いようにはしないから」
そんなことを言われてもと、助けを求めるように上司を見やるジム。視線を向けられた塚内は、寧人を一瞥し……頷いた。
「ジム、彼の言う通りに」
『あうう……わかりましたぁ』
退くジムと入れ替わりに、端末の前に腰掛ける寧人。新聞記事がいったん閉じられ、代わりに街を映し出したマップが表示される。
「これは?」
「現状、ふたりが潜伏しているとみて捜索を行っている地区。……なんだけど、実際に僕が目星つけてるのはここ」
マップを北に移動させる。──そしてズームアップされたのは、実際に捜索が行われている天神町から500メートルほど離れた地点で。
「行ってみると良いよ。僕はこれから捜索隊に合流しますけど」
「物間、あんた……」
フランスがよく似合う日本人離れした顔立ちは、相変わらず何を考えているのかよくわからない。ただ鋭児郎と同じ雄英高校出身のプロヒーローであり、かつて快盗と協力してでもギャングラーの体内に囚われた自分たちを救出してくれた。
──そんな、自分たちのよく知る物間寧人を、今は信じるほかなかった。
「管理官、」
「わかっている。──ふたりとも、出動だ」
待ち望んでいた命令に最敬礼をもって応じると、パトレンジャーはタクティクス・ルームを飛び出していった。
彼らふたりの背中を見送ったあと、
「……では、僕もこれで」
自身も踵を返して去ろうとする寧人を、塚内が呼び止める。
「情報提供、感謝する」
「ははっ……どうですかねぇ?皆さんを引きつけておくための餌、かもしれませんよ」
でなくとも、そこに弔たちがいるというのは寧人の見立てにすぎないのだから。
しかし塚内は、寧人の言葉に動揺することはなかった。
「……一週間、たった一週間だが、きみは俺の部下だった。きみの心根は、それなりに把握してるつもりだ」
「………」
「きみも、どうか気をつけて」
その言葉に応えることなく、寧人もまた去っていった。
『だ、大丈夫でしょうかぁ〜……』
「……今は、信じるしかない」
寧人のことも、部下のことも──弔のことも。
その選択の責任を負うことが、大人の役目だ。
*
降りしきる雨は、工場の軒下をも濡らしはじめている。
「死柄木。腹、減らねえか?」
雨風を背にしつつ、切島鋭児郎は潜伏仲間に訊いた。相手からの明確な返事はない。ただほんのわずか、分厚いグローブに包まれた指が動いたことで、耳に入っていないわけでないことはわかった。
「あ……悪ィ。志村……って、呼んだほうがいいか?」
「……そう思う?」
「え?」
「何もわからない赤ん坊のときに付けられた名前と、自ら望んで名乗った名前……どちらが、"真実"なんだろうな」
独りごちるような問いかけに、鋭児郎は答をもたない。ただその姿にほんのわずか、彼の過去を垣間見たような気がした。
「俺は、どっちでも良いよ」
「?」
「おめェが志村なんとかでも、死柄木でも。どっちだろうが、おめェはおめェ……俺のダチだ」
「………」
その言葉にぬくもりを見たかのように、弔は微笑を浮かべた。名乗りの通り"死"を想起させる血のいろをした瞳を、やわらかく細めて。
「切島くん……きみはほんと、優しいよなァ」
「いやそんな……俺はただ──」
「……でもその優しさが、かえって相手を追い詰めることもあるんだよ」
「──そうだよなァ、ルパンレッド?」
「!」
はっと顔を上げた鋭児郎。──その視線の先には、土砂降りの中で立ち尽くす仮面の少年少女の姿があった。
*
轟炎司は夢うつつの中にいた。頭には濃い靄がかかったまま、身体だけがふわふわと浮いているような感覚。
ここはどこだろう、自分は今なにをしているのだろう。判然としない記憶、しかし誰か、男の野太い声がどこかでしきりに覚醒を促している。
「あれ、もう起きた?」
その声に割り込むように、まだ年若い男の声がする。滲んだ視界の片隅に、声の主であろう青年の姿が覗いた。
「流石に薬の量が少なすぎたか?でも、ガキの身体だからなァ……」
このおにいさん、だれなんだろう。なにをいっているんだろう?
暫し青年をぼんやり見上げていた炎司だったが、刹那、電撃が奔ったかのような錯覚とともに我に返った。
(ッ、俺は、何を……!?)
目の前の男──荼毘に薬を嗅がされた記憶が甦る。そうして眠っている間に、身体ばかりか精神までも幼児に退行しつつあるようだった。
まずい、このままでは。どうにか逃げ出さなければ……いやそれだけでは駄目だ。もとの身体に戻る方法を見つけなければ……このまま、俺は──
しかし現実に、今の炎司は個性も発現していないようなちいさな子供でしかなくて。
「むぐ……っ!?」
起き上がろうとした途端、再び布を鼻口に押しつけられる。呼吸を止めてやり過ごそうとするが、幼児の身体でそう長い時間耐えられはしない。
炎司は結局、布に染み込んだ薬を吸引してしまい──荼毘の腕の中で、深い眠りに落ちていくのだった。