長らく続いた梅雨が終わり、じめりとした空気を残したまま季節は夏を迎えようとしていた。
日の出も早まり、通勤ラッシュの時間帯には随分と気温も上昇している。──切島鋭児郎はぱたぱたとシャツの襟で扇ぎつつ、汗を拭った。
「暑っちいなぁ……」
ただ、流石に快適とは言わないものの、鋭児郎は冬よりは夏のほうが好きだった。木々が緑に色づき、生命の息吹も最も活発になる季節。イベントごとも目白押しだ。
やや気が早いが、かき氷でも食べたいな──そんなことを考えつつ歩を進めていると、傍らからがり、という小気味のいい音が聞こえてきた。
ちらと視線を向ければ、すれ違うメキシカンな装いの男性の姿。彼はかき氷どころか、なんの飾り気もない氷そのものを噛み砕いていた。余程暑がりなのだろうか、それにしては見るからに暑苦しい恰好をしているが──
(……ま、変わったヤツも増えるんだよなぁ)
苦笑を噛み殺しつつ、素通りした。確かに見かけには"変わったヤツ"でしかなく、鋭児郎が特別な意識をもつことがないのも、無理からぬことであった。
*
一方、世間を騒がす快盗たちが根城としている喫茶店"ジュレ"。
いつものように開店準備に勤しんでいる彼らのもとに、これまたいつものようにルパン家の執事がやって来たのだが。
「ギャングラーではない、だと?」
いつもギャングラーの情報を持ってくる執事こと黒霧だったが、差し出された写真に写る女性について、彼は開口一番にギャングラーではないと告げたのだ。つまりは、正真正銘ただの人間?
「……この女が、ルパンコレクション持ってるっつーのか?」
「ええ。流石に慧眼ですね、きみは」
心のこもらない賛辞に、勝己は盛大に渋面をつくった。こちらを乗せて上手く使ってやろうという意図を隠そうともしていない、まあそれはお互い様なのだが。
「彼女の提げているペンダント、おわかりになりますか?」
わかるかと訊かれれば、わかるに決まっている。黄玉のようなそれは、よくよく見れば戦闘機にも似た形状をしている。──よく似たルパンコレクションが失われたままなのだと、黒霧はそう言うのだ。
「で、この女はどこの誰だよ」
「……どこかで会ったことがあるような気もするが」
「え、そうなん?」
炎司には既視感があるようだった。その答は、聞いてみれば得心のいくもので。
「彼女は八百万百。八百万ジュエリー株式会社の代表取締役です」
「!、八百万って……もしかしてあの?」
「ンだよ、知ってんのか丸顔」
「いやいや爆豪くんこそ知らんの!?八百万っていえば──」
「──日本で五本の指に入る企業グループで、それらを束ねる創業者一族だ」
そう言われれば勝己にだって聞き覚えはなくもない、ニュースや新聞等は同級生の中でも見聞きしているほうだった。ただ情報の取捨選択がシビアすぎるというだけで。
「彼女は現当主である八百万
「……おそらくな。八百万家主催のパーティーには何度か招待されている」
「うわっ、流石トップヒーロー……」
プロヒーローもトップランカーともなると政財界と繋がりができるのか。お茶子は素直に感心したが、勝己は眉をひそめて聞き流していた。
閑話休題。
「ってか、ギャングラー以外からもドロボ……いただいちゃうん?なんだかなぁ……」
「……テメェは快盗なんだと思ってンだ、丸顔」
「必要ならば躊躇なくそれを実行する、当然だろう。必要ならば、だがな」
炎司がちらと黒霧を見遣る。──そう、快盗だからといって、盗みとる一辺倒である必要はないのだ。
「方法は皆さんにお任せします。まあ、穏便に事が運ぶならその方が良いでしょう」
彼らが元プロヒーロー、あるいはヒーロー志望の少年少女であったことは、黒霧も十全に理解していた。
*
情報を預かれば、その後の快盗の動きは電光石火のごとく、である。半日も経たないうちに、彼らは快盗の衣裳を纏って八百万グループの所有するオフィスビル近くにまで足を運んでいた。
「うわ~……立派なビル。あんなところで社長さんやってるなんて、まだ若いのにすごいわぁ」
双眼鏡片手に感心し通しのお茶子に対し、勝己は「けっ」と相変わらず素っ気ない様子。
「七光りなんだろ。見た目と血統でちやほやされてるだけの軽りィ神輿だわ、どーせ」
「……なんか爆豪くん、いつにも増して辛辣?」
「別にフツーだわ。ンなことより──」
どのようにして彼女に接触するか。交渉するにせよ強行手段に打って出るにせよ、取り巻きは少なければ少ないほどいい。しかし代表取締役ともなれば、ひとりになるタイミングは自ずと限られてくる。
「帰宅時を狙う……とか?」
「それも手段のひとつではあるが、今日に限ってはやや困難だろうな」
「え、なんで?」
訊かれるのを待っていたかのように、炎司は懐から一枚のチラシを取り出した。
「明日、八百万ジュエリー主催の宝石展が開催されるそうだ」
「チッ、準備でお忙しいってワケかよ」
どう取り繕っても気の長いほうではない勝己。なんとしても今日中に接触したいと思っているところ、程なくして僥倖ともいえる出来事があった。尤もそれは大いなる試練のはじまりでもあるなどと、彼らには知るよしもないことだった。
*
快盗たちが時機を窺っている頃──八百万百は翌日に控えた宝石展の準備のため、炎司の推測通り慌ただしい日程をこなしていた。
「玉浦さん、午後の予定はどうなっていますの?」
「はい。13時30分から──」
手帳に目を落としてスケジュールをつらつらと読み上げていく秘書。彼のほかにも、彼女は役員、さらには屈強なボディーガードに囲まれていた。それはひとり娘である彼女自身の重要性以上に、八百万の名の権威を示す光景で。
「………」
夜まで分刻みのスケジュールに辟易する内心を押し殺しながら、百はそっと胸元のペンダントに触れた。これだけは、唯一の──
「──見つけたぜ、社長サン?」
「!」
一行の前に、突如として立ち塞がる不敵な笑みを浮かべた男。清掃員の恰好をしているが……その言動は、害意を隠そうともしていない。ボディーガードたちが、百を庇うように前へ進み出る。
その判断は、正しかった。
「貰い受けに来たぜ……その、ペンダントォ!!」
男の身体が膨れあがり……弾け飛ぶ。露になった真の姿は、シカに似た異形の怪人──ギャングラー。
「!!?」
驚愕と怯えがない混ぜになった表情を浮かべながらも、躊躇なく百を守りにかかるボディーガードたちは流石八百万家が雇っているだけの優秀な者たちだった。実際、人間の犯罪者──ヴィラン相手ならばその能力を十全に発揮することができただろうが、相手は並みのプロヒーローでは束になっても敵わないギャングラーだ。三十秒も経たないうちに全員がのされてしまう。
「う、うわああああ!」
自棄になった秘書が手帳片手に飛びかかるが、結果は見えていた。殴り飛ばされた彼は、痛みを味わう間もなく夢の世界に旅立った。
「さあ社長サン、こうなりたくなかったらそのペンダントをよこしな!」
「……お断りしますわ!」
ただ言葉で突っぱねるだけではなかった。彼女の個性は──"創造"。己の肉体から、生命体を除くあらゆる物質を創り出すことができる。彼女が選んだのは、スモークボールだった。
「うおッ!?」
思いっきりそれを投げつけられ、ギャングラーの周囲を白煙が覆った。
相手が視界を失っている隙にと、踵を返して逃げ出す百。のびている秘書らには申し訳ないが、ギャングラーの標的が自分ならこの場から引き剥がすほうが賢明だと判断したのだ。尤も、彼女がギャングラーの脅威に直面するのはこれが初めてだった。
「チィ……このブレッツ・アレニシカ様にこんなものが通用するかよ!」
ギャングラ──―ブレッツの頭頂の角が妖しく光り……刹那、緑色の電撃が白煙を吹き飛ばした。
「!?」
その勢いはとどまることを知らず、さらに百自身にまで襲いかかる。令嬢らしからぬ身のこなしでかわそうとするが……直撃こそ避けるも、わずかに掠めた部位から奔る衝撃に、彼女の筋肉は硬直した。
「ッ、うぅ……」
「その辺のオンナにしちゃいい動きするなァ。だが、オレに刃向かった代償は大きいぜ」
迫るブレッツ。若き女社長に、抗するすべはない──
そのとき、
「オラアァッ!!」
なんの前触れもなくウィンドウが粉砕され、三つの影がオフィスに飛び込んできた。
「お前ら……快盗!?」
予想だにしない事態に動きを止めるブレッツに対し、真っ先にブルーとイエローが襲いかかる。残るレッドは、痺れから回復しきれていない百を助け起こしにかかった。
「来い、逃げンぞ」
「あっ、待てこら!」
逃げるふたり、追うブレッツ、阻むブルーとイエロー。もつれ合いながら、彼らはエレベーターホールにたどり着く。
ボタンを押し、到着を待つ。その中途半端な時間が、レッドには焦れったくて仕方がなかった。ブレッツの抵抗が思ったより凄まじく、ブルーとイエローの妨害も完璧ではない。
思わず扉を殴りつけようとした瞬間──来た。百を引きずって滑り込み、"閉"ボタンを押す。閉じていく扉、これでひと安心……と思いきや。
「くううッ、逃がすものかぁ──!」
ブレッツは燃えた。心火を燃やした。ブルーとイエローの攻撃をかわし、閉じゆく白銀の箱に滑り込む──
「ッ、行かせるか!!」
その足めがけてブルーとイエローが手を伸ばすが……届かない。あとわずかのところですり抜けてしまった。
「な……おいテメェら!!」
当然ぶちギレるルパンレッド。「ごめん~!!」というルパンイエロー渾身の謝罪を最後に、むなしく扉が閉ざされた。
「~ッ、あぁもうっ、個性使えばあんなヤツ……!」
「……不甲斐ないな」
過去にトップヒーローと呼ばれていても、個性を封じられればこんなものか。エンデヴァーの名の脆さを、炎司は嘲った。
──その一方で、快盗になってから……否、"あの日"から一度たりとも個性を使ったことのない赤い快盗は、狭いエレベーターの中で孤軍奮闘していた。
「チィ……ッ、あんのボンクラどもがぁ!!」
仲間を罵りつつ、体積でみても数メートルほどしかない直方体の中を最大限動き回りながらブレッツに対抗する。しかも、百を守りながら。これが長々と続くならいずれ限界が来ていたかもしれないが、エレベーターが一階に到着するまでには一分もかからなかった。
──その頃、一階エントランスホールでは平和な時間が流れていた。行き交う社員たち。一応は彼らの流れを眺めつつ、すっかり気の抜けた様子の警備員。チン、とエレベーターが到着する音が響くのなんて、日常茶飯事もいいところなのだ。
それが、
「死ね快盗!!」
「テメェが死ねぇ!!」
「──!!?」
扉を吹っ飛ばし、飛び出してきたルパンレッドとブレッツ──そして、女社長。
一瞬静まり返ったあと、状況を理解した人々が悲鳴とともに逃げ出していく。かの警備員はというと、
「こ、国際警察ですかッ?ギャングラーがグギャアッ!?」
通報の途中で、哀れブレッツに突き飛ばされてしまった。尤もこのギャングラーの眼中には、ルパンレッドと八百万百の姿しかなかった。
「チッ……しつけェな」
「お互い様だンなもん!──快盗、お前らもどうせそいつのペンダント狙いなんだろ?正義ぶってんじゃねえよ!」
「えっ……」
今まで大人しく背中に守られていた百が、汚いものを見るような目をレッドに向けた。思わず頭を掻きむしりたくなる。
「てんめェ……余計なこと言ってんじゃねえ!!」
怒りは敵にぶつけるに限る。射撃と同時にルパンソードを振るいにかかるレッド。しかし彼とブレッツが死闘を繰り広げているうちに、百はいよいよ自力で逃走を図る。
「「クソが!」」
奇しくも敵味方の絞り出した言葉が一致する。──ただ、双方とも手段は己の身ひとつではなかった。
「えぇいっ、──ポーダマン!」
配下の雑魚戦闘員たちを召喚し、百の追跡にかからせるブレッツ。対するレッドのもとにも、同じくエレベーターを使って追ってきたのだろうブルーとイエローが合流した。
「テメェら──」
「……文句ならあとで聞く!」
「私たちでコイツから盗るから、レッドはペンダントお願い!」
「……チッ!」
確かに、今優先すべきはそのふたつ。ブレッツは仲間に任せ、走り出すレッド──刹那、気絶した警備員の姿が目に入った。
「!、……へぇ」
こいつは使える。どんなに苛ついていようとも、悪知恵はしっかり働くのが爆豪勝己という少年だった。
そして、外では。
「国際警察の権限においてッ、実力を行使する!!」
早くも駆けつけたパトレンジャーの面々が、ポーダマンの掃討にかかっていた。
「あれが、国際警察の……」
暫しその戦いぶりに見とれてしまっていた百だったが……不意に腕を掴まれ、我に返った。
「お嬢様、こちらへ」
「え……は、はい」
服装からして、会社の警備員か。"社長"でなく"お嬢様"と呼ばれたのは引っ掛かったが、百はかの男に素直に従う。
──それが自身の持つペンダントを狙う快盗であって、本当の服の持ち主はエントランスの片隅で身ぐるみ剥がされ気絶しているなどとは、知るよしもないことだった。
*
このときばかりは、パトレンジャーにごくろーさんと言ってやりたい勝己だった。尤も、「まんまと手助けしてくれて」との愚弄付きだが。
おかげでターゲットとふたりきりになることができたばかりか、一定の信頼も勝ち取ることができたのだ。
「助かりましたわ……ありがとう」
「礼なんざ……お礼なんて結構です。仕事ですから」
口調を努めて丁寧にしつつ、そう応じる。百は柔らかな笑みを浮かべつつ「それでも、ありがとう」と繰り返した。写真から受けた印象とは、随分と異なる。
「それにしても……貴方、随分とお若いのね」
「……ええまあ、よく言われます」
それはそうだ、実年齢は未成年も未成年なのだから。長く化けているつもりもない、咄嗟の判断だったのだ。
「そんなことより災難でしたね、ギャングラーに襲われるなんて」
「……ええ。ギャングラーだけではありませんわ、快盗まで、このペンダントを狙っているなんて……」
ぎゅっとペンダントを握りしめる百。事の深刻さに思いを致しているのか、唇がぎゅっと引き結ばれる。
「それ、高いんですか?」
「……どうでしょう。値打ちは、わかりませんわ」
「は?」
思わず素に戻ってしまった。ただ、どこか物憂げな表情をしているのが目に留まった。ギャングラーや快盗に狙われていることとは、また別──過去への追憶か。
(……どうでもいいだろ、ンなこたぁ)
この女とペンダントにどんなバックボーンがあろうが、自分には関係ない。そろそろ頃合いだと、勝己はわざと皮肉めいた笑みを浮かべてみせた。
「大事なものか知りませんけど、命には代えられないでしょう。手放したらどうです、ナンなら俺が買い取りましょうか?」
「えっ」
「コレ、どーぞ」
目を丸くしている百に、押しつけた一枚の紙切れ。それは本来彼のようなティーンの少年が所持していることなどありえない、正真正銘の小切手だった。──今回のように人間がルパンコレクションを所有しているケースを想定し、ルパン家が彼らに与えたツールのひとつ、というわけだ。
「好きな金額、書いてください」
「……貴方、ただの警備員ではないわね。何者?」
百が疑いの視線を向けてくる。まあ、この程度は想定の範囲内だ。演技をやめて、勝己はどかりとベンチに座り込んだ。
「とある金持ちの、パシリってとこ」
「!、そう……そういうこと」
「でしたらそのお金持ちに伝えてください。ヒーローならば、余ったお金は人助けに使いなさいと」
「あ?」
これは想定外だった。このお嬢様は、お金持ちを誰と曲解しているのか。
「わたくしはもう、"彼"にお会いするつもりはありません……!」
「……ハァ」
「伝えてほしいならまず、その"彼"っつーのがどこの誰なのか教えてくださいよ──お嬢サマ?」
「え?」
呆気にとられたような表情の百は、珍しく勝己の審美眼にかなった。
ってわけでヤオモモちゃんでした。年齢は飯田くん達と同じかちょっと上くらいを想定してます。八百万家については完全に捏造。親父さんは十(みつる)とかきっとそんな名前(原作で出てないよね?)