陽光の届かない、薄暗くじめりとした路地裏。そこにふたつ、少年の姿があった。ありきたりな詰襟姿であるところを見るに、地元の中学生だろうか。
──自分は、この光景を知っている。このあとに何が起こるのかも。
『そうだね……僕はヒーローにはなれない』
──やめろ、
『でもそれは、お互い様だろ?』
──やめろ……!
『かっちゃん、──きみは僕のヒーローじゃない』
『きみなんか、ヒーローじゃない……!』
──やめろ!!
そして、凍てつく風が吹いた。
*
初春の朝。冷たいながらも爽やかな風が吹く往来は、行き交う人、人、人の姿で賑やかだ。
その中にあって、異彩を放つ様相の青年がいた。服装や身体的特徴の問題ではない。この超常社会にあって、怪人のような姿をしていたり、そうでなくとも身体の一部が特殊な形状をしている者は大勢いるのだから。
彼──切島鋭児郎が異質なのはただ一点、身体の露出した部分の多くを包帯やガーゼに覆われているためだ。新米プロヒーローである彼は、先日の激戦で重傷を負い、暫く入院生活を余儀なくされていた。それが今朝、ようやく退院することができた。
激戦──ギャングラーとの。曲がりなりにも人間の犯罪者であるヴィランを遥かに凌ぐ、恐るべき敵であることに間違いはない。奴らとの戦闘で大怪我をして引退に追い込まれたり、犠牲となったヒーローがどれだけいるか。数日入院するだけで済んだ自分などはマシなほうだ。
異形の侵略者たちに対する英雄の劣勢。当然社会も動揺したのだが、現在は一時期に比べれば安定している。――なぜか。
「ねえ、またルパンレンジャーがギャングラーやっつけたんだってよ!」
「!」
すれ違う女子高生のことばに、思わず立ち止まる。
「ヤバイよね~カッコよくない?」
「快盗って名乗ってるけど、フツーにヒーローだよね」
「なんていうんだっけ……ヴィジなんとか?」
「でもさあ、」
「ヒーローなんかよりずっと頼りになるよね!」
「わかるー!」
きゃっきゃとはしゃぎながら、歩き去っていく少女たち。
彼女たちを責めることなどできないのはわかっている、実際にヒーローよりルパンレンジャーと名乗るヴィジランテが平和の守り手として機能している現実も。
「……ハァ」
垂らしたままの赤髪を掻きつつ、鋭児郎はちらりと傍らを見遣った。噴水のある公園、ベンチでぼうっとしていれば少しは気も晴れるだろうか。
そう考えて敷地に足を踏み入れた鋭児郎だったが……生憎、先客がいた。
ベンチに背を預け、すうすうと寝息を立てる少年。大理石のような白皙に、淡い金髪。一瞬西洋人かと思ったが、その整った顔立ちは純日本人のそれである。
(子供……?なんでこんなとこで寝てんだ?)
子供と言っても、自分よりやや年少──高校生になるかならないかくらいのようだが。
いずれにせよ身なりも整っているので、ストリートチルドレンではなさそうだ。ただ、そうなるとスリに遭うなどの可能性も考えられて。
起こすべきか否か迷っていると……不意に、少年の寝顔が歪んだ。
「っ、う……」
「!」
「……く、……やめ、ろ……」
魘されている。悪夢を見ているのか。
しかしこれで起こす理由ができた。鋭児郎は意を決し、少年の身体に触れた。
「おい、おいって……大丈夫か?」
「……、あ……?」
揺さぶりながら声をかけていると、瞼に隠された少年の瞳が露になる。鋭児郎のそれより純度の高い、ピジョンブラッドのような赤。思わず息を呑んだ。
「……ンだ、あんた」
目つきがにわかにきつくなる。警戒心を隠そうともしない表情と声音に、鋭児郎は苦笑した。自分もまだ、ついひと月前までは学生の身だったのだが。
「悪りィ、魘されてたみたいだったからよ」
「………」
「怪しいモンじゃねーって。これでも一応ヒーローやってんだ」
「……ヒーロー?」
「そ。期待の新星、"剛健ヒーロー・
「知らん。ヒーローとか、興味ねえし」
「あ……そ、そう」
鋭児郎は密かに肩を落とした。デビューして間もないとはいえ、学生時代からインターンなどで地道に実績を積み上げてきたつもりなのだが。
「チッ……」
「!」
少年が舌打ちとともに唐突に立ち上がるものだから、鋭児郎は慌てて「ちょっと待った!」と押しとどめた。
「きみ、高校生くらいだろ?こんなとこで何やってたんだ?学校は……サボり?……もしかして、家出中とか?」
「関係ねえだろ」
「そりゃそうかもしれねえけど……ほっとけねえよ!ヒーローだっつったろ、俺」
「……チッ」
二度目の舌打ち。柄の悪さゆえ図星と見た鋭児郎だったが、
「……高校は行ってねえ、近くのサ店で住み込みで働いてる。買い出しの途中に居眠りしてた」
「え……」
意外やきちんとした答に、戸惑う。
「満足かよ、これで」
「あ、あー……そうだったのか。悪かったな……」
「フン」
義務教育でないとはいえ高校に行っていないというのはなんらかの事情がありそうなものだが、流石にそこまでは追及できない。こちらに背を向けようとする少年を、これ以上留める手だてはなかった。
「あ……っと、気ィつけてな。近頃物騒だし」
「だろーな。ヒーローがンなケガしてるんじゃな」
「うっ……」
「ハッ、──じゃあな、お節介なオニーサン?」
初めて笑顔を見せて──嘲笑ではあるが──、去っていく少年。複雑な思いを押し殺しつつ、鋭児郎は「じゃあなー!」といっぱいに手を振って見送った。態度は悪いが、非行に走るタイプには見えない。彼のような男にこそ一目置かれるヒーローにならなければと思った。
このときの鋭児郎には知るよしもなかった。
かの少年──爆豪勝己とは、これより幾度となく交錯する運命にあることを。
*
彼が働いているという喫茶店は、なるほどこの街に存在していた。
"
店名どおりの洒落た佇まいの店舗。営業時間中はそれなりに賑わうのだが、従業員は店長も含めてたった三人しかいない。
それゆえ、従業員のひとりであるかの少女──麗日お茶子は忙しい開店準備に追われていた。
「あぁもうっ、パンケーキの用意が間に合わないよぉ!予約のお客さんに出さなあかんのに……」厨房から店内を振り向き、「ってか炎司さんも手伝ってよ!帳簿なんてあとにしてさ!」
炎司と呼ばれた男の姿は、確かにテーブル席の片隅にあった。壮年ながら弛みなどまったく見えない鍛え上げられた肉体に、赤く尖った頭髪。帳簿を見下ろすその眼光は、眼鏡越しでも隠しきれないほどに鋭い。彼──轟炎司こそこの"ジュレ"の店長であった。と言ってもオーナーは別にいるので、いわゆる雇われの身なのだが。
彼は顔を上げることもせず、すげなくお茶子に応じた。
「馬鹿を言うな、これも重要な仕事のひとつだ。経営を任されている以上はな」
「まあ、わかるけど~……」
「それに、我々のルールを忘れたか?」
ふと、お茶子が作業の手を止める。
「──"自分のことは自分でなんとかする。むやみやたらと手助けしない"……でしょ?」
「わかっているなら、精々頑張るんだな」
「いじわるオヤジ……ハァ、」ため息をつきつつ、「ってか、爆豪くんはなんで帰ってこんのよもうっ!あんのサボり魔め!」
スイーツはお茶子も作れるが、調理全般の担当は爆豪勝己なのだ。こういうときは手分けして準備に邁進するのがあるべき形だと考えるのは、ルールに抵触してはいまい。
*
ジュレから約1キロメートルほど離れたターミナル駅の目前に、国際特別警察機構──通称"国際警察"──日本支部の本署がそびえ立っている。
フランスに本部を置く国際警察は、ギャングラーの出現を契機としてICPOから発展する形で発足した。加盟国国内においてはあらゆる超法規的活動が認められ、ギャングラーを始めとするあらゆる秩序を脅かすものたちに日夜対処している。その権限の大きさ、元々"ヴィラン受け取り係"と揶揄されてきた日本警察とのギャップもあり、未だヒーローを神聖視する日本国内での評価は必ずしも高くはないのだが……それはまた、別の話である。
飯田天哉もまた、そんな国際警察に所属する若き警察官であった。飾り気のない眼鏡とかっちりとしたスーツはいかにも優等生的だが、その肉体は分厚く鍛え上げられている。人々を守るのだという強い意思が、その佇まいからは漂っていた。
彼はこの日、新東京国際空港にいた。つい先日、完成したというギャングラーに対抗しうる新装備。対ギャングラーの最前線ともいえる日本支部に送られてくる手筈になっている。新装備の日本支部への運搬の護衛──それが彼に与えられた
(対ギャングラーの新装備、果たしていかほどのものか。だが、これでようやく……!)
気持ちが逸るのには、彼が正義感の強い警察官であること以外にも理由があった。思い返される、少年の日の記憶。挫折、再起、希望と絶望。──彼は最初から、警察官を目指していたわけではなかった。
天哉が拳を握りしめていると、
「飯田!」
「!」
はっと顔を上げると、同じくスーツ姿の女性が数人の男を引き連れてこちらへ歩いてくる。気心知れた待ち人の到来に、天哉は相好を崩した。
「おぉ……久しぶりだな、耳郎くん!」
「うん、おひさ」
「でも変わんないね」とクールに微笑む女性。小柄ではあるが、鋭い目つき、イヤホンのように伸びた耳朶などどこかパンキッシュな雰囲気を醸し出している。彼女──耳郎響香もまた、国際警察の一員であり、天哉の同期でもあった。
「元気そうで何よりだ。今日はよろしく頼む」
「こちらこそ。何もないのが一番だけど……いざってときは、頼りにしてるからね」
「うむ、任せてくれ!」
国際警察内においてもごく一部の関係者にしか知らされていない極秘任務。しかしながら、情報というものはどこから漏洩するかわからない。あるいは彼女らの持ってきた新装備をいまこの瞬間にでも奪取しようとしている者がいるかもしれないと、天哉は気を引き締めた。
*
思い思いに凶悪犯罪を行っていると考えられがちなギャングラーだが、彼らは緩やかながらも組織を形成しており、ゆえに"ボス"と呼ばれる存在を推戴していた。
──"ドグラニオ・ヤーブン"。小柄な身体を鎖で覆った、黄金の老紳士。しかし青く光る瞳のない双眸は冷たく周囲を睨めつけている。
今日この日、異世界にあるドグラニオの屋敷では、彼の999回目の誕生日を祝う宴が催されていた。あらゆる異次元世界から奪った財をちりばめた部屋に、無数のギャングラー構成員がひしめき合っている。
「ボス。この度は999歳のお誕生日、おめでとうございます」
蠱惑的な声で祝福のことばを投げかけるのは、"ゴーシュ・ル・メドゥ"。青を基調としたボディは言動ともども女性らしさを強調しているが、その頭部には目鼻らしきパーツが確認できず、触手のような鶏冠が大量に生え出でている。そのミスマッチが、あまりに不気味だ。
そんな彼女がドグラニオの手にキスをしようとすると、強引に割り込んで阻む者がいた。緑色の鎧を纏った大柄な体躯、顔の中心を占めるぎょろりとした一つ目は、すべてドグラニオを守るためにある。"デストラ・マッジョ"──ドグラニオのボディーガードであり、同時に右腕として構成員らに指令を下す権限をも有する男である。
「ゴーシュ!ボスに気安く触れるな」
「構わんよデストラ」ドグラニオが宥める。「今日はめでたい日だ」
ゴーシュの色目を受け入れつつ、右隣にデストラを侍らせ。ドグラニオは、静かながらよく通る声を張り上げた。
「俺がギャングラーをまとめて500年。脅して、奪って、殺しまくって……楽しい人生だったが少々飽きた。そこで──」
「──後継者を決めようと思う」
そのひと言に、ギャングラーたちはにわかにざわつき出す。圧倒的な力とカリスマ性でトップに立っていたドグラニオ。彼が自らその座を譲ると発言したのだ。この瞬間、ただのめでたい誕生パーティは一同にとって歴史上の一大事へと変わった。
「条件はひとつ。人間界を掌握した奴が、次のボスだ」
最も力のある奴に、このドグラニオ・ヤーブンが築いたすべてを譲ってやる──そう宣言して、老人は上機嫌にワインを煽る。ボスの座を狙う者たちが、思い思いに気炎を上げている──彼らがどのような立志伝、あるいは末路を見せてくれるのか。いまから愉しみで仕方がなかった。
各キャラクターに年齢差があります。
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45歳 轟(父)
(世代の壁)
23歳 飯田&耳郎
18歳 切島
15歳 爆豪&麗日
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