些末なことまで徹底的に引き継ぎを行い、すべてを伝えきった頃には空はすっかり夕暮れに染まっていた。
ほとんど平常時の退庁時刻と変わらない頃合いまで粘った鋭児郎だったが、それでも別れの刻は目の前に迫っている。
「……じゃあ、俺はこれで」
私服に着替え、今日までの仲間たちと向き合う鋭児郎。その赤い瞳は今にも決壊しそうなほどに潤んでいて、彼がこの地、人にもっていた情の深さを如実に示していた。
「元気でね、切島」
「どうか立派なヒーローになってくれ。僕たち、いつまでも応援しているから」
「耳郎、飯田……ありがとな」
朝の寧人とのそれに負けない、固い握手をかわす。それは惜別であり、再会を誓いあうものでもあった。
「管理官とジムまで……わざわざ見送ってもらって、ありがとうございます」
「なに、当然だよ。──今はヒーロー公安委員会のほうでもギャングラー対策を進めている、きみとはいずれ共同戦線を張ることもあるかもしれない。その日を楽しみにしてるよ」
『そのときは私がバッチリサポートしますね!』
「……ウッス!」
そして、最後に。
「物間先輩……あと、頼んます!」
「ああ、任せておいてよ」
ドライな反応だったが、それでも鋭児郎には十分だった。信頼できる先達にあとを託せることに胸を撫でおろしつつ、改めて深々と背筋を折る。
「皆さん……本当に、今までお世話になりましたッ!!」
──そして切島鋭児郎は、国際警察を去ったのだった。
*
数日後、ジュレ。
宿敵のひとりが去ろうとも、彼らの日常生活は何も変わらない。表向き、何度か来店したというだけの常連ともいえない客が異動したというだけだ。とりわけ因縁のあった爆豪勝己に限っては、どこか清々した様子だったが。
──ただし"裏の顔"にとっては、少なからず懸案と捉えるべき事柄であった。
「なるほど、ファントムシーフですか。ある意味順当な人事と言えるかもしれませんね」
「どういう意味だ、そりゃ」
相変わらず黒い靄を波立たせつつ、勝己の半ば詰問に近い問いかけを受け止めるルパン家の代理人──黒霧。どうやってコーヒーを啜っているのか、そこそこの付き合いにはなるが未だに掴めない快盗たちである。
「彼はパリで活動していたでしょう。あの地には国際警察の本部もあります」
「日本のプロヒーローとは国際警察への親和性が違う、か」
通常ヴィラン対策にはあまり関与していない──ヒーローと住み分けているともいえる──日本支部と異なり、総本山であるフランスでは国際警察の存在感が大きい。活動しているプロヒーローは皆、大なり小なり彼らと関係を繋ぎながら活動している。異邦人である物間寧人とて例外ではないだろう。
「だが、本部とコネがある程度で警察戦隊に抜擢されるとは思えんな」
「同感です。穿った見方をするなら、彼の個性が関係しているのかもしれませんね」
「あの人の、個性……」
「──"コピー"か」
苦い表情でつぶやく炎司。コピ──―その写しとる対象は……他人の、個性だ。
「ええ。彼は触れた相手の個性をコピーすることができます」
「……俺らのも、か」
「!、そ、それって……」
「……快盗の個性が明らかにされかねない、ということだ」
個性はある意味究極の個人情報だ。まして、それを全世界に晒して悪と戦っていた男がここにはいる。
「皆さん、これからは細心の注意を払って行動してください。現段階で正体が露呈すれば、今後の活動に大きな支障をきたしかねませんので」
「チッ、わぁってら。要するにそのモノマネ野郎をブチ殺しゃあいいだけの話だろ」
「いやそうは言っとらんやろ……しかもモノマネて、そのまんまやし」
呆れぎみに突っ込むお茶子だが、勝己のラディカルな言動は今に始まったことではなかった。
「フ……とはいえ、皆さんに活動を控えていただくわけにもいきません」
「トーゼンだわ。──持ってきてんだろ、情報?」
「もちろんです。次のターゲットは、この男──」
──何があろうと、彼らに立ち止まることは許されない。
*
一方、ファントムシーフこと物間寧人を新たなパトレン1号として迎え、数日が経過した警察戦隊。
表向きは順調に、しかしどこか違和感を抱えたままのチームに対し、いよいよ任務が舞い込んできた。
「二週間前から南久留間市のレストランで連続している蒸発事件だが……捜査の結果、ギャングラーの仕業であることが判明した」
塚内管理官の言葉に、場の空気がぴりっと引き締まる。それは1号が鋭児郎であれ寧人であれ変わらない反応だった。
「ジム、映像を」
『はい!──こちらをご覧ください』
映し出された立体映像──監視カメラのそれにしては随分主観的な視点から撮影されたものだった。
レンズが捉えたのは、確かに異形の怪物だった。無論それだけでは"異形型"の人間であるという可能性もゼロではないのだが、左腕でその存在を主張する金庫の意匠が、彼の身分を示していた。
『現場に残されていたスマートフォンで撮影されたものです。防犯カメラはどの店でも壊されてしまっていたので、これが決定的な手がかりになりました!』
「へえ、その程度の知恵はあるヤツってことですか」
寧人の事実確認。……なのだが、それまで嫌味ったらしく聞こえるのは穿ちすぎか。
「しかし……これだとギャングラーがどうやって市民を蒸発させているのか、見当もつきませんね」
映像はギャングラーが向かってくるところで終わっている……厳密には続いてはいるのだが、端末を床に落としてしまったらしく画面が真っ暗だった。ただ、力業で外に連れ出しているのでないことは周辺の防犯カメラ映像からも明らか。──ルパンコレクションの能力か。
「いずれにせよ、これ以上の犯行は防がねばならない。ただ、このギャングラーの潜伏場所を掴むのも容易ではない」
「じゃあ、どうするんです?」
「決まってるさ、現地で捕まえるしかない」
『──ってわけで、コレです!』
次にジムが表示したのは、ウェブサイトのある一ページ。レストランとおぼしき店名、店舗映像などが次々にスクロールされていく。これは……。
「……食いレコ?」首を傾げる響香。
『はい!襲撃された店の共通点を調べたところ、すべてこの食いレコのページ……"南久留間市のカップルで行きたいオススメレストラン10選"に掲載されていると判明しました!』
「まだ襲われていないレストランはあとひとつ、そこに網を張る。……ただ、急な話ということもあって、先方は営業の自粛に応じてくれなかった」
つまり、国際警察の職員が扮するダミーの客で店内を固めるというわけにもいかず、何も知らない市民を守りながら戦わねばならないということ。
「まあ……しょうがないね。ギャングラーがいつ現れるか、決まってるわけでもなし」
「うむ、俺たちは俺たちでできることをやろう!」
カップル向けのレストラン──ということは、とりうる手段はひとつ。
ギャングラーがいつ現れるかわからないと、彼らは四半刻も経たぬうちに用意を整え動き出していたのだった。
*
ヒーロー業務に戻った烈怒頼雄斗こと切島鋭児郎は、警察戦隊の動きなど知るよしもなく地道なパトロールに勤しんでいた。各々の誇るコスチュームを纏い、街並みに目を光らせる。行きかう人々の中から悪の萌芽を見つけ出すのはもちろんのこと、そうして堂々とヒーローの存在をアピールすることで、ひとつの抑止にもなる──人間のヴィランに対しては。
「………」
「……おい……ット……」
「………………」
「おいって……」
「烈怒頼雄斗!!」
「!!」
大声でヒーローネームを呼ばれて、鋭児郎はようやく我に返った。
「あ、す、スンマセン……何スか?」
「何スかじゃねえ、さっきから思い詰めたような顔しやがって!」
「う……マジスンマセン」
「ったく!」と唸る先輩ヒーロー。……なのだが、先輩というより兄とか血縁者なのではないかというくらい彼は鋭児郎によく似ていた。
「どうせアレだろ、警察戦隊が名残惜しいんだろ?デビューしてから半分以上はあそこにいんだもんな」
「い、いやそれは……その……」
「いーっていーって、俺たち思考回路まで似通ってんだろ?わかるからよ、その気持ち」
ギャングラーと正面切って戦えるだけの力がなくなったこと。友誼を結び認めあった仲間たちが、ギャングラーと正面切って戦うことへの心配。──単純に、別れ別れになってしまったことへの寂しさ。あらゆる感情がない混ぜになり、鋭児郎はなかなか気持ちを切り替えることができずにいた。
「つーか、おめェの後釜がよりによって物間とはなぁ……不思議な巡り合わせだよな」
「あ……そっか、同級生っスもんね」
「おう!ホント、アイツには苦労させられたけど……でも、思い返してみると楽しかったんだよなぁ」
よく似た三白眼が懐かしげに細められる。
「アイツ、だいぶアレな性格してっけど……ああ見えて仲間思いなとこもあっからよ。おめェとしちゃ複雑かもしんねーけど、きっとパトレンジャーでも上手くやると思うぜ」
「……そうっスね。いや、そうだったら俺も嬉しいっス!」
それは心より出でた言葉だった。寧人が自分以上にパトレンジャーに溶け込み、活躍してくれる──それが一番いいことなのだ。
であれば、自分は自分のなすべきことをしよう。鋭児郎は改めてそう決心したのだった。
*
「メルグの奴、好き放題やっているようじゃないか」
鷹揚だが冷酷さの滲むドグラニオ・ヤーブンの声が、屋敷内に響く。
それを真正面から受け止めるデストラ・マッジョは、恭しく一礼しつつ応じた。
「は……。これからはコレクションのおかげでなんでも食べ放題だと喜んでおりました」
「確か前に襲った世界じゃ、征服の証に現地の生き物を食べていたのよね……色々な種類の。今度はヒトがメインターゲットみたいだけど……フフ」
愉しげに笑うゴーシュ・ル・メドゥ。──彼ら全員、今回は高みの見物と洒落込むつもりであった。デストラもいったんはVSビークル奪取について様子見のつもりでいる。今動けば"メルグ"の邪魔になりかねない。
「今度はどんな珍味を届けてくれるかな。……正直、楽しみだ」
*
さて、メルグなるギャングラーが襲撃すると目された人気レストラン。
インターネット上でオススメと目されているだけあって、平日でもランチタイムは満員御礼の様相を呈していた。やはりその大半は、カップルとおぼしき若い男女のペアだ。
その中に、体格のよい眼鏡の男性と、ショートボブの女性の二人組がいた。男性は服装や佇まいが見るからに生真面目そうな印象を与える一方、女性のほうはややもすればパンキッシュな雰囲気を醸し出しており、カップルとしてはやや違和感のある取り合わせだった。
「………」
「……飯田、怖い顔しない。ただでさえあんた、威圧感パないんだから」
「ム……す、すまない。しかし、いつギャングラーが現れるかわからないから……」
「店の周りじゃ仲間がこっそり警戒してくれてるんだ、心の準備する時間くらいはあるよ」
「それは……まあ、確かにそうだな」
──そう、彼らはカップルなどではなかった。
飯田天哉と耳郎響香。警察戦隊の一員である彼らは、ギャングラーの襲撃に備えカップルのふりをして待ち構える作戦を実行中であった。長時間居座ることになるわけだから、当然店から許可は得ている。渋々ひと席貸してくれた、という感じだが。
「ってわけで、飯田なに食べる?」
「!?、た、食べ……任務中だぞ!」
「お腹すいてきたし。何時間いることになるかわかんないのに、飲まず食わずなんていざってとき力が出ないでしょ」
「いや、しかし……」
「大体、何も頼まず居座るなんて営業妨害もいいとこだよ。ギャングラーよりはマシだろうけどさ」
「!、………」
暫し葛藤を続けた天哉は……ややあって、結局メニュー表をテーブルの上に広げたのだった。
がぶりと、パンが口いっぱいに頬張られる。
もぐもぐと小麦粉の塊を咀嚼しながら、物間寧人はハンドルに肘で凭れかかった。行儀の悪いことこのうえないが、独りでパトカーに待機しているという状況ゆえの振る舞いだ。他人が見ている前では、間違ってもこんな崩れ方はしない……親しい友人などは例外にしても。
「日本の菓子パンは柔いなぁ……味なしでもフランスパンにしとくんだった」ぼやきつつ、「さて……
ごくりと嚥下を終えたあと、寧人の碧眼はさながら猛禽類のごとき鋭い光を放っていた。こんな大量生産品の菓子パンなど、彼にとっては前菜にすぎない。コースの主役となるべき獲物は自らの手で手に入れるのだという狩人の矜持が、その瞳に刻まれていた。
──その"獲物"が必ずしも仲間たちとは一致しないことも、彼にとっては大した問題ではないのだった。